いつもの味
本日2話目の更新です。
アプリコットジャム。
この季節から侯爵家の食卓に並べられる。最初に並ぶころは、果実の味を感じられるように甘さは少なく、時期が進むごとに甘くなっていく。冬の始まりにはおしまいになる。
豊富に用意されているわけではないが、少しずつ食べすすめていくには足るほどにあったものが今年は、一瓶だけだった。
今までの回答のように息子の部屋に残された一つの瓶。
クルトは半分に減った瓶を眺める。そのまま厨房へ足を向けた。
付き合いの長い料理人は、当主の出現にも驚かない。それどころかめんどくせぇと言いたげに眉をあげる。小僧の頃からの付き合いで、もはや数十年顔を合わせて、色々あればそういう対応にもなろうものであった。
厨房にいた他のものはこそこそと外に出ていく。巻き添えはお断りであるという態度だ。ちっと料理人は舌打ちする。
「何の御用ですかね。旦那様」
一応は聞いたが、とっとと帰れと言いたげであった。
「今年はジャムの味が違う」
「おや、旦那様、味の違いがお分かりになるようになったのですか」
「馬鹿にするな。
なんとかという香草が足らん」
「残念です。
甘みをつけるものが違いますね。あとレモン入りです」
「甘みなどどれも同じではないか」
「違います。
これでもかと優良な食材と料理でお育てしたのに、なぜ、こんな味の分からないじいさんが出来上がってしまったのか」
「わからんもんはわからん。あとおまえは30年くらいしか料理してないだろう。儂ともそう年も違わない」
「下働き込みで40年以上ですよ。まあ、お育てしたというのは過言ですがね。だから、ご子息にはちゃんとしたものをと思ったのです。
末の坊ちゃんだけわかってくれて泣きましたね」
クルトはなんとなく気まずくなった。あまり料理に興味がないのだ。おいしいと皆が褒めるものを口数少な目に褒めてみるものの合っているか、いつもわからない。
侯爵家に相応しい料理と客人にも言われはするが、それが世辞なのか本音なのかはさっぱりだ。
妻はよくこの料理人を労っていたので、おそらくは腕が良いのだろう。たぶん。
「で、味が違う理由をお知りになりたい」
「そういうわけではないが」
「坊ちゃんは収穫する時期、ご自宅にいらっしゃいませんでした」
「そうなのか」
「……そうです。シディ坊ちゃんのお守でいない頃が、収穫時期です。
全く、領地運営に関係ないとポンコツ」
「なんだその言葉」
「聖女語録から拝借しました。
とにかくいらっしゃいませんでしたので、そのジャムを作ったのは別の方です。味見をさせていただきましたが、はちみつとレモン入りです。どちらも旦那様が好まない味ですが、気に入りましたか」
「……そんなことはない」
確かに、単体では好まない味ではあったが、ジャムとしては悪くはない、とは思った。
だが、いつものもののほうが良い感じた。
「さようでございますか」
そう言葉を切ったあと、料理人はため息をついた。
「改めて言いますが、坊ちゃんは、もう、かなり大人です。10年前に時間を止めてらっしゃるような方々とは全く違って、自分で自分のやり方を決めてらっしゃいます」
「……だが、傷を負った分を取り返しもしない。一度はなくしたものが、もどってくるというのに栄達を望まぬのは、わからぬよ」
「望みは違うものですよ。
あと、坊ちゃん、ほんと、もういい年なので親の介入はいらんでしょう」
「わかってはおるのだが、幼いころに手放したのでな……」
出世と約束された栄光があると送り出したつもりが、こうなっては約束が違うと言いたくもなった。本人がいらないと言ったとしても、失ったものの価値を思えば取り戻してやりたくもあった。
それこそがいらぬ世話だとわかってはいるのだが、納得はいかない。
「ならばずっと手放したままにしておけばよろしいのでは? 今更、親の顔すんなというのが正直なところでしょう」
「儂は、それで済むかもしれんが」
済まなそうな人が二人ほどいる。都合よく人を使えると思っていれば手痛い失敗をするであろう。クルトはどちらの陣営からも手を引くつもりであった。
親王家派からも距離をおくことも決めている。この先の動向により、今後を決める時期になってきていた。次代につなぐようなそんな時期に。
「そうそう、奥様はいつお戻りに?」
「いま、すっごい、たのしそう。という情報が来ている。
楽しんでいるところを連れ戻すと怖い。ほどほどの頃に、頭を下げに行ってくる。
世話をかけているこの作り主にもな」
クルトは挨拶にも来ぬのかとは、確かに言った。だが、まあ、当然だろうという話のつもりだった。縁を切りたいという手紙はすでに来ていたし、その理由もさっしたところはある。まあ、それはそれとして、騎士として戻ってほしいという話を当人にするつもりだった。
ところが、それを聞いていた長男からすれば、彼女が挨拶にも来ず我が家を軽んじている、と聞こえたようだった。長男としては一度こちらに顔を見せて少し話をするために呼ぶつもりだったらしい。少々威圧的になったのは、弟子に囲まれている姿を見てうちの弟も弄ばれているのでは? と疑惑をもったからのようだ。
それにしたって悪手である。もう少し、どうにかならなかったかと思わずつぶやいてしまうほどに。
長男は真面目であるがゆえに時に視野の狭さが出る。今頃大いに反省し、謝罪に向かうべきか、本当に絶縁が最適かと悩んでいるだろう。夫婦喧嘩どころか親子喧嘩も加わってはかなりまいっているに違いない。
もっとも、社交を軽んじがちなところが発端にあるのだろうから、自業自得ではある。
クルトは巻き添えでもあるが、発端の失言があるので甘んじて現状を受け入れている。クルトにしても積もり積もった失態の最後の一押しでもあったようではあるのだから。
こうなるのであればもっと先に手を打っておけばよかったと後悔はあるが、関わらないことが最良と思ったのだ。
家族のうちで一番最初に彼女の存在を知ったのはクルトだろう。それは不本意な出来事のせいではあった。
息子にと縁談が申し込まれることがこの一年ほど多かったのだ。今まで見向きもされていなかったのになぜだと調べれば、息子と親しい女性を別れさせたいという裏があった。
別れた後の女性に縁談を持ち込みたかったらしい。もちろん全部断り、今後の付き合いは控えると宣言してある。
この件は本人たちは知らないだろうし、クルトも誰にも言う気もない。
「時期を見誤って、本気で離婚されないといいですね」
「不吉なことを」
「今のうちにでも内々に何かしたほうよくないですか」
「くっ。考えておく」
「では、帰れ」
本格的に邪魔だと追い払われる。クルトは、儂は侯爵のはずなんだがといつも思うが、過去のあれこれのせいで雑に扱われがちであった。
そう考えれば、長男の真面目さはどこからやってきたのか謎と思えるほどである。
「……邪魔したな」
とっとと撤退したほうが良さそうであった。
「贈り物な……」
クルトは難題に頭を悩ませることになった。




