庭のアプリコット
毛布が、悪いのだ。
私が寝れないのはきっとそのせい。
ソファに置きっぱなしにしていた毛布を手に取って、ふと思ったのだ。
なんかいつもと違う臭いがするような気がするような、いつもと同じじゃないかとか。微妙に暖かいようなとか。
部屋にいたときより帰ってからのほうが、こう、なんか、くるものが……。
旅に出るっていうから、もうちょっと大胆に迫ってもよかったか!? いや、無理! と懊悩する一夜を過ごしてしまった。お酒が、やっぱり必要そう。
「目の下のクマがすごいっす」
「寝てきていいですよ。開店作業終わったらお知らせに行きます」
そのまま朝に厨房に顔を出せば弟子たちドン引き。よほど、やばい顔をしていたらしい。
「後で寝てくるけど、その前に野暮用があるの。
旅行とか長旅の定番のお守りってなにかある?」
「お守り? ペンダントに髪とか入れるのは、定番ですが、どなたに渡すんです?」
「ライオットさんが旅に出るらしいから、それも明日」
そういったら弟子たちがざわっとした。
「ほんとう、ですか?」
一人の弟子が意を決したようにそう尋ねてきた。私が戸惑うくらいの真剣な表情で。
「なにか、おかしい話?」
「そうですね。僕たちの感覚では、ありえない、です。
もしそうなら、たぶん、まずいことが裏で起こっていると思います」
ピンと来てない私。
弟子たちが言うには、ライオット氏が旅行というのはおかしい、らしい。王宮の厨房というのは料理がうまいだけではやっていけない。信頼が必要だ。毒とかその他やばいものを混入させない。これが実は至上命令。
さらに金でも脅しにも屈しないことが一番重要。そして、部下であろうと何かあったときに切り捨てられるような冷徹さもいる。
なにかあった場合には大概投獄からの処罰。ことによっては家を没落させる。
逆恨みされることもあるという。
幸いというべきか、彼がいる間にはそこまでの大事はなかった。小さいのはあったらしいけど。
つまり彼は王宮で安全な食事を提供するためにいる。他の者でも代わりはできるだろうが、それも数日程度。旅行という長期不在はおかしい。
「あの、俺、覚えてるんすけど。前、同じようにいなかったって言うか、同行したことあるっす」
「僕も一度あります」
「どこ行ったの?」
フェリクスとフローリスは顔を見合わせた。
どことなく、話をするのを押し付けるような雰囲気がする。
「どこ?」
「たぶん、東方、グレイドと揉めてますね。
あっちはよくあるんです。僕も行ったことあります。気軽に領域侵犯してきて、うちの野盗が入ってきたから捕縛に来たとか言いだすんです。
で、その野盗も仕込みで近隣の村を荒らしたりするから、あの辺り、もう村がありません。
そうなると境界線もあやふやになってきて、こっそり境界線変えやがるんですよ」
重ねての問いに答えたのは別の弟子グスタフだった。温厚でいつも糸目なのに、今は目が開いている。
「ええと、揉めるって、戦闘込み?」
「おそらくは。今はあの領地は、サリア伯が治めて……、あ」
サリア伯というのは、まあ、弟子で。
「……しばらく、来ないって言ってたわね」
「いや、その、大丈夫かもしれませんよ。ほんとに、旅行とか」
「甥っ子の付き添いって言ってたけど、甥っ子さん、誰か知ってる?」
「アザール閣下の左腕と言われるレイド卿の従騎士していますね。ライオットさんの再来とか言われる天才とか噂は聞きました」
「旅行、行きそうにないわね」
「ですね……」
沈黙。
危ないところ行くんじゃないっ! と言えればいいのだが、きっと極秘任務だ。人に言える話ではない。言えば、守秘義務違反とか言って罰則される系。
だって、そんなきな臭い話、少しの噂すら流れていないんだから。
はぁっとため息が出た。
「お守り、買ってくる。それから、ちょっと探して渡してくるから、店頼んだわ。
何もできないけど、ないよりましでしょ」
店も大事だが、短時間くらいは任せられる。
何もしないで送り出したほうが後悔しそうだった。
弟子たちはなぜか、お守り事情に詳しかった。いや、なぜか、ではないか。彼らも、小競り合いくらいは経験がある。そういう場にいたのだ。
つまり渡される側だった。
聖女様が浄化の旅に出ていた時は、こういったことはあまりなかった。世界が落ち着いたからこそ、今後も起きる可能性はある。そういう予測を弟子たちはしていた。
頭が殴られたような衝撃があるな、これ。
聖女が旅に出ている間の休戦協定のようなものだろうか。暗黙の了解であったかもしれない。それが今ない。彼女が来る前に戻った、というだけに過ぎないだろう。
それを彼女は知っているのだろうか。
知らないままに、いていいのか。
いやいや、苦労したんだから現時点の幸せは守ってあげよ? とか、まあ、考えながら街に繰り出した。一菓子店の店主が考えることではないのだろうけど。
幸いというべきか、聞いた店は開いていた。
怪しいっすよ。という話の通り、薄暗い店内にはいろいろな道具が積まれている。この怪しさはアラビアンナイトな感じ。世界観が表と違う。
「やあやあ、お嬢さん、何かお求めかね?」
「……お守りを」
ターバンの浅黒い肌の男出てきたよ。怪しいよ。やっぱり世界観が違うよ。
「いいのがあるよ。守りの輝石だ。青と赤どっちがいい?」
「両方で」
「……気が多い?」
「友人二人なので、二人分」
説明するとややこしいし、初対面の相手に言う話でもない。
推定店員さんはふぅん? とか言いながらもお守りを出してきた。
「大特価、金貨一枚で奇跡が手に入る」
「金で買える奇跡ねぇ……」
「気休めよりは有効。青いほうは怪我をしないように、赤いほうは元気で、みたいな感じかな。
起動させるのはちょいと血を垂らして、相手を思って、おしまい。簡単でしょ?」
なにか、怪しい通販のようになってきた。金貨一枚、大金だ。怪しいツボ買わされてるのと同じなのでは?
いや、でも、弟子推薦だったしな……。
「両方買います」
弟子を信用しよう。
無事お買い物を済ませ、起動とやらをしたのだけど。
「……お嬢さん、思い入れ強すぎ」
「そ、そそうですか?」
ありえないくらい光った。うわっまぶしっ! くらい。
もう一つはほどほどだった。……なんか、ごめん。すごく、ごめん。当人いないけど謝りたくなった。
店員さんもそれどうなのといった視線を向けているように思えて、さっさと店を出た。
さて、今日は、とてもお忙しの王宮。聖女様への届け物といえば、顔パスの私も少しは待たされた。嘘というわけでもなく、渡す予定のものはあったんだ。終わってからと思ってたけど。
聖女様はまだ私室にいた。夜会の服の最終確認をしているところにお邪魔した。
「今日の私、きれい?」
とかいう聖女様。ほっそりとしている。
「お綺麗ですけど、いつものほうが好きですね」
「くっ。どうして、シオリはいつもイケメンなのかしらっ」
「性別変わってません?」
「もし、シオリが男性だったら私が嫁になりたい」
「殺されそうなのでそれ以上の発言やめてもらっていいですか?」
いや、マジで。
そこの婚約者が睨んでるんですってば。
「あら。殿下、どうしました?」
聖女様が視線を向けると一瞬にして笑顔になるの芸の一種? 聖女様もこれに騙されているってわけでもなさそうなんだけど。楽しんでいるというか面白がっているというか。
付き合わされる私が可哀そう。
早く他の用事に行こうと聖女様に近づいてこそこそと話をする。
「今日は約束のブツを用意しました。ちゃんと覚えてくださいね。決行日は事前にご連絡ください。
いきなりやってくるのやめてください」
約束のブツ。この地で親しい相手に作るお菓子のレシピである。家庭で作るお菓子らしく、菓子店などに並ぶことはほとんどない。そういう意味で入手困難品。
この王子様の思い出のお菓子で、それを聞いた聖女様が作りたいと要望したのだ。それもこっそりと。
相手の好きなものを作りたいという気持ちはわからないでもなかったので、婚約のお披露目が終わったら閉店日に作業する予定になっている。
なお、当人以外の周囲にはきちんと根回し済みだ。うっかり口を滑らしそうな一部を除いてこの計画は知っている。
うっかりしてそうでこの聖女様、しっかりしてるとこある。一人で勝手に出かけたりなんかしない。
「では、夜会頑張ってくださいね」
そう応援して、部屋を出た。私の相手をしていられるほど暇でもないはずだ。
さて、厨房に先に顔を出しておこうかな。シェフいるかな。いや、でも……。
「おや? 珍しいところで」
そう声をかけらえれた。誰? と思えば、アザール閣下だった。
ここ王族専用エリアなので、会ってもおかしくはない。一人ではなく、少し後ろにもう一人連れている。見たことはあるけど、紹介されたことはない人だ。特徴的にアザール閣下の左腕と言われるレイド氏っぽいけど確証はない。
一応、外面的に微笑んでおいた。
「聖女様にお届け物をしてきました。
……あの、ライオットさん、どこにいるかご存じですか?」
「ああ、今なら倉庫にいるかも。
レイド、連れて行ってやって」
「もう一つあってルイス様はどちらに?」
「……弟? 部屋にいるはずだ。どっちも案内しておくように」
「閣下が執務室に戻られるのであれば承りました」
「……わかったよ」
めんどくせぇなと滲んだわかったよ、だった。言葉通り、来た道を戻っていくのをみてレイドと呼ばれた彼はため息をついた。
「うちの上司が紹介してくれないので、自己紹介するとレイドと申します。あれについて15年、それからライオットとも同じくらいの付きあいがあります。ルイス殿下とはほとんど付き合いがないので、いても空気なので頼らないでください」
必要情報が詰まった自己紹介だ。
「ローゼンリッターの店主シオリです。よろしくお願いします」
「お会いできて光栄です。時々妻が買いに行ってます。
以前売っていたチーズクッキー再販してください」
「え。あ、まあ、そのうちに」
「個人的に特別に贈り物としても受け取りますよ。そうですね、ライオットの失敗談とか、どうですか」
ものすごく心が揺れたが、断った。シェフ、本気で嫌がりそうなタイプに思える。聞くなら本人から聞きたいものだ。
断ったら再販するときには連絡することになってしまった。甘いものが苦手なのだそうだが、あれは食べれるらしい。塩スイーツ、意外といける?
そんな話をしながら、最初はルイス氏の部屋に行くことにした。
さすが王族の部屋、ちゃんと対応してくれる侍女がいる。取次ぎをしてもらって、慌てたように出てきた弟子にちょっと笑ってしまった。
「どうして、先生がここに?」
「渡すものがあったの」
さっさと包み紙を渡した。
「ちゃんと戻ってくるように」
余計なことは言わなかった。勝手に何か気がついて、そうかもしれないと行動しただけなんだから。
困惑したような顔で受け取られた。
「せっかく来たならお茶でも?」
「忙しいでしょ? 時間があるならちゃんと休みなさい」
「ほんと、先生は先生なんだから」
ぼそっと言われたのは悪口なのだろうか。
「ちゃんと戻ってきます」
そういう彼はなにかちょっと違ったような気がした。
次はレイド氏に案内されて倉庫まで。レイド氏はわりと話すほうだった。彼が言うにはライオットって無口だから相手するの大変じゃない? ということらしいけど。
無口というほどしゃべらないわけでもない、と思うんだけど。趣味の話は気が合いますねと濁しておいた。だいたい、食材だの料理法だの味がどうとかそういう話が多い。それ仕事の話では? と自分で気がついて愕然としたことある。
レイド氏にとっては、趣味? あったの? あいつに? と困惑しきりだったので、シェフって……と思ったりもした。例外対応されてました? もしかして、あれ、すごく珍しいものだったの?
そうだとしたら、うれしいのだが、中身が仕事の話なので、やはり同業者の親しみではと思わなくもない……。
アザール閣下の話通りに倉庫にシェフはいた。ただ、いつもの格好とは違っていて、ちょっと戸惑った。コックコートか、ラフな私服しか見たことなかった。
いつもはどことなく柔らかい雰囲気があったのに、今はとても冷たく感じる。
いや、最初はこんなだった気がする。今思えば、なんか変なもの食わせるんじゃないだろうな? という警戒だったのかも。
いつの間に変わっていたのか思い出せない。
「ライオット、お客さん」
「文句は聞かないと返せ」
「いいのかな。そんなこと言って」
不機嫌そうにシェフは振り返って、固まった。
それだけでなく、この倉庫には別に作業している人がいたのだ。それも、十人近く。視線が集中して思わずレイド氏を盾にした。
こわっ! なにこれ、こわっ!
「なんで、ここに」
シェフはひどく驚いたようだった。彼的には昨日でお別れしてしばらく会わないつもりだっただろう。予想外に表れてごめんという気持ちはある。
「ここの確認はしとくから、外行ってきな。アザール閣下も了承してるから、大丈夫」
「すぐ戻る」
ちょっと倉庫の外に出ることになった。
倉庫の外はほぼ裏庭だ。人気もない。
それにしても沈黙が痛いんですけども。
「今日、城に用事があったのか?」
「お忙しいところすみません。旅行に行くとお聞きしたので、お守りを持ってきました」
早口にまくしたててしまった。しかも建前すっ飛ばした。
そのうえ、雰囲気もなくぐいっと押し付けてしまった。やっちまった。どうしようと焦っているうちに彼は包みを開けてしまった。
なんか、動揺してる!? だまってそんなことしそうにないタイプなのに。
「お守り?」
「そうです。怪我しないように、って買ってきました。無茶しないでくださいね」
「今までもらったことはなかったな。
ありがとう」
そういってくれたけど、ものすっごい照れてませんか!? 表情を隠したいのか、手を口元に持ってきてますけど、なんかこう、耳が赤い。
ちょっと赤くなったとこは見たことあるんですけど、動揺駄々洩れも昨日見たんですけど、それとは別のなにかがっ!
私も照れてくるんですけど。やだ、恥ずかしい。そ、そういうことでっ! と逃げ出したくなるけど、それをやったら本気で一か月は会えない。こういう別れ方はしたくない。
「……あとで他の人に頼もうと思ってたんだけどな。
家に果実のなる樹があって、収穫が近い。代わりに頼んでいいか?」
しばし間を置いて、彼はそう切り出した。
なんでも、使ってない家があるそうだ。帰宅するの面倒で、城に住んでるとか社畜なの? と思ったりもしたが、確かに朝から夜まで仕事してたら、嫌になるかも。
もし、果実を加工したいなら家の中も使っていいと鍵をもらってしまった。家に、お呼ばれしてしまった。ただ、本人不在。
どう判断していいのかわからないが、ある程度の信頼はあるということだろうか。
「じゃあ、おうちは守っておきますね。
早く帰ってきてください。あとケガとか気をつけてくださいね。それから病気とかも。
変なものを食べたりはしないと思いますけど……。その」
危ないことはしないでください、とは言ってはいけない気がした。
それはもう予め入ってることだから。
そして、簡単には大丈夫とか心配いらないとか言わないのは、どういうことか、なんて考えたくもない。
「早く帰ってこれるようにはするよ。厨房も心配だ」
「そっちは、まあ、時々様子見にいきます」
「頼む。すぐに調子に乗るやつがいる」
「頼まれました」
そう軽く言って別れた。
あくまで、私は何も知らないことにしなければならない。ただ、旅に出るのが心配で、お守りを渡すのが限界だ。
私はこういうしんどさがあるとは知らなかった。




