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ゲブラさんの価値観シリーズ

よく分からん日本の仏教の在り方 ―― 無宗教人間から見た不可解さ

作者: エンゲブラ
掲載日:2025/04/27

戯言として聞き流してくれてOK。

仏教が何たるかなんて、分かっちゃいないからね、筆者は。



実によく分からん。

無宗教の人間から見れば、この国の仏教・寺は矛盾に満ちている。


昨日、何年か前に亡くなった叔父の墓の納骨に立ち会った。

叔父も無宗教だったので、親族も宗派は考えず、適当な近場の寺へ。

お経を読んで、焼香フィニッシュ。

時間にすれば、何分だったか。


葬式をする。

四十九日をする。


四十九日は、死後七日ごとに裁きを受け、四十九日後に「転生先」が決まるという中陰と呼ばれる期間。大人になり、色んな葬式に参加してみると分かるわけだが、告別式の当日にショートカットして初七日まで行う葬儀もけっこうある。


まあ、なんだって良いんだが「四十九日という儀式」が済めば、そこで死者の魂は「転生手続き完了」という塩梅となる。―― はずだよな?



しかし、よく分からないのが、墓や法事、供養という概念。

墓や法事が、たまに故人の事を思い出し、人々が集まる装置として、有効なのは理解も出来る。ただ、寺などでの「供養」てやつが、よく意味が分からない。


お盆にしても、そうだ。

先祖の霊が返ってくる?

いやいや、先祖はいつ「輪廻に失敗」したんだ?

じゃあ、「四十九日って何のためにしてるんだ?」となる。


毎年「死者を呼び戻す」たびに「次なる生」へと故人を向かわせない足枷(あしかせ)をはめ直す。死んだ後くらい自由にさせてやれよ、というのが、筆者の率直な感想か。



さて、ガチのインド仏教について。

発祥の地であるインドの仏教では「死、即輪廻(りんね)」という設定。死と生は「連続するもの」であると考えられており、いわゆる四十九日という概念もない。インドにも、仏塔(ストゥーパ)と呼ばれる墓に似たものが存在するが、これは徳の高かった僧などを偲ぶのに建てられる巡礼の塔。供養の儀もするようだが、墓とは少々味わいが違う。


死ぬと即輪廻するという概念でいえば、チベット仏教のダライ・ラマの例が、一番面白い。ダライ・ラマの死の間際から僧侶たちが予兆を探り、占いを行う。そして、ダライ・ラマが死んだ「その日に生まれた子ども」の中から()()()()()()()()を決める。死と生は連続しており、転生も死と同時に発生するといったところか。



こうやって調べると、いかに日本の仏教が馬鹿らしいかがよく分かる。さすがに「原典を歪め過ぎだろ?」と。それはおそらく「仏教が伝来する過程」にも関係のあることなのだろうが。


確実にいえることとしては、中国の道教、韓国の宗教などの儀式も、仏教が伝来する過程で()()()()()()ということ。そして、この国に元々あった土着神道とさらに混ぜ合わせる「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」があり、今の寺の思想、ジャパニーズ仏教の原型みたいなものが産み落とされていく。


うん、いい加減にしろよ。

キリスト教もそうだが、原点から大きく歪め過ぎだろ。

祭事に関わる連中の強欲さに合わせて。


儀式は儲かる。

付け足せば、付け足すほど。

しかし、四十九日後の先祖供養ってのは、さすがに論理破綻が過ぎないか?


故人を偲び、たまにみんなが集まること自体は全然かまわないが、そこに訳の分からない設定を乗せないで欲しい。


「死者との感情の切り離し」には、儀式は確かに有効だ。いつまでも死者のことを引きずって生きていくのは、あまりにもしんどいから。だが、即日お別れでは味気がないから四十九日。これもまあ、分からんでもない。しかし、その後も寺が立ち会って何周忌だの言って、経を読むのは何のジョークだ?


葬式などの儀式は、その性質上、死者のためにではなく「生者のためにある」装置という色合いが濃いわけだが、それにしても、その後にまで当たり前な顔をして、金を求めてくる寺の姿勢には、さすがに呆れが来る。


坊さんの坊主頭は、欲まみれの象徴か?。

先祖や神の祟りを利用し、遺族の「精神的な人質」を取る。

しかし、本来の仏教概念なら、死者はとっくの昔に輪廻転生を完了している。


だから、四十九日が済んでまで、厳かな気持ちで儀式に参加している親戚たちを見ていると、カルトに入信した人間のようにも見えてきて、少し悲しい気持ちにもなった昨日の話。


まあ、そんな顔は微塵も見せず、真面目な顔で参加してきたわけだが。

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― 新着の感想 ―
「お寺から言われているから、百回忌をしなきゃと思っている。ご先祖様のおかげで今の私達があるんだし。」 とある親戚から、そう言われた時に唖然としました。 百回忌の相手なんて、誰も本人に会った記憶なんて…
ん〜と… こちら側(現世)の言い分と、あちら側(あの世)の言い分は違うみたいだよ(笑 こちらであげるお経をこちら側の人が聞くと意味ないものに思えるけれど、 あちらで聴くお経は、こちらで聴くクラシッ…
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