水出しの紅茶と
「すみません。とりあえずここ座ってください」
そう言いながら店の中の席に案内される。いつでも開店できそうなくらいに整った店内。色々なことに巻き込まれなければ、今も営業していたはずだろう。
聖女がこの件に絡んでいるどころか主犯に近いので、ライオットはにんじんを除くことやめるつもりだった。それから、サラダを増量する。何か言われれば健康によろしいので、と言い返すつもりだ。
「夕食も食べたりします?」
「そこまでは長居しない」
今でさえ理性の残量の底が見えている気さえしている。
帰らないでと言わずに、手で引き止められときにすでに危うかった。長居でもして、取り返しのつかない何かをしでかすのではないかと不安になってくる。
「じゃあ、新作の水出し紅茶をお出ししますね。朝用意したからいい感じになってると思います」
彼女が出してきたものはガラスの容器だった。その中に水と小さな布がぷかりと浮いている。薄く赤色に色づいていた。
ライオットが知っているモノに近い。味も茶葉の違い程度だった。
水出しのお茶は王宮でも夏になると出すもので、3代前の王妃が考案したと聞いていた。冷やす場所があり、かつ、すぐに出せるような場面でないと飲むこともない。作っているところとなれば、よほどの金持ちか貴族の家でしか見ることもないだろう。
寄宿舎で知った、というのも無理がある。女子向けならばあり得るかもしれないが、年ごろの男しかいないならば食事は質より圧倒的に量である。
「お湯のほうが成分が出るのでいいらしいんですけど、熱くないお茶というのもたまにはいいものですよ。同じように珈琲も作れるみたいです。
氷がたくさん使えると急冷式でできるですけどね」
「君は」
どこでそれを覚えてきたのか。
ということは聞いてはいけない。聞きたくても、彼女が教えてくれるまでは。
「少し休んだ方がいい。
頼る相手がいるんだから」
代わりに別の苦言を呈しておく。
「休みますよ。いろいろ終わったら」
「断言していいが、そういうのは、終わらない」
「そうですか?」
「子供向けのパーティーが2週後、大人向けがその翌週。さらに、新店舗の仮開店が今から一月後」
「そ、そうですね」
「こっちの改装は今から2か月後、そこから新装開店に向けての準備があるだろ。
向こう3か月は、休めない。その上、別店舗の打ち合わせがある」
「……ううっ。改めて言われると重荷が」
「さらに、書類関係があるんだろ。俺は詳しくは知らないが、届け出も、関連部署に回るのもあると聞いている」
「そういうのは、全部弟子に丸投げします。良かった、書類仕事できる弟子がいて。実家の太さも助かる」
しみじみとそう言っているが、それを引き出したのは、自分であるという自覚はない。騎士より劣ったと思われる職で、女の下についてという意識を覆させたのは大きい。
後ろ盾もあるだろうが、彼女自身が向き合ってきた結果だ。
ライオットは今までしてこなかったから、今、困ったことになっている。料理人なんてと言われても聞かないふりをしていた。関わらなければいいと。
ここまで戻れと言われるとは、考えていなかった。ライオットにとっては10年も前に済んだことでしかない。
「ライオットさんも半年は無理なんですよね」
「副料理長の考えにもよるが、まず、それより短くなることはない」
「むしろ伸びる可能性があると……」
「辞めるな、からはじまる」
「そこからですか」
「まずは陛下に内諾を取ってもう決まってからいう」
「退職届出し終わってから、知らせるって極悪過ぎません……?」
「説得なんてしてたら、年単位かかる」
「わかりました。頑張って、もぎ取ってください」
「たぶん、陛下は、いいというんだろうが」
懸念が一つだけある。
「その歯切れの悪さに、嫌な予感がしますよ」
「厨房のものは黙らせられても、殿下たちがごねるかも」
「どの殿下ですか」
「下の王子王女5人くらい」
「……餌付けしてました?」
「そんなつもりなかったんだが。説得には力を借りるかもしれない」
「任せてください」
一番、難航する相手については言わないことにした。
他の何かは別に気にしないでも、騎士の返上だけは阻止してくるだろう。それこそが、ライオットにとっての重荷であるということに気がつきもしない。
そして、それをはっきり伝えることもなかったライオットの怠慢でもある。
おそらく、彼女に会わなければ、何かすることもなかった。
「何かあったら相談してください。
私意外とやりますよ」
「……大丈夫」
彼女に相談したら、家庭崩壊しそうだ。間違いなく、実家の二の舞。すでにその兆候は出ている。




