寝言
「うぐぅ…………」
すでに時計の針は夜中の二時を回り、当然ながら家族はみんな、眠りについていた。隣の妹の部屋からは、時折理解できないような寝言が聞こえてくる。だがしかし、残念ながら先ほどのうめき声は、俺自身が出したものである。
どうしてこんな時間になってまで、机の前で頭抱えてうめき声まで上げなきゃならんのか。そう問われれば、明日が試験だからと答えずにおられようか?
ところで、ずっと前から試験に向けて準備をしていれば、こんな遅くまで机にかじりつかなくてもいいと思われそうだから、一応断っておく。やってようがやってなかろうが、分からんもんはしょうがないじゃないか!
熱力学第一法則だかなんだか知らないけど、そういうのは物理屋さんに任せておけばいいんだ、俺はDNAの二重螺旋に萌えておくから!
……とは言うものの、赤点とって留年するのだけは避けたい。出来る限り、全力で回避したい。だもんで、必死こいてやってるんだけど……。
「……あはぁん、もうダメ。そんなにされたら、死んじゃう……」
…………、今のは俺じゃないぞ、断じて俺じゃない。隣で寝てる妹のだ。言っただろう? 意味不明な寝言だって。
というかわが妹よ、一体どんな夢を見ていれば、そんな寝言が吐けるというのか? その夢一度、お兄ちゃんに検閲させてもらいたいものだ。
まったく。真意はどうであれ、あんな声を三十分おきに聞かされてみろ、いくら実の妹の声だと言え、勉強ごときに集中できるわけがないだろうが。お兄ちゃんだって年頃の男の子なんだぞ、やりたいざかりにあの声は暴力以外の何物でもな――。
「ダメだよぅ、そんなのぉ。……やめてよ、お兄ちゃぁん」
――相手、俺か!?
夢の中の俺、一体何をやってるんだ!? あんなことやこんなこと、ムフフなことまでしちゃってんのか? けしからん、羨ま――。
だめだ、だめだ、だめだ。違うだろ、それは! 間違ってるだろ、それは! 何も考えるな、集中しろ!
……いやいやいや、考えなきゃダメだろ、試験勉強中だ。
なんという凶器。そうか、言葉の暴力とはこのことだったのか。しかしこのままでは耐えられそうにない。何とかして、何とかして対策を練らねば、明日の試験が……。その前に、俺の精神が持たないかもしれん、何かいい方法は――!?
「いやぁん……。だめだよ、入れないでぇ……。お願いだから、そんなもの入れないで……」
俺のバカやろぉ!! 何やってんだ、俺! 夢の中だろうが許さんぞ!
ナニをこうやってこうして、ああやってんのか!? だめだーっ、聞くな、なんとしてでも勉強に集中するんだっ!
ちくしょーっ、熱力学第二法則に反して、ナニに熱が、集まってくるッ! どういう事だ、これはっ! エントロピーが増大せずに減少していくだとっ!?
熱は集中せずに分散していく、それこそがエントロピー増大の法則、それこそが熱力学第二法則! なのになぜ、なぜ俺の下半身はこうもアツいのかっ!?
「……あぁ。……は、入っちゃった」
どおぅわーっ! 入れちゃったの、入れちゃったの俺ぇ!?
なんてことやってくれてんだ、夢の中の俺ぇ! すぐ自害しろ、首切って自害しろーっ!
「いや、動かしちゃダメ! ダメ、いやーっ!」
ちくしょう、頭に血が上って、こんなんじゃ何もできない。
もう知るかよ、責任取らないからね! お兄ちゃん、どうなっても責任なんか取れないからねっ!
シスコンだって!? なんとでも言うがいい、指をくわえて、そこで見ているがいい!
「ママーっ! お兄ちゃんが、お兄ちゃんがーっ!」
聞こえない、聞こえないさ! もう今更止めたって、誰に助けを求めたって、聞いてあげるわけにはいかないぜ! ここまで来たんだ、男たるもの、行きつく先まで行かずにおるべきか!
妄想が、頭の中で広がってゆく! 止められない、もう俺の暴走は誰にも止められないーっ!
「チャーハンに、ピーマン入れちゃったの!」
……………………、は!?
「お兄ちゃん、お願いだから! チャーハンにピーマンなんて入れないで! 私ピーマン食べれないの、知ってるでしょ!?」
……いやいやいや、わが妹よ。今なんとおっしゃいましたか?
「おたまグルグル動かして。こんなに混ざちゃったら……、もう私……、食べれない……、じゃない……」
先ほどとは打って変わって、静まり返った隣の部屋。もはや、わが妹の寝息すら聞こえてはこない。
ああ、わが妹よ。一体何ということをしでかしてくれたのだろう。
この暴走した熱を、お兄ちゃんはどうすればいいんだ。教えてくれ。
というよりピーマンくらい食べてくれよ、お願いだから。
呆けきった頭でぼんやりと考え、俺は椅子の背もたれに全体重を掛けた。力の抜け切った俺の体は、なすすべもなくそのまま傾いてゆき、そして……。
「……んあ?」
俺の顔を眩しく照らすは、顔を出したばかりの朝日。ズキズキと痛む後頭部を撫でながら、俺は周りを見回した。
本棚のそばで、下半身をさらけ出したままひっくり返っていた自分を確認し、俺は現在の状況の悲惨さにようやく気がついた。
「…………、勉強出来てねぇ」
『暮れたらば 明けるものとは 知りながら なお恨めしき 朝ぼらけかな』
(日が沈んでしまえば、いずれはまた次の日が来るのは分かっている。ただ、それでも憎いものだよ、試験当日の朝日というものは)
喜ぶべきか、悲しむべきか。熱力学第二法則の分野だけは、なんと満点だった。
五分企画の裏小説として書きあげたものです。が、御覧の通りいろいろとぶっ飛んでます。
ありきたりな流れ、予想できてしまうオチ、そして普段では考えられないような卑猥ネタを盛り込んでしまった以上、ボツになった作品です。このままお蔵入りというのも考えたのですが、どうせ今更体面気にしても何にもなりませんし、清水の大舞台から飛び下りる覚悟で投げ込みました。
最後に一言、どうか見捨てないで下さい。