夜の紅茶
「うそでしょ。嘘でしょぉ」
そうつぶやいても、弟子たち、帰ってこない。
泊まる場所、自力で探すの? どうなの? と思いながら、荷物をまとめる。土地の権利書など主要な書類は専門機関に預けてある。火を使う場所で重要書類を保管したくなかったのだ。火事を出す気はないが、完全にゼロにはできない。
まあ、預けたということを証明する書類も重要書類ではあるんだけど。これは複製して別所にも保管しているからまだ安心できる。
とりあえずの着替えやら何やらを旅行鞄に詰める。被害を受けなかったお菓子もついでに詰めておこう。夜食代わりに。
もちろんフライパンも持って行く。
「……伝説級、ねぇ」
しまう前にフライパンをまじまじと見てしまう。真っ黒な鉄のフライパン、だったもの。
このフライパン、やっぱり普通じゃないっぽい。壊れないのが取りえと思いきやである。まあ、壊れないのもかなり特異ではあるけど。
異界から持ってきたものは、何らかの変異が起こっている、らしい。聖女様が持っていたボールペン、無限に書けるようになったそうだ。
その他、衣類やらも普通の布ではなくなり聖女様がこっちに来るときに着ていた就活スーツが鎧より防御力高いそうだ。まさに最強装備。サイズも自動調整されると聞いて、表情が引きつったのは仕方ない。
シオリは何着てたの? と言われて、ルームウェアと答えた。しかも、ネタ系。よりにもよってあれが! 最強装備候補!
あの肉と書かれたロングTシャツが最強とか笑えない。しかも、姉さんとお揃い。
……考えるのはやめよう。いまは別の問題のほうが重い。
「ほんと、どうしよ」
誰か泊めてくれてもよくない? 一晩くらいさぁ。
家主不在なのにお泊りとかダメじゃないか? いや、使っていいって言ってたし。これから泊まるところ探すのは難しいし……。
誰か泊めてくれても(最初に戻る)
……あきらめて、お邪魔することにした。
家の前についても葛藤して、入るのに10分はかかった。
お隣さんにどうしたんですか? なんて声かけられてしまった。
鍵どこしまったか忘れてしまってと言いわけして、中に入る。ああ、まだ不審そうに見られてしまった。泥棒じゃないんです。と言い訳に戻りたい衝動がっ!
警備の人呼ばれたりしないよね? 大丈夫だよね?
心配になってきた……。
シェフの家は二階建て+屋根裏、庭付き。元は貴族の王都の家であったらしい。
古くはあるが、それが良さとなるような家だ。室内も落ち着いた色合いの家具でまとめられ、品良い。前回は二階まで上がらなかったが、多分そっちが寝室。客室もあると思う。
そこまで入り込むほど思いきれなかった。客間は使ってないだろうから掃除スタートだし、寝室は使っていたこともあるだろうけど、寝れるわけがない。
ソファで十分だ。ふかふかではないが、がっしりとした感触で寝るにはちょうどいい。
ソファに座って室内を見渡す。質の良いモデルルームかホテルみたいだ。人が住んでた気配がない。
なんとなく落ち着かなくて、キッチンに移動する。冷蔵庫のようなものはあるけど、今は起動していない。中身も空っぽなのは前回確認した。もしかして何か残ってたら困るからね。
食器棚もほとんど空っぽ。
サイズ違いのお皿が一枚ずつ。マグカップが一つ。カトラリー一式。必要最小限だけ。
ただ、包丁だけは5本もあるところがシェフっぽい。長さと幅違いだけど、普通そんなにいらない。もしかしてと思えば、鍋もサイズ違いで6個あったし、フライパンも3種類。
ここだけなんかすごく、痕跡があった。
見れば壁には色あせたレシピが張ってある。そのレシピはビーフシチュー、骨付きソーセージのポトフと肉の焼き方。それから、付け合わせのレシピも何種類か。あとからの直したような書き込みもあって、こういう味が好きなのかなと思う。
それとも昔、練習したのかな。そう思うとなんだか、試したくはなる。
そこから、最後に会った日のことを思い出してしまった。
「料理人ならこういうのないと思ったんだけどな」
思わずこぼれた言葉に顔をしかめた。
いまさら言ったところでどうにもならない。ため息をついて沈みそうになる気持ちを追いやる。
お湯でも沸かそう。一応、お茶も持ってきた。
探せばティーポットがあった。しかし、ティーカップはない。飲み物は全部一つのカップで済ませていたようだ。
お湯が沸くまで現状を確認しよう。情報過多なくせに足りてないところもあるという状況だ。
1.東方の国境で不法侵入の予兆があり。対処のため、秘密裡に一部の兵を送る。
2.聖女様の婚約に伴い不満が噴出し、攫うための刺客がやってくる。(脅迫状付き)
3.聖女様の婚約条件を破ったため、婚約破棄の危機。
国の置かれる状況は悪化するだろうというのはあるけど、今はわからないから置いておこう。
1は東方の国のやらかしが確定している。いつものアレでしょ? くらいのこと。
周囲の人は大変だけど、そこまで最悪な被害が出ることはない。ただ、婚約のお祝いがあるのだから水を差したくないから今回は優秀な少人数で処理します。そういう感じ。でも、けが人も死人も出ないとは言ってない。
この件は聖女様に隠されていたようだ。彼女はそんな揉め事あったら、仲裁に行きそうなタイプでるある。フットワーク軽く、夜会をキャンセルしていっちゃいそう。知らせないというのは、それなりに理由があったように思える。
2は今になって冷静に考えれば、どこの国のものかは確定していない。まあ、一番疑わしいのは東の国である、というのは確かなんだけど。
偽装して脅迫状を出すことは可能である。襲ってきた相手も町の人っぽい恰好で、特徴らしい特徴がない。今後の尋問とかで判明はするんだろうと思うけど。私まで情報が降りてくることはたぶんない。
今は聖女様をさらうために誰かが動いて襲撃した、それを撃退したが今後もある可能性はある。そして、それを支援したものがいるはずだという推測にとどめておく。
「……なんか違和感あるんだよね」
どこにも察知されずに、脅迫状を置けるものだろうか。
襲撃の準備を他国で整えられるだろうか。
それも気がつかれずにとなると難しくはないだろうか。
時期も絶妙すぎる。
婚約の話は二か月前に決まった。そこから今まで聖女様は国外に出ていない。
婚約前はこの国を拠点としながらも周辺国を回っていた。
つまり、いつでもどこかに行っていたか、婚約期間の間は警備の隙がなかった。婚約の夜会も終わり、皆が国境に意識を向けたこの隙をちゃんと狙えるというのもおかしくはある。
今回のお忍びの訪問は一般人には知らせないが、主要な人たちには知らせ、手配をさせているから調べればわかるはずだが、細かい時間などはわからないし、都合よく私たち二人だけになっている瞬間を襲うことはできないはずだ。
偶然というには、少しばかり都合が良すぎる。
もしかして、脅迫状がきたのではなく、襲撃されたのだったならつじつまが合うような気がする。手紙に書くには多すぎる情報を持っていたようでもあるし。
この襲撃を計画したのは襲われる本人の聖女様ではないだろうか。
「……うーん」
唸りながらなんとなくヤカンを見ればカタカタと蓋が音を立てていた。
火を止めてヤカンを見る。予定以上に沸騰しているが、熱いお湯は紅茶を入れるにはちょうどいい。こぽこぽとティーポットに注ぐ。
これから三分蒸らす。ちょっとかわいい感じの砂時計があったので、使わせてもらった。
それにしても聖女様黒幕説。
自分で思いついていながら飛躍しすぎな感じがする。笑っているだけが聖女のお仕事ではないから、色々あってもおかしくはないけど。まあ、とりあえず保留しておこう。
彼女はこれからどうするつもりなんだろ。
3.婚約破棄の危機。
これを覆すことはよほどのことがないと無理だ。そのくらいのことなのだとあの王子様は理解したのか。疑問である。勝手に色々決められて拗ねているとか都合の良い解釈してないだろうか。おいしいものを食べれば機嫌を直すと。
あの話の本質は本気の願いを蔑ろにし、反対のことを自分の意思だと周りに言われたことにある。それも、自分たちが彼女のためを思って、である。
自分たちに都合の良いほうに曲げたと自覚があったほうがましだ。
あの二人の温度差はかなりある。それでも、一度は城に戻ったのは婚約破棄を考え直したからではないだろう。旅に出るにも準備がいる。
そう考えると数日中には聖女様失踪事件が起きてもおかしくない。
もし、それ以上残るなら落とし前をきっちりつけてから、という意味合いじゃないだろうか。
考えているうちに最後の砂時計の砂が落ち切った。
お茶をカップに入れて一口。ちょっと渋い。
「……ま、いっか」
この婚約破棄については関与することはできないところだ。冷たいようだが、私は用もなく王宮には入れない。顔パスでお菓子を持って行っていたがこれからは監視も厳しいだろうし、そもそもお菓子を作れる場所がなかった。
手紙は送れるだろうが、中身は確認されるだろうから下手なことを書けないだろうし。
まあ、一応はお誘いしてみるつもりではあるけど。暗号文、日本語があってよかった。
私はこれから旅に出るつもりだ。想像以上に国境がやばそうだから、ちょっと様子を見に。不本意ながら、不在でもおかしくない理由ができた。食材を求める旅に出るなんて良いいいわけだろう。
その途中で野盗とかにあって撃退したり、隣国の人と話をしたりすることもあるかもしれない。
偶然に、である。
ただ、これの心配なことは、シェフにドン引きされないか、ということである。
か弱いとは思っていないだろうが、主要武器フライパンの戦う女とは彼は思ってもいないだろう。そこらへんの兵士よりは全然強いっす、なんて婚活に不利すぎると黙っていた結果である。黙っていろよと言っていたのに、兄たちに言っていたルイス氏は後で絞めるつもりだ。
なんで鍛えたのかと言えば、寄宿舎にいたころに、少年たちに交じっていたらなんかそんな感じに……なんて言い訳過ぎる。
ほんとは、嫌味で偉そうなやつを打倒するために鍛えた。視察とか言いながら、この寄宿舎はゴミ捨て場だの散々言いやがって、という怨念は強かったのだ。
という話もしたくはない。
まあ、その時は、その時かなと遠い目をしてしまった。




