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第8話 : 出会 [1]

 一日が過ぎ、学校に着いた栞奈は、すぐにでも文芸部に行きたかった。しかし、授業の時間が迫っており、それどころではなかった。


 図書館の前を通りかかったとき、文芸部のビラが目に入った。


 栞奈は、気持ちを抑えきれず、ビラに書かれた番号に電話をかけた。


 焦る気持ちを落ち着けるように、深呼吸しながら呼び出し音を聞いた。


 呼び出し音が数回鳴った後、ようやく電話がつながった。


 一呼吸おいてから、栞奈は話し始めた。


「もしもし? こちらは文芸部ですか?」


 応対した桃香の声には、わずかな警戒心と落ち着きが感じられた。


「はい、そうですが、どちら様でしょうか?」


 声の調子には、ほんの少しだけ関心の色が感じられた。


「文芸部に入りたいのですが、どうすればいいですか? 試験などはあるのでしょうか?」


 桃香はまだ、電話の相手が誰か確信が持てなかった。特に期待していたわけではないが、関心があるなら会ってみるのも悪くない。どうせ他に候補もいないし、合わないと思えば、そのときは断ればいいだけのことだ。


「はい、そうです。簡単な試験がありますが、放課後に少しお時間いただけますか?」


「はい、大丈夫です」


「それでは、放課後に運動場のベンチでお会いしましょうか?」


 正面から向き合うと、かえって気まずくなりそうだと感じ、栞奈は少し戸惑った。


「運動場のベンチですか? 文芸部室ではなくて?」


 栞奈は、利害が絡む相手と正面から向き合うことは、お互いに不快感を与えるだけだと思っていた。相手の警戒心を無用に煽るような出会いは、空気がぎこちなくなるだけだと思い、できるだけ避けたかった。

 

「はい、その理由は後でお会いして説明します」


 一度は見学に行ってみたい気持ちもあったが、何か理由があるようで、それを言いたくない様子だった。失礼になるかもしれないと思い、それ以上は聞かないことにした。


「ああ、分かりました」


 一方、弘は桃香から受け取った電話番号にかけた。


 弘はそっと口を開いた。昨日の桃香の否定的な返答が頭に残っており、どうしても萎縮してしまった。堂々としたいと思ったものの、つい慎重になってしまった。


「文芸部で間違いないでしょうか?」


 祐希は、電話越しに聞こえた男性の声に、一瞬戸惑った。だが、それでもどこかで、昨日会った彼女がまた現れてくれたのではと期待していた――栞奈の好意的な反応が、彼の中に強く残っていたからだ。


「はい、そうです。失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 弘は、この状況では何よりも自信が大切だと感じていた。


「文芸部に入りたい、新入生です」


 万が一、相手が昨日の彼女でなければ、勘違いだと気づいたとき、恥ずかしい思いをするのは明らかだった。だからこそ、その期待を表に出さないよう、祐希は意識的に抑えた。


「そうですか」


「はい、聞いた話だと、何かテストを受けて合格すれば入れるとか……その内容を教えていただけますか? 一発で合格できる自信はあります」


 実際、彼は「テスト」という言葉を聞いた瞬間、昨日の会話を思い出し、期待感が膨らんだ。本来なら、文芸部を志望する者なら誰でも一度は聞かれるような、簡単な質問のはずだった。だが今の状況では、それ以上の意味を帯びていた。相手が昨日会った彼女かどうかを見極めるだけでなく、その人物が小説にどれほど関心があるのかも見抜けるチャンスだ。


「テストですか? はい、そうです。かなり自信がありそうですね。もともと本に興味はありますか?」


 弘はほんの少し間を置いてから、笑みを浮かべて答えた。ただし、自信を持っているわけではなかった。


「いいえ、全然」


 祐希は耳を疑った。何か聞き間違えたのかと思った。期待していたものが一瞬で崩れ去ることが信じられないのかもしれない。彼はそんな現実を受け入れたくなかった。

 

「え? 全然?」


 驚いた祐希がもう一度尋ねると、弘ははっきりと繰り返した。


「全然」


 そのはっきりとした返答に、祐希は思わず失望を感じ、肩の力が抜けた。


「でも、今は興味があります。昨日、ある部員に出会って心を動かされ、さらに他の人とのやり取りで、どうしても入りたくなりました」


 祐希は弘の言葉を聞いた瞬間、誰かの姿が頭をよぎった。無理にその思いを打ち消そうとしても、不安が胸をざわつかせた。


「部員」


 祐希は失望を押し隠すことなく、淡々と尋ねた。


「じゃあ、入部の条件は何ですか?」


 自分が望んでいた相手ではないと気づいた祐希は、少しだけため息をついて答えた。入部希望者に出会えたことは素直に嬉しかった。だが、それ以上に、期待が裏切られた落胆の方が大きかった。


「競争して、勝つんです」


 弘は、一瞬の沈黙の後、再び尋ねた。


「競争ってことですか?」


 弘の迷いが声に出ていたのを感じた祐希は、さらに煽るように言った。


「自信、ないんですか?」


 祐希の挑発は、弘に昨日の出来事を強く思い出させた。


「あります。いや……持っているべきなんです。何があっても、あの試験には受かってみせます」


 祐希は弘の挑戦的な態度に、思わず笑いそうになった。


「その覚悟、気に入りましたよ」


 弘は不安を感じながら、思わず尋ねた。


「本なんてほとんど読まなかった僕が、急に小説を書こうとするのは……やっぱりおかしいですか?」


 祐希ははっきりと答えた。


「いいえ、違います」

 

 弘は、昨日の桃香の反応を思い出し、どうしても安心できず、もう一度尋ねた。


「本当ですか?」


 祐希は一瞬考えたが、すぐに答えた。すでに自分の中で答えは出ていた。そんな些細なことで気持ちが揺らぐことはなかった。


「ところで、どうしてそんなことを聞くんですか?」


 弘はその問いかけに驚き、慌てて首を振った。


「ああ、いや、何でもないんです」


 祐希は何か引っかかる気がしたが、それでも自分の考えを曲げるつもりはなかった。あんな些細な不安に振り回されることはないと、自分の意志を信じていた。


「情熱と誠実さがあれば、私は大歓迎です」


 弘は、昨日の桃香の冷たさとは対照的な祐希の温かな言葉に、ほっとした。けれど同時に、責任の重さが肩にのしかかってくるように感じた。初心者の自分に、本当にやっていけるのか……まだ信じきれずにいた。


「はい。ただ……もし、その試験に合格したら──」


「できます。自信を持ってください」


 祐希は淡々と答えた。やってみる前から怖がるのは無駄だ。今の彼にできることは、自分を信じることだけだった。


「はい、わかりました」


 話を切り上げようとしつつも、彼女からの電話が気になって、どうにも踏ん切りがつかなかった。まだ連絡が来ないことに、どこかがっかりしながらも、もう少しだけ待とうと思った。焦って決めたくない──その思いが、胸の奥に静かに沈んでいた。


「じゃあ、詳しい話は放課後にしましょう」


 弘も話を急ぐ気にはなれず、後で改めて連絡しようと思っていた。

 

「うん、それがいいと思います」


 皆がそれぞれのペースで過ごしているうちに、いつの間にか一日が終わっていた。


 放課後、栞奈は運動場のベンチへと向かった。そこに誰かが待っている──そう信じて。緊張を抑えながら、その相手が誰なのかを確かめようとしていた。


 彼女はビラに書かれた番号に電話はしたが、昨日会った彼が文芸部の人間だということ以外、何も分かっていなかった。誰なのかも、見当がつかなかった。


 少し緊張した面持ちで、栞奈が先に口を開いた。


「こんにちは」


 桃香は落ち着いた声で問い返した。


「あ……さっきお電話くださった方ですか?」


 栞奈は、相手の声が女性だったことに少し戸惑いつつも、落ち着いて入部条件を尋ねた。


「はい、そうです。チラシを見てお電話したんですけど、文芸部に入るには、どんな条件があるんですか?」


 桃香は、自らの信念を曲げなかった。この決断も、祐希にその意志を示すためだった。


「私は、文芸部に入るには、何よりも実力が必要だと思っています。どれだけ小説が書けるか──それがすべてです」


 栞奈は、昨日の祐希の言葉とは真逆の反応に戸惑いを隠せなかった。けれど、印象を悪くしたくなくて、感情を押し殺すことにした。努めて冷静を装いながら、落ち着いた声で答えた。その方が、感情をぶつけるよりも楽だった。


「分かりました」


 栞奈は電話を握りしめたまま、ベンチへと歩を進めた。桜の木の下で、ひとりの女子生徒が通話していた。その姿を見た瞬間、栞奈は彼女が桃香だと直感した。

 

 一方、祐希は宿題を終わらせるために図書館へ向かった。気持ちが落ち着かず、集中できそうにないが、それでもやるべきことはやらなければならなかった──あるいは、ただ家に帰りたくなかっただけかもしれない。図書館に入った瞬間、掲示板に貼られた文芸部のチラシが目に留まった。そこには、桃香の携帯番号が記されていた。それが桃香のものだという確信だけは、不思議と揺らがなかった。


 図書館の中は静まり返っており、本の匂いだけが空間に満ちていた。


 祐希は隅の席に向かい、バッグをそっと置いて腰を下ろす。軽く深呼吸し、勉強を始めようとした。


 本に視線を落とし、数行読んでみたものの、賭けのことが頭から離れなかった。


 その時、ポケットの中で電話が鳴り響いた。落ち着かない気分のままでは勉強に集中できるはずもなく、祐希はすぐに図書館を出て、静かな階段の隅へ移動した。顔をしかめながら、通話ボタンを押した。


 祐希は少し躊躇いながらも、慎重に答えた。


「もしもし……」


 予想通り、電話をかけたのは栞奈ではなく弘だった。


「もしもし」


 それが偶然だったなんて、認めたくなかった。あの出会いは必然だと、信じて疑わなかったのに。期待が裏切られた瞬間、静かな失望が胸の内を満たしていった。実際、図書館に来たのは、宿題のためなんかじゃなかった。ただ、栞奈からの連絡を待ち続けていただけだ。本当は帰る前に欲しかったのは、勉強の成果じゃなく、彼女の声だった。そんな自分の気持ちを、ようやく祐希は認めざるを得なかった。


 自分でも気づいていたくせに、ずっと目を背けていたのだろう。本当の気持ちを認めた途端、それをずっと隠していた自分が、ひどく恥ずかしく思えてきた。

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