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最後の仕上げ

 厨房に戻ると、若 賢星がそわそわと待っていた。


「遅いよ! もうみんな出来上がって、試食も始まってるのに!」

「大丈夫です。今からでも十分間に合いますから」

「……砂糖? そんなに大量に、何に使うの?」


 若 賢星は自分の準備を完璧に終えたようだ。火も消され、場は綺麗に清められている。大きな木椀で小麦粉と卵、砂糖を混ぜはじめると、横でみていた若 賢星が察して蒸篭(せいろ)を運んできてくれた。材料と工程から、作ろうとしているものがなにかわかったらしい。


「型もいる?」

「ありがとうございます。助かります」

「まったく。この僕を顎で使うなんてね」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、若 賢星は手伝ってくれる。気位は高いが、やはり面倒見のよい性格なのだろう。型の底に結晶化した砂糖の粒をたくさん敷きつめて、上から材料を流しこむ。型をすべて蒸篭に入れてから火をつけ、蓋をしめる。あとは蒸し終わりを待つだけだ。


「すみません、蒸篭の蓋を別で、あとひとつ用意しておいてくれませんか? それから、長箸も!」

「え、おいっ! どこに──」

「すぐ戻ります!」


 若 賢星の静止を背に厨房の外へ出た。誰もいない石庭の日陰に、先ほどの白衣の青年が不安げな顔で待っていた。自分より年上だろうに、飼い主に捨てられた子犬のようにそわそわしている。厨房から出ていくと、ぱっと顔を華やがせたので、思わず微笑んでしまった。


「お待たせしました。薔薇のあった庭まで連れていってください」


 青年は「こちらへ」という風に指さし、走っていく。角を四つ曲がったところに、先ほど訪れた薔薇の庭園があった。門の入り口まできて、急に青年が立ち止まったからぶつかりそうになった。「止まれ」と言っているようにもみえたが、真っ赤な薔薇を見つけた瞬間、足がかってに前へ進んでいた。


「あった! この薔薇を使えば」

「おや。これは……珍しいお客さんですね」


 薔薇へ伸ばしかけた手が、はたと止まる。浮かべていた笑みが凍りついたのは、目の前に明らかに高貴な身分の男性が立っていたからだ。彼を貴人だと思ったのは、そのたたずまいに品があり、瞬く仕草や微笑みの中にも常人離れした育ちの良さが窺えたからだ。年は二十歳ぐらいだろうか。青空を溶かしたような蒼衣姿で、紫色の眼差しに落ちついた笑みを湛えている。身なりでいえば、ここまで案内してくれた白衣の青年のほうがずっと豪奢なものを着ている。それなのに、親しみやすさには各段の差があった。白衣の青年が人懐っこい大型犬だとしたら、目の前の彼は見たこともない神獣にみえる。紫色の瞳で優しく見つめられると、急に自分が愚かで汚らしく、恥ずべき生き物に思えてくる。まるで慈しみ深い神の前に、突然全裸で立たされたみたいに。


 振り返ると、ここまで案内してくれた青年が顔色を変えて門の外までさがっていた。

 まずい。自分も下がったほうがいいだろうか?

 それとも跪き、かってに入ってきたことを詫びるべきか──?

 くすくすと、高貴で優雅な笑い声がした。


「そんなにかしこまらないでください。私は紫晶(ししょう)と申します。ここの管理を任されているだけで、たいした身分ではありませんから。貴方は……?」

「っ、明夏と申します」


 勢いよく頭を下げる。ちらりと窺うと、紫晶は武骨な鋼鋏を持っていた。どうやら薔薇の剪定をしていたらしい。足元の籠に、切られた薔薇の葉や花が小山を作っている。それを見て、ごくりと唾をのんだ。ためらったのは一瞬で、紫晶の視線をなんとなく避けて、もう一度頭を下げる。


「あの、紫晶様。もしご不要でしたら、そちらの薔薇の花びらを、いくらか頂いてもよろしいでしょうか?」

「こちらを? 構いませんが、いったい何に使われるのです?」


 紫晶は困惑したように足元の籠に視線を落とした。嫌がっているのではなく、単に「こんなごみを何に使うのか?」と不思議がっているようだ。


「料理に使いたいのです。実は今、後宮料理人になるための試験中でして、私は──」

「ああ! なるほど、外からいらした方でしたか。どうりで、普段はお見かけしないお顔だと思いました。しかし……お料理に使われるなら、こちらはよくありませんね」

「えっ?」

「しおれた花ばかりですし。粗雑に扱ってしまいましたから」

「いえ、決してそんなことは!」


 紫晶はやんわりと微笑み、奥の生垣に吊るしてあった白絹の小袋を取り出した。中には色形ともに整った赤薔薇の花が十本ほど入っている。


「こちらをお使いください。香水に使おうと思って、いくらか集めておりました。なるべく綺麗なものをよりわけておりますが、足りないようでしたら、いくらでも摘んでいってください。薔薇はいくらでもありますから」


 手渡された袋をそっと眺めてみる。白絹の袋自体に美しい刺繍がほどこされ、布は手触りも柔らかい。良い香りがするのは、袋自体に香が焚き染められているせいだろう。おそらくこの袋だけで、我が家の一か月分の収入にはなる。これほど精緻な刺繍の施された絹の袋を、ただ薔薇を運ぶためだけにもらっていっていいわけがない。薔薇だけを慌てて取り出そうとしたら、紫晶が押しとどめる。


「どうぞそのまま、お持ちください」

「でも──」

「お急ぎなのでしょう? 構いませんから」


 こうしている間にも試験は進んでいる。すでに若 賢星が呼ばれて自分の不在がばれているかもしれない。そう考えると、躊躇している場合じゃなかった。


「っ、~~っ、すみません。後で返しにきますから……!」


 勢いよく頭を下げると、紫晶は柔和な微笑みでちらりと門の外を眺める。ここまで案内してくれた青年が、紫晶の視線を受けてひくりと顔を引きつらせた。「はやく、はやく!」という風に門の外から手招いてくる。紫晶にお礼を言い足りない気分だったが、仕方がない。試験が終わったら、またここへ袋を返しにこよう。門の外からもう一度だけ頭を下げると、紫晶はどこか面白がるような瞳で、にこやかに手を振ってくれた。




 厨房へ戻ると、若 賢星の姿はなかった。厨房の奥、外廊下との境のあたりに全員が集まり、第四公子とすでに面会してきた少年の話を聞いていた。若 賢星も試験の様子を聴きにそちらへ向かったらしい。蒸し器の中をたしかめると、甘くふんわりした香りが広がっていた。出来栄えは上々だ。あとはこの見た目の悪い蒸し焼きを、美しく飾りつけるだけ──頼んでいたとおり、若 賢星は蒸し器のふたをもうひとつ用意しておいてくれた。竹製の蓋は、今使っている蒸し器の蓋とまったく同じ形状で区別がつかない。それを確認し、鍋で砂糖水を温める。材料を加え、色が変わってきたら火からおろし、長箸二本を台に並べて、その上に手早くたらす。動きは素早く、飴の流れが針ほど細くなるようにするのがこつだ──長箸二本の間で固まった飴は、透明な細い春雨に似た形でこんもりと小山をつくった。手でつかめるほどになった金色の細い飴の塊を、若 賢星に用意してもらった蒸し器の蓋の裏にそっと入れる。飴で軽く接着し、蓋をひっくり返しても飴が落ちないようにしておく。それが終わったら、いよいよ最後の仕上げだ。すべての準備を終えてひと息ついたとき、若 賢星がしかめ面で戻ってきた。真っ先に「どこに行っていたの?」と責められるかと思ったのに、その愛らしい瞳は困惑と怒りに揺れていた。口から洩れてきたのは怨嗟のような声だった。


「ここまで来て、こんなことになるとはね」

「どうかしたんですか?」

「駄目だった。これまで試験を受けた奴らは──第四公子が、どうやらひと口も料理を食べないらしい」


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