黒ヤギさんはお手紙を食べませんでした
手土産もなしにアンネマリーさんにも見つかり、おうちに招き入れられてしまった。
この家は、3階建て+半地下。裏から別の入口があり、2階と3階は貸し出されている。元々は上の階に住んでたらしいけど、年をとったら下の方が便利で入れ替えたそうだ。
という話を現実逃避に思い出している。
誰かに似ているこの女性、シェフのお母さんだった。
誰だろ? という顔をしている私に気さくに自己紹介してくれたんだけどっ!
心の準備もないままに、彼氏の母と遭遇してしまうのってどういうこと。しかも当人不在。お付き合い状況はどの程度知っているかも不明。卒倒するようなか弱さをぷりーず。
どうにか頑張って微笑みを維持しつつ、応接間まで連行されてしまった。気分はドナドナ。
席について、さっそくお仕事の話で悪いけどとアンネマリーさんに色々な話をしてもらい気分も持ち直したところで。
「私、ちょっと用事があるから少し席を外すわね」
アンネマリーさんがお二人で話してという雰囲気で立ち上がってしまった。
わ、私も帰りますと口から出そうになったが、それも感じ悪いだろうなと思いとどまった。しかし、二人だけというのは……。必死にシアさんに目くばせをした。どうか置いてかないで。
なにかを察したのか新しいお茶の用意をしてもシアさんは控えていてくれた。す、少しは助かったのか?
「お会いできてうれしいわ」
そういう貴婦人。あ、シェフってお母さん似なんだと気がついた。お兄さんとはあんまり似てなかったから。
それにしても胃が痛い。きりきりしてる。微笑みを維持しているが、なんで、どうして、ここにいるの。誰か説明して。
「こちらに滞在されていたのですね」
という私に怪訝そうに見返してきた。なんか、まずい返答だったっぽい。シアさんを見れば、え? という表情で、つまりは、私がなんかやらかしてる。
でもシェフからもどこにいるかは聞いてない。お友達のところとは聞いたけどアンネマリーさんのとことは……。
「お手紙、届いてなかったかしら」
「手紙……?」
「あの10日ほど前に、お渡し、しましたよね?」
受け取った? 首をかしげる私に、シアさんが告げた日付は、契約などでばたばたしていた日だった。
お手紙ですと受け取ってないような……? 誰からとも聞いてない、と振り返るけど確実じゃない。でも、受け取ったのは確かで、あれ? どこ置いた。
冷や汗が出てきた。その手紙をどこに置いたのかの記憶がどこにも、残ってない。まさか、契約書とかにまぎれてた!?
ま、まさか、黒ヤギさんみたいに読まずに食べた? ……それはない。混乱が極まって出てきた発想になんか頭が冷えた。
「すみません。どこかに紛れてしまったかもしれなくて……」
「あら。忙しいのだからそういうこともあるわ」
「ごめんなさい」
「いえ、いいのよ。できれば破棄してちょうだい。
こうして顔を合わせることができたのも手紙を見なかったおかげでしょうし」
あくまで穏やかにそう言ってくれるがっ! 大失点である。床に崩れ落ちたい。なんで、どうして、こんなことに!?
ああ、ちゃんと整理しておけばよかった。してたつもりだけど荒れるときだってあるじゃない!? いや、いいわけだ。こんなことになってしまったらもうどうにもならない。
もう本格的に書類関連扱う人雇おう。お金ないとか言っている場合じゃない。
泣きそうな私に彼女は微笑んで立ち上がった。
「ウェイクリング家の当主夫人として当家のものの無礼な行いを謝罪します。
申し訳ありませんでした」
それから優雅に私に向けて頭を下げた。
「え、あのっ!」
狼狽える私、シアさんも慌ててる。それでこれはよほどのことなのだと察した。その雰囲気を感じたのか彼女はすぐに頭をあげて、席に座っていた。
胃がきゅっとする。
「ほんとうにごめんなさい。
知っていたら、止めたし、説教もしたのだけど私も出かけていた日のことで。ライオットもちゃんと連絡を入れてくれればよかったのに」
……事前に家に連絡した、と言ってたような? つまり、このご婦人には知らされてなかった。それどころか黙っているように言われていた。ということになるんだけど。
それを言ったら、なんだかまずい気がした。
「許す必要はないわ。
あの人たちも反省したほうがいいし、わたしも、もっと言っておくべきでした。我が家の事情に巻き込んでしまって申し訳ないわ」
私の微妙な表情を許すか悩んでいると受け取られたようだ。ちょっと違うがそれは指摘しないことにした。
「私もその言いすぎた、ような気もしますし……」
2度と会うことはないというのはちょっぴり言い過ぎた気はする。うん、ちょっぴり。でも、個人的に会うことはたぶんない。相手も生意気な女に用はないだろう。
……というかシェフのお父さんにはまだ会ってもいない。
「厚かましいお願いなのだけど、私たちはいいのだけど、孫がお店に通うことは許してもらいたいの」
「優遇してほしいということでなければ、いらっしゃっても大丈夫です。
その、悪いのですけど、男性はご遠慮いただきたいですが」
「もちろんよ。本当に食べさせるのがもったいないわ。
味の分からない男と前から思っていたけど、ほんとうに……」
そこからなぜか、クッキーの話になった。
……シェフ、私のお土産、実家に渡してた。そ、そりゃあ、量が多い日もあったけど、厨房の皆さんに的なものだ。なぜ、実家持ってった。おいしいからとぶっきらぼうに渡されたとかなんなのそれ。友人が作ったとかそうだけど……。
作っていたのがこんな素敵なお嬢さんだとはとかリップサービスだろうけど、こそばゆい。
「……あら、こんな一方的にお話してごめんなさいね。
時間は大丈夫かしら?」
ふと見た時計の針に驚いた。なぜか一時間経過している。
「すみません。仕事が立て込んでましてそろそろ失礼させていただきます」
「お話出来てよかったわ。
私から連絡することは控えるけれど、なにか手を貸せることがあったら知らせてもらえるかしら」
「ご厚意感謝します」
ひとまずはこれで帰れる。
玄関に向かっているとシアさんが追いかけてきた。
「……教えてくれてもよかったんじゃないかな」
「手紙を読んでないとは思っていなかったんです」
「店帰って手紙さがそう……。
どういう方な感じ?」
「ローラさんが言うには貴婦人だけど、それだけじゃなくて馬術がすごいしかっこいいの。だそう」
「意外。
でも、ローラさんも楚々とした美人なのに、剣筋がするどいからなぁ……。貴族のご令嬢、意外と武闘派?」
「例外中の例外と思いますよ?」
「シアさんもなにかあったり?」
「……なにも?」
怪しいが追及しないことにした。わりとレアスキルあるかもしれない。
「手紙をお読みでないならご存じないかもしれませんけど、メラニー様、大人向けのパーティーの手伝いをされていますよ」
「どうして?」
「家主の意向ですね。働かざるもの食うべからず、だそうです。
前々から誘ってはいたらしいですよ。楽しいから、一緒に遊ぼう的に」
どう転んでも、私、シェフのお母さんと顔を合わせることになっていたっぽい。
そして、趣向がだいぶ変わってきたなと思っていた原因でもあるようだ。なんか洗練されているというか、慣れない人ががんばりました、というところを抜けてきたというか。
侯爵夫人、侮りがたし。
シアさんとは一時別れ、私だけが店に戻った。
店では弟子たちがそわそわしながら待っていて、手紙を献上された。装飾用の花の原材料に交じっていたらしい。いつ、積んだ、そこに! と記憶をたどっても記憶がない。
破棄してと言われたけど中身は気になる。
結局中身を確認した。
内容的には当家のものが無礼なふるまいをしたことに対する謝罪。絶縁ということは受け入れるし、最低限必要な連絡以外はしないことが書いてあった。最低限というのは、相続の問題などが発生する場合等と注釈がついていてわかりやすいけど……。
あとは可能な限り、夫と息子にも今後接触をさせないようにするとも書いてあった。問題が発生した場合、対応するのでアンネマリーさんの家に連絡してほしいことも書いてあった。
部屋に保管しておこう。あとシェフに報告もいるかな。逆の立場だったら知らせて欲しいし。
「手紙、誰かお城に持って行ってくれない?」
「師匠が行ってくださいよ。俺、アザール閣下に顔覚えらてるっぽいんで城に行きたくないっす」
「そんなこと言わずに遭遇するとも限らないし。というか、覚えられたらいやなの?」
「実家の陣営が、違うんすよ。うちは粛清されなかったけど王太子派なんで気まずいったら。
俺が実家と縁切ってるって知ってるからそれなりに対応されてますけどね。裏切り兆候があったら即切られますよ。物理で」
「うちの弟子、切られたら困るんだけど」
「そもそも裏切らないから話してほしいっすよ、師匠」
「そこは本人の主観がはいるものだから、何とも言えない。
じゃあ、フローリス」
「嫌っす」
フェリクスの真似をするくらい嫌か。
皆がさーっと別の作業に入っていった。誰も行きたくないらしい。
イケニエを選定するか。
「聖女様にお会いに行ってはいかがですか? クッキーもありますし」
「半日くらいは、頑張ります。ほら、明日からはお菓子仕込みの日ですし」
「……そー」
明日、半日くらい出かけることになった。




