小さい嫉妬
「すみません。出直します」
彼女は一瞬びっくりしたようだったが、すぐにそう言って踵を返された。それに止める間も、ためらいもなかった。
あまりにもあっさりしすぎて呆然と見送ってしまった。
厨房が一瞬静まり返ったというのはライオットの気のせいではないだろう。
「こっちは何とかするので追いかけたほうがいいです」
「すぐ戻る」
ここに来た時の彼女はいそがしそうですね、なんて言いながら端に座ってたりする。なにが楽しいのか、機嫌良さそうに。
忙しいならと何かものを置いていくこともあった。
しかし、ああいう態度をとったことは今までにない。
彼女は速足だったが、追えないほどでもない。隣にも並べそうだがったが、その気にはなれなかった。
「待って」
「私も別件あるので、終わったらもう一度来ます。
こっそり帰ったりしないです。まあ、暇ができたら、小さい殿下たちのところに迎えに来てください」
彼女はライオットのほうをちらっと振り返ったが、足を止めることはなかった。
「君の前にも来客があったんだ。嫌な言い方をして悪かった」
「面倒ってときは、私もあるんでわかりますけどね……」
彼女はため息をついてようやく歩調を緩める。
ライオットは少しほっとして隣に並ぶ。もうちょっと様子を見てから戻っても大丈夫だろう。元々副料理長も腕はあり、任せても構わないくらいではあるのだから。
「ほかの来客って、誰ですか」
「レイドだが、それがどうかしたのか」
「聖女様ではない」
「三日前に野菜が多すぎると文句をつけに乗り込んできた」
「……それで」
「健康になれよと増量してやった」
「……仲いいですよね」
「いいのか、あれ」
「甘えてるじゃないですか」
「俺だけが特別ではなく、シオリさんも同じこと言われてるだろ」
「そ、そうですけど」
「……妬いた?」
ライオットはもしやと思って口にしてみたが、なんだかあの聖女に妬くというのが、おかしい気がした。どちらかと言えば、私のシオリが、と恨まれる側である。
それに今までそんな気配すらなかった。いつも大変ですねと労うように言ってくれるようなこと。そう思っていたが、違っていたのだろうか。
「ほんの、ちょっぴりですよ」
彼女は気まずそうに肯定する。
「ライオットさんのおいしいごはんずっと食べてたのかと思うと何か、もやもやしたものが。それもこれもあのビーフシチューはいけないんです」
恥ずかしさからなのか頬を染めてそういう彼女は可愛らしかった。
ライオットは周囲を確認した。裏口から出てくると庭の外れだ。あまり人通りもなく、隠れる木もある。
誰かに目撃される可能性は極めて低い。
「触れてもいい?」
「え、手ですか?」
どうぞと差し出された手をライオットは引き寄せた。うひゃっと小さい悲鳴が腕の中から聞こえる。
「な、急に、びっくりするじゃないですか」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど、落ち着きません」
「俺もだ」
小さく笑った声が聞こえる。うつむいたままだが、耳も、髪の隙間から見えるうなじも赤い。
「俺が好きなのはシオリさんだけだよ」
そう告げると彼女はびくりと震えた。というよりなにか小刻みに震えている。小さく何かつぶやいたようだが、不明瞭だった。
嫌だった、というわけでもなさそうだが、様子がおかしくはある。
「どうした?」
「……なんで、こういう時すっごい過剰なんですかね。溜め攻撃かなんかですか」
「どこら辺が」
「腰砕けになる低音ボイスですよ。溢れないでいいものがあふれてます」
「……意味がわからん」
「わからんままでいてください。声フェチではないはずなんですがね……。
はいはい、離れてください。お仕事中ですよね。お戻りください」
これ以上は怒られそうに思えて名残惜しいが、開放する。
あーもー熱いったらと手で扇ぐ姿はどこか照れ隠しのようでもあった。
「本当にあとで来るんだろうな?」
「来なかったら拾いに来てください。今日は爆弾案件多めなんで勝手に帰りませんよ。お楽しみに」
少しだけ意地悪く笑って、彼女は去っていった。




