第二十三話:王家の血と古の試練
私たちの目の前に、青白い光の壁が、絶対的な拒絶の意思となって立ちはだかる。
それは、ただの魔法ではない。この砦が、築城されてから数百年もの間、その心臓部を守り続けてきた、古代の守護結界。その圧倒的な魔力の前に、私たちは、なすすべもなかった。
「……駄目だ。これは、我々が手を出せる代物ではない」
カイさんが、結界に触れることなく、その魔力の流れを読み取ろうと試みて、弾かれたように一歩後ずさった。彼の顔には、初めて見る、焦りと、ほとんど諦めに近い色が浮かんでいる。
「桁が違いすぎる。この砦を築いた、初代国王クラスの、純粋な守護魔法だ。呪具師の小細工など、通用する相手ではない」
カイさんの口から漏れた、絶望的な言葉。ゴードンも、その圧倒的な存在感を前に、ただ唇を噛みしめることしかできない。
父への道は、すぐそこに見えているのに。その最初のたった一段が、あまりにも、あまりにも、遠い。
カイさんでも、ゴードンでも、ダメだというのなら……。
その時だった。
私だけが、この結界から、彼らとは違うものを感じ取っていた。
カイたちが感じる、触れることさえ許さない「拒絶」の気配とは別に、私の心の奥底に、厳かで、どこか懐かしいような、「呼び声」が、微かに響いていたのだ。
それは、私の内に流れる、王家の血にだけ反応している、結界の「声」だった。
「……カイさん、ゴードンさん。下がっていてください」
私の静かな言葉に、二人が、はっとしたように私を見た。
「ここは、私が」
フードの中に隠れていたリヒトが、「おい、リリアーナ! 無茶だ!」と悲鳴のような声を上げる。だが、私は、もう迷わなかった。これは、私が向き合うべき試練なのだと、魂が理解していた。
私は、一人で、ゆっくりと光の壁へと近づいていく。
そして、その光のカーテンに、そっと、手を触れた。
激しい反発はない。ただ、ひんやりとした、けれど不思議と優しい光が、私の手を受け入れ、私の心を、私の魂を、探るように、内側へと染み込んできた。
私は、力で突破しようとするのではない。これまで培ってきた力で、この偉大な結界の「心」と、対話を試みる。
(私は、この国を築いた初代国王の血を引く者、リリアーナ・フォン・クラウゼル。偽りの支配から、国を、そして、この砦に囚われた私の父を救うために参りました。どうか、道をお開きください、古の守護者よ)
私の想いが、結界へと伝わる。
すると、結界は、さらにその輝きを増し、私の心の中に、直接、重々しい問いを投げかけてきた。
『――汝、王家の血を引く者よ。汝の覚悟、真なるものか?』
その声と共に、私の意識は、光の中に呑み込まれた。
目の前に、幻影が広がる。そこは、断罪された、あの王城の大広間だった。クロード殿下の冷たい声、アネットの偽りの涙、貴族たちの嘲笑が、現実よりも鮮明に、私を苛む。
『汝、この者たちを憎むか? 汝の力、復讐のために使うか?』
結界の声が、私の覚悟を試してくる。
私は、幻影のクロード殿下とアネットを、真っ直ぐに見つめた。
(ええ、憎い。心の底から。けれど、私のこの力は、彼らへの復讐という、小さな目的のためにあるのではありません。私の力は、この国に生きる、名もなき民のために。彼らの笑顔を取り戻すためにこそ、使うのです)
私の答えに、大広間の幻影が、すっと消える。
次に現れたのは、『月影の道具店』だった。リヒトや、他の道具たちと、笑い合いながら掃除をしている、温かい日常の光景。
『王家の血を引く者が、かくも卑しき者らと交わるか? これが、汝の誇りか?』
結界は、貴族的な価値観で、私を揺さぶってくる。
私は、幻影の中の、おしゃべりなティーセットたちを見て、心からの笑みを浮かべた。
(彼らは、決して卑しくなどありません。一つ一つに、心があり、物語がある。彼らは、絶望の淵にいた私を救ってくれた、かけがえのない仲間たち。私の、誇りです)
その答えと共に、店の幻影も消え去る。
最後に現れたのは、昨夜の、険しい崖道だった。ゴードンに導かれ、カイに支えられ、必死に進む、私たち自身の姿。
『王とは、頂点に立つ孤高の存在。汝は、なぜ、他者を頼る?』
私は、幻影の中の、カイさんとゴードンの、頼もしい背中を見つめた。
(孤高の王に、民の本当の痛みは分かりません。支え、支えられること。信じ、信じられること。それこそが、真の強さだと、私は、仲間たちから学びました。私は、孤高の王にはなりません。仲間と共に、国を支える礎となる。それが、私の選んだ道です)
私の、揺るぎない答え。
それを聞いた瞬間、全ての幻影が、光の粒子となって消え去った。
気がつくと、私は、再び、砦の中央階段の前に立っていた。
目の前にあったはずの、青白い光の壁は、跡形もなく消え去っている。代わりに、その光の残滓が、まるで祝福するかのように、私の体を、きらきらと包んでいた。
『……良し』
結界の、満足げな声が、私の心に響く。
『汝の覚悟、汝の器、確かに見届けた。汝こそ、この血脈を継ぐにふさわしい。進むがよい、リリアーナよ』
上階へと続く道が、開かれたのだ。
カイさんも、ゴードンも、目の前で起きた奇跡に、ただ、呆然と立ち尽くしている。
だが、これで終わりではなかった。
全ての光が消え去る、その間際。
最後の囁きが、私だけに、聞こえた。
『……だが、気をつけよ。この砦に眠るは、汝の父だけにあらず。偽りの月が求める、古の"災厄"もまた、その目覚めを待っている……』
古の、災厄……?
その言葉の真意を問う前に、結界の気配は、完全に消え去っていた。
父以外にも、この砦には、何かがある。そして、アネットは、それを狙っている……?
新たな、そして、より不吉な謎。
私は、その言葉の意味を胸に刻みつけながら、静かに、しかし決意に満ちた表情で、開かれた階段を、見上げた。




