書類一枚の変化
流されるような怒涛の日常を乗り越え、やってきました三連休。
今日行くのはシェフの家でもなければ私の家でもない。
「うわぁ、すっごいシャンデリア」
小声で歓声をあげてしまうくらいに、ご立派なラウンジにいる。
お隣にはシェフもいる。こちらは別の意味で落ち着かないようではある。
本日、ホテルにお泊りします。
シェフの家は仮営業を終了させ、改装する。そのため、日中は人の出入りがあるんだ。すっかり忘れてたけど。
私の家のほうは、下が店で通常営業している。
どちらも全く落ち着けない。ということで王都の高級ホテルに二泊三日での宿泊することになった。
……残念なことに寝室が複数ある部屋なので、わー、ベッドがひとつ困っちゃう、ということはない。ご家族用の部屋らしい。たまたま空いていたから通常料金で、ということになっている。
宿泊先の候補は二人で決めて、予約は私がしたのだけど、名乗ったら対応が変わったから忖度はあったかもしれない。いまや私は王都の有名人。知る人ぞ知るから、先日の大食い大会で女料理人として名をあげてしまった。菓子店? お料理屋さんじゃないの? と質問されることたびたび。
近々、軽食のお店をつくることになりそうである。菓子店でオムライスはともかく肉を焼くのはちょっと抵抗がある。
……まあ、そういうのは後回し。
「ようこそいらっしゃいました」
怪訝そうに私たちを見ていた受付の人は私が名乗った途端に愛想よくなった。露骨だなと思ったものの客層と違うように見えるから仕方ない。
部屋の担当を呼ぶのでラウンジで休んでいてほしいと話があった。そう言う名目でお茶や軽食を提供するんだろう。別の人は長旅でお疲れでしょうと同じように案内されていたし。
「おいし」
お茶を入れるのだけは全く上達しない。こればかりは人に入れて欲しい。
まだ、落ち着かない感じのシェフはお茶にも手を付けない。
「どうしたんですか。婚約者様」
ここに来る前にちょっとした書類の提出をしてきた。
婚約届である。
一般庶民では別に必要なものでもない。記念として出す人がいるかなという感じ。
貴族だとほぼ提出するものらしい。婚約しているので別の縁談はお断り、という意志表示なのだそうだ。シェフは今もなんか縁談がくるらしい。そして、断られていたらしい。本人も知らなかったそう。そんなことある? と思ったが、家に縁談が来る、親が知らせないで断るだとあり得るようだ。この縁談もここ最近のことのようで別の意図がありそうである。
私の方にも縁談というか我が家にいれてやってもいいとかいう失礼なものから、うちの息子や兄弟などを売り込まれることもあり……。大食い大会の影響か、なんか増えちゃって。婚約するような相手がいるとも知られていないことが原因っぽい。
お互いの安心のために婚約届を提出するに至ったわけである。
「ほんと婚約したんだよな……」
「書類一枚で何が変わるっていうんです?」
妙にしみじみと言われて、違和感がある。私としてはいままでとなんら変わらない。
と思っていたのだが、じーっと私を見た後、シェフががっくりと肩を落としていた。
「な、なんですか」
「いや、いい。
俺が悪かった。因果応報」
「気になるじゃないですか」
「……気にしないでほしい。ほんとうに、追及されたくない」
ああ、頭抱えてしまった。
実態に合わせて書類上もそうしました、以上の意味を見いだせないんだけど。
まあ、そっとしておこう。お茶おいしいし、焼き菓子もおいしいし。うちのではないな。ホテルで作ってるのかな。マドレーヌっぽい生地の上にキャラメル掛けのナッツがかかっている。パイに塩コショウを振って焼いただけのシンプルなものもいい。甘いしょっぱいのループわかってる。
……でもなんか、この味似たの知っているような気がする。レシピが同じならだいぶ似た感じになるだろうけど、そういうのではなく、味の傾向みたいな……。
なんだろ。
シェフに聞こうにもまだなんかアレな感じ。
私何か地雷踏みまして?
わからぬ。
「お待たせいたしました。お部屋へご案内します」
私がそこそこ堪能したのを見計らったのかそう声をかけられる。
初老の男性には、見覚えが。
「ウェイさん、こちらにお勤めでしたか」
「ええ、長くいます。シオリ嬢をお客様としてお迎えすることがあるとは思いませんでした。
ぜひ、休暇のお手伝いをさせてください」
「ありがとうございます」
ウェイさんはローゼンリッターの常連である。ただ、癖強めで弟子たちではなく私が対応している。なんだか寄宿舎の学長とか教官とかと雰囲気が似ていて過去の色々が思い出されるらしい。直立不動で軍人っぽさが戻ってくるので、店の雰囲気が違ってしまう。本人は物腰柔らかな紳士なんだけど。
ウェイさんをシェフにも常連さんということで紹介しておく。店を手伝ってもらうときに付き合いも発生する可能性もあるからね。表面上は和やかに握手などしていたが、なんか、シェフ側がちょっと腑に落ちんという感じがしていた。あとで聞こう。
そのままラウンジを抜けて部屋に向かう。
お部屋は三階。続き間で三部屋。それとは別にバストイレ、クローゼット。豪華である。
これで、狭い部屋で申し訳ないと言われてしまった。用事があれば呼び鈴を押すなど、部屋の設備について説明したあとウェイさんは部屋を出ていった。
とりあえず、荷物を置いてほっと息を吐く。
寝室はやっぱり二つあった。主寝室としての大きなベッドと別の部屋にシングルベッド二つ。今日はシングルベッドもくっついていたので広いけど。
残りの一室はリビングとダイニングがくっついたような感じ。ソファーのある場所とテーブルが別にある。
子供もいる前提の部屋なのだろう。壊れそうな調度品は置いてない。壁には前衛的な絵が飾っている。まあ、飾っているというにしては下の方なんだけど。
ちょうど腰の上くらい。
「あ、これ、額だけだ」
落書きを絵に見立ててる。それっぽい署名が書いてあるが、犯人の名であろうか。
「ね、ライオットさ……」
見てくださいよと振り返ったら思った以上に近いところにいた。
なにを見てるのかと後ろから覗き込んでいたっぽい。私が振りかえる想定じゃなかったのかびしっと固まっている。
私もこの至近距離は心臓に悪い。
あ、もう少しで……。
「ご、ごめんなさいっ」
ちょっと前の記憶がよみがえってきて、逃げ出してしまった。顔が熱い。頬に触れればやっぱり熱くて。
あれはちょっとまずい。こんな状況ではとてもまずい。
「お風呂はいってこよう、そうしよう」
思わず口から洩れてた。
「昼間歩き回ったからであってそうですなんか別のなんかはないですよっ!」
フォローしたかったが、墓穴掘って、埋まったまである。ノンブレスなのが一層拍車をかけているだろう。
シェフの表情なんて確認できずに、バスルームに逃亡した。着替えを忘れたことに気がついて、すぐに引き返すことになったけど……。
とても長風呂をして出てきたころには、シェフは新聞を開いていた。ただ、全然ページめくってないし、紙面を見ている風でもない。
あからさまに心ここにあらず。
「お風呂堪能してきました。湯船が大きいっていいですね」
あまりこちらではみないサイズだ。
「そうか。
夕食はいつ頃がいいかと聞かれたけど、どうする?」
「あ、いつでも大丈夫です。
ホテル自慢のトマト煮込みがあるとか聞いたんですよね。楽しみです」
そう言いつつ隣に座る。視線を向けられず、ちょっと離れらた。
ちょっと詰めてみた。わりと露骨に避けられた。
「なんで!」
「いい匂いがするし、近いし、薄着過ぎる」
「いい匂いも近いも悪くないですよね? 湯上りは暑いんです。もう少し脱いでいたいくらいですよ」
「理性が削れる」
「……あ、すみません」
ちょっと離れた。その観点が抜けがちだ。うっかりしてた。嫌だというわけではないけど、夕食もまだだし、ホテル自慢のトマト煮込みは食べたい。それに明日は用事がある。すっぽかすわけにはいかない。未知の領域に手を伸ばすのには今日は都合が悪い。
というのはわかってるけど理性がどこまでお仕事してくれるかはよくわからない。
シェフもお風呂行ってくるというので見送って、読んでいたらしい新聞を手に取った。
ふむ。
叙勲規定の変更ね。今までは年齢と性別、出身国に規定があったけど、撤廃するらしい。また、近々職人も文化的貢献を認めて叙勲する予定と書いてある。
ふーん、と思ってページをめくれば、この国は皆の働きにより維持されている。今後も手を取り合い発展を遂げていきたい、という王太子殿下の言葉が載っていた。
ちょっとは考えも改めたかな。
あとは兵士の募集とか、聖女財団の広告とか。うちもそのうち広告出そうかな。
ぺらぺらとめくっているうちにシェフもお風呂から上がってきていた。意外と長かった。
人のこと薄着とか言っているけど、シェフもボタン半分開けてるのはどうなのかと言いたい。意外と胸筋が……。いや、そうじゃない。
夕食は期待通りのトマトの煮込み。トマトにインゲンマメとベーコン、ソーセージ等を入れた田舎風。ホテルの見た目からすると素朴な逸品だ。なんでもオーナーの思い出の一品なんだそうだ。
「おいしい、ですけど、なんか、どっかで食べたような?」
「俺も、味に覚えがあるんだが」
二人で首をひねっても答えは出てこなかった。
デザートまでたいらげて、最後は珈琲を一杯。お酒とチーズもあるらしいが、今日は断った。明日なら酔っぱらっても二日酔いしても大丈夫な三日目がある。その場合、私一人で飲むことになりそうだけど。
「……そろそろ寝るか。明日も予定がある」
「ですね……。休みたかった」
明日の予定というのはお城にいくこと。王太子殿下に、呼ばれて。
決闘の結果、王太子殿下は敗北を認め、謝罪する、という話にはなった。
ところが、である。
じゃあ、どこの何から謝罪するか、というところから始めてしまったのである。いや、別に、夜会のときのことだけでいいんだけど、と思う私を置いてきぼりに……。なお、シェフとしてはあの負けず嫌いが敗北を認めたところで溜飲が下がったらしい。今ではどこの何から悪いと思ったのか興味深いとか……。
なお、アザール閣下からはなっがーい手紙をもらったらしい。私には見せてくれなかった。昔の恥ずかしいところとかあるらしい。黒歴史が含まれる謝罪の手紙とはいったい……。
その王太子殿下がいろいろ折り合いをつけたらしく、謝罪するから来てほしいと言われた・そして、私が都合の良い日が明日以外なかったのである。明日だって都合は悪いが、では店に直接行くと言われて、明日でいいですと決めた。
「気が向かないなら、俺だけで行く」
「せっかく、ドレス作ったので行きますよ」
王族相手に上質とはいえただのワンピースで挑む勇気もなく、ドレス一着、作った。今後も使いまわせるようにシンプルな水色。羽織を変えたり、飾りをつけてみたりと変えれば新しいのを作らなくていいはず。
体裁を整えるのもお金がいるという世知辛さよ……。
初期投資ということにしている。ローラさんに言わせれば、城に行くのにドレス用意しなかったんですの!? ということらしいし……。私、最初は裏口から厨房にしか入らなかったのでね。それなりの礼服がいると考えたことなかった。たまに厨房の外に出るにしても聖女様のとこだけだし……。門番の人も何も言わなかった。
ただし、今思い返せばもの言いたげな顔をしていた気がしないでも……。
過ぎたことだ。
「明日はドレスの着脱の手伝いよろしくお願いします。背中のボタンだけは着るのも脱ぐのも一人じゃ難しいところなので」
「……俺が?」
「他に誰が?」
シェフ、あっという間に赤くなっていく。
……おお、脱がせてくれとお願いしていることになっている。でも、ほかにお願いする人もいない。手を伸ばしてできる限界があるんだ。
「ダメですか?」
「わかった」
なかなか複雑そうなわかっただった。
「なんだったら、私もライオットさんのお着換えのお手伝いしたいです」
「いらない」
一蹴されてしまう。少しくらいいじゃないか。ほら、婚約者だし。
……。
いかん。
やっぱり、二人でお泊りとか、婚約の書類出したとかが影響してダメな方に……。
寝れそうにないといつも思って爆睡するから、寝れない心配はしてないのだが。
「寝る。
おやすみ」
さらっと言って、部屋に戻られてしまった。声かけるな的雰囲気がひしひしとしたので見送った。
さすがに、私も恋人から服を脱がせてほしいの、なんていわれて平常心でいるのは難しいだろうなぁと思ったのでそっとしておく。
楽しみは、明日だ。
「おやすみなさい」
そうして、休日一日目が過ぎ去っていった。




