犬と公爵様
リリィが公爵邸に住むようになってからしばらくたち、庭園で公爵カイルが犬を撫でている姿を目にすることが増えた。
リリィが連れてきた愛犬の「ソラ」は、彼女が子供の頃から一緒に過ごしてきた頼もしい相棒だ。ソラは落ち着いた性格で、リリィが作業に没頭している間もじっとそばにいてくれる賢い犬だが、人懐っこさもあり、屋敷の使用人たちにもすぐに好かれていた。そして意外にも、最も気に入っているのがカイルだった。
その日もリリィが庭に出ると、木陰に座るカイルが静かにソラの頭を撫でているのが見えた。普段の冷徹な印象とは異なり、どこか穏やかな空気が漂っている。
「カイル様、ソラと遊んでくださっていたんですね。」
リリィが声をかけると、カイルは一瞬動きを止めたが、すぐにまたソラの耳をゆっくりと撫で始めた。
「……ただ撫でていただけだ。」
いつも通りの素っ気ない声。しかし、ソラの尻尾が小さく揺れているのを見て、リリィは微笑んだ。
「ソラも嬉しそうですね。カイル様、動物がお好きなんですね?」
リリィが尋ねると、カイルはわずかに目を細めてソラを見つめた。
「……子供の頃、家に犬がいた。それだけだ。」
その言葉に、リリィは彼の幼い頃の姿を想像した。厳格な環境の中で一人過ごしていた彼にとって、犬がどれほどの慰めだったのだろうか。
「ソラは賢いので、カイル様にもすぐ懐いたみたいですね。よかったら、このおやつをあげてみてください。」
リリィが取り出したのは、彼女お手製の犬用ビスケット。香ばしい香りが漂うそれを見て、ソラは嬉しそうに耳を立てた。
「……ほら。」
カイルが不器用ながらもビスケットを差し出すと、ソラは優しくそれをくわえ、満足そうに尻尾を振る。
「気に入ったみたいです!」
リリィが声を弾ませると、カイルは静かにソラの頭を撫で続けた。彼の手つきがどこか優しく見えるのは、リリィの気のせいではないだろう。
その夜、リリィは部屋で新しい道具の制作に取り掛かっていた。カイルがソラに見せた優しい一面を思い出しながら、動物と人の心をさらに繋ぐ道具を作りたいと考えたのだ。
彼女が選んだのは、動物の気持ちをわずかに感じ取れる「魔法の首輪」。特別な魔法石を埋め込むことで、犬の感情が言葉ではなく温かい感覚として伝わる仕組みだ。
翌朝、完成した首輪をソラにつけたリリィは、意気揚々とカイルのもとに向かった。
「カイル様、これをソラにつけてみてください!」
リリィが差し出した首輪を、カイルは一瞬だけ戸惑いながら受け取った。そして、ソラの首にそれを丁寧につけると――
「……っ?」
カイルの表情がわずかに変わった。ソラが「もっと撫でて!」と感じていることが、心に温かい感覚として伝わったのだ。
「どうですか?」
リリィが期待を込めて尋ねると、カイルは一瞬沈黙した後、低い声で言った。
「……お前の犬は、やたらと要求が多いな。」
その言葉に、リリィは思わず吹き出してしまった。冷静を装うカイルだが、ソラの気持ちが伝わって戸惑っている様子が微笑ましかったのだ。
ソラとカイル、そしてリリィ。この奇妙な三角関係が、新たな物語を紡ぎ出していくのを、リリィはどこか楽しみに感じていた。