表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/25

第3話 : 冬休み [3]

 桃香はそれを聞くと、即座に答えた。


「私だって、面倒なことは嫌いなんだから!」


 桃香の姿が完全に視界から消えたその瞬間、祐希はもはや逃れられないことを悟った。その瞬間、紗耶香が腕にしがみつくように寄ってきた。


「はぁ…」


 彼は仕方なく、彼女の行きたいところに付き合うことにした。


「そうだね…行こう」


 彼女は腕を組み、目を輝かせながら、祐希の顔をじっと見つめた。


「やっほー!どこ行きたい?」


 どうせ逃げられないのだから、そのまま彼女に任せるのが一番楽だと思った。


「どこか行きたいところ、あるの?」


 彼女は顔をぐっと近づけ、そっとささやいた。


「うーん…そうだな、まずはホテルの部屋を予約しようか」


 その瞬間、彼女がぐっと近づいてきたので、祐希は思わず顔を赤らめ、目を見開いた。


「な、何言ってるんだよ!そんなこと考えるなよ…!」


 彼の恥ずかしそうな顔を見ると、彼女はぷいっと顔を背け、吹き出した。


「あははー!」


 彼女は祐希の肩をポンと叩きながら、笑い声をあげた。彼が不満そうな顔をしても、気にした様子はまるでなかった。


「だから、あなたと遊ぶのが好きなの。ほんと、その反応が見たくてたまらないんだから!」


 彼女はいつものふざけた口調で、笑い飛ばした。


「冗談だよ、冗談!」


 祐希は笑いものにされた気がして、思わず言い返した。


「そういうの、やめろよ」


 彼女は後ろ手を組み、体をひねりながら、いたずらっぽく笑っていた。


「どうして私がやめられると思うの?こんなに可愛い反応するんだもん〜!」


 彼女はぴょんとドアの方へ跳ね、片手で蛍光灯をパチンと消した。


「早く来ないと、またからかうよ?」


 彼女は足をバタバタさせながら、祐希を急かした。


「早く来て!行こうよ!」


 祐希はひとつため息をつき、彼女の元へと歩き出した。


「はいはい……今すぐ行くよ」


 彼女はまるで誰かに追われるように、祐希をひたすら急かしていた。


「遅れたら、またやり直すって言ったでしょ~!」


 祐希は彼女の急かしに応じ、冷めた表情のまましぶしぶついていった。ㅓ


 彼女は祐希が部屋を出ると同時に電気を消し、ドアを勢いよく閉めた。


「オッケー!」


 彼女は顔をぐっと近づけ、茶目っ気たっぷりに笑った。行きたい場所がいくつか浮かんでいたが、あとは祐希がその中から一つを選ぶのを待つばかりだった。


「さて、どこ行こうか?」


 祐希は彼女を失望させまいと、素直にうなずいた。どうせ彼女のほうが先に疲れて帰るだろうから、適当に合わせるのも悪くないと思った。


「私はどこでもいいんだってば!」


 彼女は祐希が興味を持ちそうな場所を選ぶことにした。きっと、二人で楽しめる場所になるだろう。


「ええと……とりあえず、本屋に行ってみようか」


 祐希は興味深げに、彼女をちらりと見た。


「そっか、本が読みたいんだ?」


 紗耶香はわずかに眉をひそめ、祐希をちらりと見た。文芸部の一員として、本を愛する気持ちには誰にも負けないという自負があった。だからこそ、その一言に少し気分を害した。


「何だよ! 気に入らないんだ?」


「だって、君なら“何か食べに行こう”って言いそうだったからさ」


 彼女が食べるのが好きなことは知っていた。けれど実際、自分もかなりお腹が空いていて、無意識に食べ物のことを考えてしまった。


「い、いや……そういうつもりじゃなくて……」


 祐希の胸はざわつき、落ち着きがすっかり消えていた。


「うーん、もちろん食べるのも好きだけどさ、やっぱり文芸部で楽しいことと言えば、本を読むことだろう?」


 彼女は明るく、活気のある口調で言った。


「だって、文学で一番大事なのは“面白さ”そのものじゃない? 興味がなければ、人は読みたいと思わないでしょ? 教訓? うーん……まあ、それも悪くないけど! でも、小説って、読んでる“その時間”を楽しむためにあるんじゃないかな?」


 心臓の鼓動に合わせるように、足を軽くバタつかせながら、彼女はそう続けた。


「あ~本の世界に早く入りたくて狂いそう!」


 ──まぁ、興味のない場所に行くよりはマシか……。祐希はそう思いながら、彼女のあとを追った。


「わかった。早く行こう!」


 少なくとも、この場面では二人の息はぴったりと合っていた。文芸部の一員という共通の肩書きが、二人を自然に繋げていたのだ。


 彼女が本屋の話をしているうちに、祐希はいつの間にか空腹を忘れていた。だが、ふと我に返ったとき、空腹感が急にぶり返し、思わずお腹を押さえてその場にしゃがみ込んでしまった。


「実はちょっとお腹空いてるんだよね。君のその話を聞いてたら、もっと空いてきちゃった! ちょっと本屋に寄った後、ケーキでも食べに行こうか。新しくできた店があって、ずっと行ってみたかったんだ」


 祐希は、バスの窓越しにちらりと見えたおしゃれなケーキ屋のことを思い出した。


「そうだね! そこにも一度行ってみよう。駅前に新しくできた店だよね?」


 本屋へ向かう道すがら、新刊の話題で二人は盛り上がった。休む間もなく続く会話の中で、自然と心の距離が縮まり、周囲の人々の存在すら気にならなくなっていった。


 本屋に到着すると、ずらりと並ぶ本の棚を前にして、祐希は胸が高鳴るのを感じた。限られた時間で、すべての本を読み切れないのが惜しくてたまらなかった。本に没頭していると、周囲の騒音が次第に遠のき、やがて人の気配も消えた。両手に小説を持ち、ページをめくるその瞬間、祐希は幸せを感じずにはいられなかった。


 祐希は、活字に視線を固定したまま、すぐそばに誰かがいることすら気づかなかった。ほんのわずかな動きで見知らぬ少女と肩が触れ、その瞬間、祐希はようやく彼女の存在に気づいた。


 祐希はそっと首を振り、彼女の顔をじっと見つめた。彼女もまた、本に夢中だったため、祐希が近くにいることには気づいていなかったのだ。


 ただ、目の前の相手を見つめることしかできなかった。彼女が何か言おうとするのを見て、祐希は「ああ、こんなにぼんやりしていられない」と、ようやく我に返った。


 彼は気まずさに耐えきれず、まずは小さな声で謝罪を口にした。


「すみません、本に集中していたので……」


 彼女もまた、どこか気まずさを感じていた。自分にも非があると思っていたから、一方的に謝られると、逆に居心地が悪くなった。


「あ……違います。私も本に夢中で、近づいているのに気づかなかったんです」


 彼女の言葉に、祐希は一瞬、ほんのわずかな違和感を覚えた。ふとした好奇心に駆られて、祐希は彼女が持っている本に目をやった。見た目はごく普通の本だったのに、彼女がわざわざ隠そうとした仕草が、妙に心に引っかかった。もしかして、無意識に何か失礼なことをしてしまったのだろうか、と心の中で少し心配になった。


 彼女は何事もなかったかのように本を背後に隠そうとしたが、手が滑って本が床に落ちた。


「あっ……これは」


 祐希は慌てて軽く頭を下げ、本に手を伸ばした。


「私が拾いますね」


 ちょうどその時、彼女はすばやく本を引き寄せ、背後に隠した。瞬間的に彼女は目をそらし、静かに数歩後ずさった。


「それでは、失礼しますね」


 祐希が何か声をかけようとしたが、彼女は何も言わず、ただその場を立ち去っていった。


 その直後、紗耶香が静かに祐希の背後に近づき、耳元で声をかけた。


 紗耶香は目を丸くし、顔をぐっと近づけて、好奇心に満ちた笑みを浮かべた。


「何をそんなに考えてるの?」


 祐希は一瞬も目をくれず、ただ少女が去っていった方向をじっと見つめていた。紗耶香は眉をひそめ、その視線の先をちらりと見たが、そこにはすでに誰の姿もなかった。


 祐希が無視されたことが面白くなかったのか、紗耶香はいたずらっぽく笑いながら、耳元でささやいた。


「誰? うそ、まさか――隠し彼女、発見?」


「今、初めて会ったばかりだよ。名前すら知らないのに……」


 たった一度すれ違っただけで恋人扱いされるなんて、さすがにそんなことはないだろう。こんな荒唐無稽な誤解が他にあるだろうか?


「何を言ってるんだ……?」


 戸惑いながらも、祐希は紗耶香が詰め寄ってくるのを感じて、つい語気を強めてしまった。


 けれど、彼女はさらに食い下がる。


「へぇ〜、本当? 正直に言ってみなよ。見られたって、別に問題ないでしょ? 私たちの間で、隠しごとなんてあるの?」


 祐希は慌てて手を振りながら答えた。


「違うってば!」


 紗耶香は彼の焦る様子を楽しむように、にやにやと笑いながら言葉を重ねる。


「じゃあ……あの子に心を奪われちゃった? まさか、一目惚れ? ふーん、意外と単純なんだ。ちょっとがっかり〜」


 祐希は慌てて彼女の後を追いかけた。


「ちょ、待ってくれよ! 何度言わせるんだ!」


 突然振り向いた紗耶香が、意味深に言った。


「じゃあ、今日のことは……秘密にしておいてあげる」


 祐希は、彼女の急な態度の変化に疑念を抱いた。何か狙いがあるに違いない。そうでなければ、こんなふうに急に「秘密にしておいてあげる」とは言わないだろう。


「……ほんとに信じていいのか?」


 不安と疑いの入り混じった表情を浮かべた祐希を見て、紗耶香は茶目っ気たっぷりに笑った。彼女は、その反応を待っていたのだ。彼の戸惑いを楽しみながら、望んでいた「ある言葉」を引き出そうとしていた。


「もちろん、相応の代償は必要だ」


 彼は紗耶香の本当の目的を探ろうとしたが、とりあえずは乗ってやることにした。


「そのくらい、もうわかってるよ。で、何が欲しいんだ?」


 ちょうどお腹が空いていた彼女は、この機会を逃すまいとしっかりおごってもらうつもりだった。まるでそれを待っていたかのように、すぐに要求を突きつけた。


「ケーキ買ってくれたら、黙っててあげる!」


 彼女がこんなやり方で来るのは、ある程度予想していた――なのに、やっぱり悔しさがこみ上げてくる。もう慣れたはずの策略なのに、なんだかモヤモヤが残った。


 「卑怯だ……」


 彼女は余裕を見せながら、彼の表情の変化をじっと見つめた。


 「なによ、そんな不満そうな顔して。これくらいで済んだんだから、感謝してよね?」


 このへんで手を打っておいたほうがいい。放っておけば、あとでどうせ面倒になる。どうせ約束なんて守るつもりはないのかもしれない。けれど――この程度で済むなら、まあ、安いもんだ。


 「あ……まあ、いいよ」


 彼女は彼の腕をつかみ、ぐっと引き寄せた。


 「よし、今すぐ出発しよう!」


 彼女が再び催促すると、祐希は確認の意味で尋ねた。


 「今すぐ行くの? まだちょっと、本読みたい気もするんだけど……」


 彼女は平気そうに答えた。


 「まだ読んでない本、何冊かあるんだけど……大丈夫! 後でまた来ればいいよね?」


 その笑顔に、祐希の心はさらにざわめいた。


 「ふふ、君もまた来るんでしょ? あの子に会いたくて」


 祐希は慌てて答えた。


 「えっ? それ、今どういう意味?」


 彼が何か言おうとした瞬間、彼女はさっと言葉を遮った。


 もう十分引っ張ったと判断したのか、彼女は急に足を踏み出した。いつものように遠慮なく、祐希をケーキ屋へと連れ出す。


 「変な言い訳する前に、ちゃんとおごってもらわなきゃね」


 引っ張られながら、祐希は面倒くさそうに答えた。気になる本はまだあったけれど、腕を引かれてはもう断れなかった。


 「うん……わかったよ。ほんと、君には敵わないな」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ