ひよくれんり
毎朝、水浴びしたてのツヤツヤした大きなカラスが、我が家の窓辺に来て、お花を置いていく。
どうしたのだろう。そういえば猫にいたぶられていたやせ細ったカラスを助けたことはあったけれど、同じカラスなのかしら。カラスの恩返し、かなぁ。不思議なこともあるものだ。
カラスが来るようになってから初めての土曜日。仕事で疲れ果てて夕方に目覚めた。窓を開けるとカラスがいて、まるで待ってくれていたようで嬉しい。
どこかに行ってしまった洗濯物のタオルをくちばしにくわえている。「もしかして拾ってくれたの?ありがとうね」カラスはそのタオルを私の腕にかけた。
ひょこん、とタオル越しの腕の上に乗ってきた。結構重いし、爪は鋭い。これはたしかにタオル越しじゃないと怪我しちゃうかもなぁ。夕方まで寝てたから心配だったのかしら、ありがとね、と腕のカラスを撫でてみる。意外とサラッとした触り心地。うっとりと目を細めたカラスはかわいかった。
カラスが袖をくわえて引っぱる。どこかに連れていきたいのだろうか。重いカラスを腕に乗せっぱなしにするのは無理だなぁと、厚手でオーバーサイズのパーカーを着て、肩にタオルを仕込んで、肩にカラスを止まらせた。ちょっと相棒みたいで楽しい。アパートを出て、カラスの引っ張る方へ歩いていく。
路地裏とも呼べない、家と家の隙間を歩いていくと、鬱蒼とした空き地があり、そこの端っこに面した家のお勝手口が小さく開いている。カア!と一声鳴いたカラスに「入りな」としゃがれた声がして、私は恐る恐る扉を開けた。
山のように、古本や骨董品や漢方が積まれていて、少しでも触れたら全てが崩れてしまいそうな部屋だった。蟻地獄の奥にその主がいるように、うず高く積み上がった一番奥深く、一人がけのロッキングチェアに深々と腰掛けた老婆がこの部屋の主だった。
夕焼けた日が部屋に差し込んで、オレンジ色の影が床に落ちている。「用件はなんだ」凄む老婆。カラスは私を守るように間に入ると、ボソボソと何か鳴いている。老婆は深々とため息をついた。
「頭が良すぎておかしくなっちまったのか。人間になりたいなんておかしいじゃないか」
「人間になりたいの?」初めて私が口を開くと、カラスは私の手の甲に頭を垂れて、額をくっつけた。まるでプロボーズの仕草で、少しばかり恥ずかしい。
「この人間、夕方になっても起きられないくらい疲れてたんだろ。人間社会はろくでもないよ」
「じゃあ、私がカラスになることはできますか」
「愚か者が惚れ込んだ女はもっと愚か者だったかい」老婆は大きく笑ったあと、「後悔はしないね?」と聞いてきた。こんなに愛されたのは初めてだった。人間として死んだように生きるより、カラスとして生きてみようと思った。
老婆はしばらく私の目を見たあと、深々とため息を付いた。
「痛いよ。覚悟しな」
何やらブツブツ言う老婆が私の体に少しずつ触れていく。触れられたところが痛くて熱くて痒い。毛穴が突き破られ、血が噴き出していく。叫び声を噛み殺して呻く私にカラスが寄り添う。震え続けていると、体が縮んでいくのがわかって、私は脱がれた皮の上にカラスとして立っていた。
外は暮れかけて、裾はまだ夕焼け色だけれど、黄色、緑、翡翠、青、紺色へと塗り重なり、天辺は夜を迎えようとしていた。
夕と夜の縫い目を私たちは翼を並べて、寝床へと飛び立っていった。