1-5 二人で一つ
そして再び屋上。
三日月が西の空に傾く夜。
早馬と悪霊が睨み合っていた。悪霊が空中から早馬を見下ろし、早馬は悪霊を見上げて相手の出方を伺っている。
(このまま、聖菜が回復するまで待っててもらいたいんだが……)
早馬は唾を呑み込む。
その刹那、悪霊が急降下し、早馬に襲いかかった。
「そういうわけにもいかねぇか! 浄化!」
早馬は右手から白い光弾を放つ。
その浄化の霊力は悪霊に直撃して弾ける。しかし、悪霊が白い光に呑み込まれることは無かった。悪霊の急降下は止まったものの、それだけだ。悪霊はその場で苦しんでいるようだが、実質的にはただの足止めにしかなっていない。
「チッ、まだ穢れと霊力が多いか……だったら削るしかねぇ!」
早馬は素早く左手を伸ばし、悪霊に向けて青い光弾を撃ち込んだ。
その霊力弾は悪霊に命中し、青く閃きながら爆発する。その衝撃で悪霊は後方に吹き飛ばされ、一時的に体の自由を失った。
早馬は前に出て、霊力弾を続けて発射し、悪霊に追い打ちをかける。
光弾が弾け、悪霊の体から黒い霧が噴出しては消えていく。しかし、悪霊もこのままやられてばかりではなかった。
悪霊は爆風を利用して空中を強引に移動し、射線上から逃れる。次に放たれた霊力弾が横をすり抜けるのと同時に、悪霊は早馬に向けて突撃した。
獲物に接近し、悪霊は右手を横に薙ぐ。
それを早馬はしゃがんで回避し、カウンターを仕掛ける。彼は立ち上がりながら右拳を振り上げ、悪霊の顎に強烈な一撃をお見舞いする。
悪霊の顔が僅かに上を向く。しかし、効いている様子は無い。
(チッ、男の力じゃ通用しないか!)
早馬は顔を歪める。
その次、先に動いたのは悪霊だった。悪霊は右手を突き出し、その手のひらで早馬の胸を押す。早馬の体は掌打を直に受け、後ろに飛ばされてしまう。
早馬はすぐに受け身を取り、転がりながら跳ね起きる。
そこに悪霊が追撃を仕掛けてきた。
しかし、今度は早馬のほうが速い。彼は両手を突き出して霊力弾を放つ。その攻撃は命中し、悪霊の動きが止まった。
早馬は両手から霊力の鞭を伸ばし、それを悪霊の全身に巻き付かせた。そのまま力を込め、相手の霊体を縛り上げる。
だが、咄嗟の攻撃だったため、この束縛に使える霊力量は少ない。
悪霊は内側から力をかけ、自身を拘束していた霊力の鞭を打ち破った。
鞭が破裂し、それを構成していた霊力が青い光の粒子となり霧散する。それとともに、力のバランスが急激に変化し、早馬の体がふらついた。
悪霊が早馬に向けて突進する。
体勢が崩れた早馬は、それに対応できない。
(クソッ! 間に合わねぇ!)
早馬が目を見開き、悪霊が彼の眼前に迫る。
その瞬間、聖菜が早馬の後ろから駆けつけた。
「ハアッ!」
聖菜は豪速で早馬の前に割り込み、悪霊に右脚を放つ。
その強烈な回し蹴りを受けて悪霊は吹き飛び、結界に激突して動かなくなった。
聖菜は右足を下ろし、早馬に左目を向けて口元を上げる。
彼女の左目は悪霊に切り裂かれていたはずだが、今は傷跡すら見当たらない。開かれたその瞳は澄んでいて、早馬の姿をありありと映し出していた。
「よく耐えたね」
「ったく、おせぇよ」
二人はそう言って不敵な笑みを浮かべ合った。
聖菜は悪霊に体を向け、右腕を横に広げる。彼女は右手から赤い霊力を伸ばし、再び蛇矛を作り出した。
それと同時に悪霊が動き出し、その目が二人に向けられた。
聖菜は蛇矛を両手に構え、早馬は右手を前に伸ばして悪霊に狙いを定める。
「さあ、ここからが本番だ!」
「すぐにあの世へ送ってあげるからね!」
聖菜が猛スピードで標的に突撃する。
そのあまりの速さに悪霊は反応できない。
聖菜は悪霊に迫り、蛇行した刃で相手の胴体を横一文字に斬り裂いた。
悪霊の傷口から黒い霧が噴出し、その黒霧は跡形も無く空中に消えていく。力を大量に削り取られ、悪霊は怯む。
聖菜は続けて蛇矛を縦に斬り下ろす。
しかし、悪霊もやられてばかりではない。
悪霊は振り下ろされた刃を左に跳んで回避し、聖菜の右頬を左手で切りかかった。
鋭い爪が聖菜の頬に直撃し、悪霊はそのまま左手を振り切る。
普通ならば、肉を抉り取られるだろう。しかし、深く引っ掻かれたはずの彼女の顔には、傷一つ付いていなかった。
「残念、霊力で防御してるんで」
聖菜は綺麗な顔で得意げな笑みを浮かべる。
その直後、早馬が悪霊に向けて霊力弾を放った。
右手から射出された青光弾は隙だらけの悪霊に命中し、爆発を起こす。その衝撃で悪霊は後ろに大きく吹き飛んだ。
「聖菜! 大丈夫か!」
「あれくらいで傷付くほどヤワじゃないよ、あたしは!」
聖菜は早馬に背を向けたまま声を上げ、悪霊に追い打ちをかける。彼女は悪霊に突進し、その胴体を蛇矛で突く。
刃が悪霊の表膜を破り、穂先の半分ほど刺さったところで止まる。
聖菜はすぐに蛇矛を引いて刃を抜き、バツの字に悪霊の体を斬る。そして、傷口の交差部分にもう一度突きを繰り出した。
しかし、先ほどと同程度の深さまでしか刺さらなかった。
「チッ! 硬い!」
聖菜は悪霊から蛇矛を引き抜く。
斬り口から大量の黒い霧が噴き出すが、悪霊は怯まない。悪霊は両腕を高く挙げ、聖菜に向けて振り下ろした。
その直前、早馬が聖菜の頭上に小さな青い防壁を作り出した。悪霊の強烈な打撃はこの霊力板に受け止められる。
聖菜は右足で悪霊の腹を蹴り飛ばした。
転がる悪霊を睨みながら、聖菜は切羽詰ったように声を上げる。
「早馬! コイツに霊力の核はある!?」
「ちょっと待て……無い!」
早馬は悪霊を凝視した後、吐き捨てるように言った。
聖菜は大きく息を吐いて苛立ちを露わにする。
「じゃあ、アレをやっても意味無いの!?」
「いや、大いにあるぜ! 背中までブッ刺せば、穢れは十分に削れる!」
早馬の返答を受け、聖菜は打って変わって白い歯を見せて笑った。
「だったら、一撃でカッコよく決めようか!」
「俺が時間を稼ぐ!」
「二十秒欲しい! 任せた!」
聖菜は後ろに飛んで大きく下がり、代わりに早馬が前に出る。
屋上の端で聖菜は蛇矛を構えて腰を低くし、力を溜め始める。体中の霊力がさらに活性化していき、彼女を包む赤い光が輝きを増していく。
早馬は床に伏せたままの悪霊に向けて両手を伸ばし、いつでも攻撃できる体勢をとった。
ゆらりと、悪霊が起き上がった。
悪霊は二人を数秒睨んだ後、上に飛んだ。
早馬の頭上を悪霊が通過しようとしている。ヤツの狙いは聖菜だ。
「させるか!」
早馬はすかさず上空の標的に向けて霊力弾を放った。
相手の動きが速く、狙いが外れる。それでも、霊力弾が悪霊に最接近したところで、早馬は放った霊力を爆発させた。
青い光が弾け、その衝撃で悪霊の動きが止まる。
早馬は右手から霊力の鞭を伸ばし、悪霊に巻きつかせた。それからすぐに鞭を縮めながら腕を振り、悪霊を自分の前方向の床に叩きつけた。
彼はそのまま悪霊を縛りつけようとする。
悪霊も抵抗した。捕らわれた四肢を強引に開いて鞭を破り、胴体を締めつけているものを両手で引きちぎり、青い光の粒子へと変えて霧散させていく。そうして無理矢理に拘束から逃れた。
一つの技が破られても、早馬は狼狽えない。
彼は掴んでいた鞭の残骸を自分の体内に戻し、すぐに霊力弾を放った。
悪霊は回避行動をとらず、早馬に狙いを定めて突進する。
霊力弾が悪霊の頭部に命中し、破裂する。大量の黒い霧が爆発的に撒き散らされるが、悪霊は止まらなかった。
感覚的に悪霊はわかっているのだろう。このままでは自分の身が危うい。今すぐに、目の前の男を倒し、その後ろに控える女を始末しなければ、この世から消されてしまう。だからこそ、霊力の消耗など気にしている場合ではないのだ、と。
悪霊が早馬との距離を詰める。
早馬は危機感で焦り、狙いも定まらぬまま弱小な霊力弾を放とうとした。
その時、後ろの聖菜が叫んだ。
「霊力満タン! いけるよ!」
その声は早馬に希望をもたらした。
早馬は冷静さを取り戻し、両拳を握り締める。そして、攻撃の直前で霊力操作を急転換させる。
「結界!」
早馬の前に半透明の青い霊力壁が現れた。
急に出現した障害物に悪霊は対応できず、減速することなく激突してしまう。結界が破られることはなく、悪霊の動きが完全に止まった。
「やれ! 聖菜!」
早馬は前を向いたまま叫び、右に大きく跳んで聖菜に道を開け、床を転がる。
聖菜は両足で地面を踏み締め、腹の底から声を押し上げた。
「刃蛇深突!」
聖菜は蛇矛を突き出し、床を蹴り上げ、猛烈な速さで悪霊に突進した。
蛇矛の先端が結界を突き砕く。聖菜の突撃は衰えず、そのままの勢いで悪霊の胴体に穂先が突き刺さる。そこから一気に、悪霊の背中から刃が突き抜けた。
聖菜は突撃の勢いに任せ、悪霊を押しながら前へ突き進む。
そして両足で踏ん張り、止まった。
「でりゃあああああああああああああああ!!」
聖菜は悪霊ごと蛇矛を持ち上げ、力強く後ろへ振った。
刃から黒い霊体が抜け、上方に高く投げられる。蛇矛が貫通した傷口からは、これまでとは比べものにならないほど膨大な量の黒い霧が噴き出し、空中に溶けるようにして消えていく。
悪霊は完全に体の制御権を失い、放物線を描き始める。
その霊体が放物線の頂点に達するのと同時に、その姿が揺らいだ。
「穢れと霊力は削り切ったよ! 早馬!」
「任せろ!」
早馬は聖菜の声に応え、悪霊を見上げて大きく息を吸う。
「死してなおこの世をさまよう霊魂よ、あるべきところへ還れ……」
悪霊に向けて両手を突き出し、早馬は目を見開いた。
「浄化!」
早馬は腹の底から声を上げ、両手から白い光弾を放った。
その霊力の球体は迷うことなく空を突き進み、悪霊に直撃して弾ける。白い光が悪霊の全身を包み込み、黒く穢れた体を白く清めていく。
悪霊が白に染まり切る。
そして、その体が弾け飛んだ。
数多の白い光の粒子が花火のごとく爆散し、すべての粒が眩しいほどに光り輝く。一瞬の輝きの後、静かに、まるで雪のように、霊力の残滓は結界の中で舞い落ちていく。悪霊はこの世に留まる力をすべて失い、在るべきところへと消えていった。
悪霊が居たその場所を見ながら、早馬は両手を下ろす。
彼は息を吐いて肩の力を抜き、屋上に張っていた結界を青い光に変えて自分の体内へと戻していった。
そんな彼の右隣に、聖菜が歩み寄った。
彼女は右手に蛇矛を持ったまま、表情を緩める。
「終わったね」
「ああ、浄化できたな」
二人は横に並んだ状態で顔を向け合い、誇らしげな笑みを浮かべる。
そして、互いの拳を叩き合わせた。
「「任務完了!」」
二人の退魔師が高らかに宣言する。
その背中の向こうで、沈みかけの三日月がひっそりと黄色い光を放っていた。