プロローグ:偽りの断罪、そして雨の森の片隅で
磨き上げられた大理石の床に、居並ぶ貴族たちの嘲笑が冷たく反響する。豪華なシャンデリアの光が、やけに眩しく感じられた。
「リリアーナ・フォン・クラウゼル! 貴様の嫉妬深く邪悪な行いは、もはや見過ごせぬ!」
私の名を呼んだのは、昨日まで愛を囁いてくれていたはずの婚約者、クロード王太子殿下。その声は氷の刃のように私の心を突き刺した。彼の隣には、今にも泣き出しそうな表情で寄り添う男爵令嬢アネットの姿。彼女の瞳の奥に、一瞬だけ嘲るような光が宿ったのを、私は見逃さなかった。
階段から突き落とそうとした? アネットのドレスをズタズタに引き裂いた? 次々と挙げられる罪状は、どれもこれも聞き覚えのない、あまりに稚拙な言いがかりばかり。
「お待ちください、殿下。それは全て偽りです。私がそのようなことをするはずが…」
「黙れ!」
縋るような私の言葉は、クロード殿下の一喝によって遮られた。かつて私の髪を優しく撫でたその手は固く握りしめられ、私を見る瞳には侮蔑の色だけが浮かんでいる。ああ、もうこの人の心には、私の言葉など届きはしないのだ。
父も母も、政敵の罠にはまり遠方へ追いやられている。この場で私の無実を証明してくれる者は、誰もいなかった。貴族としての誇りを胸に、背筋を伸ばして彼らを睨みつけるのが、私にできる唯一の抵抗だった。
「…貴様との婚約は、ただ今をもって破棄する! その大罪、万死に値するが、我が慈悲をもって国外追放に留めてやろう!」
その宣告を最後に、私は衛兵に両腕を掴まれ、引きずられるように広間を後にした。絹鳴りのする豪奢なドレスは乱暴に引き剥がされ、代わりに渡されたのは、ごわごわとした肌触りの粗末な旅人服一着のみ。栄華を極めた公爵令嬢の、惨めな終焉だった。
*
王都の分厚い門が、背後で無慈悲に閉ざされる。降り始めた冷たい雨が、容赦なく私の体を打ちつけた。土砂降りの雨は、まるで世界中が私の不幸をあざ笑っているかのようだ。
当てもなく、ただひたすらに歩き続ける。ぬかるんだ道に足を取られ、何度転んだだろう。泥に汚れたドレスの裾、空腹で鳴るお腹、雨で体温を奪われていく体。鉛のように重い足取りで、それでも私は歩いた。生きるためではない。ここで立ち止まってしまえば、本当に惨めな自分を認めてしまうことになる。その一心だけで、足を前に進めていた。
楽しかった王太子妃教育の日々。クロード殿下と交わした他愛のない会話。庭園で咲き誇っていた美しい薔薇。全てが遠い昔の夢物語のようだ。
陽が傾き、空が茜色から深い藍色へと変わる頃には、怒りも悲しみも通り越し、心の中は空っぽになっていた。もう、どうなってもいい。
その時だった。
深い森の霧の中に、ぽつんと温かなランプの光が揺れているのが見えた。まるで闇夜に浮かぶ小さな月のようだ。
何かに引き寄せられるように、ふらふらと光の方へ歩み寄る。そこに佇んでいたのは、まるで何百年も前からそこにあったかのような、古びた一軒の店だった。蔦が壁を覆い、屋根には苔が生えている。だが、不思議と廃屋のような陰気さはなく、窓から漏れる光は温かく、訪れる者を拒んでいないように感じられた。
風雨に晒された木の看板には、優美な筆記体でこう書かれている。
――『月影の道具店』――
怪しい店だ。そう頭の片隅で警鐘が鳴る。けれど、今の私に失うものなど、もう何もない。私は震える手で、扉についていた猫の形の真鍮のノッカーをそっと握り、重厚な木製の扉を押した。
キィ……と、長い間忘れられていた歌のような、どこか物悲しい音を立てて、扉がゆっくりと開く。
中から流れ出してきたのは、古い木とインクの匂い、そして、微かに甘い焼き菓子のような不思議な香りだった。
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