第十話 ローデン領
やがて三人はローデンの関所前に立った。
門の前には槍を持った兵士たちが無言で並び、
甲冑は古いが、目だけは異様に鋭い。
マルタが小声で呟く。
「……ねぇ、これ、通れたら……ご飯食べれるよね……?」
銀は淡々と言う。
「通れれば、な。」
「不安になること言わないで……!」
カナタが前へ一歩出て、関所の灯りを見上げながら言った。
「大丈夫。手続きだけだ。
それに、俺たちはガリアから正式に出てきてる。
変なことはない。」
マルタが小声で付け加える。
「怪しいものじゃないですよ…。」
銀が前を向いたまま言う。
「それ、兵士にはそれ言うなよ。」
カナタは笑って、門へ向かって歩き出した。
三人が近づくと、兵士の視線は真っ先にカナタへ向いた。
「……おい。そこの黒いの。」
カナタが少し首を傾ける。
「俺か?」
兵士は明らかに警戒していた。
カナタの外見が、普通の旅人とかけ離れていたからだ。
月明かりの下で、カナタの身体にまとった黒い装甲は
金属光沢を帯び、夜の灯りに反射して微かに硬質な影を落とす。
滑らかなはずの表面には、
生体とも機械ともつかない“硬質な紋様”が走っていた。
顔は以前より青白く、瞳には淡い緑色の光が宿る。
兵士が訝しむように言った。
「その体……鎧か? いや……まるで……生きてる金属だな。」
もう一人が槍をわずかに構える。
「旅人なら身分証を見せろ。
怪しい者は通せん。」
銀が前に出ようとしたが、カナタが軽く手で制した。
「大丈夫だって。ちゃんとある。」
カナタはポーチから一枚の金属カードを取り出した。
小さな傷がついているが、ガリアの紋章がはっきりと刻まれている。
「ガリアDP課の学生証。
これで身元は証明できるはずだよ。」
兵士がカードを受け取り、灯りにかざしてチェックする。
「ガリア……次元教育課。学生、だと……?」
カナタはいつもの明るい調子で頷いた。
カナタは笑顔で頷いた。
「そう。見た目で驚くのはわかるけど、身元はきちんとしてる。」
兵士はなお半信半疑の表情だったが、
同行者の銀とマルタが普通の服装であることを見て
ようやく息をついた。
「……ふむ。ガリアは友好国だ。
問題がないなら……通っていい。」
もう一人の兵士が念を押す。
「ただし、ローデンでは妙な行動はするな。
封建国家だ。領主の機嫌ひとつで処罰も変わる。」
カナタは軽く礼をした。
「心得てるよ。ありがとう。」
関所の門がギィ、と重々しく開く。
三人の影が灯りの中へ長く伸びていった。
マルタが小声で言う。
「……よかったね、通れて。」
銀は淡々と返す。
「ガリアは人類連合の中でも信頼されている。」
カナタは明るく笑った。
「世の中、案外ちゃんとしてるよ。証明書って大事だな。」
その声は、街の風に軽く溶けていった。
◆
関所を抜けると、石畳の道がまっすぐ街の中心へ伸びていた。
周囲には古い家屋が立ち並び、窓から漏れる灯りが疲れた旅人を迎えるように揺れている。
マルタが大きく伸びをした。
「はぁぁ……やっと街の中だ……!
気づいたら、もう三日も歩きっぱなしだよ……!」
銀が淡々と歩きながら言う。
「森が濃かった分、時間もかかった。」
マルタがカナタを見る。
「カナタはほんとに平気そうだよね……。三日だよ?
大した食事も休憩も取れていないのに……」
カナタはいつもと変わらない調子で答えた。
「足は壊れないし、この体じゃ疲労物質も溜まらないみたいだ。
でも、眠らなくていいのは残念だな。昼寝好きだったから。」
「すごいね……」
マルタがぼそっと呟き、銀は無言で同意するように頷いた。
「でも、やっと“文明の匂い”がする……。
もう、お腹すいた……!」
銀が横目で一瞥する。
「……数十分前に肩を失くしてた奴の台詞じゃない。」
「あれは治ったから!
再生するとお腹すくんだよ、たぶん!」
カナタは前を歩きながら、軽い調子で言った。
「食事か。いいな。
俺はもう栄養はいらないけど……うまい飯は食べたいな!」
マルタの顔がぱあっと明るくなる。
「ほんと!? よかった……!
カナタがご飯興味なくなったら、なんか寂しいじゃん!」
銀もわずかに口角を動かした。
「……味がわかるなら問題ない。
あとは、店に入れるかどうかだ。」
カナタが笑う。
「食べられるなら食べた方がいい。精神的に。」
「カナタはカナタのままだね。」
マルタが嬉しそうに歩く。
三人はローデンの街並みを見ながら歩いた。
建物は石造りや木造が入り混じり、瓦屋根が連なる。
しかし古いだけではなく、
油ランプ式の街灯が並び、店先のガラス窓や木の看板から、
古さの中に文明の跡が感じられる独特の風景が広がっていた。
だが建物はどれも老朽化しており、
壁は剥げ、屋根は歪み、
通りを行き交う人々の表情は重かった。
マルタのコピーが不思議そうに目を瞬く。
「……なんか、もっと完全に昔の世界って感じかと思ってたけど……」
カナタは軽く頷く。
「技術の断片だけ残ってる、って感じだな。
国のあり方はぜんぜん違うけど。」
そこで、カナタはふと周囲の家々を眺めながら説明を始めた。
「カスターナは封建制だからな。
各地の領主が、それぞれの土地を守ってる。
領民を保護する代わりに税を徴収して……その税が領主の力の源になる。
昔でいう近代国家成立の前みたいな感じらしい。」
銀が淡々と続ける。
「……中央政府は名ばかり。
国全体を束ねているようで、実際は領地ごとの寄り合いだ。」
マルタは不思議そうに聞く。
「へぇ……ガリアとは全然違うんだね。」
「ガリアは中央集権だけど、ここは逆だ。
領主次第で天国にも地獄にもなる。」
カナタはローデンの街並みに目を向けた。
石畳は割れているところが多く、
家々の扉は古び、
通りを歩く人々の表情は重かった。
「とりあえず、どこかでご飯を食べよう。」
三人は通りの角にあった食堂へ入った。
木製の扉を開けると、燭台の匂いと、煮込んだ豆の香りがふわりと漂った。
マルタがメニューを見て目を輝かせる。
「おお、どれもおいしそう!」
銀は周囲の客席を静かに観察していた。
注文を済ますと、すぐに料理が出てきた。
「久しぶりの食事はたまらないね!」
マルタたちが食事をしていると、
隣の席で話していた老人たちの愚痴が耳に入ってきた。
「また税が上がったらしいぞ……」
「領主様は城で贅沢してるって話だ……」
「兵士の装備もまた買い替えるらしい。金の出どころは誰だと思ってんだ……?」
カナタがスープを一口飲みながら呟く。
「……やっぱり、重税か。」
銀は短く言う。
「ローデン領主は評判が悪い。
金と権力に飢えたタイプだと聞く。」
マルタが眉をひそめる。
「なんか……かわいそうだね、領民の人たち。」
カナタは頷いた。
「封建制は“守ってやる代わりに税を取る”形だけど……
悪い領主のもとだと、ただの搾取になる。」
食堂の中の重たい空気が、まさにその現実を物語っていた。
「そろそろ出るか。」
会計が来ると、銀が小袋を出した。
中には金属製の硬貨が数枚入っていた。
マルタがそれを見て首をかしげた。
「このお金、ガリアのお金とは違うんだね?」
カナタが説明する。
「人類連合に加盟してる国は“共通通貨”が使えるんだ。
異界との戦争が続いた百年間、
物資や戦略を共有できるように……って、新作たちが作った仕組みだよ。」
銀が淡々と付け加える。
「……そのおかげで、こうして旅ができる。
どの国でも最低限の取引が可能になる。」
マルタはしみじみとその硬貨を眺めた。
「カナタのお父さん……すごい人だな……」
カナタは少し照れたように笑う。
食堂を出ようとした、その時だった。
——ガンッ!
外の扉が乱暴に押し開けられた。
客たちが一斉に振り返る。
入ってきたのは、金の刺繍入りの上着を着た若い男。
年は二十歳前後。
その後ろには、同じ服を着た取り巻きが四人。
店主が小さく呻いた。
「……領主の息子、ローデン・ラフィーク様だ……」
若い男——ラフィークは、店内の酒を勝手に飲み始め、酒瓶を片手に店内を見回し、
気に入らないように鼻を鳴らした。
「おい。ここ、いつからこんなに薄暗く、貧乏臭くなったんだ?」
取り巻きがすぐさま合わせる。
「ラフィーク様のおっしゃる通りで!」
「ここは領主様の地ですからね!」
ラフィークは店の中央まで歩くと、
ちょうど帰ろうとして立ち上がった三人に目を留めた。
「……おい、お前ら。」
その声に、店内の空気が凍る。
マルタが小声で呟く。
「え、ちょ……巻き込まれたやつ……?」
銀はすでに銀球を僅かに浮かせている。
カナタは静かに振り返った。
ラフィークはカナタの“金属にも見える肌”を見て眉をひそめた。
「なんだその面。
旅の傭兵か? それとも……怪物の成れの果てか?」
取り巻きが大笑いする。
「領主様の地に化け物は入れねぇぞ!」
「通行税払ったかぁ?」
マルタが小さく身を縮めるが、
カナタは穏やかな声で言った。
「通行税は関所で払った。
……それで、何か用か?」
ラフィークの表情がさらに歪む。
「俺の質問に“口答え”か?」
酒瓶を軽く振り上げ、
カナタの胸元へと突き出す。
店主が悲鳴を上げた。
「や、やめてくださいラフィーク様! 外でお願いします!」
ラフィークは店主を睨む。
「黙れ。俺が座る場所に、変な旅人がいるのが気に食わないだけだ。」
取り巻きが一歩近づく。
「おい兄ちゃん、どけよ。
うちのラフィーク様がお通りだ。」
銀は無言でカナタを一瞥し、
マルタは逃げたい気持ちを必死に押し殺している。
カナタはため息をついた。
「……面倒くさいことに巻き込まれたな。」
ラフィークが苛立ったようにラフィークは酒瓶を振りかざし、
そのままカナタの頭へ叩きつけた。
——ガシャンッ!
しかし。
割れた瓶の欠片がカナタに散らばった瞬間、
酒は一滴残らず蒸発した。
まるでカナタの体表が放つエネルギーに触れた瞬間、
液体という概念が消え失せたかのように。
床に落ちたガラス片すら、カナタの足に触れる前に灰のように崩れた。
店内がざわめく。
ラフィークは呆けたように後ずさる。
「……は? な、なんだ……今の……?」
カナタは平然としたまま、
酒瓶を受けた場所を軽く払う。
本当に、汚れひとつついていない。
「これ以上はやめとけ。」
ラフィークの顔色が変わった。
怒り、恐怖、羞恥——
混ざり合って、激情へと姿を変える。
「黙れぇっ……!
俺が、この領地の王だぞ!!」
ラフィークの腕に紋様が浮かんだ。
それは、地面の土砂を操り、質量を持つ衝撃として叩きつける術。
床が波打ち、
土が蛇のように持ち上がり、
店内の家具をなぎ払おうとした。
客たちが悲鳴を上げ、店主は膝をつく。
「や、やめてくれ……! 店が……!」
カナタはただ一歩、前へ出た。
それだけで——床を覆う土砂が止まった。
止まった、というより凍りついたように動きを失った。
ラフィークが目を見開く。
「な……んで……動かない……!?」
カナタは答えない。
代わりに、ラフィークの額に指で軽く触れた。
ほんの、軽く。
——バシュッ。
空気が跳ね、
風圧がラフィークの髪を逆立てた。
そして次の瞬間、ラフィークの身体は力なく崩れ落ちた。
気絶。
それだけだ。
骨も折れていないし、血も出ていない。
カナタはそっと受け止め、
床に寝かせる。
「……これで終わりだ。」
取り巻きたちが慌てふためく。
「ラ、ラフィーク様っ!?」
「お、おまえら何したんだよ!!」
銀は、既に動いていた。
銀球が静かに、しかし稲妻のような速さで軌跡を描く。
——シュッ。取り巻き四人が同時に膝から崩れ落ちた。
痛みは最小限。
関節を正確に撃ち抜かれ、立てなくなっただけ。
銀は一言だけ呟く。
「……静かにしろ。」
それだけで、店内の空気が変わった。
恐怖でも暴力でもない。
“秩序”が戻ってくるような静けさ。
店主は震えながらも、深く頭を下げた。
「た、助かった……。
本当に……ありがとうございます……!」
カナタは首を振る。
「巻き込んだのは向こうだ。
それに……こんなの、助けた内に入らない。
むしろ、面倒ごとを起こしてしまって申し訳ない。」
マルタが小声で言った。
「……やっぱり、強いなあ、二人とも……」
銀は少しだけ、カナタを見る。
「……問題は、このあとだ。
領主が黙っていない。」
カナタは店の外を見ながら答えた。
「だろうな。」
そして、ゆっくりと店の扉を開ける。
夜の冷たい空気が三人の前に広がった。
「……その前に宿に行こう。マルタと銀はまともに睡眠もとってないだろ?
明日領主のところに行ったらきっと楽しいことになるぞ。」
「起きたら牢屋だったりしてな。」
銀が呆れたように言う。
マルタは既に泣き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫!俺は寝なくて平気だから!」
結局、三人は宿に向かって歩いて行った。




