第十一話 夜
宿は古びた木造建てで、
玄関には割れたランタンがぶら下がっているだけの質素な建物だった。
宿主は三人を見ると一瞬怯えたが、銀が静かに礼をするだけで、すぐに部屋へ通してくれた。
——深夜
マルタと銀はすぐに寝息を立てた。
カナタだけが窓際の椅子に座り、外をぼんやりと眺めていた。
そのとき——
ギィ……ギ、ギ……。
通りの方から、奇妙な車輪の軋む音が聞こえてきた。
覗くと、粗末な荷馬車に縄で縛られた数人の領民が乗せられ、
騎士らしき男たちに無理やり運ばれていくところだった。
痩せた母親が必死に叫んでいた。
「違う! 本当に払えないんだ!!明日食べる分の食料さえ取られた!
あの子は病気で働けないんだよ……お願い、せめて子だけは……!」
「黙れ。」
鞭が振り下ろされ、
母親の背中に赤い線が走り、悲鳴が夜に溶けた。
もう一人の騎士が嘲るように言う。
「税を納められない者は、労働場に送る。それがローデンの掟だ。」
「領主様は慈悲深い方だぞ?
生かして働かせてやるんだからな。」
母親はぐったりと崩れ落ちる。
その隣で幼い子どもが泣き叫んだ。
「お母さんを返してよっ!!」
騎士は躊躇なく、子どもの頬を平手で叩いた。
「うるせぇガキだ。」
——それを見て、動かずにはいられなかった。
次の瞬間、
二階の窓際にいたはずのカナタの姿がふっと掻き消えた。
まるで光がねじれたような微かな残像だけを残して。
「……やめとけよ。」
母子のすぐ横に、カナタが立っていた。
音も風もない。
ただそこに“移動していた”。
騎士たちは一瞬、何が起こったのか理解できない。
振り向く彼らの顔に、恐怖とも怒気ともつかない色が走る。
「誰だ! お前は!
俺たちが誰かわかっているのか!」
手に持った鞭を構え、もう片方の騎士は剣へ手をかける。
「ローデン領騎士団だろ。
さっき食堂で騒いでた息子の……部下か?」
騎士たちは一気に血相を変えた。
「貴様ッ! ラフィーク様を侮辱する気か!」
「捕らえろ! 子どもでも容赦するなよ!」
母親と子が怯えて身を縮める。
カナタは静かに言った。
「侮辱なんてしてない。
ただ……この状況は放っとけない。」
一人の騎士が剣を抜いた。
「ふざけるな!
領主様の掟に逆らう者は、この場で斬る!」
剣が振り下ろされる——
が。
カナタの指が、ほんの少し動いただけだった。
チッ——。
鋭い金属音とともに、剣の刃先が弾かれ、
そのまま折れ曲がって地面へ突き刺さる。
騎士が呆然とする。
「え……?」
カナタはまっすぐ彼を見た。
「俺に剣は効かないよ。」
もう一人の騎士が激昂して突進する。
「化け物めぇぇ!!」
カナタは一歩だけ踏み込んだ。
ズン。
地面が沈み、波紋のように衝撃が走る。
突進してきた騎士は、膝をついたまま動けなくなっていた。
「なん……だと……?」
「怖がらなくていい。殺す気はない。
ただ、まだ向かってくるっていうなら……怪我では済まないかもしれない。」
カナタの冷たい目を見た騎士たちは震えながら撤退の準備を始めた。
「貴様、こんな真似をして無事でいられると思うなよ……覚えておけ!」
捨て台詞を残し、騎士たちは退いていった。
カナタは子どもの頭をそっと撫でる。
「大丈夫。」
泣きじゃくっていた子どもは、ようやく息を整える。
母親は震えながら頭を下げた。
「……ありがとう……ございます……!」
カナタは軽く首を振った。
「礼はいらない。こういうのは嫌いなだけだ。」
そのとき、少し離れた路地から銀が姿を見せた。
眠気のない鋭い目で、去っていく騎士たちの背を睨む。
「……カナタ。
あまり騒ぎを大きくするな。」
カナタは肩をすくめる。
「気づいたか。寝返りを打つ音でも起きるんじゃないか?」
銀はため息をつき、へたり込んだ騎士を見下ろす。
「ここは封建領地。
夜に騎士団を叩きのめしたとなれば——明日は処分される。」
カナタはわずかに笑った。
「明日はちょうど領主に会いに行く日だろ?
都合がいい。こんな悪政をしているなら、改心させてあげよう。」
その決意が、空気を冷たく震わせた。
荷馬車に詰められた領民たちを介抱しながら、銀は宿の方を指した。
「この人たちを解放したら、今日は宿に戻るぞ。」
「了解。」
カナタは母子へ振り返り、優しく言った。
「もう大丈夫。
俺たちがここにいる限り、あんたたちは誰にも傷つけさせない。」
--宿の前に立つ街灯は、油が切れかけてかすかに明滅していた。
部屋に戻ると、カナタは銀に目を向けた。
「……どうせ明日ぶつかるなら、今のうちに実態を見ておこう。」
銀は迷いなく頷く。
「夜のほうが動きやすい。」
マルタはまだ起きたばかりで、目をこすりながら言った。
「二人とも……行くの? 僕も……」
「マルタは残れ。……と言いたいところだが」
銀が小さくため息をつく。
「明日ローデンの領主と戦いになると思う。
マルタもその理由を見ないと納得できないだろ。」
「ありがとう。でも、来て早々、頭がついていかないよ…」
カナタは微笑みながら肩を叩いた。
「気をつけろよ。危なくなったらすぐ引け。」
「は、はい……」
三人は宿を静かに抜け出し、
ローデンの夜の路地へ溶け込んだ。
街外れに近づくにつれ、
空気が鉄のように湿り、
遠くから“カン、カン……”と規則的な音が響いてきた。
銀が囁く。
「……労働場だ。」
高い柵で囲まれた工房跡地。
その中には――
手足を鎖に繋がれた男や女が、無表情で石を砕き続けていた。
背中には何本もの赤い線。
血が乾いた跡が何層にも重なっている。
見張りの騎士が鞭を片手に歩き回り、
気絶しそうな者を無理やり起こしていた。
マルタは震えた。
「……ひどい……これ、税が払えなかっただけで?」
銀は淡々と答える。
「ローデン領では常識らしい。」
カナタは静かに拳を握った。
「……明日、領主と話す理由が増えたな。」
労働場のすぐ横に、古い小屋があった。
見張りの兵が複数いたが、銀が遠くからすぐに気絶させた。
銀が耳を澄ませる。
「……変な音がする。」
カナタは扉に触れ、内部のエネルギーを探った。
「生き物がいる。……人じゃない。」
中は地下へ続く階段になっていた。
下りた先には――
檻。檻。檻。
獣のように改造された人間。
体を半分だけ異次元素材に置換された子ども。
背中に異形の芽を植えつけられている兵士たち。
銀は目を細める。
「……これは、領主の趣味か?」
壁には、落書きのように残されたメモ。
『増殖率は失敗 次はもっと強力な母体を使う』
『異界素材は刺激が足りない もっと強いエネルギー反応が必要』
『あの“存在”に見せる作品にふさわしくない やり直し』
カナタは嫌悪を隠さず吐き捨てた。
「……ふざけてる。
人を素材扱いか。」
マルタは膝から崩れそうになった。
「……領主……こんなのを……」
銀が淡々と歩きながら言う。
「目的が分からない。
だが、異次元の“誰か”に見せるための実験らしい。」
嫌悪感を覚えながらも、探索を続ける。
ーローデン城の外壁沿いにある小さな倉庫。
しかしその中身は異常だった。
食料、高級絨毯、宝石、金銀の延べ棒、香料、陶器……
領民から徴収した税のほとんどが、
そのまま倉庫に蓄えられている。
銀が分厚い帳簿を手に取る。
「……見ろ。」
『今年度分の税収:前年の2.3倍』
『労働場収容数:増加傾向(効率よし)』
『献上品:黒曜石の供物 × 30、生命力標本 × 12』
『“あの方”への贈呈は必ず夜中に』
カナタが眉をひそめた。
「……贈呈?
異次元人への“餌”か?」
銀が頷く。
「可能性は高い。
領主は異次元人となんらかの契約をして、
領民を献上しているのかもしれない。」
マルタは青ざめた。
「そ、そんな……!」
カナタは静かに言う。
「つまり、ローデンが襲われなかった理由は……
取引してたからだ。」
銀の視線が鋭く光る。
「異次元人のDPの気配がひとつ……遠くにある。」
カナタは息を整えた。
「領主の城だな。」
マルタは震える声を漏らした。
「そ、そんな相手と……どうするの……?」
カナタは振り返り、いつもの調子で言う。
「決まってる。
明日、領主と話す。
ついでに、その異次元人も倒す。」
マルタは絶句し、銀はため息をついた。
「……お前は本当に前向きだな。」
「寝てないからテンション高いだけだよ。」
カナタは静かに拳を握る。
「ローデンの人たちを……こんな風に使わせない。」
銀が横で歩きながら言う。
「明日、騎士団が来る。
その後は領主。そして異次元人か。」
カナタは迷いなく答えた。
「全部まとめて片付けよう。」
夜風が三人の間を吹き抜けていく。




