第十三話 ローデン城の戦い
ローデン城の最上階。
巨大なガラス窓越しに、まだ光を知らない薄闇が広がっていた。
窓の外では、街を包む霧と、夜通し燃え続ける労働場の赤い炎が
ゆっくりと混ざり合い、鈍い光の海を作っている。
部屋の中は異様なほど静かだった。
壁には高価な絵画や獣の毛皮が雑に掛けられ、
床には血の跡のような黒い染みが、点々と怪しく残っている。
しかし、それ以上に異様なのは——
部屋の中心に刻まれた“黒い紋章”。
禍々しい文様が脈打つように明滅し、
そこからは時折、異次元の靄が滲み出していた。
領主ローデン・ガルバスは、その紋章の前でうずくまっている。
白髪は乱れ、
目の下には深い隈。
震える手で額を押さえ、呼吸は浅く、乱れていた。
「……まずい……
まずい……また“あの方”が……
供物が足りぬと言い出したら……私は……」
喉が乾いた音を立てる。
黒紋の奥から、
“何かが笑う声”が微かに響いた。
カサ……カサ……
ズ……ズズ……
耳の奥を直接掻きむしるような、ねっとりとした音。
領主はひざまずき、額を床に押しつける。
「ま、まだ……時間が必要なのだ……!
ローデンの民から徴収できる分は……もう限界だ……
息子のラフィークも……い、今は……!」
言葉が詰まる。
息子の名を出すたび胸につかえるように苦く笑い、
後悔と嫌悪が混ざった表情になる。
「……あの出来損ないを甘やかしたせいで……
全てが崩れた……!
もっと強く育てていれば……
七騎士を動かす駒に……なれたものを……!」
部屋の隅には銀鎧の騎士がひざまずいていた。
隊長——
アルファランク《ザルド=バーン》。
赤銅色の肌に深い影を落とし、
大男でありながら、その顔は沈痛な暗さを帯びていた。
耐えきれず、低い声で口を開く。
「……領主様。
このままでは、ローデン領は……民も、騎士も……持ちませぬ。」
領主は振り返り、かすれた声で怒鳴った。
「黙れ!!
貴様は従えば良いのだ……!
息子の命が惜しければ……!」
ザルドは目を閉じる。
圧政に従ってきたが、
彼自身は嗜虐に酔うタイプではない。
ただ——
息子を人質にされている。
(……私は騎士として、何を守っている……?
この愚かな領主か……
それとも……民か……
息子か……)
そのとき、黒紋から濃い影が溢れた。
「……ヴ……」
耳を劈くような囁き声。
“異次元人の気配”が、確かにそこにいた。
領主は全身を震わせ、床に額をこすりつけた。
「ど、どうか……!
どうか見捨てないでくだされ……!
供物なら……まだ……まだ集めますゆえ……!!」
ザルドは歯を噛み締める。
(——もう限界だ。
だが、私は……どうすれば……?)
そのとき——
城の外から、巨大な衝撃音が轟いた。
ガラアアアァァァン!!
外壁が崩落し、騎士たちの悲鳴が木霊する。
領主は怯えて叫んだ。
「な、なんだ!!
何者が攻めてきた……!?
七騎士は何をしている!!」
「領主様が全員、城で待機と言ったのでしょう?」
淡々と返したのは、一人の女。
黒い布の外套を揺らし、ひときわ静かに歩くミラ=ルオ。
影の底を滑るように移動するその姿は、音をも拒絶していた。
「早く終わらせましょう。」
続けて現れたのは、筒状の器具を肩に抱えた男、ロベルト=ガン。
「朝っぱらから壁ぶっ壊されるとかよ……
給料下げないでくれよ、領主様。」
軽薄な声とは裏腹に、周囲の空気が鋭く張り詰める。
気まぐれに指を弾くと——
空が薄く裂ける。
「……ま、強い相手なら退屈しねぇけどな。」
次に現れたのは、鉄塊のような巨体のバドゥ=ハーロン。
「だ、誰だァ!!
ローデン城の壁を壊した奴はァッ!!
ぶっ潰してやる!!」
吠える声の裏に震えが混じっていた。
それでも拳を鳴らし、強がる。
「お、俺の硬さを舐めるなよ……ッ!」
最後に姿を現したのは、四つん這いに近い低姿勢で歩く男、エルノ=ファング。
獣じみた動きで周囲の匂いを嗅ぎ取る。
「クク……
強い獲物の匂いだ……久々に“狩れそう”だなぁ……」
ザルドは何も言わず立ち上がり、
崩れた城門の方へ視線を向ける。
(これでいい。
この腐りきった支配は……終わらねばならない。)
「――全員、配置につけ。
侵入者を迎え撃つ。」
その声は、騎士団の指揮というより、
“覚悟の宣告”だった。
ミラが影に溶け、
ロベルトが空気を裂き、
バドゥが拳を鳴らし、
エルノが地を這う。
最後にザルドが沈黙のまま立つ。
薄霧の彼方から三つの影が歩いてくる。
その歩みは静かだが、確かな圧を伴っていた。
ザルドは、喉を小さく鳴らす。
「……来たな。」
銀の目の色黄色に変更する。カナタの髪はしろと黒が混ざっている。
ザルドが低く言う。
「……始めるぞ。」
大剣が石畳を削る音とともに持ち上がった。
その刹那——
霧を切り裂くように、
四つの影が地面を走った。
いや、影ではない。
エルノ=ファングの四肢そのものが“獣化”していた。
石畳を弾き飛ばしながら、
獣以上の速度で横からカナタへ回り込む。
「お前からだァァッ!!」
爪が閃き、空気が裂けた。
しかしカナタは動かなかった。
体はその場に立ったまま。
ただ、視線だけがエルノを追った。
エルノの笑いが勝利を確信した瞬間——
カナタの姿が、ゆらりと消えた。
「ッ……!?」
次に見えたのは、
エルノの首を後ろから掴んでいるカナタの手。
掴んだまま、軽く引き戻す。
その動きはまるで「時を飛び越えた」ように滑らかだった。
「速いね。」
エルノの瞳孔が開く。
「なん、で……俺より……速……」
「俺の方が速いけど。」
次の瞬間。
バシュッ。
エルノは石畳の上に叩きつけられ、白目を剥いた。
エルノが石畳に沈み、 その体が痙攣しながら動かなくなったまさにその瞬間
——影が揺れた。
広場を囲む城壁の隙間。
光がまったく届かぬ暗がりが、
“ざわり”と液体のように波打った。
風ではない。
生き物の蠢きに近い。
影が一本、地面に伸びる。
細く、しなやかに。
そして——音もなく銀の足元へ迫った。
銀の黄色の瞳がわずかに光を宿す。
「……来たか。」
影が急激に広がり、床を“飲み込む”ように銀へ殺到する。
闇の中からミラの声が囁く。
「まずは一人。
光の届かぬ場所で——死になさい。」
影が槍となり、
刃となり、
触手となって銀の背中を貫こうと迫る。
マルタが叫ぶ。
「銀!! 後ろ!!」
だが、銀は動かない。
その周囲を——
静かに、軌道を変えながら浮遊する銀球。
その瞬間、
銀球たちが“光”を放った。
「——散れ。」
カッッ!!!
白い閃光が走る。
ただの光ではない。
銀球内部で反射を繰り返し、周囲の影がなくなるほどの光を放つ。
ミラが影の奥で息を呑む。
「光で……影を……!?
だけど影はDPでいくらでも召喚できる!」
影は再び形を変え、
今度は十数本の触手となって地面を這い、
天井へ回り込み、
三方向から同時に襲いかかる。
しかし銀はさらに一言だけつぶやいた。
「影には“根本”がある。
そこを——消す。」
銀球、全展開。
二十個以上の銀球が空間に星図のように散開し、あらゆる角度へ
鉄の槍のような高速突撃が放たれた。
十本、二十本、三十本。
影が生まれるたびに、
その源へ向けて“最短距離”で鋼の射線が走る。
ドンッ……ドドドンッ!!
影の出口が次々破壊され、
広場の暗がりが“影としての意味”を失っていく。
ミラは影に潜るたびに、
出口を打ち抜かれ、
弾き出され、
もう立っているのがやっとだった。
「ありえない……
影織は……
一点を狙われても、別の影へ逃げ——」
銀が言う。
「“全部”刺したんだよ。
逃げ場ごと。」
ミラは影から撃ち出されるように転がり、
膝から崩れ落ちた。
影が……どこにもない。
銀が静かに告げる。
「……終わりだ。」
ミラには巨大な鉄球が叩きつけられ、
ついに意識が途切れた。
その背後で、
カナタがザルドへ向かって歩き、
マルタはロベルト=ガンの風刃を真正面から受けながら進んでいた。
ミラが広場の端へ弾き飛ばされ、意識を失ったその瞬間——
ロベルト=ガンの表情から余裕が消えた。
視線の先では、
マルタコピーがロベルトの 圧縮風刃 を
真正面から受け止めながら歩いてくる。
バシュッ!
鋭い風刃がマルタの腕を切り落とした。
しかし——
ズルッ。
切断面から肉が盛り上がり、
骨が伸び、
皮膚が閉じる。
数秒で完全再生。
ロベルトは眉をひそめる。
「……再生? ランクはガンマか? ベータか?」
しかしマルタは淡々と言う。
「僕、痛みに鈍いだけだよ。」
この発言にロベルトの眉がピクリと動く。
「じゃあ沈め。」
バシュッ!!
バシュシュッ!!
バシュンッ!!!
三連射。
マルタの肩、腹、太腿が吹き飛ぶ。
だが。
ボコッ……ボコボコボコ……
肉片がうねり、元の形へ戻っていく。
ロベルトが舌打ちする。
「面倒だな。」
そのとき。
後ろから声がした。
「ひどいなあ。」
ドゴッ
後頭部を殴りつけられ、ロベルトは振り向く。
そこには——
さっき吹き飛んだはずの“腕”から再生したマルタが立っていた。
ロベルトの目が見開かれる。
「……は?」
本体マルタが説明するように指を上げる。
「攻撃されるとね……
僕、分裂しちゃうんだ。」
恐怖をごまかすように、ロベルトは怒鳴った。
「だったら全部まとめて消し飛ばす!!」
圧縮風刃を最大出力にする。
風が渦巻き、
空気が焼けるような音が広場に響く。
「消えろォォォ!!」
バシュバシュバシュバシュバシュ!!!
五連射。十連射。十五連射。
透明の刃が雨のように降り注ぐ。
マルタの本体は腕を飛ばされ、
コピーたちは胴体を半分吹き飛ばされ——
広場は肉片と血の霧で染まった。
ロベルトが息を荒くして笑う。
「はぁ……はぁ……さすがに……終わっただろ……?」
その瞬間だった。
広場に散らばる 全ての肉片 が、
……ぷつぷつぷつ……
と音を立てながら“芽吹く”ように膨れた。
ロベルトが凍りつく。
「……っは?」
手のひらほどの肉片が
“手足を伸ばし”
“頭を形成し”
“皮膚をまとい”
――全部、マルタになる。
十体。
二十体。
三十体。
ロベルトの手が震えた。
「う、嘘だろ……
なんで……増えて……んだよ……!」
マルタコピーたちは笑顔で言う。
「君が切ったからだよ?」
ロベルトは後ずさりする。
「来るな……来るな来るな来るな……!!
気持ち悪いんだよ!!
自分の分身がたくさんいて怖くねぇのか!?
精神、どうなってんだよ!!!」
マルタ(本体)は首を傾げた。
「僕は僕だからね?」
マルタコピーたちは前へ進む。
攻撃を受けても、
吹き飛んでも、
切られても、
砕かれても——
“次の瞬間には数が増えている”。
ロベルトの顔から血の気が引く。
「意味わかんねぇ……!!
なんなんだお前ら……
いつ終わんだこの地獄!!?」
するとコピーたちが一斉に答える。
「終わるまで終わらないよ?」
それが決定打だった。
「悪夢かよ!!」
ついにロベルトは武器を捨て、
後退しながら風を爆発させて“逃げ”に徹する。
しかしその瞬間——
後ろから肩を掴まれた。
「ひっ!?」
振り返ると、
いつの間にか“背後にも”マルタが立っていた。
マルタコピー全員が、合唱するように言う。
「そろそろ——反撃するね。」
ロベルトの周囲をマルタが取り囲み、それぞれがDPで強化された打撃で殴打する。
ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
ロベルトの体はくるりと回転して石柱に激突し、
そのまま気絶した。
広場には、
無数のマルタコピーが残り、
全員が吸い込まれるように
マルタ本体へ収束していった。
マルタは照れくさそうに言う。
「……やっぱり、ちょっと怖がられちゃうよね……」
銀がぽつりと言った。
「当たり前だ。お前のDPは、想像以上に恐ろしい。」
ロベルトが倒れたのとほぼ同時。
広場の中央で、
ザルド=バーンが巨体をわずかに沈めた。
その眼が、
まっすぐカナタだけを射抜く。
「——熔断熱。」
ズゥウウウウッ!!
空気が“焼ける”。
ザルドの大剣の刃先が赤熱し、
周囲の石畳が溶けはじめる。
踏み込み——
ガッ!
ザルドの巨体からは想像もつかない速度で、
赤い残光を引きながらカナタへ迫る。
「溶けろォォ!!」
大剣がカナタの胸を斬り裂く——
はずだった。
しかし。
ジッ……
刃が触れた瞬間、
金属を焼き切るほどの熱が“拡散”して消えた。
カナタは微動だにしない。
「うん。痛くないね。」
ザルドの喉が震える。
(——熔断が効かない!?
この威力が……無効化……?)
ザルドの額に汗が流れた。
そしてその横で——
銀と大男バドゥ の戦いが始まる。




