疫神
「間者……?」
自分の口はぽかんとあいていただろう。言われたことの意味がわからなかったし、初めて目にする第四公子の姿に圧倒されていたからだ。
その傲慢な美しさに。
「とぼけるな。貴様にはこやつが視えるのだろう?」
ふん、と視線で白衣の青年を示した第四公子は、気だるげに脇息にもたれかかる。衛生が御簾を引き上げると、眩いばかりの第四公子の姿があらわになった。
黒髪を結い上げずに後ろへ流した同じ歳ぐらいの少年が、自信たっぷりの笑みを浮かべている。陽に当たったことが一度もなさそうな白い肌、完璧な曲線を描く眉、猫のように大きな目。微笑む口元は自信と驕りで武装しているようにみえる。初めて若 賢星を目にしたとき、「これほど美しい人は見たことがない」と思ったが、人間の美には種類があるのだとこのとき、明夏は痛感させられた。若 賢星が「儚げで壊れそうな繊細な美」だとすれば、第四公子は「大輪の赤薔薇のように驕る美」だ。脇息にだらしなくもたれかかった麗人は、みせつけるように笑っている。表情ひとつで性格がこれほどわかる人も珍しいのではないだろうか。傲慢で、自信たっぷりの我がまま公子──そうとしか見えない。こちらの反応をどうとったのか、第四公子は一段高い位置から許しを与えるような瞳になる。慈愛すら感じる声が優しく響いた。
「ふん。存分に見惚れるがよい。我こそ、玫瑰の主、夜香夢の写し身にして、美の化身、国一番の麗しの第四公子、華麗であるぞ」
その言葉を聞いた瞬間、残念感がすべての美点を上回った。この人は──たぶん喋らないほうがいい人だ。黙っていれば、まだ「自信ありげな美しい公子」で通せるのに、口をひらいた途端にうぬぼれの強さが美しさを台無しにしてしまう。本人は得意げにしているから、いつもこうなのかもしれない。
第四公子──華麗という名前らしいが、彼のすぐ隣で白衣の青年がなにかを言っている。それを聞いた華麗の笑みがむっとしかめられる。いったい何を話しているのだろう? どうして華麗も衛生も、白衣の青年が何を言っているのかわかるのか。衛生がちらりと視線をよこし、「声は聴こえていないようですね」と頷いている。白衣の青年を手で示し、衛生は教えてくれた。
「こちらの御方は、鳥酔様です。常人であれば、姿を視ることはそもそもできないのです。鳥酔様は人ではありませんから」
「はい?」
人ではない? 白衣の青年はどうみても人間にみえる。触ったときの手は暖かかったし、感触もあった。人でなければなんだというのか?
「鳥酔様の姿が視えるのは、ごく限られた人のみです。直系皇族か、あるいは、特別な『雫石』を与えられたものだけです。雫石があれば、皇族でなくても鳥酔様の姿を視ることはできます。あなたは皇族ではない──つまり直系皇族の誰かから、貴重な雫石を与えられたということです。そしてそれはあなたが、間者だということを意味しています」
「はっ!? ち、違います、私はただの料理人で、間者なんかじゃ……それは蜜柑と檸檬ぐらい差のある誤解です!」
「蜜柑?」
衛生が不審そうに首をかしげる。そのとき、ふとひらめいた。もしかしたら。
「えっと、ちょっと待ってください。普通の人には視えないって、じゃあその人は、まさか、幽霊……?」
自分で口にした言葉の響きに、氷を思い切り食べた後のような寒気がした。めったにあることではないが、私は時々、幽霊を見ることがある。町中でも、人でないものの姿を見かけることはままあった。たいていは薄暗い角で立ち止まっていて、死んだときの状態で血を流しているから、そういう不気味なものには近づかないようにしていた。長兄が私と同じ体質だったので、そういうものと出くわしてしまったときの対処法について色々と教えてくれた。いわく、「無視しろ。関わるとろくなことがない」と。けれど、どう考えてもあの白衣の青年は幽霊じゃなさそうだ。幽霊は人に触れられないからだ。何度か彼らに触られそうになったことがあるが、儚い指は体を通りぬけていった。生きたものに彼らが触れることはできない。でもあの白衣の青年には触れることもできたし、あの手は暖かかった。
華麗が器用に片眉だけをあげ、口をはさむ。
「幽霊ではない。こやつは疫神だ」
華麗の気だるげな視線を受け、衛生がつらつらと話しはじめる。
「この場所──後宮は、巨大な霊脈の上に建てられています。莫大な力の上に何百年と時を重ねてきた大木や石たちは、自我をもつようになり、彼らは後宮内を人の姿で歩き回っています。彼らは疫神と呼ばれています。その多くは力もなく、ただ後宮内に棲みつくだけですが、こちらの鳥酔様は違います。莫大な力を持ち、華麗様を守護しておられます」
唖然と白衣の青年──鳥酔をみると、へらりとした笑みで片手をあげてよこした。どうみても普通の人間にしかみえない。町の屋台の間をぶらぶらしていそうな、気軽な青年だ。着ているものはあり得ないくらい豪奢だし、顔立ちも整ってはいるが、人でないものの要素はどこにも感じられない──私は考えをまとめながら話した。
「それで、その疫神がいるとして。どうして、私が間者だなんて話になるんです?」
衛生はさも当然のことを訊かれた、という風に首をかしげる。
「華麗様を毒殺するには、鳥酔様の目を逃れる必要があるからです。どこで監視されているかもわからないのに、料理に毒を盛ることなどできないでしょう? 鳥酔様を視ることができれば、暗殺は容易になります。疫神を視るには雫石が必要です。あなたがそれをどこの誰から手に入れたかはわかりませんが──」
「私は毒なんて入れません!」
その場の全員がびっくりするほど大きな声が自然と出ていた。怒りでふつふつと腹の底が煮える。顔が熱くなっているのがわかった。なんてひどい侮辱だろう。怒りを抑えるべきだと思ったが、押し流されるように喉の奥から言葉が出てきて止まらない。
「私は料理人です。そんなことをするくらいなら死んだほうがましです!」
「口ではなんとでも言えるものです」
衛生は冷ややかなまなざしだったが、華麗は違った。面白がるような光がその瞳にちらつく。白衣の青年は変わらず声もなく、衛生になにかを喚いていた。声が聴こえないので会話の内容はわからないが、衛生は難しい顔になる。どうやら白衣の青年は、私をかばってくれているらしい。
「けれど、完璧に疑いが晴れたというわけでは──」
「もういい」
金の扇をぱしりとたたみ、華麗が立ちあがる。
「こやつの言葉に嘘はなさそうにみえる。なぜ疫神の姿が視えるかは知らんが、ちょうどよかろう」
「そう簡単に信じてしまってよいものでしょうか?」
「小鳥も『信じろ』と言っておる」
「……鳥酔様のご判断こそ、拙には疑わしく思えますが」
衛生のじと目を受け、白衣の青年は憤慨したように地団駄を踏む。まるで子供が駄々をこねているようだ。華麗はそんな鳥酔と衛生のしかめ面を交互にみて、疲れた表情になる。よくみると顔色は青白く、目の下には隈が浮いている。華麗の口調には、たしかになんらかの体調不良を感じさせる疲弊があった。
「薄味の麺ばかりの生活にはもう飽いたのだ。そろそろまともなものを食わんとな」
衛生がものすごく不満そうな顔をしたが、彼はなにも言わなかった。華麗はこちらへ向き直り、やや強張った笑みをのぞかせる。傲慢さの影に、疲れと弱みを瞬時に隠していたが、明夏の目にも彼は疲れきっているようにみえた。
「我は信用のおける料理人を探しておる。明夏とやら、我専属の料理人として働いてはくれぬか? もちろん、望みは可能なかぎり聞き入れてやる」
「──では、『料理に華美さがあってはならない』という例のお触れを、撤回してくださいますか?」
あのお触れが出たせいで、飾り料理屋の家業は傾いた。長兄たちもそのお触れさえなくなれば、また実家へ戻って料理人として働ける。華麗はあっさり頷いた。
「わかった。すぐに撤回させよう」
軽々と了承を得たことが信じがたくて、思わず二度見してしまった。華麗はうっとうしそうに眉をひそめる。
「なんだ。我は嘘はつかんぞ」
「あの……そもそもなんで、そんなお触れを出されたんです?」
『料理に華美さがあってはならない』──それはまるで意味不明なお触れだった。今の皇帝は倹約主義だからそんなお触れが出されたのかと思ったが、この後宮をみればわかる。ここは十分に豪華だ。料理に細かくけちをつけるほど、倹約主義に走っているようにはとてもみえない。そもそも、「華美さを取りのぞけ」という対象が料理だけというのもおかしい。市街で定期的に行われる祭りや繁華街の大店ほうがずっと華やかなのに、そちらは何も言われていないのだ。真っ先に取り締まられそうな遊興街は放置され、どうして料理だけに厳しく制限をかけたのか?
気だるげに息をついた華麗の視線を引き取り、衛生が重たげな口調で話す。
「ふた月前、華麗様のお食事に毒が混入されたのです」




