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第12話 : 舞台探訪 [2]

 弘は港町に降り立った実感がじわじわと湧いてきた。潮の匂いや風の手触りが、心まで自然と晴れやかにしてくれる。


 弘はかばんからポラロイドカメラを取り出し、それを祐希に手渡すと、駅の方へと歩き出した。


 「せっかくだから、何か記念を残したくて……一枚だけ、写真を撮ってもらえますか?」


 祐希は無言でカメラを受け取り、弘が立ち位置を整えるのを静かに見守っていた。


 「もちろん」


 弘はにこやかに微笑み、駅の入り口を指さした。


 「このあたりから、横浜駅の文字がちゃんと映るように、お願いします」


 祐希は慎重にピントを合わせた。ファインダー越しの“横浜駅”の文字が、構図の中に静かに収まっていく。そして――シャッターを切った。


 「よし!」


 パシャッという音とともに、旅の始まりを刻んだ一枚の写真が、ゆっくりと現れた。


「もう一枚、お願いします!」


 祐希は無言で頷き、シャッターを切った。ほどなくして、二枚目の像が白い余白の中から浮かび上がってきた。


 「わかった」


 そう言って、祐希はもう一度、ファインダーを覗き込んだ。


 弘は嬉しそうに笑い、ぴょんと軽やかに跳ねた。


 写真を受け取ると、それをそっと財布にしまい込む。


 「わあ、すごくよく撮れてると思います!」


 祐希はポラロイドカメラを弘に返した。


 「はい、この写真もどうぞ」


  弘はそっと一枚の写真を差し出した。


 「これ、先輩へのプレゼントです。旅の思い出の最初の一枚にしてください」


 祐希はまだ温もりの残る写真を受け取り、にっこりと笑った。


 「ありがとう」


 「記念写真も撮れたし、そろそろ出発しましょうか! 行きたい場所、いっぱいあるんです。ベイブリッジにも行きたいし、ベイクォーターで船に乗るのも楽しそうだし!」

 

 「でも、その前にホテルに寄って、チェックインしておきましょう。荷物も置いておいたほうが楽ですし」


 「はい、そうですね」


 結城と弘がホテルに到着すると、ちょうど入口ですれ違った警察官の険しい表情が目に入った。それはほんの一瞬だったが、二人の胸に小さなひっかかりを残した。だが、せっかくの旅だ。二人は気持ちを切り替えることにした。


 「予約している部屋にチェックインしたいのですが、いま手続き可能でしょうか?」


 「はい、少々お待ちください。すぐに確認いたします」


 「302号室で予約しています」


 「はい、弘というお名前でご予約ですね?」


 「はい、そうです」


 カウンターのスタッフはモニターを確認しながら、わずかに眉を曇らせた。


 「ああ……ご不便をおかけして申し訳ありません。あいにく、前のお客様のチェックアウトがまだ完了しておらず……よろしければ、お荷物をこちらでお預かりしますので、少しの間お待ちいただけますか?」


 謝る職員の姿を見て、祐希は強く問い詰める気にはなれなかった。ただ、心の奥にふと浮かんだ寂しさを、どうにかして紛らわせようとしていた。


 「ちょっと、微妙な時間に来てしまいましたね……。しばらく待ちましょうか」


 弘も、予定でぎゅうぎゅうに詰めた旅程の中で思いがけず生まれた空白に、どう向き合えばいいのか戸惑っているようだった。しかめっ面で、ロビーのあちこちを見回している。


 「じっと待ってるだけじゃ、退屈ですし……時間がもったいない気がします」


 祐希は、肩を落とす弘に向かって軽く手招きした。


 「やっぱり、そう思うよな?」


 弘も、小さくうなずいて、祐希のあとに続いた。ここにとどまる理由は、もうなかった。


 二人は街へと足を向け、ぽっかり空いた時間を歩いて過ごすことにした。

 

 「じゃあ、ちょっと外、散歩でもしません? 荷物は預かってくれるみたいですし、置いていけば大丈夫ですよ」


 この旅は弘のためのものだ。なら、まずは彼の気持ちを大切にしたい――祐希はそう思った。


 「そうしよう」


 弘は再び案内デスクに戻り、荷物に視線を落としたまま、どこかためらうような表情を浮かべた。


 「上着は置いた方がいいのかな?」


 祐希は迷う弘に向かって手を振った。「早くおいで」と目が言っていた。


 「そのまま着て行ってもいいんじゃない? 今日はそんなに暑くもないし」


 案内デスクの職員が、弘の戸惑いに気づいたのか、やわらかく言葉を添えた。


 「貴重品があれば、すべてお預けいただいた方が安心かと思います。――実はさきほど、近くでスリの被害がありまして。うちのお客様が巻き込まれてしまって……それで、チェックアウトが遅れているんです」


 弘はその言葉を聞いて、気持ちに寄り添ってくれた職員への感謝のように、静かにうなずいた。そして素早く上着を脱ぎ、荷物の上に丁寧に重ねた。


 「あ……そうなんですね。それじゃあ、私の上着も預けておきます」


 職員は安心させるように微笑みながら、丁寧に荷物を受け取った。


 「ありがとうございます」


 ホテルを出ると、祐希は急にできた予定の空白に、ふと胸の内に広がる虚しさを覚えた。潮の香りを含んだ海風が鼻腔をくすぐる。どこか湿ったその空気の中で、彼は落ち着かない様子で周囲を見回していた。


 思わず頭をかきながら、隣を歩く弘の顔をちらりと窺った。すると、弘もまったく同じような表情をしていた。その顔を見て、祐希はようやく気がついた――いま、自分の中には、「ここに行きたい」と即座に思える場所がひとつもないのだと。


 「どこに行ったらいいかな?」


 自分から誘っておいて、この静けさを祐希に任せるのは気が引けたのか、弘が先に口を開いた。

 

 「近くにゾノハナパークっていうテラスがあるんです。景色もきれいで、ちょっとのんびりするにはいいかもしれません」


 何をするにしても、弘が満足してくれれば、それが一番だと思った。


 「よさそうだね」


 思い付きで言った場所だったが、何だか意外と良さそうに思えてきた。


 「うん、そこから行ってみようか。元々の計画にはなかったけど、そんなに遠くないし。公園を散歩して、少し疲れた頃にテラスでぼーっとしていれば、時間なんてすぐに過ぎちゃうと思うよ」


 少しでもいい思い出になれば、帰るときも寂しさが和らぐかもしれない


 「いいよ」


 「ここには象の鼻アイスクリームとロールケーキが名物なんだって。早く食べてみたいね」


 一方、栞奈も駅に着き、行き先を考えていた。時計をちらりと見ると、チェックインまでまだ少し時間があった。お腹がすいてきたので、近くのハンバーグステーキの店に向かった。店の入り口で中を見渡し、いつも両親と一緒に来ていたこの場所も、一人では少し寂しく感じた。週末のせいか、遅い時間にもかかわらず、店内は賑わっていた。家族連れや友達、カップルたちの明るい会話が、逆に栞奈の寂しさを際立たせた。ただ食事に来ただけ、と自分に言い聞かせながら、周囲の賑やかさに背を向けた。一人で食事をすることで、むしろ集中できるかもしれないとも思った。いつも座っていた席が、まるで待っていたかのように空いていた。すぐに店員がやってきて、注文を取ってくれた。栞奈はいつも通りのメニューを頼み、料理が届くのを静かに待った。


 結城と弘は、手入れの行き届いた公園の小道を並んで歩いていた。暖かな日差しと、さわやかな海風に舞う桜の花びらが、旅の気分を一層盛り上げていた。まさに、散歩にぴったりな穏やかな午後だった。やがて、海が一望できるカフェにたどり着いた。やはりというべきか、カフェの中には象の模型が飾られ、その大きな象牙が目を引いていた。結城は、まっすぐカフェのレジに向かい、メニューにさっと目を通した。

 

 何を注文するかはすでに心の中で決めていた。


 「象の鼻アイスクリーム2つとロールケーキ2つください」


 弘は、ポケットを探りながら、お金をどこにしまったかを思い出そうとした。そのとき、ホテルでの出来事がふと脳裏に浮かんだ。


 「ちょっと待ってください。上着に財布を入れておいたはずなのに、持ってくるのを忘れました」


 思いがけない事態に、弘は一瞬、困惑した表情を浮かべた。


 「あ…そう?どうしよう?」


 ホテルに戻ることもできたが、ここまで来たのだから、たかが財布のために手間をかけるのも面倒だった。それに、今は貴重な旅行の時間が惜しい。わずかな手間に時間を費やすのが、もどかしく感じられる。


 「そうですね。私もこれを食べてみたかったのですが…」


 祐希も同じように感じていたのか、弘のぐずぐずした態度に少しだけ不満そうに、でも穏やかに口を開いた。


 「それでは、じゃんけんをしましょう」


 弘は思いがけない提案に驚き、目を丸くして尋ねた。


 「じゃんけんですか?」


 その反応を見て、祐希は確かに弘が心の中で少し魅かれているのだろうと感じた。


 「はい、そうですね。じゃんけんで負けた人がホテルに行くことにしましょう。部屋もそろそろ準備ができているかもしれませんし、ついでにチェックインも済ませてきたらどうですか?」


 本当に単純な方法だったが、今のところ、最も明快で合理的な手段に思えた。

 

「ああ!そうしてくれるの?いいよ!」


 祐希が先に拳を握ると、弘もそれに倣って拳を作った。


「じゃあ、じゃんけん!」


「けん!」


「ぽん!」


 二人は声をそろえて、自信満々に手を突き出した。


 二人の出した手は見事に食い違っていた。


 祐希はハサミ、弘はグー。


 結果は、弘の勝ちだった。


 弘は少し戸惑いながらも、祐希の気持ちを思いやって、わざと残念そうな顔をしようとした。しかし、勝利の喜びに思わず口元が緩み、微笑みがこぼれてしまった。大きな歓声を上げることなく、できるだけ控えめに応じた。


「……ああ、僕の勝ち、だね……」


 祐希は、弘が気まずさを隠そうとするその様子を見て、少しからかわれているような気がした。しかし、提案したのは自分だ。意地悪な言い訳をするより、潔く認めた方が良い――そう思い直し、気にしないよう努めた。


「そうですね。私が行ってきますよ」


 弘も勝ってみると、今度は祐希にその用事を任せるのが少し気まずく感じたのか、精一杯のねぎらいを口にした。


「本当に、ありがとうございます。次の場所も予約しておきますね」


「よし!」


 弘が待っていると思うと焦りを感じた祐希は、来た道を早足で引き返した。ホテルに到着すると、レストランで食事を済ませてから宿に荷物を置きに来た栞奈の姿が目に入った。駅で偶然会ったのも不思議だったが、ここでまた会うなんて、運命のいたずらのように思えた。まるで夢のようで、この人が栞奈だなんて、すぐには信じられなかった。何の用事でここまで来たのか気になったが、見つかるのが怖くて、思わず身を隠してしまった。

 

 栞奈は、祐希が見ていることに気づかず、淡々と案内デスクに向かって歩いていった。


「チェックイン、お願いします」


「あ、そうですか。すぐにお手続きいたします」


「はい」


 しばらくすると、彼女はフロントで鍵を受け取り、上の階に向かうエレベーターに乗った。


 栞奈がいなくなったのを確認してから、祐希は慎重にホテルに入った。


 祐希も動き始める。だが、栞奈と再び鉢合わせしてしまうのではないかという不安が頭をよぎり、心が落ち着かない。荷物だけでも早く部屋に置いて、外に出なければならない。焦る気持ちを抑えきれず、周囲をきょろきょろとうかがってしまう。


 「あの……」


 祐希の不安には気づかず、栞奈は淡々とした調子で案内を続けた。


 「いらっしゃいましたね。お待ちしておりました。ご不便をおかけして申し訳ありません。お部屋のご利用はすでに可能です。お荷物は私どもがお運びいたします」


 「ありがとうございます」

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