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第十八話:北の村と頑固な猟師

『月影の道具店』を出発してから、二日が過ぎた。

私たちの三人旅は、決して楽なものではなかった。店の周りの穏やかな森を抜けると、道は次第に険しい山道へと姿を変えていく。


「おい、リリアーナ! 足元が悪いぞ、気をつけろ!」

「ありがとう、リヒト。あなたこそ、しっかり捕まっていてね」


私の肩の上で、リヒトが甲斐甲斐しく(そして口うるさく)辺りを警戒してくれる。

夜は、焚き火を囲んだ。カイさんが、道端の植物を指しては「これは、傷に効く薬草です」「このキノコには幻覚作用がある」と、実践的な知識を教えてくれる。その横で、リヒトが「ふん、俺様は食べ物なんざなくても、紅茶さえあれば生きていけるがな!」と強がって見せる。


二人とのやり取りは、旅の厳しさを忘れさせてくれる、温かい時間だった。この世界の広さと、その中での自分の非力さ、そして、信頼できる仲間といるという確かな手応え。その一つ一つが、私の心を強くしていくのを感じる。


そして、旅立ちから三日目の昼過ぎ。

険しい山道を抜けた私たちの目の前に、ようやく、一つの村が見えてきた。北の厳しい自然に耐えるように、石と固い木材でできた家々が、肩を寄せ合うように建ち並んでいる。村の背後には、天を突くように、黒い岩肌を晒した巨大な要塞がそびえ立っていた。


『黒岩の砦』。

あの場所に、父が。そう思うだけで、胸が締め付けられる。


私たちは、計画通り「薬草を探しに来た、旅の兄妹」として、村へと入った。

『霧氷の関』と名付けられたその村は、どこかよそよそしく、重苦しい空気に包まれていた。道行く人々は皆、表情が硬く、私たちの姿を、詮索するような、警戒するような目で見つめてくる。砦の麓という場所柄か、あるいは、アネットの悪政の影響が、こんな辺境の村にまで及んでいるのか。


私たちは、村で唯一の宿屋に、部屋を取ることにした。

ぶっきらぼうな宿屋の主人に、私は、それとなく尋ねてみた。


「あの、お聞きしたいのですが。この村に、薬草にとても詳しい、経験豊富な猟師の方がいらっしゃると聞きました。ゴードンさん、というお名前だったかしら?」


私の問いに、主人は、怪訝そうな顔でこちらをじろりと見た。


「……ゴードンの爺さんにか。あんたたちみたいな、ひょろっとした兄妹が、あの偏屈爺さんに何の用だ?」

「珍しい薬草のことで、ぜひ、お知恵を拝借したいのです」

「ふん……。爺さんなら、村はずれの森の入り口にある、古い小屋に一人で住んでる。だが、無駄足になるだけだぜ。あの爺さん、この村の者とも、もう何年も口を利いちゃいねえ。ましてや、旅の人間を相手にするわけがねえよ」


宿屋の主人の言葉は、棘を含んでいたが、貴重な情報だった。私たちは礼を言うと、教えられた通り、村はずれの小屋へと向かった。リヒトは、怪しまれないように、私のマントのフードの中に、そっと隠れている。


森の入り口に、その小屋はあった。煙突からは、細く煙が立ち上っている。私たちが扉を叩くと、中から、しゃがれた、不機嫌そうな声がした。


「誰だ! 今は猟の時期じゃねえ! 何も売るもんはねえぞ!」

「突然申し訳ありません。ゴードンさんにお話を伺いたく、参りました」


私がそう言うと、扉が、ギィ、と音を立てて少しだけ開いた。隙間から覗いたのは、白髪混じりの髭に覆われた、険しい顔。そして、獲物を射抜くような、鋭い眼光だった。


「旅人か……。帰った、帰った! 俺は、お前たちのようなヒヨコに話すことなど、何一つねえ!」


ゴードンは、そう言って、ぴしゃりと扉を閉めようとした。

その瞬間、私は、カイさんの助言を思い出し、覚悟を決めた。私は、閉まりかけた扉の前に進み出ると、彼の小屋の壁に、そっと手を触れた。そして、意識を集中させる。


(この小屋の記憶……。ゴードンさんの、記憶……)


流れ込んできたのは、長い年月の、孤独な暮らしの記憶。そして、その奥底に、大切にしまわれている、一つの鮮やかな思い出。


「……お待ちください、ゴードンさん」


私の静かな声に、扉を閉めようとしていた彼の動きが、ぴたりと止まった。


「貴方が、二十年以上も、片時も離さず手入れを続けている、その古い猟銃。それは、貴方のお父様の、大切な形見なのでしょう?」


私の言葉に、扉の隙間から見えた彼の目が、驚きに見開かれる。


「そして、その銃で、若い頃、巨大な黒熊に襲われたことがおありになる。死を覚悟した貴方を、偶然通りかかった一人の貴人が、その身を挺して助けてくれた。その方の名は……クラウゼル公爵、と。その記憶が、この小屋の柱に、貴方の銃に、深く、深く、刻まれています」


私がそう告げると、ゴードンは、まるで雷に打たれたかのように、その場に立ち尽くした。

やがて、彼は、ゆっくりと、扉を完全に開けた。


「……あんた、は……一体、何者だ……?」


小屋の中へと招き入れられた私たちは、そこで初めて、自分たちの素性と、この村へ来た目的を明かした。父の娘である私が、父を救うために来たのだと。私のフードからひょっこり顔を出したリヒトの姿を見て、彼が腰を抜かしそうになったのは、ご愛嬌だ。


ゴードンは、私の話を、一言も漏らさず、食い入るように聞いていた。そして、全てを話し終えた私を、その鋭い目で、じっと見つめた。その瞳に宿っていた険しさは、いつしか、深い尊敬の念へと変わっていた。


彼は、その場に、ゆっくりと片膝をつくと、私に向かって、深く、深く、頭を下げた。


「……姫様。リリアーナ姫様。よくぞ……よくぞ、ご無事で。そして、このような辺境の地まで……。あの時の御恩、このゴードン、片時も忘れたことはございません。この命、今こそ、姫様と、公爵閣下のために、お使いくだされ」


その声は、武骨だが、揺るぎない忠誠心に満ちていた。

私たちは、ついに、最初の、そして最も重要な協力者を得ることができたのだ。


「地下水路の入り口なら、知っております」と、ゴードンは顔を上げた。「ですが、そこへたどり着くには、まず、砦の監視の目を潜り抜けねばなりません。入念な準備が必要です。明日の夜、改めて、この小屋へお越しください。全ての計画を、そこで」


その夜、宿屋の一室。

私は、窓から見える、夜の闇に黒々とそびえ立つ『黒岩の砦』を、静かに見据えていた。その隣に、いつの間にかカイさんが立ち、同じように砦を見上げている。肩の上では、リヒトが、いつになく真剣な表情で、敵の本拠地を睨みつけていた。


「いよいよ、だな」と、カイさんが静かに言う。

「ふん、あんな岩山、俺様にかかれば、屁でもねえぜ」と、リヒトが強がる。


私は、二人の仲間の存在を、心強く感じながら、静かに頷く。

「ええ。ここからが、本当の始まり」


三人の影が、部屋の明かりに照らされ、壁に長く伸びる。その影は、まるで、これから挑む巨大な砦のシルエットと、重なり合っているかのよう。

偽りの月が支配する夜を終わらせるための、本当の戦いが、今、この北の地で、静かに幕を開けようとしていた。

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