スクランブルエッグ改め炒り卵
「やっちまった」
思わずつぶやく。昨夜はちょいと酔っぱらったシェフと別れたあと寝ようと思ったけどよく寝れないまま朝に。
朝ごはんでも作ろうと起き出してきたが、全く良くない。
目玉焼きしようとして、容器に卵を割った時点で卵黄を崩してしまいスクランブルエッグに代えた。クリーム入りの濃厚なものにしようとしたまでは良かった。
加熱しすぎてボロボロの炒り卵になった。
……寝不足がたたっているのか、昨日のあれこれが悪かったのか。
置時計を見ればまだ早い時間だ。
庭も確認してきたけど、今日はシェフも起きてないようだ。起こすのもな、と思ったもののあまり遅くなると開店時間の問題が。
二階に上がり、恐る恐る扉を叩いてみる。反応なし。
ちょっと開けてみた。暗くてよくわからない。
「おはようございまーす。あさですよー」
小さく声をかけてみるとバタッとした音がした。続いてばたばたと。
「……おはよう」
声だけが返ってきたけど、なんだか暗い声だ。二日酔いかな?
「二日酔いですか? やっぱり、お酒は控えたほうがいいですね」
「しばらくは飲まない。
その……昨日、何か変なことしなかったか?」
「何もなかったですよ。普通に、お帰りなさいって言ったくらいです」
可愛かったです。という話は、そっとしまっておこう。懐疑的な本当に? という声が聞こえてきたので、ちょっと記憶も落っことしてるかもしれない。
本当ですってと返答し、朝食作ったので着替えたら降りてきてくださいねと伝えた。
まあ、同意なく抱きしめるというのは、シェフ的にやらかしたというところになりそうだけど。私的にはお得なことだけだったのであえて言うことでもない。
ただ、会いたかったという話は、ほんと? ねえホントなの? で思考停止するのでよくない。言われたときよりもお布団入って思い返した時のほうがダメージがあった。追加ダメージどころか毒のように累積ダメージだよ……。
会いたかった。できれば素面で言われたい……。いや、でも酔っぱらって本音出るとかあるじゃない? そういうやつ? そういうのでいい? ねぇ、どうなの。
……。
……心頭滅却すれば火もまた涼しである。
うん、これであってるかわからないけど。
それから、しばらくして浮かない顔をしたシェフが降りてきた。
「昨日は、すまなかった」
「え、なにがですか? まあ、とりあえずごはん食べましょ。お腹すいたなぁ」
わざとらしかったかもしれないけど、その件は頭の片隅に追いやっているのだ。出てくるとまともな会話不可能な気がしている。
「お兄さんと会ったって聞いたんですけど、どうしたんですか?」
まだ何か言いたそうだったので、別の話題を振っておく。
ねぇ、会いたかったってほんと? 酔っていない素面の今、聞いちゃうよ、ほんと? とか言いだす前に他の話題で埋めたい。くっ、こんなめんどくさい彼女するつもりなかったんだ。
「二番目の兄はいつもは国内外を飛び回ってるんだが、最近帰ってきてね」
席に着きながらそんな話を始める。お兄さんのことは今までほとんど話題になることはなかった。それどころか家族の話もあまりしてなかったな……。
「なんのお仕事されてるんですか?」
「遺産発掘調査と研究。錬金術師よりは学術的なもの、と本人は言っている。地道に地面掘ってるそうだ」
「遺産って前文明のほうですか」
「そう。
まあ、その兄が家としての決定を持ってきたと言われたら断ることができなかった。ほんの少しのつもりだったんだが」
「ここに連れてきてもよかったのでは?」
「……会わせたくない」
なんで? という顔がそのまま出てしまっていたらしい。
シェフにしては苦々しい表情だな。
「少し、女性にだらしない」
お堅そうな長男、ナンパな次男であるらしい。ふり幅すごいな。
さて、そのナンパな次男さんが持ってきた話というのは、今回の件は誤解があったからごめんね、物的保障で許して、という話である。
それはそれとして、絶縁、わかった。でもなんかあったら言って、助けになるから、である。
絶縁とはいったい……。
急に物分かりが良すぎて肩透かしを食らった感じがした。なんかあったら手袋投げてやるくらいの気持ちはあったんだけどな。
「父としてはやはり騎士に戻ってほしいらしいけどな。
そっちのほうが、権力や名誉があるから」
そういうシェフはやっぱりちょっと寂しそうだった。過去のことしか認められないというのは、辛いと思う。
「そうですか。
ところで、誤解って?」
誤解という表現しかされなかった。内容不明。
シェフにびくっとされて、なにかまずいことがあるのかと察した。追及せねば。
「…………その、君に悪いうわさがあって」
逃げを打ったシェフを追い詰める。そのまま諦めたように口を開く。
「まあ、いくつかバリエーションがあるのは知ってます」
そこにあるのは、師弟関係と言ったところで邪推するやつらはいくらでもいるわけで。面白おかしく言ってやがるとは認識していた。火消ししたほうが怪しいとほっといたのだけど。
「一番上の兄は、その悪い話を聞いていたようで、男を侍らして仕事させて、自分は何もしてなくていいとこどり、みたいな……。半信半疑だったらしいけど、当日、仕事してただろ」
「あー……。悪女か、みたいに思いましたか」
その噂を知って店に着たら、噂通りに男に囲まれている私を見たわけか。仕事中ですよ! なんだけど、間が悪いことにシアさんもローラさんもいなかった。
相手からの印象が悪い結果のあの態度なのだろうか。
「でも、礼儀知らずとか言う話では」
「そこも、父が挨拶来ないとぼそぼそと言っただけで深い意味はなかったという話だ」
「……ええと、総合的に言えば、一番上のお兄さんが空回り」
「ということらしい。一番俺に興味ないと思っていたんだが」
辻褄は合うようで、なんか違和感ある。
ちょっと小骨が刺さったみたいに。
なんだろ?
私を理由に、なんかしようとされていたみたいな雰囲気がする。
騎士に戻る交換条件として、庶民の態度の悪い娘を嫁に迎え入れてやる。侯爵家の一員になれるのだから名誉だろう。断らぬよな? みたいな。
もし、大人しくついていったところで説得してくれと言われるだろう。家に入れてやるからと。
それを喜ぶだろ? みたいな。
これ、一番重要な気がする。
そんなものいらないと私が言うと想像しないような発想。シェフにしてもそれをありがたがる人じゃない。
つまりは、私たちの人となりをちゃんと知ってない人が、計画をたてたみたいな感じ。全く、策略としてかすりもしないどころか怒りを買うようなやり方。
侯爵家を動かす人、となるともう王族とか、貴族議会くらいだろうけど。
議会がそんなことを通すわけはない。だって、店の顧客がいるからそういう話に飛びつかないと知っている。やるなら狡猾にする。
「あの、ほんとう、ですか?」
「……そう言うことにしておいてくれ。これ以上は、荒立てない」
私の感じている違和感をシェフも感じていたらしい。そこからのたどり着いた先は同じかどうかはわからない。
アザール閣下は、良くも悪くも私たちを知っている。やるならもっと直接的に泣き落としやら物品、その他欲しがりそうなものをぶら下げてくるだろう。
陛下は私と面識があるし、王族と知り合いの多い私と揉めたくないはずだ。王の意見を通すならほかの王族の手を借りなければいけないシステムの影響だ。食い物の恨みで何か通せなくなったりするかもしれない危険を冒すとは思えない。
だからと言って王族でもないとも言えない。
私がまだ直接会ってない王太子殿下がいる。ただ、そことシェフの接点が不明なんだよな……。戻って得があるとも思えないんだけど。
まあ、その疑問はとりあえず置いておこう。そのうちアザール閣下に会いに行くのだから、答え合わせできる。
「……なにをくれるっていうんですか?」
「家にある宝飾品を数点と言っていたが、好みを聞きたいそうだ。
それから、森を一つ」
「……森」
「狩猟場として保持していたんだが、近年狩猟大会とかはしてないので遊ばせておくのももったいないということらしい。野生の果実や茸があるし、ウサギや鹿を狩ったりもできる。管理費は数年分先払いしておくからその先はどうするか考えておくようにと」
「豪気ですね……」
「王家の森を何度も使うわけにもいかないから、受け取ってほしい」
「まあ、お近くの森といっても勝手に入れませんしね。殿下たちに付き合わせるのも悪いですし、検討しておきます」
「あとは縁を切るなら先に贈与と言われて、避暑地の別邸をくれるというんだが、いるか?」
「ほかの別荘もらう予定もあるんですよね……。そもそも、王都から移動するってしばらくなさそうなのでいらなくないですか?」
「では、保留しておく。
菜園と果実園は?」
「近隣にあるんですか?」
「王都から一日くらいの距離にある。管理費は10年分。その前に自力で稼げと言われたが」
「至れり尽くせりじゃないですか……」
絶縁とは、本当に、なんなのか。
わけあって疎遠してます、その実、仲が悪いわけではないんですよ、という感じ。
「金銭的贈与は数年に分けて税制対策してからという話もあるんだが」
手厚い。めっちゃ手厚い。
「いただけるものはいただいておきましょう」
それでなかったことにはしないけど、誤解だったってことにしとこう。
弟子たちにも言っておかないと。そういうことにしておけと。変になんかして、返り討ちとか笑えない。
それにしても……。
「……あ、仕事の時間迫ってます。
急いで準備しないと」
のんびりと食べていたらそんな時間に。
「今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
……なんだろう。すごく、照れる。一日一緒か。そうか。ふふふふ。
今日は、何があっても許せそうに思える。




