1-4 追跡
同時に聖菜が叫んだ。
「早馬!」
「っ!」
早馬は後ろに振り向き、右手から白い光弾を放つ。
悪霊が右手を振り上げた直後、その白弾が黒い体に命中する。白い光が爆ぜ、周囲の空気から黒い霧を消し去っていく。
浄化の力を受け、悪霊は大きく怯む。そして、もがき苦しむようにしながら、本校舎に向けて突進した。
悪霊は早馬から逃げるかのように飛び、結界に激突する。悪霊の突進はそこで止まるが、悪霊は間髪入れずに再度体当たりをする。
その衝撃に耐えきれず、出入り口を塞いでいた結界が崩壊した。ガラスが割れるかのように結界は飛び散り、青い光の粒子となって霧散していく。
悪霊はドアを抜けて本校舎に侵入し、天井をすり抜けて三階へと逃走する。
「逃がすか!」
聖菜は駆け出し、早馬の横を走り抜けて本校舎に突入する。
早馬も少し遅れて本校舎に向けて走り出した。
聖菜は東階段を跳び上がって一気に踊り場へと達し、もう一度跳んで三階の床に着地。少し先に悪霊の背が見えた。彼女は廊下を走り、浄化対象を追跡する。
聖菜はすぐにその距離を縮めていく。
しかし、ここで思わぬ事態が起こる。悪霊の進む先に、見知った人物の姿があったのだ。
「谷口!? くそっ!」
聖菜は最大限に加速し、クラス担任のもとへと向かった。
数学教師の谷口正也は校舎の見回り中のようだ。今、彼は廊下の窓を閉めようとしている。少し前に早馬が放置した、あの開きっぱなしの窓だ。
その谷口に悪霊が接近し、右手を振り上げて襲いかかろうとしている。
谷口は自らの危機にまったく気づいていない。
聖菜は悪霊に追いつく。だが、攻撃はせず、そのまま追い抜いた。彼女は谷口の前で急停止し、振り向いて両腕を広げ、悪霊に立ち塞がった。
悪霊の右手が振り下ろされる。
その鋭い爪が、聖菜の左目を引き裂いた。
「ぐがぁっ!」
聖菜は後ろ飛ばされ、谷口と衝突して転倒する。
「うっ、うぉお!? な、なんだ!?」
谷口も素っ頓狂な声を上げながら尻餅をついた。
その際、聖菜は右手から蛇矛を離してしまう。彼女の体から離れた瞬間、その頼もしい武器は瞬時に赤い光の粒子へと姿を変えて霧散した。
「しまった!」
聖菜の顔が右手に向く。
彼女の視線が離れた隙に、悪霊は窓をすり抜けて外へと逃げ出していった。
聖菜はすぐに左側へ顔を向ける。
「待ちなさい! コラァ!」
彼女は素早く立ち上がり、開いている窓から外へ飛び出す。そのまま空中で反転し、屋上に向けて飛翔した。
ほんの数秒で彼女の視界が開ける。
悪霊は屋上に居る。ソレは道路側へと向かって浮遊していた。このままでは悪霊が学校から出て、街の人々を襲いかねない。
聖菜は急加速して悪霊に追いつき、その黒い霊体に背後から掴みかかった。
「逃げようたって無駄だからねぇぇえ!」
空中に浮かんだまま、聖菜は悪霊を四肢で拘束する。
悪霊は彼女から逃れようとして、もがく。聖菜は歯を食いしばり、両腕で悪霊の肩を捕え、両脚で悪霊の腰を締め、ここから動かないように押さえつける。
「早馬ああああああああ! 屋上! 屋上おおおおおおおおおおおお!」
聖菜は力いっぱいに叫ぶ
その声は、本校舎三階の廊下を走っていた早馬の耳を貫いた。
「屋上か! って、谷口!?」
早馬はクラス担任を視認して目を見開く。
彼は谷口のもとへ駆けつけ、その様子を確かめた。谷口は尻餅をついて茫然としているが、怪我は無い。
「大丈夫そうだな。悪いが、テメェにこれ以上構ってる時間はねぇ!」
早馬は開いている窓の桟に足をかけ、外に跳び出した。
目下には土色のテニスコートが二つ見える。彼の体は聖菜のように浮かび上がったりはしなかった。このままでは墜落してしまう。
だが、早馬は冷静に空中で右手を伸ばし、霊力を放った。そうすることで、彼は自分のすぐ下に半透明の青い床を作り出した。
その一畳分の結界床に着地するや否や早馬は後ろに振り返り、今度は両手を屋上に向ける。
彼は手から青い鞭のようなものを出し、屋上の張りに引っかける。直後、その霊力のロープは急激に縮みだした。
霊力鞭をフックショットのように使い、早馬は屋上に向けて急上昇。彼は屋上で二メートルほど舞い上がり、空中で前方に一回転してから着地した。
早馬が屋上に足を着けるのと同時に、聖菜が悪霊に振り払われた。
「あぐぅ!」
聖菜は苦しげな声を上げながら落下する。
その一方で、自由になった悪霊が道路側へと飛び去ろうとしている。
早馬は瞬時に右手を突き出し、霊力を放った。屋上を囲うように四方に大きな結界が張られ、悪霊の行く手を阻む。
悪霊は青い半透明の霊壁に突撃した。結界は揺れたが、砕ける気配は無い。悪霊はこの障壁を破ろうとして、体当たりを繰り返す。
早馬は結界を張った後、すぐに聖菜のもとへと駆けつける。そして、落ちてくる彼女の体を両腕で受け止めた。
彼は膝を曲げて衝撃を和らげる。それから脚を伸ばして体勢を立て直すと、腕の中の聖菜に微笑んだ。
「よく耐えたな」
「ったくもう、遅いよ」
聖菜は嫌味っぽく言いながらも、彼に微笑み返した。
早馬は彼女を抱えたまま、上空の悪霊に目を向ける。
「しばらくはその傷を治してろ。悪霊は俺が引きつけておく」
「うん、お願い」
聖菜は早馬の腕から下り、彼の後ろに隠れた。
彼女はその場に片膝立ちになり、左目に霊力を集中させる。すると、傷付いた箇所とその周辺が赤く光り、傷が少しずつではあるものの癒され始めた。
それと時を同じくして、悪霊が結界からの突破を諦めた。悪霊はその赤い二つの目を早馬と聖菜に向け、邪魔者の排除に舵を切る。
早馬は息を大きく吐き、気合を入れた。
その一方で、廊下で放心していた谷口先生が、ようやく我に返った。
「なんだったんだ、さっきの……誰も居なかったのに、人がぶつかってきたような感じだったんだけど……疲れてるのかな、俺」
谷口正也は顔を緩めながら呟き、立ち上がろうとする。
そこでふと、近くに生徒手帳が転がっているのが彼の目に入った。
「落とし物? さっきまでこんなの無かった気がするんだけどな……」
谷口は眉をひそめながらも、深緑色の生徒手帳を拾った。彼はそれを手に取ったまま立ち上がり、開きっぱなしの窓を眺める。
「やっぱり、誰か居たのか? これの持ち主とか……いや、まさかな」
谷口は鼻で笑って窓を閉め、校舎の見回りを再開した。