貴婦人も家出する
そろそろ昼を迎えようとしていた時間帯にそのご婦人はやってきた。
お約束はないのだけど、メラニーが来たと伝えてちょうだいと。シアはそのまま家の主であるアンネマリーに伝えに行った。先日の風邪以降、不調ではあったが来客を断ることはなかったからだ。
応接室に案内するようにお願いされたシアは玄関へ戻る。その時にはご婦人だけではなかった。荷物があった。
申し訳ないけど中に入れてくださる? と言われ、シアは断れず玄関の中にいれることになった。
そのころにアンネマリーは玄関までやってきた。
「あらあら、大荷物ね。ごめんなさいね、シア」
「いえ」
「メラニーもどうしたの?」
「家出してきてやったわ」
家出。シアは貴婦人も家出するんだと思った。そういえば、家出したご令嬢もしたなと思い返す。
応接室にご案内したあとに、お茶を用意に厨房へ行く。そこには昼食の準備に奮闘しているローラがいた。パンを切って、スープを温めて、飲み物を用意する程度だがお嬢様育ちではどれもやったことがない。
手つきが危なっかしくて、料理人がハラハラしながら見守っている。
「メラニーさんって人が来たのだけど、知ってる? 貴婦人だわぁって感じの人なんだけど」
「どなたかしら?
お茶を持って行っていい?」
「どうぞ」
お茶の作法についてはご令嬢だけあってローラは完璧だ。流れるような手つきは、シアにはできない。
ローラの代わりにシアは昼食を増やすべく、料理人と相談しているうちに彼女が戻ってくる。無表情だった。
なにかあったのかと心配していたら、ローラはシアを見て急に表情を変えた。
「ウェイクリング侯爵夫人だったわっ!」
「侯爵夫人?」
「そうよ。間違いないわ。
乗馬の名手で、それはもう、お美しい姿でっ!」
「興奮するくらいに、すごい人なのね」
「ええ。褒めていただいて、うっかりファンですと言いそうになりましたわ」
つまりローラのあの無表情は感動やらなにやらをおさえた結果らしい。
「侯爵夫人が、家出するってやっぱりよっぽどよね?」
「え、家出? 遊びにいらしたわけではないの?」
「本人がそうおっしゃっていたわ。貴婦人も家出するのね」
「普通はしません。それは、離縁していいほど、私、怒ってます、ということ」
「……なにがあったのかしら」
「さあ?」
二人で顔を見合わせても答えは出てこない。おそらく、長期滞在になるだろうという予想がつくだけだった。
昼食はシアが持って行くことになった。ローラは、もう、目の前で失敗しそうだから無理と断ったのだ。
切っただけのパンはパテを塗られ、オープンサンドに。スープはいつもとは別の皿に入れられ多少の見栄えは良くなった。それから、口直しの焼き菓子も添えている。
「まあ、素敵。
ありがとう」
無言で礼をし、下がろうとしたシアをアンネマリーが引き止めた。
「シア、悪いのだけどお話を聞かせてくださる?」
「なんでしょう?」
「シオリさんのこと。
昨日、お店に戻ったとき何か変わったことはなかった?」
「いえ、変わりなくお過ごしでした。でも。なんだか、店の雰囲気はおかしかったように思います」
「どのように?」
「少し、殺気立っているようでした。
理由はわからないのですが」
「だそうよ。
シアは夕方くらいまでうちにいたから、遭遇はしてないわ」
「……そう。
今日はいらっしゃらないようだから、明日にでもお伺いできるかしら」
「明日は大事な契約があるので不在です」
今日いないことは誰から聞いたのだろうかとシアは怪訝に思いながらも明日もいないことを告げた。店にいる弟子たちではきっとこの淑女は手に余る。もちろん、ローラにも。シアだって、侯爵夫人の相手は緊張するを超える。
王子相手でも普通に対応していた店主が規格外なのだ。
「そう。謝罪したいのだけどすぐには難しそうね。こういうものは時間を置くほどに拗れる思うけれど、予定があるところを無理やり押しかけるものでもないし……」
「手紙を最初に送ってはどう? そのくらいならご子息も許すでしょう?」
「どうかしら……。関わるなと言いたげだったけれど、何もしないというのも誠意がないわ。
でも、手紙を送るにしても夫が勝手にしたの、と言い訳しかできないのよね……。そうでなければ、阻止できなくてごめんなさい、になるかしら。それもいいわけね。
贈り物で詫びるというのも違いそう」
「それならご子息の希望通りに素直に今後も関わらなければいいのではないかしら」
「何もなければそのつもりだったわ。でも、こうなっては無言というのもおかしいでしょう」
「何か言いたくなるのはわかるけれどね。
あら、前から存在は知っていたの?」
「彼女のことは知っていたわ。変に関わると拗れるかなと静観してたのよ! だって、嫌でしょう? 婚約もしていないのに相手の親が様子を見に来るのって」
「その情報を知っているだけで、嫌われても仕方ないと思うけど。少なくとも彼は嫌な顔するわよ」
「孫が叔父さん、なんか噂になっている人いるんだけどって報告してきたの。不可抗力よ」
「変なところから知るよりはとシディ君も気を回したんでしょう。あなた行動力あるから。
それに知っているだけならまだしも、そこから調べて、店にまで行ってる時点でアウトよ。アウト」
「さすがに、本当? ねぇ、本当なの? と思ったのよ……。だってそうでしょ? 有名店のしかも女性店主と恋仲? 嘘でしょう!? って思わない?」
「まあ、今までの様子を見るとそうだけど」
「ねえ、本当にうちの息子でいいの!? という気持ちはまだあるわ。もっといい相手いない? って」
「そこまで言われるとかわいそうな気がするわね……」
「それとは別に、見る目あるわね、うちの息子、いいでしょ、という気持ちもある」
「……やな姑しないでよ」
「もういい年なのだから、不干渉が大事とは思っているわよ。だから、何もしてないじゃない。
ただ、今回は不干渉すぎて、後手に回って、こんな状況になってしまったけれど。あの子も事前に帰るって連絡を入れればいいのに。
それにしても夫や息子には黙っていたはずなのにどこから知ったのかしら。やっぱり、シディがうっかりしたのかしら」
「アザール閣下から聞いたというのもありえそうよ。あとは侍女長が、坊ちゃんにも良い方がとかいいそうだわ。それにあなたとは別の方法で調べたのかも」
「どれもありえそうね……。そこで私に相談すればよかったのに。いきなり会いに行ったりせず」
「相談したら大変なことになるとでも思ったんじゃないかしら」
「まあ、やり方によっては大喧嘩したでしょうね。今と同じで。
おいしいから人気で、聖女様のお気に入り、王家の後ろ盾あり、殿下たちも指定して買うという店の店主に喧嘩を売るようなことを言ったのよ? 正気? というところ」
「確かに。異例尽くしな相手を下に見るというのも変ね」
「そうなのよね。内心はともかく、丁重に扱えば絶縁まで言われない可能性はあったと思うわ。今更遅いのだけど」
「礼を尽くせば、絶縁はちょっとやめようかと説得してくれた可能性はあるわね。
今更だけど」
淑女たちはため息をつく。
シアもため息をつきたくなった。知らなくてもいい情報が詰まっている。
この侯爵夫人の夫が、シオリに無礼なことをしたのが昨日の話で、その原因というのに息子がいると。その息子というのはもう一人しか該当者がいない。
シアは素直に侯爵家の子息っぽくないなと思った。まず、料理人になろうというのだから下級貴族の生まれかなと思っていたのだ。それならば、シオリに対する態度にも納得がいくものがあった。
それが、侯爵家の生まれ。違和感しかない。
上位貴族になるほどに、身内の女性が働くということに対して忌避感を覚えるようだった。
女性で弟子ももつ職人となるとかなり否定的に見られてもおかしくはない。婚姻したら、店の運営のみで現場には立たせてもらえないのは確実だ。
そして、そういう可能性のある相手をシオリは選ばない。
ああ、だから絶縁するのかとシアはちょっと納得した。そういう口出しを親族からされないように最初から排除することを選んだのだろう。それだけが理由でもないだろうが。
「彼女の話は女性相手ではすごいわねと同意を得られても、男性相手だと大したことないという扱いがあるの。なぜかしら」
「……よろしいですか?」
シアは口を挟むのは良くないと思いながらも声をあげた。
「シアはなにか原因わかるかしら」
「男性が、店を持つことも、王家ご用達になることも、前例が多くあるからではないでしょうか」
彼らにとってはすでに多くのものが成し遂げた、さして珍しくもないこと。
「女の身でこれほどのことをするのが、難しいと考えていないからわからないのでは」
商売をする権利が男性のみに限定されていたことすら知らないものはいるだろう。店主にはなれないということも。
シアは、彼女が運が良かっただけと笑うけど、それだけではないことを知っている。
「……そうね。
忘れていたわ。年を取ったものね」
「ええ。
女騎士になりたいと言ってたあなたらしくもない」
「あら、女宰相になってやるといっていたあなたもね」
過去に思いを馳せるように二人はしばし沈黙した。
「手紙を書くわ。渡してもらえる?」
「承知しました」
「それから、これからすることは黙っていてね?」
「え」
「手伝いをしてもらうことにしたの。
働かざるもの食うべからず、だったかしら」
聖女語録より。シアは確実な汚染を感じた。同じような言い回しの言葉はあるが、なんだか聖女語録の言葉は妙になじむのだ。
異界でも、同じような人たちが生きているのかなとシアは思う。
「パーティーの準備なんて滾るわ」
「やりすぎないようにお願いしたいわ」
「いやよ。格式とかいわれないのでしょう? 提案だけはいくらでもしてもいいでしょ」
「あなたのは奇抜」
楽し気な二人の様子にシアは先行きに不安を感じるのだった。




