異世界運輸安全委員会~海防戦艦とクラーケンの衝突~
本報告書は、これまで海難審判及び事故調査を行ってきた王国海軍軍警察から、事故調査のみを分離し運輸安全委員会所管となったことで、引継ぎ、公表することとなったものである。
本報告書の調査は、本件船舶事故に関し、運輸安全委員会により、船舶事故等の防止に寄与することを目的として行われたものであり、本事案の責任を問うために行われたものではない。
運輸安全委員会
委員長 アメリア・アウグスタ・ウェストランド伯爵
≪参 考≫
本報告書本文中に用いる分析の結果を表す用語の取扱いについて
分析の結果を表す用語は、次のとおりとする。
① 断定できる場合
・・・「認められる」
② 断定できないが、ほぼ間違いない場合
・・・「推定される」
③ 可能性が高い場合
・・・「考えられる」
④ 可能性がある場合
・・・「可能性が考えられる」
・・・「可能性があると考えられる」
船舶事故調査報告書
船種船名 海防戦艦 ピトムニク
総トン数 8,550トン
船種船名 海獣 クラーケン
総トン数 不明
事故種類 衝突
発生日時 統一歴 101年1月5日 16時10分ごろ
発生場所 スヴェリエ・ケッペル辺境伯領北東方沖
コーラス岬から方位40°15海里付近
NAKTSB ナヴエイド王国運輸安全委員会
統一歴101年12月22日
運輸安全委員会(海事部門)議決
委員長 アメリア・アウグスタ・ウェストランド伯爵
委 員(海事部長) テオバルド・ケッペル
委 員 シュテフィ・ラスカレード
アドバイザー 坂井 航介
1.船舶事故調査の経過
1.1 船舶事故の概要
海防戦艦ピトムニク(以下ピトムニク)は、艦長以下455名が乗り組み、スヴェリエ・ケッペル辺境伯領北東方沖15海里を南進中、統一歴101年1月5日16時10分ごろ、コーラス岬から方位20°15海里付近においてクラーケンと衝突した。
ピトムニクは艦橋等の上部構造及び船底、スクリューや錨等多数を破損、浸水し漂流コーラス岬に座礁、これにより海軍兵119人が死亡、24人が行方不明、212名が負傷した。
1.2 船舶事故調査の概要
1.2.1 調査組織
運輸大臣は統一歴101年6月1日、本事故の調査を担当する運輸安全委員会委員長及び事故調査官2名、アドバイザー1名を指名した。
尚、この指名は6月1日付の国王布告において、事故調査が海軍軍警察部門(以下海軍警察)より運輸安全委員会に所管が移された事による。
1.2.2 調査の実施時期
統一歴101年1月10日~5月31日 海軍警察所管
統一歴101年6月 1日~6月12日 海軍警察からの引継ぎ及び現場調査
統一歴101年7月20日~8月 1日 現場調査及び口述聴取
統一歴101年9月10日~10月1日 現場調査及び口述聴取
1.2.3 本事故の事故調査機関からの調査書類の提供
本事故の王国海軍の海難事故調査担当部署である海軍警察より、統一歴101年6月1日~6月12日に調査資料の提供を受けた。
1.2.4 調査協力等
王国海軍第2艦隊司令部並びに王国海軍軍警察より航行記録の提供及び、当該船舶の情報について助言を受けた。
2.事実情報
2.1事故の経過
2.1.1 航海日誌及び生存者の証言による航行の経過
1月4日13時00分にケッペル辺境伯領王国海軍基地(以下ケッペル海軍基地)を出港した海防戦艦は、■■■■訓練を実施し、日没後の18時00分からケッペル海軍基地から東方100NMにて夜間行動訓練を行ったのち漂泊とした。1月5日6時00分より■■■■■■海域にて■■■■■■■訓練を行い、10時00分からケッペル海軍基地東方50NMの洋上にて、水上標的に対する全砲門の射撃訓練を14時30分まで実施した。以下はそれ以降の時系列を纏めたものである。
※伏字は海軍の機密事項の為、開示することは出来ないが、本調査に影響を及ぼすものではない。
時刻 速力 船首方位
14:30 15kt 175
14:50 15kt 170
15:15 10kt 180
15:30 18kt 175
15:34 20kt 155
15:36 20kt 165
15:37 22kt 155
15:54 24kt 180
16:00 24kt 75
16:08 24kt 175
16:10 0kt 180
16:15 5kt 185
以後不明
2.1.2 生存者及び王国海軍の情報提供による当該船舶の航行予定について
ピトムニクは全砲門の射撃訓練を14時00分まで行った後、15時00分より1月10日12時00分まで無線封止訓練が行われる予定で、その間、訓練海域以外にも周辺海域を適宜航行する予定であった。詳しい進路や内容については、ピトムニクの艦長(以下艦長)と乗船していた第2艦隊司令部参謀の決裁のみで行われており、ケッペル海軍基地の第2艦隊司令部には通達されていなかった。
2.1.3 乗組員の口述による運航の経過
航海長及び航海士2名、機関士2名と通信士の口述及び、航海日誌によれば、次の通りであった。
ピトムニクは射撃訓練を終え海域を離脱後、次の訓練である無線封止訓練を開始する旨を、14時55分にケッペル海軍基地へ通信し、艦長は15時00分をもって訓練開始を艦内へ通達、15時00分にケッペル海軍基地東方約30NMの地点で、針路を170°15ktで航行しながら、予定通り無線封止訓練を開始した。
訓練中の操船は航海長が行い、操舵は航海士(以下航海士A)が担う形で実施され、艦長は参謀と共に艦橋にて適宜指示する形で訓練の推移を監督した。
ピトムニクの訓練は数度の変針を経たのちコーラス岬突端を目標に定め南下し、15時30分に175°に変針速力を18ktまで増速をしたところ、艦橋内右側で見張りを行っていた航海士(以下航海士B)が、右方約70°真方位250°約3NMの地点に巨大な魚影の様な物が見えたと報告した。この報告で航海士Bを含む艦橋の数人が、ピトムニク艦橋外に出て右方の見張りについたが、それらしい影は確認されなかった。
艦長は15時33分にこの報告を、海獣の群れもしくは魚群を見間違えたものとして、艦橋外に出た者達を艦橋内へと呼び戻し、引き続き無線封止訓練を続行した。
15時34分ピトムニクの船体に大きな動揺が起きた。当時、気象海象ともに良好で波高も1m程、うねりも50cm程、海図では水深も52mと船体に大きな動揺を与えるようなものが存在しなかったことから、当初大型の海獣の衝突が疑われた。普段から大型船舶と海獣の衝突事案は頻発していた為、艦長と参謀は各部の損傷の有無を確認の後、損傷が認められなかったことから艦長と参謀は訓練を引き続き実施、動揺が収まった15時36分に乱れた船首方位を再度修正指示した。
15時37分船首方位を155°に修正した後、引き続き訓練を実行したが、15時54分に再度船体の大きな動揺が認められた。それと同時に艦首付近に巨大な触手がある事を航海士Bが報告し、航海長と艦長、参謀がそれを確認、艦長に指揮を交代の後、航海士Aに最大戦速・取舵一杯を指示した。また、艦長は戦闘配置の号令を発した。
16時00分に船首方位75°速力24ktとなるが、複数名が艦首方向に触手を視認し、艦長は面舵一杯を指示した。
16時08分船首方位175°となった所で艦長は舵中央を指示した。その数秒後、触手がピトムニクの全体を包み込むように出現し、同時に大きな衝撃が艦全体に走った。艦長は全砲門の斉射を指示したが発砲は無く、これにより艦長は航海長に艦橋後方にある予備伝声管の使用を指示した。
16時10分衝撃の後、徐々に減速していたピトムニクは、更に大きな衝撃と共に急激に減速し停船した。予備伝声管による航海長の指示で各砲門はバラバラに攻撃を開始し、16時15分までの5分間に渡り触手に向かっての砲撃を続けた。
16時12分に通信士は魔導通信の起動を確認し、通信を繰り返し試みたが返答は無かった。
この間に魔導通信アンテナを含む艦橋等の上部構造は触手によって多数が圧壊し、艦長と参謀長は死亡が予想された。船橋後方にて作業をしていた航海長・航海士A・航海士B・通信士は、艦橋の圧壊による、被害を免れた。
16時15分頃にクラーケンは船体から離れ、ピトムニクは船首方位を南へ向け漂流を始めた。この時点で既に上部構造は幾つかの砲と艦橋後部、煙突を残して破壊されていた為操縦をすることは叶わず、また主機の区画への浸水により魔動主機は完全に停止していた。ピトムニク最上級士官となった航海長は、船体に空いた多数の穴から浸水が認められていたこと、第一主砲区画で火災が発生したことから、ダメージコントロール作業を指示した。
17時頃にピトムニクはコーラス岬に座礁し動きを止めたが、船底をコーラス岬周辺の岩礁に衝突したことにより更なる浸水を発生、船体は40°右に傾いた。これにより航海長は船内にある食糧や毛布を携行した状態での総員退避を指示したが、暴風雪の為に退艦の後に引き返し、艦内に留まる事となった。
本事故の発生日時は、統一歴101年1月5日16時10分ごろであり、発生場所はコーラス岬から方位20°15NM付近であった。
2.1.4 衝突後の救助状況
コーラス岬に座礁したピトムニクは、艦橋の破壊と通信アンテナの消失により通信、連絡手段を持ち合わせておらず、本来事故発生時救難を行う第2艦隊に対して、通信を発出する手段も持たなかった。又、更に無線封止訓練を行っていた為、第2艦隊司令部は不審を抱かなかった。
2.2 人の死亡、行方不明及び負傷に関する情報
ピトムニク
艦長含む、乗組員118名が死亡
内、圧死44名、溺死36名、凍死28名、出血死5名、死因不明5名
24名が行方不明
211名が負傷
第2艦隊司令部
参謀1名及び書記官が艦橋の圧壊により死亡
2.3 船舶の損傷に関する情報
ピトムニク
艦橋の圧壊
第2主砲の全壊
全副砲の全壊
その他8つの砲設備の全壊
船体全体の無数の破孔及び、曲損や裂傷、擦過痕
魔動主機の浸水、損傷
スクリュー4軸の全損
その他大小836の損傷
※損傷詳細は別添の通り
2.4 乗組員に関する情報
ピトムニク
艦 長 男性 55歳
統一歴85年に航海長として乗艦、副長等を経て96年に艦長に就任
航海長 女性 45歳
20年間航海士等を務めた後、統一歴99年に航海長として乗艦
航海士A 男性 20歳
統一歴99年海軍兵学校卒業後、乗艦
航海士B 女性 25歳
統一歴96年海軍兵学校卒業後、乗艦
機関士A 女性 28歳
統一歴100年駆逐艦より移動、乗艦
機関士B 男性 40歳
統一歴95年海軍本部より移動、乗艦
通信士 男性 35歳
統一歴97年第2艦隊司令部より移動、乗艦
参 謀 男性 58歳
統一歴98年に第1艦隊司令部より第2艦隊司令部移動
※その他人物については、本事故調査報告書内で触れない為省略。
2.5 船舶及び海獣に関する情報
2.5.1 船舶の主要目
海防戦艦ピトムニク
船舶所有者 ナヴエイド王国海軍
運 航 者 ナヴエイド王国海軍
総 トン 数 8,550トン
L×B×D 135.00m× 19.85m ×7.96m
船 質 鋼
機 関 魔動式魔水専燃缶
ケッペル式魔導タービン 2組4軸
出 力 27,500hp
推 進 機 固定ピッチプロペラ4個
魔導通信機 82年式ヘクセレイ型魔導通信機
進水年月日 統一歴75年8月20日
2.5.2 海獣の主要目
クラーケン
海 獣 分 類 超大型軟体海洋猛獣 イカ型
総 トン 数 推定 200トン ※詳細は不明
体 長 推定 45m 触腕含め 100m ※詳細は不明
年 齢 不明
2.6 気象及び海象に関する情報
2.6.1 観測値等
ケッペル海軍基地気象海象観測隊より提供を受けた観測値は以下の通りであった。
1月5日
日出:7時18分 日没:16時05分
16時00分時点での観測値
気象 天候 曇り
気温 -14℃ 湿度 40% 風速 20m/s 風向 北北東
1月6日~9日
気象 天候 暴風雪・波浪
気温 最高気温-10℃ 最低気温-32℃ 湿度 55%
風速 10~30m/s 風向 北~北東
1月10日
日出:7時15分 日没:16時8分
14時00分時点での観測値
気象 天候 曇り
気温 -5℃ 湿度 30% 風速 8m/s 風向 北東
2.6.2 乗組員の観測
ピトムニクの航海日誌における観測値は以下の通りであった。
1月5日
日出:7時18分 日没:----
15時00分時点での気象・海象
気象 天候 晴れ
気温 -12℃ 湿度38% 風速15m/s 風向 北北東
海象 波高1m うねり 10秒周期で50cm
2.7 事故水域に関する状況
2.7.1 船舶の輻輳状況
コーラス岬北方15NM付近の海域においては、ここ5年間の海獣の目撃情報が頻発していることから、貨物船や漁船等の一般船舶の航行は少なく、1月5日から10日までの間で航行した船は3隻のみで、最も近い所でコーラス岬から80NM北方であった。
2.7.2 事故発生場所周辺海域における海獣等の目撃情報
コーラス岬北方50NMを中心とした約20NMは海獣の目撃情報が頻発していたが、事故発生場所周辺海域においては、記録が残っている限り、大型以上の海獣の目撃例は、今回の事故が発生するまでの間、一度も無い。
特にクラーケン等の超大型海獣に分類される海獣はコーラス岬から40NMより内側で目撃された例は無く、大型の海獣であってもコーラス岬北方20NM以南は目撃例がない。
地元漁師の聞き取りや民間伝承の調査も行ったが、水深の浅いコーラス岬北方20NM以南において、大型以上の海獣が見逃される可能性は非常に少ないと思われる。
2.8 船舶の船内組織及び運行管理に関する情報
2.8.1 海防戦艦ピトムニク
(1)船内組織等
王国海軍からの情報提供によると、当直体制は以下の通りであった。
普段の艦橋当直は3交代制で艦長、副長、航海長を長とした20名体制で行われているが、訓練の為に当日は2当直体制としており、当直者は6時00分から勤務、艦長が8時00分から艦橋で指揮を執っていた。又、参謀と書記官を含めた2名が、在橋し訓練評価を行っていた為、事故発生当時23名の在橋人員があった。
(2)運行管理
運行管理等に関する明文化された規定は存在せず、前後左右に2名ずつ配置された見張りが、障害となるものを発見次第、当直長に報告することが内々に決められていた。
2.9 捜索救難及び被害の軽減措置に関する情報
第2艦隊司令部からの情報提供によるれば、次の通りであった。
(1)被害の軽減措置
喫水上下問わず多数区画が破孔より浸水した為、機関室含む4区画を封鎖し、転覆を免れた。これにより水密扉内に23名が取り残され、溺死が確認された。
クラーケン撃退の為に第2主砲2門を発砲した際、第1砲門に火災が発生、消火作業により座礁とほぼ同時に鎮火し、犠牲者はいなかった。
(2)ピトムニク乗組員による救助
クラーケンの襲撃から生存した乗組員は、座礁した後ピトムニク各部にて、航海長の指示の下捜索救難活動を開始した。これにより80名ほどが、崩壊した区画や封鎖された区画から救助された。
(3)第2艦隊司令部による救助
無線封止訓練終了時刻を過ぎても連絡が無い事から、10日14時00分に第2艦隊司令長官は、第5駆逐艦隊を筆頭とした捜索救難隊を編成し、10日15時00分より捜索救難活動を開始した。
その後、陸上と海上からの捜索により、10日20時38分、駆逐艦バーベットが海防戦艦ピトムニクを発見し、各署に連絡の後、救助活動を実施した。11日6時00分からは海中転落者及び、クラーケンに連れ去られた者の捜索が行われたが、現在に至るまで行方不明者24名は発見されていない。
3.分析
3.1 事故発生の状況
3.1.1 事故発生とその経過
2.1から、次の通りの経過と考えられる
海防戦艦 ピトムニク
① ピトムニクは、1月4日13時00分にケッペル海軍基地を出港した。
② ピトムニクは、予定の訓練を消化した後、1月5日15時00分より無線封止訓練を実施した。(これは魔導通信等の全ての通信機器が含まれる)
③ ピトムニクは、1月5日15時34分にクラーケンとの最初の接触があった。
④ ピトムニクは、1月5日15時37分にクラーケンの存在を確認し、指揮を交代した艦長は無線封止の解除と各部署に戦闘配置を命じた。
⑤ ピトムニクは、1月5日16時00分にクラーケンから逃れる為に船首方位75°、速力24ktとした。
⑥ ピトムニクは、1月5日16時08分に船首方位175°としたが、同時に大きな衝撃が艦全体に走った。艦長は全砲門の斉射を指示したが発砲は無く、航海長に予備伝声管の使用を指示した。(無線封止については、この時点で起動に35分を要する魔導通信は起動できておらず、沖合15NMを航走する本船は個人による魔導通信の範囲からも離れていた為、不可能であった)
⑦ ピトムニクは、1月5日16時10分に更に大きな衝撃を受けて急激に減速、停船した。各砲門は停船と時を同じくして砲撃を開始し、16時15分まで砲撃が続けられた。(16時12分に通信士は魔導通信の起動を確認し、通信を繰り返し試みたが返答は無かった)
⑧ ピトムニクは、1月5日16時15分ごろにクラーケンは船体から離れ、ピトムニクは船首方向を南に向け漂流を始めた。
⑨ ピトムニクは、1月5日17時00分ごろにコーラス岬に座礁し動きを止めた。
⑩ ピトムニクは、1月5日17時00分ごろに航海長の指揮の下、総員退艦命令が下された。
⑪ ピトムニクは、1月5日18時00分頃に航海長が退艦が不可能と判断し、生存者は艦内の安全な区画に留まる事とした。
3.1.2 事故発生日時及び場所
2.1から、本事故の発生日時は、統一歴101年1月5日16時10分ごろであり、スヴェリエ・ケッペル辺境伯領北東方沖コーラス岬から方位40°15海里付近であったものと推定される。
3.1.3 死傷者の状況
2.2から艦長含む、乗組員120名が死亡。内訳として、圧死46名、溺死36名、凍死28名、出血死5名、死因不明5名となっている。
圧死はクラーケンが船体を締め付けて圧壊した、艦橋や船体が原因と考えられる。
溺死はクラーケンにより海上に投げ出された者や、ダメージコントロールの際に浸水区画に取り残された者と考えられる。
凍死は艦の破損と暴風雪によるものであると認められる。
出血死はクラーケンによる者と、急激な停船によるものであると考えられる。
24名が海上に投げ出され行方不明。残る211名が重軽傷問わず負傷した。
3.1.4 損傷の状況
別添のとおり
3.2 事故要因の解析
3.2.1 乗組員等の状況
海防戦艦 ピトムニク
2.4から艦長及び航海長は十分な経験を有していた。事故発生時に当直に就いていたいた者は、既に10時間の勤務を続けている状態だった。
3.2.2 船舶の状況
2.1.3及び2.5から、ピトムニクは無線封止訓練を行っていた為、魔導通信を完全に落とした状態であった。ピトムニクに搭載されていた魔導通信機器は旧式の82年式ヘクセレイ型魔導通信機であり、起動に35分もの時間が掛るものであった。
3.2.3 気象及び海象の状況
2.6から、本事故発生当時事故現場周辺は、天候は晴れ、気温-12℃、湿度38%、風速15m/s、北北東の風、波高1m、うねり10秒周期で50cmであったものと考えられる。
3.2.4 本事故発生場所周辺の状況
2.7から本事故発生場所周辺は、海獣の目撃情報が頻発しており一般船舶の航行は少ない海域であった。
3.2.5 船舶の運航管理に関する状況
2.1.3及び2.8から、次の通りであったものと考えられる。
海防戦艦 ピトムニク
艦長及び参謀は8時から、8時間勤務をしていた。
その他の艦橋及び艦内の全ての部署は、3交代制から2交代制へと臨時的に変更された関係で、当直者は勤務開始から10時間が経過していた。その為見張りの集中力が低下していたものと考えられる。又、艦長においても既に8時間の勤務をしており、同様の状態であったと考えられる。
3.2.6 見張り及び操船の状況
2.1、3.1及び3.2.2から次の通りであった。
①無線封止訓練中の為、普段使用されている魔導レーダー、魔導測深機等の魔力を発する物はすべて封止されていた。(海防戦艦であるために魔導ソナー等は搭載されていない)又、無線封止訓練は通常複数艦艇で行うものであるが、今回は■■■■■■■■による特例であった。
②見張りは艦橋外部に8名が配置され、8方位の監視を行っていた。また艦内でも、操艦を務めていた航海長並びに操舵手である航海士Aを含めた7人が見張りを行っていた。
③最初に巨大な魚影に気が付いたのは、艦の西側を監視していた航海士Bであった。
④航海士Bがその報告を艦橋に上げた後、艦橋内にいた者達数名を伴い再び見張りに当たったが、発見には至らなかった為、艦長指示にて航海士Bを残し艦内へと引き上げた。
⑤艦長は訓練の続行を指示、以降も艦は航海長指揮の下、南下を続けた。
以降の操船行動は3.1に記載。
3.2.6 事故発生に関する解析
2.1、2.4、3.1.1、3.1.2 及び 3.2.6 から、次のとおりであった。
①最初に巨大な魚影について確認した航海士Bは、それがクラーケンと認識しておらず。魚の大群等であると考えていた。
②航海長は見張り員の報告により、再度魚影が確認できなかったことから、安全なものと考えていた。
③見張り員の報告を受けた艦長は、大型の海獣か魚群であると判断し、訓練続行を指示したと考えられる。
④艦橋にて勤務していた者達は、艦長が判断を下した事により、適切な指示を受けたものと認識していた。
⑤操舵を担当する航海士Aは、操艦経験が少なく操艦に手一杯で、自分の意見は無く、訓練継続の指示は適切なものと考えていた。
⑥通信士は無線封止解除に備えて、艦橋中部にある操作盤に近づいたが、無線封止の解除指示がないため、一度近づいた操作盤から離れた。
⑦ピトムニクに大きな動揺が起きたが、証言によれば海軍艦艇と海獣の衝突事案は幾度かあったが、それと同程度の揺れだった。
⑧艦長は、クラーケンとの軽い衝突の後でも、何らかの大型海獣に衝突したものと判断したと考えられる。
⑨クラーケンの足が確認できた時点で、艦橋に居る者達はようやく衝突した相手が超大型海獣であるクラーケンであると認識した。
⑩艦長は即座に無線封止の解除を指示、クラーケンとの交戦の為に戦闘配置の指示を下した。
⑪通信士は直ちに環境から魔導通信機である82年式ヘクセレイ型魔導通信機の起動を行った。
⑫クラーケンは船体にその足を巻きつけ締め付けて来た。これにより艦艇の上部構造は破損、若しくは破壊された。これにより魔導通信機のアンテナが破壊されたため、魔導通信機起動後も通信が不可能な状態となった。
⑬5分間に及ぶクラーケンとの交戦により、クラーケンは船体を離れたが、海防戦艦ピトムニクは船体構造の破壊により、自力航行及び、全動力の喪失していた。
⑭ピトムニクは以降、漂流を続けコーラス岬に座礁し、その際に生じた破孔により船体は40°右に傾いた。
⑮最上級士官となった航海長の指示により総員退艦が進められたが、退艦がほぼ完了すると同時に周辺地域の天候が悪化、暴風雪並びに波浪に見舞われたため、身を隠す場所のないコーラス岬岸壁から離れ、やむを得ず再び艦内へと戻り、救助を待った。
4.結論
4.1 原因
本事故は王国海軍が大型海獣の出現海域を訓練海域として策定したことが原因と推定される。又、王立海軍の艦船の見張りにおいて、適切な報告要領とそれの処理についての明確な規定が存在せず、大型海獣出現海域で事前に目撃していた巨大な魚影を無視したことが原因と考えられる。
他に魔導通信機の起動に時間が掛るのを分かった上で、大きな動揺を受けた時点で起動を行わなかったものが原因と考えられる。
4.2 その他判明した安全に関する事項
第2艦隊司令部は無線封止訓練終了時刻で無線連絡が無かったにもかかわらず、それ以降1時間に渡って無線連絡を試み、捜索救難の開始が遅れた。これは、無線が遅れた際の明確な基準がなかった事によると認められる。
5.再発防止策
5.1 事故後に講じられた事故防止策
(1)王国海軍は戦闘配置以外の船舶運用時、左右2名の見張り要員を配置することを規定した。
(2)王国海軍は見張り時の報告要領を規定した。
(3)王国海軍は訓練規定と救難規定の見直しを行った。
6.アドバイザーによる指摘事項
①海上における警備救難業務(警察権の行使、救難活動)を行う海上保安組織を、軍警察以外で設立するべきであり、それは王国海軍から完全に独立した組織である必要がある。
②軍にあっても明確な運航規程を定めることによって、障害となるものを報告する基準を明確にするべきである。
③軍艦、民間船問わず通信設備が故障等により使用不可となった場合でも、救難信号を発出することのできる装置、及び魔導レーダー等に反応できるトランスポンダーのような装置を搭載するべきである。
※軍より反対があったが、魔力を通した時に起動できる等の条件を付与すれば、問題ないと思われる。
④海獣の目撃情報が多数報告されている海域での訓練を見直すべきである。
※軍より多少の海獣がいる海域は漁船等がおらず、訓練の海域に適しているとの回答があったが、それでは今後も同様の事故が発生する可能性がある。
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。