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第二十三話 流入

カナタの思考は、感情を置き去りにして加速した。 網膜に焼き付いたのは、噴き出した鮮血。 そして、力なく崩れ落ちるエリオスの下半身。


「あああああッ!!」


爆発的な推進力が、カナタの拳をシャチ族のリーダーへと叩き込む。 それは音速を超え、空間を圧縮する一撃。


だが。


「させんよ」


リーダーの前に、三人の部下たちが肉の盾として割り込んだ。 圧倒的なエネルギーが込められたカナタの打撃。 その衝撃を受け、部下たちの肉体は内側から風船のように弾けた。


「その力、どうやらプラズマホールと融合したというのも嘘ではなさそうだな」


返り血を浴びたシャチ族のリーダーが、 エリオスを飲み込んだまま、歪んだ笑みを浮かべた。 その口端からは、未だに赤い滴が溢れている。


「だが、もう手遅れだ」


「ククク、人間というのはつくづく、つくづく愚かな種族だなあ!!!」


「……何が、おかしい」


カナタの声が、冷たく響く。 怒りで視界が灰白に染まり、全身のDPが脈打つ。


カナタが高速で駆け出すのと同時に、 シャチ族のリーダーの姿が泡となって消えた。


「異次元の国家が、カ=ゼルだけだと思っているのか!」


リーダーの叫びとともに、周囲の空間に無数の『窓』が口を開けた。 そこから溢れ出したのは、宇宙服を脱ぎ捨て、 剥き出しの肌を晒したシャチ族。 そして、触手を蠢かせる異形の軍勢。


彼らは一斉に青白いDPを放出し、巨大な円形の結界を展開した。 その内部へ、次元の裂け目から濁流が、滝のように流れ込んでくる。


「人類連合を、海の底へ沈めてくれる!」


閉鎖空間は瞬時に水で満たされ始めた。


人類連合側も、裏切りは想定の範囲内だった。 悲鳴のような警報が鳴り響く。 重要な資料や機材、非戦闘員は素早く避難を開始した。


分厚い防圧バリケードが各所に展開される。 しかし、異次元のDPを孕んだ水の勢いは、 それらを鉄屑のように容易く飲み込んでいった。


「ちっ、敵の数が多い! お前ら、非戦闘員を優先しろ!」


『城塞』ドルガンの怒号が、激流の音を突き破る。 人類の牙、オメガランクたちが動き出した。


避難をする人類連合職員たちの前に、 巨大な水の壁を突き破って、一人の男が現れる。


「大丈夫ですか。 僕の後ろに隠れてください」


電童雷太だった。


彼はゴム質の肉体に青白い電気を纏わせ、 水中に凄まじい電界を展開する。


彼が指を弾くたび、水中を伝う電弧が連鎖し、 近づこうとするシャチ族たちを麻痺させ、心臓を停止させていく。


(……救える命を、一つも零さない)


(それが僕の、唯一の潔癖さだ)


絶望的な状況下で、汗一つかかずに礼儀正しく振る舞う雷太。 感電を避けるために一歩引いた位置で、 非戦闘員たちは避難を続けていた。


一方、最前線。


『灼陽』サルヴァドルは、全身を灼熱の陽炎に変えた。 迫り来る水の壁。 それは彼に触れることすら叶わない。


「沸きな。 この場は俺の領域だ」


彼が腕を振るうたび、数千度の熱量によって水が爆発的に気化する。 発生した水蒸気が視界を奪うが、 彼はその熱探知能力で、霧の中に潜む敵を確実に焼き殺していった。


上の階。


濁流に呑み込まれた『城塞』ドルガンは、 平然とした顔で水中を歩行していた。


(呼吸? そんな軟弱なもん、数日しなくても平気だ)


水圧をものともせず、彼は異次元人の頭部を鷲掴みにし、 そのまま壁へと叩きつけて粉砕する。 彼の肉体そのものが、どんな水圧にも屈しない『城塞』だった。


『地落とし』岳翁が杖を振るう。


「……沈め」


重圧によって濁流が左右へと真っ二つに押し広げられた。 モーゼのように、海底に乾いた道が作り出される。


老人はその道を悠然と歩き、 周囲で浮遊する敵を、指先一つ動かさずに床へと圧殺していった。


空間の彼方では。


「異次元人が出した水とか汚すぎる」


『虚空』ユラは空間を分断し、 奔流してくる水を別の座標へと送っていた。


しかし、しばらくすると。


「濡れたくないから移動しよう」


そう言って、別の場所へと自らも別の空間へと移動していった。


「おい! あいつどっか行ったぞ!」


一部始終を見ていたドルガンが、呆れて声を上げる。


中央の礼拝堂跡では、 『聖鐘』セラが、銀色の鈴を静かに鳴らした。


「神よ、この迷える魂たちに安息を」


神聖な光の結界がドーム状に広がり、 一滴の水も寄せ付けない絶対領域を作り出す。 その中で保護された避難民たちは、 セラの後光を背負った姿に、奇跡を重ねて見ていた。


だが、全ての場所が優雅なわけではない。


避難所の近くに移動した『千刃』コルト・ヴァイスは、 必死に数十本の短剣を操りながら、押し寄せるシャチ族と戦っていた。


(くそっ……水の中では剣筋が鈍る! この私が、こんな雑兵相手に!)


回避が遅れ、シャチ族の槍がコルトの胸元を狙う。 死のイメージが脳裏を掠めた瞬間、 彼の視界が、大量の砂によって遮られた。


「……入れ。ここは安全だ」


『遊天』ラハムだ。 強面の彼が砂を固めて作り上げた巨大なシェルター。 その強固な壁が、槍の一撃を弾き飛ばした。


「コルト・ヴァイス。 お前はここで、非戦闘員たちの護衛を頼む」


ラハムは砂の剣で敵を切り裂きながら、短く告げた。


(……護衛? いや、違う。足手まといだと言いたいのか)


コルトは悟った。 水中での立ち回りが得意ではない自分を、 ラハムが『護衛』という名目で安全な場所に押し込んだのだ。


オメガクラスの強大さと、自身の不甲斐なさ。 そして、目の前で行われたエリオスの惨殺。


差し出された優しささえ、今のコルトには毒のように感じられた。 彼は血が出るほど唇を噛み締め、震える手で剣を握り直した。


その狂騒の中央。


連合長ヴァレッタ・アレクシアが、 水の浸食をスローへと書き換えていた。


「カナタ、ここです!」


彼女の声に、カナタが激流を蹴立てて合流する。


「この水そのものが、大規模な融合の触媒になっています。 私達が水の排除とバリケードの維持、そして非戦闘員の保護を担います」


ヴァレッタの周囲で、水が物理法則を無視して渦を巻き、 強制的に排水口へと吸い込まれていく。


「あなたは、そのプラズマホールの力で、 発生した『窓』の核を直接破壊し、融合を止めてきてください。できますか?」


カナタは、エリオスを食らったシャチ族のリーダーを思い浮かべながら、 灰色の瞳でヴァレッタの顔を真っ直ぐに射抜いた。


「……了解」


静かな怒り。


カナタの肉体が、水中でありながら光の速さで爆発的な加速を見せた。

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