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若 賢星 2

「君、僕のことを知らなかっただろう? 反応をみればわかる。だからだよ」


 話している間も若 賢星の手はあざやかに動き続けている。鶏肉を食べやすい大きさに切り、鍋を用意し、湯を沸かす。鶏がらから出汁をとるのだろう。残った鶏の骨を鍋に入れ、塩を入れている。


「僕の家──若家は代々、宮廷料理の専門家でね。僕はその嫡男なんだ。父は宮廷の重臣・高氏の料理人で、その腕は国一番だといわれている。実際、父は後宮の厨房の指南役に何度も請われているんだよ。現役だから断り続けているけどね。幼い頃から僕は、その父の下で修練を積んできた。本来、こんな試験は受ける必要もないんだ。僕ほどの技量があれば、『後宮料理人にぜひ』と、誘いがかかるくらいなんだから」


 貴婦人のような白く細い手が、鍋に次から次へと野菜や香辛料を放りこんでいく。じゃがいも、人参、胡麻、唐辛子、にんにく、しょうが、香油──あっという間に鍋は具材でいっぱいになるが、若 賢星はまだ材料を入れ続けている。いったい何を作っているのか。とてつもなく良い匂いがして、思わず息を吸いこんでしまう。若 賢星は先ほどさばいた鶏を串に刺しはじめた。


「それでも試験を受けるのは、僕のことを妬む奴らがいるからだ。父の名前で後宮へ入ったとか、実力もないのにと陰口をたたく奴らは絶対にいる。そういう奴らの前で実力を示し、完璧に叩きのめすために、今日はここへ来たんだ。君と組んだのもそのせいだよ」

「──え?」


 うっかり若 賢星の手元に目を奪われていたので、はっとした。香ばしいたれの塗られた鶏肉が炭火であぶられはじめたところだ。焼き加減を調整する手をとめ、若 賢星は片眉をあげる。


「へたに僕に嫉妬している奴と組んだら、足を引っ張られかねない。その点、君は僕を知らなかった。僕のおかげで君は試験を受けられた。感謝はされても、悪い感情は抱かれてない。そうだろう?」

「はあ……まあ、そうですね」


 曖昧に頷いたのは、関心のすべてが若 賢星の手元に向かっていたからだ。こんなにおいしそうな料理は見たことがなかった。これが『宮廷料理』? 市井で見かけるどんな料理とも異なっている。上品で、繊細そうで、調理法と材料は複雑だった。ぐつぐつ煮えた鍋の汁は金色に輝いてみえる。すこしずつ火入れされた鶏肉は油をしたたらせ、香ばしい匂いをふりまいていた。朝からなにも食べていなかった胃が今になって、猛烈な食欲を訴えた。


 ──ひと口、味見させてほしい。

 ──ついでに作り方をぜひ教えてほしい。


 気がつくと、ふらりと彼のほうへ引き寄せられていた。正確には、とてつもなくおいしそうな料理のほうへと体が傾いていく。


「あの……」


 心の声が出かかったとき、若 賢星が怪訝な顔で身を引いた。その声は冬の井戸水のように冷たかった。


「君と仲良くするつもりはないよ。それを伝えたかったんだ。君……さっきから動いてないけど、いいの?」


 若 賢星は視線で背後を示した。他の少年たちは順調に料理を進め、すでに完成間近なものもいるようだ。急に自分がひどく場違いな場所にいる気がしてきた。みんな同じぐらいの歳なのに、すごく手際がいい。若 賢星はもちろん、他の子たちの作る料理も手がこんでいておいしそうだ。慌てて包丁を握り、野菜を切っていく。いつも家で作っていた野菜の包み焼を作るつもりだったが、自分の作る料理が他の子たちと比べるとひどく貧相に思えてきた。味に自信はあった。見た目は悪くなるかもしれないが、ひと口食べてもらえばおいしさは伝わるだろう。けれど、本当にこれでいいのか──? 


 明夏が得意としているのは飾り料理だ。今から作る野菜の包み焼は、食べるときに垂直に箸で切ると、中身の色鮮やかさが目立つようにするつもりだった。人参の橙色や青葱の緑色、茄子の紫色で簡単な文様を描き、目でも楽しめるようにする。包み焼の中に飾りを施すなら、華美さは十分におさえたことになると思う。それぐらいの彩りなら許されるだろう。本当はもっと凝った飾り料理を作りたかった。はっきり言って、野菜の包み焼は自分の技量をいかせる最善の料理ではない。せっかく試験を受けるなら、もてる最大限の力でのぞみたい。料理を目にした人がつい箸を伸ばしたくなるような──そんな驚きと感嘆を呼びおこすひと皿を提供するのが、飾り料理人の使命だと明夏は考えている。この場でそれができたら、どれほど素晴らしいだろう。飾り料理で自分の価値を証明することができたら。あとすこし、飾りつけを増やしてみようか。すこしだけなら──……。

 そのとき、太った肉まん役人が遠くから声を飛ばした。


「言い忘れたが、今日の試食会には第四公子も参加される。料理は質素かつ、滋養に富むものを作るのだぞ。くれぐれも! 華美な料理は避けるように!」


 煮えた油に具材を放りこんだように、調理場は一瞬で騒がしくなった。少年たちの顔は驚きと興奮で輝いている。第四公子がこの場にいる。自分が作った料理をこれから食べ、評価をくだすのだ。他の少年たちが喜びに浮き立つのとは反対に、明夏は動揺し、切り終えた野菜をざるごと落としてしまった。真横にいた若 賢星が「うわっ」と避け、眉をつりあげる。


「なにやってるんだよ!」

「すみません……!」


 かがんで拾い集め、洗いに行こうとすると、見かねたように止められた。


「まさかとは思うけど、それを第四公子の料理に使うつもりじゃないよね?」

「えっ? ちゃんと洗いますけど」

「一度落とした野菜を第四公子に出せるわけないだろ! 新しいものを取ってきなよ」

「えぇ? でも……落ちただけで捨てるなんて」

「馬鹿。それは後で自分たちが食べればいい。はやくしないと間に合わなくなるよ」


 自分の料理をほぼ完成させた若 賢星は、いっこうに進まない私の手元を焦れた様子で眺めている。面倒見が良いのか、せっかちなのかはわからないが、このままだと「僕が野菜を取ってくる!」と外へ飛び出していきかねない。慌てて建物の外へ出て、野菜の並んだ棚へ向かった。通りすぎざまに見た他の子たちの料理は、ほぼ完成していた。自分が一番出遅れていると思うと焦ってしまうが、「いや」と首を振る。


「これは絶好の機会なんだ。第四公子に気に入られて、なんとしても料理人として認めてもらわないと……!」


 第四公子が出した例のはた迷惑なお触れ──『料理に華美さがあってはならない』。あれをなんとしても撤回させる。そのために、まず彼に意見できるほど認められる必要がある。この試験には合格しなければならないのだ。あまり美しくはないが、華やかさをおさえた野菜の包み焼で試してみるしかない。そう意気ごみ青葱へ伸ばした手が、横からむんずと誰かにつかまれた。

 同じく試験を受けにきた少年の誰かだろうか。私が先にこの野菜をつかんだんだぞ、と睨みつけると、相手は弱りきったように眉をさげる。


「あれ? さっきの」


 迷子になったとき、ここまで案内してくれた青年だった。美しい「不死鳥」の金刺繍のある白衣を着た青年だ。「睨まないで」という風に、明夏の腕をつかんだまま肩をすくめている。陽の光に柔らかな茶色の猫毛がきらきら輝き、蜂蜜色の瞳が困惑したように揺れている。青年はなにかを伝えるようにハクハク口を動かし、首を振る。相変わらずその声は聴こえないが、なんとなく「この葱はやめろ」と言われているような気がした。そっと青葱から手をはなすと、安堵の微笑みを浮かべて青年もつかんでいた手を離す。


「……韮にしようかな」


 すぐ隣の青野菜に手をのばすと、また青年が慌てて止める。


「えっと、なんですか?」


 青年は喋れないのか、必死に無音で何かを伝えようとしてくる。通じないとみるや、手を動かしはじめた。指を四本折り、自らを何度もさし示す。四……?


「ひょっとして──第四公子?」


 青年がほっと息をつき、微笑んだ。笑った顔は機嫌のよい大型犬のように見えなくもない。その笑顔の意外な愛らしさに一瞬気をとられてから、自分が口走った単語を口内で味わい、はっとする。


「まさか、あなたが、第四公子!?」


 そういえば、青年の着ているものは異様に豪華だ。慌てて身をひくと、青年は失望したように首をぶんぶん振る。違うのか。四の指の動きまではわかったが、その後がなにかわからない。こうなったらあてずっぽうでいくしかない。青年は野菜を示し、自分の口元を何度も覆う。懇願するような目は必死な色をおびていて、なんとかして理解してあげなければという気にさせられる。こんなことをしている場合じゃないのに──。


「っ、わかった! 第四公子は野菜嫌い!」


 何度目かの問答の末、青年は顔を輝かせて頷いた。きっと彼は第四公子のことをよく知っているのだ。


「なら、人参は? え、人参もだめ?」


 第四公子はどうやら、ほぼすべての野菜が嫌いらしい。順繰りに野菜を示していって、青年がことごとく首を振るのでびっくりした。包み焼を作るなら、野菜を使わないなんて無理だ。どうしよう──悩んでいた目がふと、別の棚にとまる。上物の砂糖と小麦粉がふんだんに置かれた棚だ。甘味をつくる人はあまりいなかったのか、材料は大量に残されている。


「甘いものは?」


 青年の顔が見るからに明るくなる。何度も頷くのをみて確信した。たぶん、第四公子は甘味が大好き。

 背後で鐘の音が甲高く鳴り、小骨が喉に刺さったようにびくついてしまった。振り返ると、外廊下を太った肉まん役人と、料理人志望の少年がふたり歩いていくのがみえた。出来上がった順ではやくも試食が始まるらしい。今から作れば、自分の順番は最後になるだろう。どうせなら甘味のほうが食後のおやつとして受け入れられやすいかもしれない。今から時間をかけずに作れる甘味は──考え、ひとつ閃いた。あれなら、満腹でもあっさりして食べやすいし、なによりすぐに作れる。けれど見た目はあまりよくない。飾りを施すのも難しいし、繊細な焼きごてを今から用意するのは無理がある。せめてもっと時間があれば……。


 青年に横から不安そうに見つめられ、微笑んだ。結局、自分が最終的に考えているのは、料理の見た目のことなのだ。最初に包み焼を作ろうと考えたのも、中に緻密な模様を描きだせると思ったからだ。料理人はまず味や栄養を考えがちだが、食べる人が一番影響を受けるのは、意外と料理の見た目だったりする。照りや造形、匂い、色──それらの情報が料理の初対面での印象を決めてしまう。おいしそうな見た目は食欲を刺激し、味わいを何倍にも深めてくれる。そういった意味では、飾り料理はすべての料理のなかで、もっともすぐれているといえるだろう。五感に訴え、食材の印象を何倍にも高められる。非常に大きな可能性を秘めているのだから。そして自分は飾り料理人だった。できることも、やりたいことも自然とそちらへ傾いてしまう。

 厨房へ戻ってきた肉まん役人が、大声で注意していた。


「くれぐれも、華美な料理は避けるように! 細かな飾りなどいらぬ。第四公子の機嫌を損ねたら、罰を受けることになるぞ!」


 時間切れを気にしているのか、隣に立つ青年は不安そうにちらちらと厨房のほうを眺めている。ふうっと息を吐き、気持ちを整える。ひとつ瞬いた後には覚悟ができていた。


 ──思うようにやってみよう。料理人として、最高に良いと思うものを提供すればいい。


 やることが決まると、心が綿あめのように軽くなってくる。小麦粉と砂糖を軽々と抱えて、青年に微笑みかける。


「あなたにひとつ、お願いをしてもいいですか?」


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