2-1 いつもの朝
入学式から数日後。
朝六時。六帖一間のアパート。その一室で目覚まし時計が鳴った。
山坂早馬は目を開け、時計のボタンを押して鈴音を止める。それからすぐに体を起こし、布団から抜け出した。
彼はカーテンを全開にし、朝日を浴びながら体を伸ばす。次に軽く体操をしてから、布団を綺麗に畳んで押し入れの中に詰め込んだ。
トイレ、歯磨き、洗顔を済ませた後、早馬は上下黒色のジャージ姿のまま朝食の準備に取りかかった。
冷蔵庫から両手鍋を取り出し、コンロの火にかける。鍋の中身は、野菜の多い味噌汁。それを弱火で温めながら、その横でフライパンに油を引き、二つの卵を割って落とし、目玉焼きを作っていく。
玉子に焼き目がつき始めたところで少量の水をかけてフライパンに蓋をし、続いて鍋の中身をおたまでかき混ぜる。
その時、隣の角部屋から急に物音が立ち始めた。
慌ただしい足音が早馬の部屋に近づいたかと思うと、その扉が叩かれる。
早馬は一旦手を止め、扉に向かった。
「ほい、鍵開けたぞ」
「ごめん! 寝坊した!」
扉が外側に開くのと同時に、顔の前で両手を合わせている少女の姿が現れた。
腰まで届く長い黒髪は寝ぐせで縦横無尽に広がり、上下ピンク色のパジャマはしわだらけで、白いスニーカ―は踵を踏んでしまっている。
そんな少女、月宮聖菜を見て、早馬は表情を変えずに台所へと戻った。
「朝飯の準備はやっておくから、聖菜は顔でも洗ってこい」
「う、うん」
聖菜は申し訳なさそうに扉を静かに閉め、自分の部屋へと戻っていった。
早馬は味噌汁をかき混ぜながら頬を緩めた。
二人分の朝食を準備し終えたところで、聖菜が早馬の部屋にやって来た。
彼女の服は先程と同じピンクの寝間着だが、髪はいつものように二つ結びに整えられている。
畳部分の中央で、二人はちゃぶ台を挟んだ。
早馬は胡座をかき、聖菜は女の子座りをする。
「いただきまーす!」
「いただきます」
聖菜は手を合わせて元気よく言い、早馬は片手を顔の前にかざして静かに言った。
二人はやや急ぎ目に食べる。
本日の朝食メニューは、目玉焼き、野菜多めの味噌汁、山盛りの米飯に、乾燥小魚と海苔が少々。
量が多く、登校の時間も迫ってきているため、二人の間に会話はほとんど無い。その代わりに、二人はテレビのニュースを横目で見ていた。
箱型のブラウン管テレビからは、さまざまな情報が流れてくる。
その中には悲惨なものもあった。
「現場からお伝えします。昨日の一家四人殺害事件ですが、現場から犯人のものと思われるメモが見つかりました。それには、指名手配中の連続殺人犯、古峰志朗28歳男性による犯行を示唆する内容が書かれているとのことです。犯人の行方は依然としてわかっていません」
男性リポーターの遥か後方に、山間の一軒家が見える。建物はブルーシートで覆われていて、カメラの前には黄色いテープの規制線が張られている。
そのニュースには、早馬と聖菜も反応せざるを得なかった。
「ひでぇことしやがる」
「ほんとにね。殺された人も、悪霊とか怨霊になってなきゃいいんだけど」
二人はそう言って、食事を再開した。
急ぎつつもよく噛んで食べ進め、二十分ほどで完食した。
「ごちそうさま!」
「ごちそうさん」
二人は食器を持って流し台へと向かう。
「準備ぜんぶやってもらっちゃったから、今日はあたしが洗うよ」
「はいよ……ってか、それいつものことだろ」
「へへっ、ばれた?」
そんな会話をしながら、二人は後片付けを始める。
聖菜が食器や調理器具を洗い、早馬は聖菜から食器を受け取り、布巾で水気を拭き取っていく。
早馬は余裕があるため、テレビを観ながら作業を進めた。今は芸能やスポーツのコーナーをやっているが、彼は特に反応を示さなかった。
手早く片付けを済ませた後、聖菜が扉の方へ向かった。
「じゃ、また七時半にねー」
彼女はそう言って、早馬の返事を待たずに部屋を出ていった。
その後、早馬は諸々の身支度を済ませ、黒い詰襟の制服姿で洗面台の前に立った。
「よし、今日こそは……っ」
早馬は意気込んで櫛を手にし、逆立った髪との格闘を始める。
髪に櫛を通し、丁寧に丁寧に寝かせていく。サラサラの優等生ヘアーになり、早馬は決め顔をして微笑む。しかし、すぐに髪は逆立った。それから何度も整えても、彼の努力を嘲笑うかのように髪は上に跳ねて元の姿に戻った。
「ああ! もう! なんでだよ! 形状記憶合金かお前は!」
早馬は堪らず声を上げ、鏡に映る自分の髪に人差し指を向ける。
その時、部屋のドアが強く叩かれた。
「ちょっと! 早馬! いつまでやってるの! 早く行くよ! あの二人を待たせたいの!?」
聖菜の声が洗面所にまで届いてくる。
「だー! くそ! わかった! わかったって!」
早馬は鏡の前に櫛を乱暴に置き、白色のエナメルバッグを右肩にかけて部屋から出た。
外廊下には、紺色のセーラー服に着替えた聖菜が待ち構えていた。白色のリュックサックに、白いソックスと白いスニーカ―という、ごく普通の女子高生姿になった彼女は、早馬を睨みつけている。
そんなしかめ面の聖菜を尻目に、早馬は鍵をかけて足早に外階段へと向かった。
「あっ、こら待て!」
聖菜は小走りで早馬を追いかけ、外階段を下りる。
道路に出たところで早馬に追いつき、聖菜は彼の顔を覗き込む。
「あんたねー、あたしに言うことあるでしょー?」
「……さーせんした」
早馬は聖菜と目を合わせず、前を見たまま小声で言う。
聖菜は眉をひそめる。
「なにその言い方。まあ、時間には間に合ってるから別にいいけど」
そう言って、聖菜はあっさりと笑って早馬の右隣に並んだ。
二人はそのまま、とりとめもない会話をしながら歩いていった。