右腕の借り
「やられたな」
聖女の私室はもぬけの殻だった。
それだけでなく、その婚約者だったユーイン殿下も不在である。誰も察知できず、姿だけが消えてしまった。
神隠しではと言われたほどに痕跡がない。
そうでないと言えるのは、置手紙があったからだ。
「ですね……」
レイドは上司が楽し気に笑うのを見ていた。ぞっとするほど上機嫌だ。ああいうのは、数年に一度見るが肝が冷える。
それは決まって、王位継承にまつわる陰謀めいたことだった。
第二王子、という立場は微妙だ。王太子のスペアとして存在しているが、王太子より優れているようではだめだ。しかし、愚かでも困る。
優秀ではあるが、どこかダメであるというところが落としどころだ。そうでなければ、王太子と仲良く絶対的な忠誠をもつくらいだが、それができないというのは知っていた。
10年前の事件が王太子の親族によるものだと知っているから。
追求しようとしたアザールを王太子は止めた。ごめんね、今の君じゃ、太刀打ちできないかな、時期を待ってと。
それはその通りだったが、それが二人にとって決定的な断絶になったのも確かだ。
確かに若く、権限もほとんどなかったあの頃では何もできなかった。王太子でもまだ力が足りなかった。と今ならレイドも思えた。
それでも、苦い思い出。いや、思い出に出来ない。
当人はさっさと乗り越え次に進んでいるというのに。
レイドは、もし、あのケガがなければとおもうことはある。
ただ、遅かれ早かれそうなったと推測もできてやるせない。
あれから10年も、なのか、10年しか、なのか。
「いいかげん、もういいだろう。
兄上には、愚かな親族と縁を切っていただく」
「まあ、王太子殿下自体は問題なさそうな方ですからね」
廃嫡を考えられるほどの失態はない。親族がかなりやらかしているだけで。
ちょっとの甘さなのか、機を見ているのかはわからないが、親族の小さな悪さは見逃してやることは多かった。
もうちょっと、実ってからじゃないとダメかなと果実のことを語るように親族を言うあの次期王もおっかないとレイドは思い直した。
末端だけでなく、根こそぎ排除するつもりがありそうである。
今回は良い機会なのだろう。たぶん。
「聖女様は撤回させよとのことだ。
反対するものは、排除する」
「畏まりました」
大義名分を与えた聖女は強かだ。
怒れるこの上司に、思う通り動くと思うなよと言い返せるくらいの度胸がある。
脅迫状を隠していた聖女は、その実、襲撃を受けていて、それを隠していた。襲撃者に話を聞いて、別の場所で仕切り直しをさせた。
それが、菓子店ローゼンリッターでの襲撃事件だ。店主の機転で襲撃そのものをなかったことにしたが、そうでなければ争いは拡大しただろう。
それだけでなく、護衛の命を脅かした。意図的に。
それが癇に障った。
レイドですら、無表情でいることは難しかった。過去に類似したことだったから。
護衛は、あなたを守るしかないんです。勝ち目がなくても死ぬかもしれなくても。
そういい放った男は、ケガで済んだ。俺だからこの程度で済んだと冷ややかに告げて、二度と戻ってこなかった。
騎士として、以前の場所を開けているといっても、決して首を縦に振りはしない。
謝っても取り返しがつかないことの一つくらいあったほうがいい。そういっていたから。
まあ、お守をするのも嫌だというのも本音の部分であろう。
レイドも時々いやになる。振り回される方の気にもなれと。しかし言わないのがレイドと彼の違いだったのだろう。
遠く離れた場所にいる元同僚にレイドは思いを馳せる。あっちはあっちで大変なことになっているだろう。聖女様がどう場を治めるか、というのもそうだが、ただの菓子店の店主と思っていたのが、実は騎士並であると知る衝撃。
見たかったな。面白そう。そう思うのはちょっと現実逃避かもしれない。




