第一話 異次元と融合した地球で
———あの日、アメリカで発生した異次元の裂け目が世界に広がってから、百五十年が経った。
かつて地球と呼ばれたこの星は、いまや異次元の物質と縫い合わされた世界になっている。
空の半分は紫に染み、海には金属の柱が突き出していた。
街の地形は歪み、旧世界の地図ではどの大陸にも一致しない。
文明は一度崩壊したが、人類はわずかに生き残り、新たな国々を築いていた。
そのひとつがガリア。
異次元の技術と科学技術を融合させ、異次元の脅威から国を守る防衛国家である。
屋上から見下ろす街は、瓦礫と金属の境界でできていた。
遠くには巨大な塔が立ち、天に届くほどのバリア装置が薄く光っている。
あれがこの国の防衛の要。
御堂彼方は手すりに寄りかかりながら、その光を無言で見つめた。
「おい、もう鐘が鳴るぞ」
背後から声がする。
白上銀
——同じクラスの友人であり、誰よりも頼れる存在だ。
白髪の短髪、緑の瞳。体格は大きく、鋭い印象の少年だが、言葉は少ない。
「……行くよ」
カナタは短く答え、階段へ向かった。
足元の床には、金属と石が混ざったような素材が敷かれている。
異次元の物質が混じった建材——もはや、人類に“純粋な地球の材料”はほとんど残っていなかった。
階段の踊り場から見下ろした中庭には、子どもたちが笑いながら走り回っていた。
外の荒野とは違い、この国には露店が並び、人々の声が絶えない。
異次元由来の素材で組まれた建物が少し歪んでいても、
ガリアの街は“生きている”ような活気に満ちていた。
教室は、簡素だが整っていた。
壁は灰色の石と金属の接合体で、ところどころに冷却管が走っている。
窓の外では、異界の植物が鉄のような茎を風に揺らしていた。
この風景も、いまでは“普通”だ。
教官も兼ねている教師が入ってきて、淡々と言った。
「今日から新しい生徒が加わる。外の区域からの転入だ。入れ」
扉が開き、小柄な少年が一歩前へ出た。
砂色の髪、怯えたような目。制服の袖が少し長い。
「マルタ・エンリオです。よろしくお願いします」
教室がざわつく。
難民——この国では、慎重に扱われる存在だ。
だがカナタは、ためらわず手を上げた。
「先生、ここ空いてます」
マルタが驚いたように目を見開き、それから小さく頭を下げた。
カナタの隣に座ると、机の上の焦げ跡に気づいた。
戦争中の爆発でできた傷跡だ。消すより、残す方がこの国では都合がいい。
授業が始まる。
教師は教壇の前に、重い岩を置いた。
「今日はDPの安定制御を行う。——DPとは異次元に存在する物質・エネルギー・法則へ干渉し、それらを“地球側へ持ち込む”ための力だ。我々DPを扱える者が召喚者と呼ばれるのは、それが可能だからだ。」
マルタを意識した丁寧な説明だ。
「御藤、見本を頼む」
カナタは立ち上がり、岩の上に手を置く。
教室の空気が、わずかに沈んだ。
次の瞬間、岩の表面が微かに震え、粉塵を散らして崩れ落ちた。
音はない。ただ静かに、すべての運動が止まった。
クラスの誰も、拍手も驚きの声も上げない。
カナタがそういう存在だと、皆が知っているからだ。
「……なにこれ……すげぇ……」
席に戻ってきたカナタに、マルタだけが呟く。
「俺のDPは特別だからな。でも、もっと鍛えないと」
カナタは当然のように答えた。
教師は目を細め、黒板に二つの円を重ねて描く。
「いいか。DP(Dimension Power)とは、次元の力。
DPで扱える物質や法則は、人によって大きく異なる。
そして——DP同士が同じ空間で干渉すると、
扱いに長けた者の“法則”が優先される。実戦で誤れば命を落とす。肝に銘じろ」
教室の空気がわずかに強張った。
ガリアの人口のほとんどは普通の人間で、DPを扱う者は少数。
ガリアは、科学技術と、DPを組み合わせて発展した数少ない文明国家だった。
電力や機械を維持できる国はほとんど残っていない中、ガリアだけは、科学技術とDPの力をインフラに組み込み、わずかに旧文明の水準を保っている。
その“歪なハイブリッド文明”こそが、ガリアの生命線だった。
授業が終わる頃、
遠くの防壁塔が微かに強く光った。
空の紫の層が“波打つ”のが、確かに見えた。
カナタは視線を上げた。
——嫌な予感がする。
ガリアの平和な日常に、
ふと影が差したような気がした。
◆マルタ
———授業が終わり、チャイムが鳴った。
先生が退室すると同時に、生徒たちの空気が少しだけ緩む。
——といっても、みんなの視線はまだ時々ぼくに向いてくる。
難民の転入は珍しくないはずなのに、やっぱり怖い。
「……おい、大丈夫か?」
声をかけてきたのは白上銀だった。
距離を置かれても仕方ないぼくに、真っ先に声をかけてくるなんて意外だ。
「あ、うん。大丈夫……」
「銀は見た目が怖いだけで優しいよ」
隣の御藤カナタが軽く笑った。
この人は……いや、この“少年”は、教室で見た通り桁違いだ。
さっきの訓練で岩を一瞬で崩して見せたのは、ぼくの知るDP使いとは次元が違いすぎた。
「さっきの、すごかった……本当に」
「ん? ああ、粉々にしたやつか。物を壊すのがメインじゃないんだけどな。」
さらっと言い切る。
嫌味がなくて、ただの事実として言っている感じだった。
「銀は?」
ぼくは恐る恐る聞いた。
銀は視線を外し、少しだけ言葉を選んだ。
「……俺は、金属を操る。大したもんじゃない」
カナタが笑った。
「この前も地面に大穴空けたのに? 大したものじゃないのか、ふーん」
「余計なこと言うな」
銀の声は低かったが、その表情は嫌がっているようには見えなかった。
——なんだろう、すごい人たちなのに、話しやすい。
「じゃ、行こうぜ。今日は街を案内するよ。」
「お、おう……」
ぼくは二人の後ろを歩く。
ありがたいことに、この日からいつも二人が一緒に帰ってくれるようになった。
————
ガリアの中心部に近づくほど、街の空気は明るくなる。
外の世界が荒れ果てているなんて信じられないほど、店の呼び声や笑い声が響いていた。
建物はところどころ歪んでいて、
金属と石を無理やり組み合わせたような住宅もあるけれど——
人々の表情には“生きる余裕”が確かにあった。
ガリアがここまで復興している理由のひとつを、ぼくは転入の日に説明を受けた。
——国の防衛や主要施設には、DP技術と科学技術を組み合わせた装置が使われているらしい。
その基礎を作ったのが、カナタの父である御堂新作。
政府の科学省に所属する、ガリアの“頭脳”とも呼ばれる人物だ。
(流石カナタだ。お父さんもすごいひとなんだ。)
————
ガリアの学校に転入してから1か月程が経った。
いつものように学校から三人で帰っていると、
路地から、ぼくを呼び止める声がした。
「……おい、難民」
振り返ると、三人の男が立っていた。
DP使い特有の、空気の歪みのようなものが漂っている。
「見ねぇ顔だな。どこの外れから来た? 俺達も難民なんだよ。仲良くしようや」
「い、いや……ぼくは……」
言葉に詰まっていると、男のひとりが胸を押してきた。
DPを使っていたのか、押された箇所の皮膚が切れ、血が滲んだ。
足がすくむ。
息が詰まる。
世界が狭くなる。
——怖い。
「やめとけよ」
落ち着いているのに、鋼のように硬い声が響いた。
カナタだった。
「そいつはこの街に来たばっかだ。絡むなら俺にしろ。仲良くしたいならな」
「なんだお前……」
男たちがカナタへ向き直る。
その瞬間、銀が無言でぼくの前に立った。
「ギャングが学生脅してんじゃねえよ」
銀が手を軽く動かすと、相手の腰の金属ナイフが吸い寄せられるように宙へ浮いた。
「こいつらは…」
「……チッ、行くぞ」
男たちは舌打ちし、路地の奥へ消えていった。
膝が震えるぼくに、カナタが言った。
「気にすんな。ああいう奴ら、どこにでもいる」
「……ありがとう。助けてくれて」
銀はぼそりと呟いた。
「礼は要らん。俺たちの役割だ」
二人の背中は、ぼくよりずっと遠いところを見ているようだった。
カナタが心配そうに聞いてきた。
「マルタ、大丈夫か? 傷は——」
「これくらいなら、ぼくのDPで何とかなるよ」
傷口に手を当てる。
じわり、と熱が広がり、皮膚がゆっくりふさがっていく。
「俺のDPはタンパク質を召喚して変換して、傷を癒やすことができるんだ。
まだ自分の体しか治せないけど……」
言っていて、少し恥ずかしくなった。
二人のDPの“規模”を見たあとでは特に。
カナタは笑った。
「いいじゃん。自分を守れる力は大事だ。鍛えれば化けるぞ」
銀も短く頷いた。
「生き残る力だ。それで十分だ」
——胸の奥が、少しだけ温かくなった。
◆
————
その夜、マルタは父と一緒に古いストーブの火を見ながら静かに眠りについた。
外の風は冷たく、遠くで防壁塔の光がかすかに揺れている。
———家から少し離れた広場では、まったく違う空気が流れていた。
薄暗い月光の下、ギャングたちが十数人集まっていた。
昼間マルタに絡んだ三人だけでなく、その他のDP使いも顔をそろえている。
「チッ……あのガキ、舐められっぱなしってわけにいかねぇだろ」
「学生でも関係ねぇ。街中であんな扱いされたら、今後の活動に支障が出る」
「それにあいつのDP、なかなか使えそうだったぞ……利用価値がある」
「ガキの家の場所は押さえてるんだろ?」
「……ああ。まとめて痛い目見せてやる」
「夜ならディメンションガードにも気づかれねぇ。今が好機だ」
男たちがマルタの家へ向かおうと移動を始めると、広場に長い影が伸びた。
ギャングたちのDPが漏れたのか、周囲の空気が不安定に揺れ始めた。
その瞬間。
「——やっぱりな。」
背後から、ひとりの影が現れた。
黒髪の少年。
御藤カナタ。
月明かりに照らされ、彼の足元にだけ、風が吹いたように砂が揺れる。
「……なんだテメェ。つけてきたのか?」
ギャングのひとりが声を荒げる。
カナタは返事をしない。
ただ、ゆっくりと一歩前へ出た。
「お前らみたいな連中は、残念だけど……生かしておけない」
穏やかで淡々とした声。
怒りも憎しみもない。
ただ評価と結論だけを告げる声音だった。
「はっ、ビビらせんなよガキが。数が見えてねぇのか? こっちは十人以上——」
言い終える前に、男の視線がある一点で止まった。
「……なんだ、それ……」
やがて他のギャングたちも気づく。
カナタは表情を変えず、右手を少しだけ持ち上げた。
右手の上空に——山のような巨大な岩塊が浮かんでいた。
荒地の瓦礫、地面の破片……それらが音もなく吸い寄せられ、圧縮され、密度を増していく。
「バ、バカな……近づいてねぇのに……!」
「なんで……動けねぇ……!?」
彼らの手足が、空気に縫い止められたように動かない。
カナタの声は静かだった。
「俺のDPは“触れた物のエネルギー”をどうとでもできる」
「岩の運動エネルギーをゼロにしたまま集めてるだけだ」
ギャングのひとりが悲鳴を上げる。
彼らのDPでは、目の前の莫大な質量に対抗する術はない。
「ま、待て……!! 待てって!!」
カナタは小さく息を吸い、
「安心しろ。痛まないようにする」
——あまりに平静で、
その残酷さに、誰も追いつけなかった。
次の瞬間。
広場に、乾いた轟音が響いた。
十数人のギャングが、一気に地面へ崩れ落ちる。
意識はある。しかし、もう二度と立てない身体。
カナタは岩をそっと地面に置き、
彼らがつけていたDP抑制器だけを外して道の端に放った。
「……よし。あとは連行施設の人間に回収してもらえばいい。
これからはこの国のエネルギー源として真面目に働いてくれ。」
散らかった物を片付けた後のような淡々とした声だった。
月明かりが落ちる広場で、
カナタの影だけが、まっすぐに伸びていた。
◆
———
ガリア科学省の地下研究区画は、独特の低い振動音に満ちていた。
中央の隔壁の向こうに、紅い光が脈動している。
「次元八宝」の一つ——プラズマホール。
直径はわずか数十センチ。
しかし、その内部には観測不能のエネルギーが渦巻き、生き物のように明滅していた。
カナタは防護ガラス越しにそれを見つめていた。
拳を握り、息を整え、わずかに肩の力を抜く。
「……今日も来たのかい、カナタ」
背後から柔らかな声がした。
振り返ると、白衣の男——御堂新作がタブレット端末を片手に近づいてきた。
「当たり前だろ。親父の研究を継ぐのが俺の役目だ」
「役目、ね。誰が君にそんな役目を負わせたんだ?」
「俺自身だよ」
カナタは即答した。
新作は軽く息をついて、ガラス越しに浮かぶプラズマホールへ視線を向けた。
「君は……本当は外に出たいんじゃないのか?」
「なに言ってんだよ。俺はガリアの戦力として——」
「違うよ」
新作の声は穏やかだったが、その響きには揺らぎがなかった。
「カナタ。君は本当はもっと広い世界に出たいはずだ。
人類連合のディメンションガードに入って、もっと多くの命を救いたいだろう。」
カナタは言葉を失った。
新作は続ける。
「その気持ちを否定しているわけじゃない。むしろ、それが君の本質だ。
だからこそ、私は……プラズマホールを君に背負わせたくないんだ」
「親父の作った鎧があれば制御できるだろ?」
カナタは部屋の隅でガラスの中に入れられた鎧を見つめた。
「——まだだ」
新作の声が低くなる。
「今の制御鎧は未完成だ。内部のエネルギー調整は不安定、
外殻の耐圧も理論値ギリギリ。装着者のDPと精神的、肉体的負荷の双方が限界を超えれば……」
しばしの沈黙。
「——爆散する」
言葉は冷静だ。
しかし、新作の手はわずかに震えていた。
「君が死ぬ可能性を、私は一ミリも受け入れるつもりはない」
カナタは視線をプラズマホールへ向けた。
「でも、これを誰かに預ける気にもならない。扱えるやつが他にいるか?
俺のDPはエネルギー操作に特化してる。制御に最も適してるのは俺だ」
「……確かに、君ほど適合しやすい人間はいないだろうね。
しかし、それは“適合しうる”というだけで、“安全”とは違う」
「安全なんて、もうこの世界に残ってねぇよ」
静かだが、確実な一言だった。
「ガリアの防衛も、外の国々も、もう限界なんだろ?
誰かがこのエネルギーを扱えるようになって、人類の切り札にしなきゃいけない。
————だったら俺がやるしかない」
新作はゆっくりとカナタの横に立った。
二人でプラズマホールを見つめる。
「……カナタ。君の“やるしかない”は、時々……私には、君自身を削るように見える」
「俺は、死ぬ気はないよ。親父に拾われて生きてきたんだ。生きるのは得意なんだ」
「皮肉だね。それを言える子ほど、簡単に命を投げ捨てる」
「俺は投げ捨てない。守るために使うだけだ」
二人の視線が交わる。
緊張ではない——ただ、真剣な対話の余韻。
新作が小さく笑った。
「……本当に、君は私の息子だよ。理屈の塊だ」
「そっちこそな」
新作はカナタの肩にそっと手を置いた。
「約束してくれ。この鎧を使う許可はまだできない。
プラズマホールを扱おうとする前に、必ず——私に相談すること。
たとえ私が反対しても、必ず説明してから行動すること。」
「……分かったよ」
「嘘をついたら、父親として怒るからね」
「怒る顔、想像つかねぇけどな」
新作は苦笑し、制御室の照明を落とした。
プラズマホールだけが暗闇に脈動する。
その光をカナタはまっすぐに見つめていた。
———この力を扱えるようになれば、世界を変えられる。
その信念だけが、少年の瞳に宿っていた。




