第4話 : 冬休み [4]
本屋を出ると、再び冬の風に襲われた。
二人でしばらく歩き、ケーキ屋にたどり着いた。店内には甘い香りが漂い、クラシックの旋律がささやくように流れていた。入口から少し離れたテーブル席に座った。二人きりで気楽に話せそうだったから、そこを選んだ。外の寒さが嘘のように、窓際の席はほんのりと暖かかった。彼はショーケースのケーキを眺めて、店員を呼んだ。店員が注文を聞きに来たが、彼女はまだメニューをじっと見つめていた。彼はしばらく待ったが、我慢できずに話を切り出した。
彼は腕を組んで、退屈そうに彼女の横顔を眺めていた。
「まだ悩んでるの?」
彼女は少しためらいながら、視線を落として答えた。お腹が空いていたから、どれもおいしそうに見えてしまったのだ。
「うん……決められない」
彼は不機嫌そうに尋ねた。文芸部のこれからが気がかりなのに、彼女はケーキ選びに夢中な様子だった。それが少し残念に思えた。
「何を食べたいの?」
彼女は二種類のケーキを指差しながら、期待に満ちた表情で彼を見つめた。
「チョコレートと……イチゴ!」
彼はケーキの種類なんてどうでもよかった。でも、彼女が真剣に悩む姿を見ていると、なぜか自分もつい迷ってしまった。
どうせ思い切って買ってあげるつもりなのに、けちな人間だと思われたくはなかった。もう一つのケーキを諦めさせたら、きっと彼女はがっかりするだろう。
「じゃあ、全部食べられる?」
彼女は驚いたように、目を丸くして聞き返した。
「両方買ってくれるの?」
「もう一つ買ってもいいけど、その代わりに全部食べてね!」
最初から二つとも食べるつもりだったんじゃないか、と思うくらい、芝居がかった反応だった。
「もちろん、全部食べられるよ! 二つとも気に入ってるなら、一つを選ぶよりその方がいいでしょ?」
「そうだね、じゃあ今すぐ注文しよう。ためらうことないよね?」
「ちょっと待って!」
「なんで? また何が問題なの?」
「このチョコレートケーキ、ダークチョコレートだよね?」
「それって何?」
「ダークチョコレートケーキが食べたいんだけど、これ、ホワイトチョコかもしれないなって思って」
自分で食べるって言っておきながら、こんな気まぐれをされるとは……。でもまあ、手のかかるところも、可愛いんだけどな。
「君の選択に任せるよ」
「私はイチゴのケーキだけ食べる」
「あと一つは食べないの? 大丈夫?」
「うん。出てからがっかりするくらいなら、そのほうがいいでしょ?」
「うん、好きにしていいよ」
彼女は嬉しそうにはしゃいだ。彼女の表情からは、もう心配の色はすっかり消えていた。
「よし!」
彼女はケーキ選びに夢中で、隣に店員がいることにも気づかずにいた。
彼はちらりとメニューを眺め、迷わずチーズケーキを選んだ。
「あ、すみません」
彼はすぐにチーズケーキとイチゴケーキを指さし、飲み物は紅茶を二つ頼んだ。
店員は注文を受け、席を立った。
彼女は期待に満ちた表情で、あたりをキョロキョロと見回した。
「あとは、待つだけだね」
甘い香りに包まれた時間の中、ふと彼は本屋での出会いを思い出した。
彼女もまた、彼が遠くを見つめるような表情をしていたことに気づいていた。
「何をそんなに考えてるの?」
彼も、彼女の問いかけで我に返り、慌てて手を振った。
「いや……なんでもないよ」
二つのうち、どちらかが本当なのだろう。あるいは、二人とも気にしているのかもしれない。
「へえ……口ではそう言ってるけど、全然違う顔してるよ? 今日、ちょっと変だよ。何かあった? さっき文芸部室で揉めたこと? それとも、本屋で会った女の子のこと?」
彼は今日あった出来事を思い返しながら、言葉に詰まった。
「えっと、実は……」彼は視線を落とし、かすかに唇をかんだ。
どれだけ隠そうとしても、問題を抱えているのは明らかだった。彼がどんな言い訳を重ねようと、彼女は絶対にだまされまいと決めていた。
「本当なの? なんか、まだ引っかかってることあるんじゃない?」
彼は目をそむけ、返事を避けようとした。
「知らない!」
彼女はがっかりしたように、眉をひそめた。彼の気持ちは、痛いほど分かっていた。なのに、どうして素直になってくれないのか――それが、ただ悲しかった。
「どうして……目をそらすの?」
彼女があの書店でのことを、誰かに話してしまうのではないか――そんな不安が、心の隅にずっと残っていた。
「これは絶対ナイショだよ? どうして私がケーキを買ってあげたか、ちゃんと覚えてるよね?」
彼女の胸には、釈然としない何かがずっと引っかかっていた。彼が疑っていることにも、気づいていないわけではなかった。でも、それはそんなつもりじゃなかった。くだらない誤解で、彼の素直さを奪うようなことはしたくなかった。そんなことは、きっと二人にとって、幸せなことではないから。
「もちろん、内緒にするよ。でも、この約束がどれくらい続くのかは、正直わからないけど」
漠然とした不安が胸をかすめ、彼は眉をひそめた。彼女が何を心配しているのかが分からず、思わず首をかしげた。
「どういうこと?」
「あの子のリュックに付いていたキーホルダー、見た?」
彼は記憶をたどったが、思い出されるのは必死に謝っていた自分の姿ばかりだった。あの場では、トラブルの収拾に精一杯で、キーホルダーなんて目に入る余裕はなかった。
「いいえ」
彼女は、あの少女が自分たちと同じ学校の生徒かもしれないと考えた。もしそうなら、また偶然どこかで会うかもしれない――そんな期待が、荒唐無稽だとわかっている。でも、それが運命のように思えてしまう自分も確かにいて、その気持ちが、例の“秘密の約束”への迷いを生んでいた。
「ちらっと見ただけだから自信はないけど、うちの学校のマークだったと思うんだ」
彼も、入学の記念にもらったあのキーホルダーを思い出した。わざわざつけて歩く必要なんてないと分かってはいる。でも、それをつけることで、同じ学校に通う仲間とのささやかな誇りや、一体感を感じられるような気がしていた。
「ああ、入学したときにもらったキーホルダーのことだよね?」
彼がまだそれを持っていたことに、彼女は少し驚いた。とっくに捨ててしまったと思っていたから、その意外さに、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。
「ああ、覚えてる?」
大したことじゃないと分かっていても、同じ学校に通っていることにちょっとした誇らしさを感じていた彼は、彼女の反応にわずかな不満を覚えた。
「何だよ、その顔。まるで俺が当然忘れてるって思ってるみたいじゃないか。ちゃんと、まだ俺のリュックにぶら下がってるんだからな!」
彼の不機嫌に気づいた彼女は、慌てて「ごめん」と言った。
「あ…わかった」
彼の機嫌は直らず、眉をひそめたまま問い返した。
「じゃあ、君のキーホルダーはどこにあるの?」
彼は身をかがめ、彼女のリュックをじっと見つめた。
「私? 当然、このリュックに、だけど……」
その瞬間、彼女はぴたりと動きを止めた。まるで、時間そのものが凍りついたようだった。ついさっきまであんなに自信満々だったのに、キーホルダーがついていないと気づいた瞬間、彼女の頭は真っ白になった。
「え?」
彼は彼女のリュックを覗き込み、眉をひそめた。
「どこ? 見えないんだけど。透明なの? もしかして、俺にだけ見えないとか?」
彼女の顔には、どうしようもない戸惑いがにじんでいた。
「えっ……なんで? ない……?」
彼も、この状況に少し呆れ始めていた。なくした本人が気づいてないなんて――思わず口に出しそうになるほどだった。
「君がなくしたんじゃないの?」
彼女は同じことをつぶやきながら頭を掻いた。
「そんなはずないよ。いつもちゃんとつけてたのに……」
「どこに? いくら目を凝らしても見えないよ。ただ、なくしただけだろ?」
「あれ…どこいっちゃったの?」
「どうかな?」
彼女は悔しさを滲ませながら、彼を睨みつけた。
「誰かが取ったんじゃ……いや、まさか……もしかして……あなたが持っていったとか……?」
彼は不機嫌そうに眉をひそめて言い返した。
「俺がそんなもん、持ってくわけないだろ?」
彼がかっとなるのを見た瞬間、彼女は自分の言葉が急に恥ずかしくなった。感情に任せて口にした妄想が、まるで意味をなさないことに気づいて、胸の中に冷や汗が流れた。
彼女は目を伏せ、言葉を搾り出すように呟いた。
「……うん、そうだよね」
彼女のその姿を、彼はじっと見つめた。キーホルダーのことでぎこちなくなった空気をどうにか変えようとしていた。
感情を押し殺しながら、さっきのやり取りをなかったことにしようと、彼は必死に話題を変えた。会話を元に戻さなければならない。彼はそう自分に言い聞かせた。
「それにしても……本当にうちの学校の生徒だったのか?」
劇的な偶然が絶対にないとは言い切れない。でも、そんな小さな可能性にすがるのは、どこか違う気がした。本当に事実なら、これは単なる偶然ではなく、最初から互いにパズルのピースのように組まれた必然なのだ。
そんな単純な証拠だけで、同じ学校の生徒だと確信するのは、ちょっと無理がある。
たまたま、同じ学校の生徒に出会っただけなのかもしれない。
胸の奥がときめいた。でも同時に、冷静な自分が囁く——それはただの、根拠のない推測だと。
残念だけど、今のところ、それ以外に示せる証拠はない。
「そこまでは、まだ分からないよ」
そのとき、ちょうど注文していたケーキがカチャリと音を立ててテーブルに置かれた。
甘い匂いがふわりと広がり、張りつめていた緊張を優しくほどいていった。
ケーキを目にした瞬間、彼女の瞳がぱっと輝いた。その輝きに、どこか安堵のようなものを感じ取った彼は、思わず息を吐いた。甘い香りが、残っていた不安さえも溶かしていくようだった。
彼女は期待に満ちた顔でフォークを手に取り、大きくケーキをすくって口に運んだ。両頬をふくらませながら、嬉しそうに微笑んだ。
「わあ!」
一方の彼は、無表情のまま考え込んでいた。フォークを手に取ることもなく、ただ宙を見つめている。どうやらケーキどころではないらしい。
何か言いたげな目が彼を見ていた。しかしその口は、甘いケーキでふさがっていた。ひと口ごくんと飲み込んでから、紅茶を一口すする。
彼女はため息をつき、落ち着いた口調で話しかけた。
「まだ、そのことばかり考えてるの?」
たとえ勘違いでも、夢を見たっていいじゃないか――そんなふうに思えてくるのは、彼女の方だった。こんな偶然、もし本当なら、その時に喜べばいい。彼女も彼がこれを肯定的に受け止めてくれることを願うばかりだった。
「見た感じ、本を読むのが好きそうだったし。もしまた会うことがあれば、うちの部に誘ってみるのもいいかも。これも何かの縁、ってことで」
彼は変わらず、冷めた表情のままそっけなく答えた。同じ学校だというだけで、何か特別な意味を見出すほど、彼は楽観的ではなかった。本が好きだというその一点だけに、小さな共感を覚えるにすぎない。偶然だと感じてしまうほどの素晴らしい出会いを、彼はあえて無視しようとしていた。もし本当に縁があるなら、そのうち特別なきっかけでまた会えるはずだ。
彼の心の中では、その「縁」がただの偶然に過ぎないことを否定しようとする気持ちが強かった。
「……まるで、小説みたいな話だよね」
彼はフォークを手に取り、ケーキをひと口食べる。紅茶をすする間、彼はそっと目を閉じた。——また、どこかで会えるかもしれない。そんな想いが、ふと心をかすめた。大きく息を吐くと、頭の中が少し軽くなった気がした。
彼女が何を話しても、彼の心には届かなかった。返ってくるのは、壁に向かって話しているかのような、生返事ばかり。
彼は彼女と一緒にケーキ屋を出た。意味を無理に見出そうとするほど、すべてがかえって煩わしく思えてきた。一日を振り返ると、結局、疲れと悩みしか残っていなかった。精神的に疲れないことがむしろおかしい。彼女はまだどこかへ行きたそうだったが、彼はもうただ家に帰って休みたい気分だった。不満げな彼女の視線をそらしながら、「また今度」とだけ言って切り上げる。ちょっと申し訳ない気もしたが、そうするしかなかった。無理に付き合ったところで、どうせ楽しめないだろう。彼女もやはりがっかりするだろう。
彼は、何もかもが面倒に思えてきて、知らず知らず眉間にしわが寄っていた。彼女の期待に応えられないのは申し訳ないが、一日中付き合うわけにはいかない。今は自分の気持ちを大切にすべき時だ。
「……そろそろ、それぞれ帰ろう。疲れてるだろ?」
素直にはうなずけず、彼女の表情には物足りなさがにじみ出ていた。
「うーん、そうね」
彼は平気なふりをした。ここで気を許せば、彼女に余計な期待を持たせてしまう。むしろ、努めて何も気にしていないふうに応じたほうが、今は自分にも彼女にも良かった。
「後でまた一緒に歩く機会があるだろう」
そんな気持ちのままじゃ、どこに行っても楽しめない。お互いに気を悪くするのは明白だ。
「うん、そうだね」
やはり彼の中にも、こんな別れ方には何か引っかかるものが残っていた。彼女の背中が人混みに紛れるまで、彼はその場に立ち尽くしていた。そしてようやく、一歩を踏み出した。
「……じゃあ、またな」