第十九話 人類連合長
中枢ホールの一角、円形広間から外れた控室で、足が止まった。
厚い壁に囲まれた静かな空間だが、外から伝わってくる微かな振動と声が、
この建物全体が動いていることを物語っている。
リゼは机の上に、折り畳まれていた紙束を静かに広げた。
厚手の紙に刷られた世界地図。
だが、そこに描かれているのは完全な全図ではない。
海岸線は途切れ、山脈は途中で途切れ、
あちこちに赤いインクで×や歪んだ円が書き込まれている。
「これは、連合が把握している範囲での現世界地図です。」
紙の上には、異次元侵食が確認された地点が無数に記されていた。
どれも、報告済みのものだけだ。
「未確認領域、消失地域、観測不能区域は含まれていません。そしてこれから始まるのは、人類連合の緊急合同会議です。」
淡々とした声だったが、その内容は重い。
「参加国は、バルバスタ、イシュタリア、ゼリス、カスターナ、ノマディア。
加えて、連合に協力関係を結んでいる一部の異次元種族代表もオブザーバーとして同席します。」
マルタが小さく息をのむ。
「……世界の、ほぼ全部じゃないか。」
「ええ。」
リゼは頷いた。
「この会議は、単なる情報共有ではありません。
各国が今後、異次元との融合をどう扱うか。
止めるのか、受け入れるのか、利用するのか。
その方向性を決める場です。」
地図の中央付近、ガリア周辺には、赤い印が重なるように押されていた。
「ガリアでの大規模侵攻。
カ=ゼルの出現。
滅級戦闘の発生。
そして、御堂新作博士の死亡。」
その名が出た瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
「御堂博士は、人類連合の設立初期から関わり、
研究部門の中核を担っていた人物です。
異次元融合理論、DP安定化仮説、次元境界観測……
その多くが彼の研究に基づいています。」
銀が低く言った。
「……その博士が、ガリアで死んだ。」
「はい。
しかも、カ=ゼルとの戦闘の最中に。」
リゼは視線を上げ、カナタを見た。
「この事実は、会議で必ず議題になります。
そして同時に、あなたの存在も。」
エリオスが腕を組み、静かに続ける。
「正直に言うと、連合内部でも意見は割れてる。
ガリアを救った英雄だと見る勢力もいれば……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「カ=ゼルを撃退し、
プラズマホールと融合した存在を、
制御不能な危険因子と見ている連中もいる。」
マルタが思わず声を上げそうになるが、銀が軽く手で制した。
リゼが補足する。
「融合が進めば、環境は激変します。
重力、大気、エネルギー循環。
人類に適した世界ではなくなる。」
ホログラムに、崩壊した都市と、異形の生態系が重なる。
「さらに問題なのは、異次元人の多くが人類の存続を望んでいないこと。
資源として、あるいは排除対象として見ている勢力が大半です。」
カナタの拳が、わずかに強く握られた。
「融合を許せば……人類は滅ぶ。」
「ええ。」
リゼは即答した。
「だからこそ、融合を止める必要がある。」
だが、と彼女は続ける。
「同時に、融合を拒まない勢力も存在します。」
エリオスが低く舌打ちする。
「異次元人と癒着してる連中だ。
技術、資源、力……
引き換えに、世界が変わることを黙認する。」
マルタが信じられないという顔をする。
「そんな……。」
「珍しくない。」
エリオスは淡々と言った。
「人類は昔から、明日の生存のために未来を売ってきた。」
リゼが静かに結論を置く。
「だから、この会議は荒れます。
あなたの存在は、象徴的です。」
カナタを見る。
「融合を止められるかもしれない力。
だが、同時に最も疑われる存在。」
エリオスが一歩近づき、真剣な目で言った。
「だからこそ、参加してほしい。
会議に出られるのは、君だけだと思ってる。」
「俺だけ……?」
「銀やマルタは立場上、陪席が難しい。
だが君は違う。
ガリアで現象の中心にいた当事者だ。」
一拍置いて、はっきり告げる。
「君が会議で伝えることは一つでいい。」
カナタの目を見据えたまま。
「地球の融合は止められる。
だから、人類連合として協力してほしい。」
沈黙。
リゼが最後に言った。
「その前に、連合長と会ってください。
彼女は、あなたの話を真正面から聞く数少ない人物です。」
控室の外から、重厚な扉が開く音が響いた。
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重厚な扉が閉じ、外の喧騒が断ち切られた。
円形の会議前室。
簡素な床、無装飾の壁。
判断と決断だけのために用意された空間。
その中央に、金髪の女性が立っていた。
ヴァレッタ・アレクシア。
人類連合長。
背に流れる金髪は一切の乱れもなくまとめられ、軍服は体に寸分の狂いなく沿っている。
端正な顔立ちは美形と言って差し支えないが、そこに柔らかさはない。
鋭く澄んだ瞳は冷えた刃のようで、感情よりも判断だけが宿っていた。
彼女は名乗らない。
ただ、視線だけで場を制圧している。
「あなたが、カナタ。」
淡々とした声。
感情の起伏は読み取れない。
「ガリアでカ=ゼルと交戦し、生還した人物。
御堂新作の研究に最も近く、プラズマホールと融合した存在。」
一息も置かず、続ける。
「まず確認するわ。
あなたは、自分が危険視されていると理解してここに来た?」
カナタは即座に頷いた。
「はい。」
「それでも人類連合に来た理由は?」
「ガリアで見たからです。
融合が完全に進めば、人類は絶滅してしまう。」
ヴァレッタは一歩、距離を詰めた。
「それは予測?
それとも体感?」
「体感です。」
「根拠は?」
「異次元人の多くは、人類を資源か障害物としか見ていない。
友好的な種族は例外です。」
ヴァレッタの視線が、さらに鋭くなる。
「では聞くわ。
あなたは、その流れを止められる?」
カナタは一瞬だけ考え、正直に答えた。
「確実とは言えません。
でも、止める手段に近いところにはいます。」
室内の空気が、さらに張りつめる。
エリオスとリゼは沈黙したまま視線を落とした。
この場で言葉を発せるのは、カナタだけだ。
「随分と曖昧ね。」
「曖昧だから、協力が必要です。
俺には、プラズマホールと融合して得た力があります。」
一瞬の沈黙。
「……いい度胸。」
ヴァレッタは、ふっと息を吐いた。
「では次。
あなた自身について聞くわ。」
彼女は、ほんのわずかに指を鳴らした。
その瞬間だった。
世界が、減速した。
音が引き延ばされ、
空気の流れが目に見えるほど遅くなる。
エリオスは瞬きをする途中で止まり、
リゼの呼吸は、凍りついたかのように静止する。
人類連合長ヴァレッタ・アレクシアの思考は、
この瞬間、常人とはかけ離れた速度に到達していた。
これは彼女のDP能力の一部。
思考を極限まで高速化し、
膨大なDP量によって周囲の運動エネルギーを緩慢化する。
彼女の視界では、
世界は止まりかけている。
──はずだった。
「……」
ヴァレッタの瞳が、わずかに揺れた。
その世界の中で、
カナタだけが、何事もないように一歩前へ出た。
靴底が床を踏む音が、はっきりと響く。
止まらない。
遅れない。
引き延ばされてもいない。
彼は、この世界に入ってきている。
カナタは軽く微笑んだ。
「あなたも、この世界に入れるんですね。」
ヴァレッタの口元が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
驚き。
それは表に出す前に消したが、確かにあった。
高速思考の中で、
あり得ない結論が浮かび上がる。
人類基準ではない。
この少年は、すでにこちら側だ。
能力を使わず、
プラズマホールと融合した肉体そのものの性能で、
高速の世界へ介入してきている。
能力を解除すると、世界は一気に元の速度へ戻った。
エリオスが小さく息を吐き、
リゼは何事もなかったかのように姿勢を正す。
ヴァレッタは、改めてカナタを真っ直ぐ見据えた。
「……なるほど。」
声は、先ほどよりわずかに低い。
「あなたを会議に出席させる理由ができた。」
そして、はっきりと言う。
「融合を止める可能性について、
全て話しなさい。」
「人類が生き残るために
あなたを会議に出席させる。」




