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試験

 そもそも、後宮の衣食住の管理はすべて、第四公子が担っている。厨房も第四公子の管轄で、彼が認めない料理人は厨房で働くことができない。だからといって、わざわざ第四公子自身が試食しに来なくてもいい。厨房の責任者に任せておけばよいものを、自ら出張ってきて、なぜか料理にはひと口も手をつけず、片端から料理人を不合格にしているという。話を聞いた明夏は唖然としてしまった。先のお触れが出たときにも思ったが、第四公子のやることは意味不明だ。自分の声にはたっぷりの困惑が含まれていた。


「第四公子はどうして食べもせず、不合格だとわかるんです?」


 若 賢星はうっとうしそうに首を振る。


「さあね。見た目の問題じゃなさそうだけど。みんな華美さを取り除いた、無難で機能的な料理を出していた。それに話を聞くかぎりじゃ、不合格にしたのは第四公子じゃなくて、そばにいた衛生(えいせい)様のほうみたいだよ」

「衛生様……?」

「第四公子の守り人」


 なにも知らないんだねと眇めた目で、若 賢星は教えてくれた。衛生は、第四公子が幼い頃からそばにいる有能な補佐役だ。公子の雑務や政務を一手に引き受ける彼は、元軍人という経歴をいかし、護衛もつとめているという。第四公子が母親を亡くしてからは、養育係も担ってきたそうだ。そこまで聞いて、はたと疑問に思う。


「母親を亡くした? 第四公子は、おいくつぐらいの方なんですか?」

「僕らと同じぐらいだって聞いたけど。ったく、あの我がまま公子。料理人が丹精こめて作った料理を、ないがしろにするなんて」


 若 賢星はよほど頭にきているらしい。ぶつくさ言う彼の言葉を拾い集めると、おおよそこういうことだった。試験のために第四公子のいる部屋に入れるのはふたりずつだったそうだ。料理が供されると、まず太った肉まん役人が毒見のための試食をその場で行う。その後、第四公子のいる机まで料理が運ばれるが、御簾内に姿を隠した第四公子は、なぜか料理を一瞥するだけで手をつけようとしない。横にいる衛生がなんとか食べさせようとするも、箸を握ったままで微動だにしないという。すると衛生が首を振り、肉まん役人がその料理に「失格」の烙印を押しつける──。説明している途中で我慢がきかなくなったのか、若 賢星が声を荒げた。


「あり得ない! ここにいるのはみんな、腕におぼえのある料理人ばかりだ。磨かれた技術と完璧な腕でつくられた料理を、一瞥だけで失格にするなんて!」

「うーん。好き嫌いが激しい方なんでしょうか?」


 薔薇園へ案内してくれた青年のことを、そのときふと思い出した。たしか、「第四公子は野菜嫌いで甘味が好き」と言っていた気がする。先に料理を供した少年たちは、野菜をたくさん使った料理を出したのではないだろうか? 情報源をぼかして考えを伝えると、若 賢星は「それはどうかな」と首を振る。


「多少の好き嫌いはあるかもしれないけど、不合格になった料理には肉や魚、甘味もあった。そんなに好き嫌いがひどければ、もっと後宮内で噂になっていたはずだよ。父の手伝いで後宮に通う僕が知らないなら、それはない。第四公子は普段から好き嫌いなく食べていたはずだ」


 若 賢星はちらりと自らの完成した料理をみて、怒りを湛えた目で静かに言った。


「料理は食べてこそ価値がわかる。もし僕の料理を拒んだりしたら、その場であのぼんくらの口をこじ開けて食べさせてやる……!」


 本気で実行しそうなところがこわかった。でも、と明夏は内心首をかしげた。後宮料理人の募集をかけたのは第四公子だ。試験に自ら足を運んでおきながら、ひと口も試食しないなんて──彼はいったい何を考えているのだろう?




 次、と呼ばれて、いよいよ明夏たちの試食の番がきた。若 賢星と一緒に第四公子の前へ向かうことになったのはいいが、隣の若 賢星は今にも噛みつきそうな剣幕だった。なまじ小綺麗な顔をしているだけに、しかめられた眉や険しい眼差しに迫力があり、肉まん役人を怯えさせていた。外廊下を歩いているときに明夏はつい「顔、顔をもうちょっと」と小声で伝えてみたが、若 賢星は「うるさい」とそっぽを向いてしまった。明夏たちは今、自分がつくった料理を盆にのせ運んでいる。自分の黒漆塗りの盆には、蒸篭と取り皿、薔薇の花茶が載っている。他の少年たちに比べて質素だが、かなりの一品だと自負している。この料理はいわば爆弾だ。己を殺すかもしれない鮮烈な一作。けれどこれで勝負してみたいと思ったのだ。


 肉まん役人がひと声かけてから扉の中へ入る。部屋は広く、かすかに香辛料やタレの匂いが残されていた。きっと先に運ばれてきた料理の残り香だろう。いずれも食欲をくすぐるもので、嗅いでいるだけでうっとりしてしまう。すでに試験を終えた少年たちの料理の腕は、たしかに一級品だった。残り香だけで供されたものの質の高さや絶妙さが伝わってくる。時間と余裕があれば、彼らの料理についても色々と想像を巡らせたかったが、今はそんな場合ではない。


 飴色に磨かれた木机があり、ぴしりと背を伸ばした中年の武人が立っていた。「武人だ」と思ったのは、腰に武骨な剣を帯刀し、威圧するような目でこちらを睨んでいたからだ。「衛生様」と肉まん役人が頭を下げたので、彼が第四公子の守り人だとわかった。ふくよかな肉まん役人と歳もそう変わらないだろうに、体つきや雰囲気には天と地ほどの差がある。かすかに頷いた衛生は一瞬、吟味するように鋭い視線を投げてきた。刀の柄に軽く手が添えられるのをみて、明夏は身震いする。ここで切り捨てられるようなことだけは避けたい。下手をうてばそうなる可能性は十分にあるが。肉まん役人は仰々しく礼をする。衛生に向かってではなく、その横にある薄い赤の紗幕のかかった椅子のほうへ頭をさげている。


「第四公子。最後のふたりの料理をお持ちしました」


 その仕草を見るまで気づかなかったが、机の向こうには薄い紗幕があり、小柄な少年が座っているようだった。顔は紗幕に隠されみえない。ほっそり小柄で、白く折れそうに頼りない手が紗幕の隙間から覗いている。少年は染みひとつない白い手を気だるげにひらひら動かした。「早くしろ」とも「さっさと出ていけ」ともみえる仕草だ。


 肉まん役人が「では」と若 賢星の料理から毒見をはじめる。入り口の机に料理を置き、若 賢星の料理にひと口だけ箸をつけ、満足そうに頷く。次は明夏の番だった。黒漆塗りの盆を置き、蒸篭の蓋をそっと取る。現れたのは、なんとも不細工な蒸し菓子だ。蜂蜜を混ぜたそれはうっすら黄色く、丸くぽってりした形になっている。上質な白砂糖の甘い匂い、小麦の優しい香りが食欲をそそるが、それ以外なんの魅力もなさそうな菓子だ。城下の店や屋台でも売られている、珍しくもない貧相な菓子──けれど肉まん役人は、それをみてもいっさい貶さなかった。若 賢星のときと同じようにひと口、上品に食してから頷く。満足そうに目を細め、「問題ない」と言われて逆にこちらが戸惑った。てっきり「こんな貧相な菓子を出すなんて」と馬鹿にされると思っていたのに──いや、肉まん役人は「華美な料理を作るな」と繰り返し告げていた。彼は第四公子の意向にそいたいだけで、見た目が華美でなければなんでもいいのかもしれない。蒸篭にまた蓋をかぶせるとき、明夏は薄く微笑んだ。先ほどとは別の蓋を、誰にも気づかれないうちにそっと取り出し載せる。これからやろうとしていることを知ったら、肉まん役人は飛び上がるだろう。でも、もう決めたことだ。もてる力すべてを使い、第四公子に最高の料理を供する。それが、この場に「飾り料理人」の自分が居合わせたことの意味だろう。

 若 賢星が前へ出て、第四公子の前の机に盆を置く。一歩下がり、礼をとってはいたが、彼の声は挑戦状を叩きつけるように尖っていた。


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