コトコト煮込んだビーフシチュー
コトコト煮込んだビーフシチュー。
圧力鍋もまだない世界なので、柔らかくするのは時間と技術で何とかするしかない。最初に柔らかくするために漬け込み、あとは延々と煮込む。焦げないようにそこそこ注意もいる。もちろん、燃料もいる。
時間もお金も手間もかかる料理だ。
半日、香味野菜とワインに漬けた肉をフライパンで焼く。
にんじん玉ねぎセロリ等を鍋で炒めて、トマトやワインを入れて、半量くらいまで煮詰める。
チキンブイヨンとデミグラスソースを入れて、煮込む。
肉を入れて煮込む。
肉を取り出して、スープを濾す。
肉を戻して、食べるまでそのまま置いておく。
追加材料で、ニンジンとかじゃがいもとかを別茹ででご用意ください。
……圧力鍋欲しいな。
すぐおいしいとか、文明だった。
このビーフシチュー、シェフが明日の昼にでも食べようと材料を準備していたらしい。久しぶりにじっくりコトコト気に入るまで作りこもうということだったそうだ。
仕事じゃないところでも料理してる。
どうやら我々は同種の人間のようだ。
そのビーフシチューを今、私が作っている。いや、焦げないように混ぜる作業しかしてないけど。
なぜこうなったのかという主原因は私だ。
ちょうど材料を切ってこれから作るかというタイミングでお邪魔したっぽい。で、想定より長居してしまって作り始め損ねたということらしい。
シェフとしては私を送ってから作るかと思っていたそうだ。自宅だし、休みだし、明日、起きられなくても困りはしない。
想定外に遅くともまあなんとなるだろうと。
ところが、私の帰宅先が問題だった、らしい。
私が店の二階の方の家に帰ると言ったら止められた。
まあ、家具無状態の家に帰るって言われたらね……というところはある。荷物配送が朝一対応なので宿泊先からでは間に合いそうになかったんだ。そこしか空いてない、次は一週間後、なんて言われるともう断りようもなく。その早朝もかなり無理やりねじ込んだやつだったらしいし。
その説明をしたら、相当悩まれた末に一緒に来ることに。それもビーフシチューの材料込。さすがに、材料切った状態で一日置くとかできないらしい。でも、私を一人そんななにもないところで一夜過ごさせるのも嫌だったらしい。
毛布の一枚もないとか信じられないと言われてしまった。徹夜すればいいじゃないという説明をしたら、黙られた。あれはもう完全にこいつダメだという視線だったに違いない……。
普通に毛布なども用意された。
荷物も増えたので辻馬車を呼んでの移動だった。
そして、今、がらんとした自宅でビーフシチューを煮込んでいる。
わりと、どうしてこうなった、という感じはする。
なお、シェフは今日のご飯のほうを作っている。チキンブイヨン作成中に使用した鶏肉が、今日の夜ごはん。お城では鶏ガラだけでなく、骨付きのもも肉も一緒に入れるのだそうだ。煮た後のもも肉をほぐして、ビーフシチューのソースかけるらしい。今は付け合わせのにんじんやじゃがいもをゆでているが、きれいな飾り切りになっていて、シェフだなぁと。
「何か料理名あるんですか?」
「ただのまかない」
「あれおいしそうですよね。私食べたことなかったから」
「そうだったか?」
「そうですよ。ライオットさんの手料理とか食べたことな……」
なかったか? プリンは食べたけど、あれはデザート枠。
「カツサンドは、食べましたね。おいしかった」
「……もっと別のを作ってやるよ。
あの程度と思われるのも腹が立つ」
「えぇ、おいしいですよ」
「俺が納得がいかない」
以下、料理名を並べられたが、お城の料理過ぎてもっと普通のとリクエストすることに。なんというか仕事の料理はすれど、普通の家庭料理には疎そうだと気がついた。日常的に料理しないのになんで料理人になろうとしたんだろうか?
ちょっと疑問である。
そんなこんなで、ビーフシチューは作られ、冷蔵庫に入れる前の粗熱をとることに。氷もないので排水に蓋をしたシンクに水を張って鍋ごとどぼんと。ワイルドだ。
その間に夕食となった。
食器もないじゃないと思っていたら、シェフにやっぱりという顔をされ、持ってきた箱の中から出てきた。
「……お世話かけます」
「しっかりしているようで、抜けてるんだよな」
「すみません……」
ただ、出てきたお皿とカトラリー一式はシェフの家にあったものではないようだ。コップもなんか質のよさそうなもの。
「何年か前に家から使えと贈られてきたものだ。当てつけみたいに二人用。本当に腹が立つ」
こちらの世界で言うとっとと結婚しろよというところか。あるいは恋人の一人でも作れとか。
余計なお世話である。
まあ、食器に罪はないので使わせてもらう。お皿やコップは白地に青の唐草模様のような柄がついていて、日本でもみたことのある高級食器に似ている。
お皿に鶏肉をのせてソースをかける。それから、添え物も置けば、高級料理店で出てきそうな一品に見えた。
そして。ここから店の方に移動することになった。やっぱり机ないの困る。
店のほうには喫茶スペースに置くテーブルとイスの一式があるし、ちゃんとセッティング済みだ。
カーテンを閉めているから暗い店内だが、店内用ランプに火を入れると明るくなる。
元のようで、同じではない店内はちょっと違和感があった。そのうち慣れるだろうけど。
テーブルにお皿を乗せ、店内用のガラスコップに水を入れ、カトラリーもセットするとすごく、お店っぽい。
うちも結構いいお皿を用意したけど、このお皿のほうがより良い品という気はする。
「このお皿、高級品な気がしますけど、ライオットさんのご実家ってお金持ちだったり?」
「……疎遠だが、一応は侯爵家」
いいとこの息子さんだったっ! 騎士やるには実家の資金力大事とは聞いていたので、それなりにいいところの生まれと思っていたけど、思った以上だった。
「それなら政略結婚的なものありません?」
さすがに一般市民な私と付き合ってていいんですか、とは聞きにくかった。言い換え大事。
「ない。
俺としては縁を切ったつもりだったんだが、あちらからなんか言ってくる程度の間柄だ。いまさら縁談なんて持ってこないだろ。
絶縁するという手紙は送り済み」
「なぜ、絶縁」
「国境行きは、甥の付き添いだった。次は初陣とかに付き合わされそうだ。それはしたくない」
「あ、建前だけでなく、ほんとに付き添いだったんですね」
「兼務だろうな。甥は後継者だが、俺は違うし、独り身で使っていいと思ってるんだろ」
この世界における後継者とそれ以外の扱いというのは差があるからありえそうな話ではある。
世知辛い。
「それに、君とこれから先も付き合うなら余計関わりたくない。どうせ、融通をきかせろだの言うことを聞けだのろくなことになりそうにない。
もし、何か言ってきたらすぐに教えて欲しい。話をつけてくる」
……どうしてだか、穏当な話し合いな気がしない。
「わかりましたけど、穏便に済ませてください。
もしかしたら顧客かもしれません」
まあ、侯爵家の人が直で買いに来ることはなかった、と思う。たぶん。お連れの人に買わせてというのも含むともうよくわからない。
シェフをよく見ても似たような人がいたかどうかなんて覚えていない。
「……ご家族似てます?」
「俺は祖父に似ているそうだ。会ったことはない。甥が似てるかもしれないが、レイドが言っていたことだからな」
「シディ君、爽やか青年って感じでしたね……?」
似てるところあるかな、とまじまじと見て気がついた。
あれ? シェフ、意外と顔立ちが良かったっ!?
そこまで意識したことなかったけどちゃんとしたらけっこうイケているのでは? そこはかとなく漂う疲れた感じがダメだった?
衝撃を受けた私の反応をどう思ったのか、嫌そうな顔をされてしまった。
「悪かったな。おっさんで」
「いうほどおっさんではありませんよ。
それにそういうところも嫌いなわけでもありませんし」
「嫌いではない、ね」
むしろ好きと言えばいいのか。
いや、でも恥ずかし……。
とか言ってるから進展しない。
さらっと軽くっ!
「好きですよ」
よし! 任務完了! あとは知らない。




