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第7話 : 始業 [3]

 桃香は、一年が経った今も、目に見えるような変化は感じられなかった。


「うん、変わったようには見えないね」


 祐希も弁当を見つめながら、どこか無感情に答えた。


「うん、私も特に何もなかった気がする」


 紗耶香は眉をひそめて、言葉を濁した。


「何それ! 無表情すぎて、全然面白くないよ。桜がこんなに咲いてるのに、こんな沈んだ話ばっかりじゃ、気分も盛り上がらないよ。だから、新入生が必要なんだよ! 彼らが空気を変えてくれるんだ、ピカピカの子たちが!」


 桃香もその意図には気づいていた。ただ、それを自分から言うのは気が引けた。だから、紗耶香が冗談めかして先に言ってくれて、少しホッとした。


「やっぱりこれが狙いだったんでしょ? ここで会おうって言ったのも、そのためだよね」


 紗耶香は素直にうなずいた。言い訳をするより正直に認めたほうが、きっと気まずさも和らぐ。そう信じていた。


「『まあ、そうかもね』って言ったら、怒るかな?」


 催促し続ければ、ふたりも素直になって、きっと和解できるだろう。途中で自分が責められても、それで仲直りできるなら構わない。


「じゃあ、どうするの? ずっと黙ってるつもり?」


 紗耶香は『他に解決策なんてないでしょ?』とばかりに、にやりと笑いながら言った。


「他にいい方法ある? 早く仲直りして、新入生の迎え方を決めたいんだ」


 桃香は、紗耶香に急かされて無理に仲直りするのは意味がないと思った。だからこそ、自分の言葉で祐希に提案しようと決めた。そうすれば、きっとお互いに納得できるだろう。


「じゃあ、こんなのはどう? 祐希と私でそれぞれ一人選んで、その子に小説を書いてもらう。文化祭で生徒に投票してもらって、どっちの小説が人気かで勝敗を決めるの。票が多かったほうを新入部員にして、選んだ人が部長になるってルール。どう? 今年、部長はまだ決まってないよね?」


 こんな展開、想像してなかった――どうして、こんなふうになってしまったんだろう。

 紗耶香の胸に、不意にざわつくような不安が広がった。これは本当に、自分が望んだ形だったのだろうか。


「ねえ、ちょっと待って。それで、本当に仲直りするつもりなの?」


 祐希も、それが一番すっきりした方法だと感じていた。はっきり勝敗がつけば、どちらが勝っても受け入れられる。そんな気がしていた。


「よし、その提案、乗るよ」


 祐希の余裕ある表情を見て、桃香はすぐに悟った。彼は、自分が勝つと信じている。

 けれど、桃香にとっても譲るつもりはなかった。主導権は、自分でつかむ。


「うん、いいね」


 桃香は、そっとお弁当を取り出した。これ以上話がこじれる前に、静かに終わらせようと思った。


「よし、これで決まりだね。さ、早く昼ごはん食べて、教室に戻ろう」


 ふと、祐希の脳裏に、本屋で出会ったあの少女の姿がよみがえった。

 もし、あの子が同じ学校の生徒だったとしたら――あの出会いは、偶然じゃないのかもしれない。

 彼女なら、文芸部に新しい風を運んでくれる気がした。今はもう、偶然に頼ってみるのも悪くないと思えた。


 桜の香りに包まれた春の空気の中、三人は言葉なく、それぞれ弁当を広げた。静かな時間だけが流れていった。


 昼食を終えて教室に戻ったが、祐希の頭からはあの少女のことが離れなかった。授業の内容はまるで耳に入らなかった。


 悩んでばかりじゃ、何も変わらない。動くときだ。……約束したわけでもないのに、こんなふうに期待している自分が、滑稽にさえ思える。

 でも、それでも――駄目でも、試す価値はある。


 気づけば午後の授業はすべて終わっていて、終業を告げるチャイムが教室に鳴り響いた。


 チャイムが鳴ると同時に、祐希は鞄を掴んで立ち上がった。

 あの少女と出会った本屋へ、もう一度行ってみよう。会える保証なんてないけど――今は、それでもいい。

 あの出会いが偶然じゃなかったとしたら。運命だったとしたら。信じてみたい。


 桃香だって、きっと実力のある新入生を本気で探している。

 好奇心や情熱を重んじる自分にとって、この勝負は少し分が悪い。

 それでも――諦めるわけにはいかない。

 本当に望んでいるのは、桃香にもう一度、理想を信じさせること。

 部長の座なんて、その結果にすぎない。


 桃香もまた、自分の理想に合う、新入部員の候補を真剣に探し始めていた。

 あれだけ強気なことを言っておきながら、今さら誰かに頭を下げるなんて、できるはずがない。

 プライドが、それを許してくれなかった。

 有望な子をどこで見つければいいのか、見当もつかず、焦りだけが胸を占めていく。

 ……でも、祐希だって、きっと同じように手探りのはず。


 まずは、ポスターでも貼ってみるしかない。今の自分にできることは、それくらいだった。


 そのポスターは、図書室で小説の余韻に浸っていた弘の目に留まった。

 気づけば、好奇心に突き動かされるように、彼は声をかけていた。


「あの……文芸部の方、ですよね?」


 彼女は一歩後ろに下がり、わずかに眉をひそめた。


「あ、どちら様ですか?」


 彼は戸惑いながらも、慎重に言葉を選んだ。


「小説に、少し興味があって……」


 一瞬、ポスターを貼ったときの自分の気負いを思い出して、口元が緩んだ。だがすぐに表情を引き締め、きっぱりと言い放った。信念の強さを部員たちに示し、荒唐無稽なことばかり言う祐希を黙らせよう——そう決めたばかりの自分が、まさかこんな出会いをするなんて。


「うーん、ごめんなさい。うちの部は、そういう動機の人には合わないと思います。方針が違うので……」


 なぜそんなふうにあっさり断られたのか、気になって仕方がなかった。


「“そういう動機の人は合わない”って、どういう意味なんですか? 本が好きなだけなのに……」


 彼女は湧き上がる苛立ちを、必死で抑えた。ここまでやんわりと断っているのだから、普通なら察して引くはずだ。


「違います。うちは、ちゃんと文学に熱意のある人に来てもらって、真剣に活動してもらいたいんです」


 ようやく勇気を出したというのに、返ってきたのは冷たい言葉だけだった。その現実に、胸が締めつけられる思いだった。


「ああ、そうですか?」


 これ以上食い下がらせないように、彼女は断固とした口調で突き放した。


「今は文芸部にとって大事な時期なんです。だから、初心者の人だとちょっと厳しいかも……」


 簡単に入れるものだと、どこかで甘く考えていたのかもしれない。

 でも、彼女の冷たい物言いに、むしろ意地になった。

 本に興味があるだけじゃない。

 あの態度が悔しくて、気がつけばどうしても入りたくなっていた。


 じゃあ、どうすればその条件を満たせるんだろう……と考えずにはいられなかった。


「じゃあ、テストみたいなものがあるんですか?」


 そんなことを平然と言い出す彼に、彼女は思わずあきれた。


「は? 何の話?」


 質問そのものは、別におかしくなかったのかもしれない。だけど、彼女が答えをはぐらかすように見えるのが、どうしても腑に落ちなかった。


「入部テスト」


 今は大事な時期だっていうのに——こんなのばっかり。彼女の中で、じわじわと苛立ちが募っていった。


「だから言ったでしょ。初心者は、うちの文芸部には入れないんです」


 よし、挑戦してみよう。うまくいけばラッキー。失敗したって、きっと無駄にはならない。そう思えるなら、やるしかない。


「初心者はダメってことは、実力があればそれでいいってことですよね?」


 どうせ、根拠のない自信に決まってる——彼女はそう決めつけていた。その思いが、口調にも現れていた。


「へえ、自信があるんだ」


 はっきりした。彼女が本当に求めているもの、そして自分がすべきこと——もう、言葉はいらない。


「じゃあ、条件を満たしていることを、僕が証明すればいいんじゃないですか?」


 その意欲だけは否定できず、彼女は黙って祐希の連絡先が書かれたメモを差し出した。


「いいですよ。それなら、部員をひとり紹介します。正直、あなたが文芸部に向いているかは分かりません。でも、その子は本気で、あなたみたいな人を探してる。一度、話してみてください」


 賭けに勝ちたいという欲望から思いついた計画。初心者は祐希に任せて、自分は才能のある人材を見つける。それで勝てる——そう確信した。


 その頃、祐希は書店に到着していた。彼女が同じ学校の生徒かもしれないという、どこか切ないような、淡い期待が胸を占めていた。何て言えばいいのか分からなくて、気づけば体が震えていた。


 その光景に、祐希は思わず目を疑った。あの少女が、あの時と同じ場所に、同じ制服で立っていた。


 また逃げられるんじゃないかと心配になりながら、祐希はそっと近づき、声をかけた。


「ねえ……」


 彼女は音のした方を向いた瞬間、すぐに思い出した。この場所で会った、あの少年。もし道端で偶然すれ違ったら気づかなかったかもしれない。でも、書店という記憶の引き金が、鮮明に思い出させてくれた。


「え?」


 あれからだいぶ経っている。もしかして、忘れられているかもしれない……そう思いながら、祐希はさらに慎重に声をかけた。


「あの、覚えてますか? 僕のこと」


 彼女は、記憶が一気に蘇ったようで、思わず声を上げた。


「この前ぶつかった人! こんなところで会うなんて!」


 驚きながらも、彼女がちゃんと覚えていてくれたことが、素直に嬉しかった。


「本当に……覚えてるんですか?」


 彼はランドセルのキーホルダーに気づいて、同じ学校だと分かった。たまたま本屋に寄っただけなんだろう——自然にそう思った。


「同じ学校の人だったんですね。こんな偶然、本当にあるんだなって」


 彼女も嬉しさと驚きで、挨拶が遅れてしまった。


「本当ですね、まさか同じ学校の人に会うなんて。あ、栞奈です。会えて嬉しいです」


 彼は軽く頷きながら、挨拶を返した。


「はい、祐希です。よろしくお願いします」


 彼女を文芸部に誘いたい気持ちはあったが、関心があるかどうかも分からず、話を切り出すのはためらわれた。いきなり“入ってよ”なんて言ったら、図々しすぎると思った。


「本、好きなんですね」


 自分の言葉が変に自慢げに聞こえたらどうしようと心配になり、少し恥ずかしくもあった。でも、勧誘したのは自分だし、彼女が嬉しそうに大げさに返してきても、不思議と気にならなかった。


「はい! 本、大好きです! 文章を書くのもけっこう得意で……それに、私の小説を読んでもらいたい人がいるんです」


 ようやく、彼は本当の目的を慎重に話し始めた。


「同じ学校の人に会うのも大きな偶然ですが、実はうちの文芸部では新入部員を募集していて……もし興味があれば、ぜひ一度話してみませんか?」


 彼女はその突然の申し出に驚くどころか、まるで待っていたかのように、平然と応じた。まだ正式に入部を決めたわけでもないのに、こんなふうに出会えるなんて、ちょっと運命っぽいかも。


「うーん……偶然って言いましたけど、もしかしたら違うのかもしれません。偶然に見える出来事って、実は必要なタイミングで自然に起きることがある気がするんです。……実は、文芸部のこと、少し前から気になってたんです。だいたいのことは分かってたし、興味もあって……ちょうど行ってみようかなって思ってたところでした」


 特別な説明をしたわけでもないのに、話がどんどん進んでいく。思っていた以上に、気持ちが通じ合える人なのかもしれない。


「本当ですか? 嬉しい話ですね」


 以前本屋で出会った日のことが、ふと頭をよぎった。あの時気になったことを、もし今なら聞けるかもしれない——そんな予感がした。


「その本、好きなんですね」


「……好きっていうより、もっと特別な感じかもしれません。夢をくれた本なんです。もしまた別の場所で縁があったら……そのときに、お話ししますね」


 あの日、彼女が慌てて落としたあの本のことを、彼ははっきりと覚えていた。


「この前、本屋であなたが持っていた本も、それじゃなかったですか?」


 彼女はにっこりと笑いながら、どこか茶目っ気を含んだ声で言った。


「はい、そうです。よく覚えてますね。……もしかして、『また同じ本?』って思いました?」


 彼女がそう言った瞬間、ただの好奇心のつもりだったはずなのに、なぜか悪いことをしたような気がして、彼は思わず手を振って否定した。


「あ……違います、そんな意味じゃありません」


 言葉ではうまく伝えられない想いも、本なら伝えられる。――それが、本のいちばんの魅力だと思う。彼女もきっと、誰かの言葉に心を動かされて、自分の想いを届ける手段として本を選んだのだろう。


「今日できたばかりの友達に、この本を渡したんです。……ぼんやりしてるのを見たら、なんだか放っておけなくて。『感想、聞かせてね』って言ったのは、ちょっと押しつけがましかったかもしれません。でも、伝えたい気持ちがあったんです。本を通して、ちゃんと届いてほしかった。そう思ったら、本って、ただの文字じゃないんだなって、改めて思えました」


 彼は彼女の言葉の意味がよくつかめず、首をかしげた。


「ああ……はい」


 彼女はやはり短く答えるだけだった。


「はい」


 少しの沈黙が、栞奈の心にそっと突き刺さった。もっと話したい気持ちはあったけれど、この空気の中では、うまく言えそうになかった。中途半端なまま、気まずい空気の中に立ち尽くすくらいなら、いっそ立ち去った方がマシだと思えた。


 突然何かを思いついたように、彼女は手をたたいてさっと振り向いた。


「あっ、こんなとこでのんびりしてる場合じゃありません。やることがあるんです!」


 どこか残念な気持ちもあったが、これ以上深く聞けば、かえって反発を招きそうだった。


「はい、大丈夫です」


 彼は、去っていく彼女の背中をじっと見送っていた。嵐がひとしきり吹き抜けたあとのような、どこか拍子抜けする気分だった。


 彼女の背中が完全に見えなくなってから、ようやく気づいた。……連絡先、聞きそびれたな。


 けれど、不思議と不安はなかった。


 また会える。そんな気がした。


 彼女が『また訪ねてくる』と言ったせいか、どこかで自然に、縁が続くような気がしていた。ただの偶然かもしれない――そんな不安もあったけれど、それが現実になったいまは、きっとこれは続く縁なんだと信じられる。


 初日から、自分の目的にぴったり合う人に出会えた。少し前までぼんやりしていた計画が、気づけば驚くほど順調に動き出している。

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