第二話 異次元からの侵攻
◆マルタ
翌朝のガリアは、いつも通りの喧騒に包まれていた。
露店の呼び声、子ども達の笑い声、仕事へ向かう大人の足音——
この国は外の荒廃した世界とは違い、どこか暖かい空気をまとっている。
カナタ達が通うDP課の校舎は、一般科から少し離れた高台にある。
登校途中、僕は胸の奥にまだわずかに昨日の恐怖が残っていたが、
周りの景色はそんな陰りを吹き飛ばすほど明るかった。
「……おい、また何か考えてただろ」
白上銀がぼくの横に並んだ。
見た目は怖いが、昨日助けてくれたときの表情が忘れられない。
「あ、いや……少しだけ」
「気にすんな。昨日のことは終わった」
そう言う銀の声は低いのに、不思議と安心する。
カナタが少し先で笑って手を振った。
「おーい、早く来いよ。演習場、今朝は人多いぞ」
校舎の玄関前、広い演習場を横切ったときだった。
——空気が震えた。
音のない衝撃。
空間そのものがわずかに捻れ、
地面に落ちた“影”が、一瞬で別の場所へ跳んだ。
「……来てるな」
銀が呟く。
周囲の学生達の目が、一斉に演習場の中央を向く。
次の瞬間、
音より先に、人影が立っていた。
ガリアの英雄——
オメガクラスのディメンションガード、テンポリオン。
音を召喚し、振動を操り、
滅級の異獣すら拳一つで粉砕する“音速の守護者”。
「よぉ、御藤の坊主。昨日も研究塔の前にいたな?」
軽い調子の声なのに、空気が震える。
生き物としての本能が圧迫されるような、圧倒的な存在感だった。
「見てたんですか」
カナタは自然体で答える。
この人相手に緊張してないのか……?
「見えるさ。君は父親に似てる。
背負わなくていいものまで背負おうとするところが」
「……必要なんですよ」
テンポリオンは苦笑するように肩をすくめた。
その背後から、眼鏡をかけた華奢な男性がひょこっと顔を出した。
「テンポリオンさんは移動が速すぎます……おや、あなたは御堂さんの」
ガリアDP省大臣、ログ=モルタル。
高位官僚とは思えないほど低姿勢で、
テンポリオンに小脇に抱えられて移動しても文句を言わない——
そんな奇妙な人物だ。
「モルタルさん、今日も会議ですか?」
「ええ、上層部の定例会議です。私は戦闘が苦手なので、
こうして連れて来てもらえるのは助かりますよ」
カナタの問いににこやかに答えるが、僕にはどんな人か読めなかった。
テンポリオンに軽く手を振り、
二人は再び光の線となって消えた。
「な、なんだったんだ……」
ぼくはその場に固まってしまった。
「あの人がガリアの最強戦力だよ。
——はやく追いつかないとな」
カナタが言った。
本気で言っているのが分かる。
「銀も」
「俺もかよ」
銀は薄く笑ってぼくに向き直る。
「マルタ、昨日の傷……本当にもう平気なのか」
「あ、うん。DPで治した。
たんぱく質を……変換して……えっと……」
「……いいDPだな」
その一言が妙に嬉しかった。
「オメガクラスって……召喚者で一番上のランクだよね?」
ぼくがそう聞くと、カナタが軽く頷いた。
「そうだな。国家戦力扱い。」
「じゃあ……モルタルさんも、あのテンポリオンに連れてもらってるってことは……強いの?」
銀が小さく肩をすくめた。
「いや、モルタルさんのDPは“サイコロの出目を当てられる”とかそんなレベルらしい」
「……え、それだけ?」
「それだけだ」
カナタが笑う。
……少し大臣に親近感が沸いた。
そのときだった。
ふと、空の“紫層”が揺れた。
昨日と同じ——
いや、昨日より強い“波動”。
カナタは演習場の端で空を見上げた。
「……妙だな」
風が吹き抜ける。
誰も気づかないほど小さな揺らぎ。
しかし、それは確かに“バリアの振動”だった。
ガリアを守る、絶対防壁。
異次元からの侵攻を拒絶してきたはずの、あのバリアが揺らいでいた。
◆マルタ
ガリアの空は、その日も透き通っている。
研究塔の先端で揺れる薄紫の膜も、いつも通り——
ほんのわずかに震えているだけに見えた。
僕は昼休みの中庭で、カナタと銀と並んで街を眺めていた。
屋台の煙がのぼり、小さな子どもたちが遊具で笑っている。
「……いい国だな、ガリアって」
思わず漏れた言葉に、二人は同時に笑った。
「だろ? 異次元人や異獣が入ってくることも、滅多にない。」
そう。
ガリアは“絶対防壁”に守られている———はずだった。
カナタは少し離れた場所で、紫層を見つめていた。
そのとき。
バチッ……!
空が裂けた。
まるで薄い膜を爪で引き裂くような、乾いた破砕音。
紫層が大きく波打ち、きしむようにゆがむ。
「なっ……!?」
銀が即座に僕の肩を引いた。
足元の石畳が震え、空気そのものが押しつぶされる。
———これは、“揺らぎ”じゃない。
破壊だ。
演習場のアラートが響きわたり、教師たちが叫ぶ。
「全生徒は避難ルートに———!」
だが、その声は途中でかき消えた。
空が、開いた。
深い紫と黒が混じり合い、裂け目の奥から赤黒い光と煙が噴き出す。
まるで次元そのものが裏返されたかのような、異様な光景。
ざわめく民衆。
「……バリアが……破られてる……?」
信じたくなかった。
世界で最も安全な国が、崩れ落ちていた。
そして“何か”が落ちてくる。
◆
異次元の裂け目から落下してくるのは、ただの異獣ではなかった。
黒い甲殻、ねじれた四肢、
光を食うように揺らめく影。
禍々しい形をした巨大な異獣が数えきれないほど降ってきた。
——そのどれもが滅級以上に見える。
昨日から続いていた紫層の揺らぎ。
嫌な予感はあった。
だが、まさか今日、バリアが実際に破られるとは。
異獣の背後で、“人影”がゆっくり降りてきた。
銀が息を呑む。
「カナタ……あれ、やべぇぞ」
「……ああ」
白い肌。
黒目と白目が反転したような瞳。
不気味なほど静かに着地する異次元人。
その足元の砂が、音もなく砕けた。
男が、ゆっくり手を上げた。
「———始めろ。」
次の瞬間、異獣達が一斉に咆哮し街へ突撃した。
瓦礫が爆ぜ、建物が崩れ、
悲鳴が空気を震わせる。
ガリアの日常は、一瞬で地獄へ変わった。
目の前の景色が音を立てて崩れていく。
朝見たばかりの平和な通りが、赤黒い炎に包まれる。
銀が歯を噛みしめて前に出た。
「クソ……!」
カナタは振り返り、短く言った。
「町を頼む、銀」
「お前は?」
「やることがある」
カナタの目は、空から降りてきた“男”だけを見つめていた。
その瞳には恐怖も迷いもない。
あるのは、国を守る意志だけだった。
◆
ガリアを含む人類連合には、異次元からの存在を五段階で分類する「災害コード」がある。
陰級:小規模侵攻。村が一つ荒れる程度。
魔級:空間歪曲や精神汚染などが広範囲で発生する危険な領域。
災級:都市壊滅クラス。大量の軍隊を投入しても対抗は難しい。
滅級:国家がひとつ消える規模。人類が恐れる最上位の災厄。
終級:遭遇=世界の終焉。
そして、今降ってきている異次元の獣、異獣は——
明らかにその多くが 災級〜滅級 の領域だった。
空が裂けた直後。
ガリア全域に防衛警報が鳴り響く。
「緊急通達! 紫層バリア外周部に破壊痕!
大型の異獣群が——多数侵入!!」
校舎が揺れ、生徒たちの悲鳴が響く。
町では、複数の次元防衛軍が防壁へ向かって走っていた。
炎を纏う召喚者のガードが手をかざし、
降りてきた魔級異獣の触手を焼き切ろうとする。
——が。
「——っ!? 燃え……ない!?」
異獣の表皮がねじれ、触れた炎が“飲み込まれる”。
次の瞬間、悍ましい触手が横に振られ、
ガードの上半身が消えた。
残った下半身が地面に崩れ落ち、血が石畳を染める。
別のガードは土壁を召喚して民衆を守ろうとするが、
それは異獣の咆哮ひとつで粉砕される。
壁の破片が群衆へ突き刺さり、悲鳴が重なる。
「後ろ、下がれ!まだ来るぞ!」
「災級二体、北通りに進行中!!」
「くそ……数が多すぎる!」
彼らは必死だった。
だが、ガリアを守るはずの精鋭たちが
次々と倒れていく光景は、あまりにも異常だった。
そこへ——
轟音より速く、光より濃い“影”が地面に着地した。
音そのものが揺らいだ錯覚が広がる。
「……テンポリオンだ!」
誰かの叫びが上がる。
全身に音の紋様を纏い、空気を震わせる男。
ガリア随一の盾。
オメガクラスのディメンションガード、テンポリオン。
彼は風よりも速く視線を上げ、裂けた空を見据えた。
「……滅級以上だな。数も多い」
声は静かだが、周囲の空気がビリビリ震える。
後方から駆けつけた隊員たちが叫ぶ。
「テンポリオン様! 外縁部が突破されています!
市街地へ避難誘導を——」
「任せろ。まずは“先頭”を止める。」
テンポリオンの右手がふっと揺れた。
——空気が破裂した。
大気そのものの振動が一気に圧縮され、
音速を超えた打撃の衝撃波が一直線に広がる。
遠くの大通りに降りてきたばかりの異獣の一体が、触れもしないまま粉砕された。
続けて、地上に落ちかけていた災級異獣の巨体へ接近し、拳を突き上げる。
拳が触れた瞬間、
空気の層が幾重にも重なるように震え、
その振動は異獣の内部で増幅され——
内部から破裂した。
巨体は一拍遅れて崩れ落ち、黒い液体が路上を染めた。
「っ……! すげぇ……!」
テンポリオンは振り返らない。
次の標的へ一直線に駆けていく。
その背後には、なおも無数の異獣が降り注いでいた。
◆マルタ
僕は銀に手を引かれながら、必死に人混みをかき分けていた。
目の端に映る光景が、脳に焼き付く。
倒れた親を揺さぶる子ども。
首を失ったガードの身体を踏んで進む異獣。
逃げ遅れた店主が、触れられた瞬間“灰”になって消える。
「走れ、マルタ!」
銀の声も遠く聞こえた。
煙、血、叫び声……
温かかったガリアの街が、一瞬で“異次元の戦場”に変わった。
テンポリオンの衝撃波がまた街区を切り裂き異獣を撃破するが、
その背後にはさらに大量の異獣が降り注ぎ続けていた。
「……まずい。
テンポリオンさんが戦場を支えきれない……!」
カナタの目は、落下する異獣ではなく——
静かに降りてきた“男”を見据えている。
白い肌。反転した黒い瞳。
その足元には、波紋のように空気が歪んでいた。
(あそこに・・・向かうつもりなのか・・・?)
マルタは恐怖のあまり、目の前の無謀な友人を止めることができなかった。
カナタは直感で分かった。
あの男が、この地獄を連れてきた。
カナタは息を吸い——
銀へ短く言う。
「民間人を頼む、銀」
銀は一瞬驚き、すぐに頷いた。
「……わかった。お前は?」
「俺は……止める」
テンポリオンの咆哮のような衝撃波と、異獣たちの咆哮が重なり、
街全体が揺れている。
ガリア侵攻の“第一撃”は、始まったばかりだった。




