第10話 : 出会 [3]
祐希は放課後、近くの公園で弘を待った。
祐希は、同じ制服を着た男子学生がこちらに向かってくるのを見た。
制服を見ただけで、すぐに弘だとわかった。
弘もすぐに気づいたらしく、軽く会釈した。
二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。
自然とぎこちない空気が流れた。
「はじめまして」
「はじめまして」
形式的に挨拶を交わしながら、少しでも緊張をほぐそうとしていた。
二人は周囲を見回し、話せそうな場所を探し始めた。
「ここじゃなくて、どこかで話そうか?」
「はい、そうですね」
彼らは踏切で信号を待った。弘は、黙って立っている祐希をちらりと見た。
二人は通りの向こうのファーストフード店へ向かった。
ハンバーガーを注文したあと、気まずい沈黙に耐えきれず、祐希が口を開いた。
祐希は、弘がどうして小説を書こうと思ったのか、気になっていた。
「一度もちゃんと小説を書いたことないって言ってたよね? なんで書こうと思ったの?」
「きっかけか……実は、人生の目的もなく生きていた僕に、初めて“面白い”って感覚を教えてくれたのが小説だったんです。
些細なことかもしれませんが、時間を忘れるほど夢中になるって感覚を、初めて味わったんです。
小説には、さまざまな背景を持った人物が登場しますよね?
誰かが“何かのために生きている日々”を綴った日記みたいで、そのページをのぞき見るのが僕にはとても面白く感じられたんです。
もし、喜びや怒り、悲しみや楽しさが詰まった一つの物語が、感情のない日々を過ごす誰かの心を、ほんの少しでも動かせたなら……小説って、それだけでただの記録以上の意味を持つと思うんです」
思いがけず真っ直ぐな返事に、どう応えていいか迷った。
「ああ、そうなんだ」
「それで、小説が好きになったんです。一度も書いたことがなくて、何から始めればいいのかもわからないし、すごく未熟だと思います。でも、なんとなくこういうのを作ってみたいって思うようになって……文芸部でいろんな人と同じものに興味を持てたら、学校生活に張り合いが出る気がするんです」
祐希はそれを聞いて、自分が文芸部に入った日のことを思い出した。その記憶が、弘を迎え入れたいという気持ちに火をつけた。
「それで、この小説をもっと深く理解したいんです。何か方法ってありますか? 夢をくれたあの登場人物の気持ちをもっと知ることができたら…… きっと、伝えたいテーマのヒントが見つかる気がするんです」
自分の昔を思い出すと、弘の気持ちがよくわかった。
「それじゃ、その小説の舞台になった場所に行ってみるのはどう? 似たようなことで悩んでたとき、実際にその場所に立つと気持ちが引き締まったりするんだよ。登場人物たちの気持ちに寄り添ってみたら、きっと何か感じるものがあると思うよ」
もともと行ってみたいと思っていたけれど、祐希の一言で、ついに決心がついた。登場人物たちの人生にもっと深く触れて、栞奈にも自分なりの答えをちゃんと伝えたいと思った。もしかしたら、その答えこそが、自分が本当に書きたい物語なのかもしれない。
「いい考えだと思います」
「じゃあ、早めに計画立ててみない? 小説のために行くんだし、先延ばしにする必要もないでしょ」
「じゃあ、僕が考えてみるね。詳しい計画はメールで送るよ」
「うん、好きにしていいよ。俺は信じてついていくから」
こうして、二人の初めての出会いは幕を閉じた。
けれど、栞奈はやっぱり望んでいたような答えはもらえず、少し残念そうだった。 でも弘の言葉から、きっと何か大切なヒントが得られる気がした。 夢を探して迷っている人の心に響くような小説を書きたい。それは、高校生だからこそ描けるテーマだと思う。そう考えると、昔の記憶をたどりたくなった。故郷に帰りたいという思いとともに、その旅に誰と行くかも、栞奈の中ではもう決まっていた。
翌日、学校に着いた栞奈は、弘に声をかけた。
「今週末、もしかして時間がある?」
昨日の栞奈の落ち込みを思い出し、弘の気持ちはどうしても慎重になった。 その質問の裏にある本当の意味がわからず、弘は思わず首をかしげた。 たった一日で変わってしまった彼女の表情、行動、話し方――その全部が、弘の心をざわつかせた。単に「時間ある?」と聞いてるだけじゃない。まるで、「一緒にいてほしい」と言っているようだった。
「なぜ?」
「一緒に旅行、行かない?」
彼女の突然の提案に、弘は戸惑った。昨日祐希にも旅行に誘われたばかりだったから、偶然とは思えなかった。
「どこへ?」
場所を先に言ったら、きっとワクワク感が減ってしまう。だから、知らないまま行ったほうが楽しいと思った。
「それは秘密!でも大丈夫、きっと気に入るよ!」
彼女のことをもっと知りたいとは思った。彼女が探している何かに近づける気もした。でも、それでもこの誘いには乗れなかった。 昨日、祐希との約束を思い出して悩んだけれど、どちらも大切で、簡単には選べなかった。だからこそ、先に交わした約束を優先することにした。ここで断っておけば、後で無理なことにならずに済む。
「ごめん、週末はすでに予定があって、行けそうにないんだ」
その答えに、彼女はやっぱりがっかりした。突然の誘いだったから、彼が戸惑うのも理解できる。けれど、心のどこかで、彼もこの旅行を喜んでくれるはずだと期待していた。 それにはちゃんと理由があって、彼にもその理由は伝わっているはずだった。
「なぜ?」
もう断ると決めていたから、迷わずはっきりと言った。
「もう旅行の約束があるんだ」
ただ関心がないだけなら、無理にでも連れて行こうとしたかもしれない。でも、すでに約束があると言われたら、さすがにそうもいかない。 無理に誘えば、彼を困らせるだけだと分かっているから。
「そっか。残念だね」
単純な理由かもしれない。でも、今回の旅の目的を考えたら、一人で思い出をたどる方がいいのかもしれない。
一方、紗耶香は家に帰ると、好奇心を抑えきれず、いろいろと想像を巡らせては、ひとり思い悩んでいた。
紗耶香には、祐希と桃香がそんなふうに新人を選ぶなんて、とても想像できなかった。それは、彼女にとってあまりにも突然の決定だった。 祐希もあのときの言い争いを申し訳なく思っていたのか、紗耶香にこの件について繰り返し相談してきた。紗耶香もできる限り和解のきっかけを作ろうとしたが、結局その努力が思わぬ形で裏目に出てしまった。 それを思うと、どうしても心配になってしまう。 祐希と桃香は勝手に物事を決めたくせに、紗耶香には何も知らせてくれなかった。もし自分の善意がこんなふうに返ってくると知っていたら――あのとき、どうしてあんな非難を受けなきゃならなかったのか、悔しくてたまらない。 今日、一緒に帰る途中で理由を聞こうとしたのに、『やることがあるから先に行く』って、たった一通のメールだけ残して、さっと帰ってしまった。
紗耶香はもう我慢できないとばかりに、先に祐希へ電話をかけた。
祐希が電話に出ると、紗耶香はすぐさま本題に入った。
「ねえ、今週末って、時間ある?」
「今週末?なんで?」
「ただ、ちょっと退屈でさ。前に一緒に遊びに行ったとき、いろいろ気になってあんまり楽しめなかったじゃん? それに、今回の賭けのことでもちょっと聞きたいことがあって」
「あ…でもだめだと思う」
「何で?」
「うちの文芸部に入りそうな子と、もう約束しちゃっててさ」
やっぱり、こんな大事なことを勝手に決められて、一言もなかったのは、正直ちょっとムッとした。でも、なんとか平静を装った。
「もう決めたの? 早いね。それで、週末に会うことにしたの?」
「一度会ったんだけど、なんかピンとこなかったらしくてさ。それで、気分転換に旅行でも行ってみたいんだって」
「あ…そうなんだ」
「うん。だから、ちょっと時間作るの難しそうなんだ」
「それなら仕方ないか。で、その候補って誰? 結局、あの子は見つかったの?」
「いや、あの子じゃない」
「どうして? やっぱり、あの子は見つからなかったの? うちの学校の子かどうかも分からないんだよね?」
「うーん、まあ、結局ピンとこなかったっていうか、そういう感じであの子じゃなかったんだ」
「あ… 残念だね」
「しょうがないけど、まあ大丈夫。別の候補が一人、見つかったから」
「そうなんだ? 大丈夫なの? その人、どうやって知り合ったの?」
「私が見つけたんじゃなくて、向こうから“文芸部に入りたい”って連絡してきた子なんだ」
「それで、その子に決めたの?」
「うん、そういうことだよ」
「あ…そうなんだ…」
「何で?」
「いや、ただちょっと心配でさ。こんな形で終わっちゃうなんて思ってなかったし、なんか拍子抜けしちゃって。新入部員をそんなに簡単に決めちゃったら、桃香とケンカした意味なくなっちゃうじゃん?」
「適当なんかじゃないよ。誰でもいいってわけじゃない。ちゃんと理由があって、その子にしたんだ」
「どういう事情?」
「ちょっと、説明するのがややこしくてさ」
「じゃあ、このままずっと話さないつもり?」
「あなたらしくないな。どうしてそんなに心配してるの? 何かあったの?」
「いや……私も部員なのに、誰が入るのか全然知らされてなくてさ。教えてくれないし、ちょっと寂しかったんだ。気になっちゃって」
「今すぐどうこうってわけじゃないけど、結局、文化祭で会うことになるんでしょ? それに、もしかしたら本当に部員になるかもしれないし」
「ずるいな……でも、わかったよ」
「……私には、ほんとのところ分からないよ」
紗耶香はため息をつきながら、電話を切った。
「ずるいって?……そうかもね。まあ、わかったよ」
その後の数日間、何が起きているのか一人で考え続けたが、納得のいく答えは出てこなかった。まあ、仕方ないのかもしれない。
紗耶香は何の情報も得られないまま、疑念ばかりが頭の中をぐるぐると巡り、気持ちはますます複雑になっていった。
そうして、気づけば週末がやって来た。
祐希は嬉しそうに弘に手を振った。ほかの人に邪魔されたくなかったので、携帯の電源をしばらく切ることにした。
「ここだよ!」
弘も祐希を見つけ、手を振った。
「今日は本当に楽しみですね」
「よし!せっかく行くんだから、楽しんじゃおう!」
繰り返す日常を抜け出すと、青空の下、やわらかな春の日差しが出迎えてくれた。
彼らは談笑しながら、ゆっくりと駅へ向かった。
祐希はいつも両親に手を引かれてばかりだったから、こうして誰かと旅行に出るのは少し不慣れだった。
彼らは電車に乗る前に、トイレに行くことにした。