声
聖女の声は、他を圧する。と噂には聞いていた。
人により感じるものが違うが、共通するのは、その意志を込めた言葉に逆らうのは難しいことだ。
手を止めろ、そういわれたら、止めねばならない。その効力を初めて実感した。
「聖女様が、どうしてここに?」
「知らん。どうせ、王都でなんかあったんだろう。そうでなければおかしい」
知った顔をここで見ることになるはずもない。
自称東国一の武芸者である。サイゾウと名乗っているが、古い文献にある名だそうだ。つまり偽名。そのうさん臭さが気に入られ、侍の一人になっているが人を率いることはほとんどない。
それらの話は、ライオットが数年前に聞いたことだ。
東国の王族のお供で来た時にたまたま訓練場で会い、手合わせを申し込まれた縁だ。それ以降たびたび手合わせをしていた。現在までライオットは負け越している。
ここは訓練場ではない。
ならば、こちらを殺しに来ている。そういう剣の使い方をするやつだった。殺意さえ見せずに、殺す。
姿を見てルイスを連れて即逃げ出した。近衛たちを盾にするようなやり方はしたくなかったが、そうするしかないと判断した。
聖女の声が聞こえたのはルイスとシディをさっさと馬に乗せて遠くまで行かせようとしている最中のことだった。
押し問答などしている間もないと気絶でもさせておこうかと考え出したタイミングでもある。
主戦場になった場所から離れていたから状況はよくわからない。ここで待っていてもよいこともないだろう。
「逃げるなよ」
「逃げないよ。聖女様がきたら優先度はそっちの方が上だ」
「一人で来るとは思えないが」
「あ、いた。良かったよかった。ニーロがどこにいるかわかんないとか言ってたから心配で」
ほっとしたような声が聞こえた。誰だと思えば、ルイスがあっと声をあげた。
「リーグさん、どうしてここに」
「ん。ちょっと観光」
「かんこう?」
意味が分からないと首をかしげるルイスとシディ。
ライオットは嫌な予感がした。
弟子がいて、聖女がいて、彼女がいないという想像がつかない。
あの聖女がなにかやらかすときに道づれを選ぶなら婚約者ではなく、間違いなく、彼女だ。えーと言いながら付き合って笑うから。
知りませんよと言いながら甘やかしてきたからだ。
「くれぐれも、ここで待たせておけよ?」
「了解! ほら、少年もぐいっと捕まえて」
「え、なんで? え?」
よくわからない顔をしている二人を置いて、少しも行かないうちに別の声も聞こえてきた。
「先生!?」
「おー、暴れない。ダメだって。君がケガすると洒落にならない」
そういう声が聞こえてきたので、ちょっとはもつだろう。
急いで現場にいけば、彼女がフライパンで剣をはじいていたところだった。声をかけることさえできないような緊迫感があった。
ほんの少しでも気が逸れたら命取りのような危うい攻防に見えるが、まだ遊んでいるように見えた。
本気にならぬうちに何とかしたいと思っても、他人の殺気にでも反応して気が変わられては困る。
目についたのは、落ちていたフライパン。そんなところにあっただろうかという問いはひとまず置いて、背後から狙った。
思ったより容易く、意識を刈り取ることができた。
彼女と視線が合えば、いつものように、笑ったように見えた。
それこそが、とても無理をしているということに気がつく。
ライオットは聖女を見つけて睨みつける。どうせ、面倒をかけたに決まっている。
事故ですと口だけで言っていたが、本当にはとても思えない。店をほったらかしてまでここに来るような人ではない。
いま、いうべきではないだろうから黙っているが、あとでちゃんと聖女に聞くことにした。
ひとまずは、別のことを済ませたい。
「そろそろ離れろ」
「え、あ、はいっ」
今は少々譲歩はしたが、ルイスに譲るつもりは今のところない。
赤くなって離れていくルイスと困ったなぁという顔のままの彼女は温度差がある。それにほっとすることも知らないだろう。
「助かった」
それだけ伝えて頭をなでた。言いたいことはあったが、それはここで言うべきでもないだろう。
「よかった」
彼女はそうつぶやいて、ぽろりと涙が零れ落ちた。
「あ、あれ? なんか」
ぼろぼろと涙がこぼれて本人も戸惑っているようだった。それを誰にも見せたくなくて腕の中に閉じ込める。
「ほっとしちゃったみたいな」
落ち着くまでその背中を撫でていた。
そのあとで店がぐちゃぐちゃになった件やそれも巻き込まれとわかってライオットはひとつ決意をする。




