1-1 初めての登校
四月上旬。正午。
ワンルームアパートの一室で、早馬は新品の制服に袖を通した。
黒色の詰襟という、ごく一般的な学生服。その着心地を確かめるかのように、早馬は箱型のブラウン管テレビを鏡代わりにしながら、上体を軽くひねり、動かす。
「よしっ!」
彼は高揚気味にそう言って、六帖の和室から洗面所へと移動した。
扉を閉めて洗面台の前に立ち、鏡を見ながら櫛で髪を整える。逆立っていた少し長めの髪を、半ば強引に寝かせていく。そうしていくうちに、優等生風の髪型に変わった。
早馬は口元を上げる。
しかし、その満足感も束の間。せっかく整えた髪が一斉に逆立ってしまった。
「ああ! もう! この髪は!」
早馬は堪らず声を荒げる。
彼はムキになって何度も櫛で髪を寝かせるが、そのたびに髪は上に向き直って彼の努力を嘲笑う。
そうやって髪と格闘していると、隣の部屋から壁を叩く音がした。
「ねえ! 早馬! そろそろ行くよ! 入学式に遅れちゃう!」
「あ~! わかったわかった! 今日はこれで勘弁してやる!」
早馬は少女の声に急かされ、鏡の前に櫛を置く。
彼は恨めしそうに鏡を睨み付けた後、和室に戻る。そのまま白いエナメルバッグを肩にかけ、白いスニーカーを履いて部屋から出た。
彼がアパートの外廊下に出るのと同時に、隣の角部屋から聖菜が姿を現す。
彼女の制服は紺色のセーラー服で、スカートの長さは膝丈。こちらもごく一般的な学生服だ。彼女は白色のリュックサックを背負っていて、白のソックスとスニーカーを履いている。腰まで届く黒髪はいつものように二つ結びにしていた。
二人は自室に鍵をかけながら言葉を交わす。
「早馬さぁ、また髪を寝かせようとしてたでしょ? いい加減諦めなさいって」
「やだよ。これだと不良っぽいだろうが」
「顔がそれだからたいして変わらないよ。ほら、さっさと行こ」
聖菜は先に歩き出し、早馬の背中を軽く叩く。
早馬は不服そうに目を細めながらも、彼女の左に並んで歩みを進めた。
二人は外階段を降りて道路に出る。早馬は後ろを向き、自分たちが住む二階建ての新築アパートを見る。その行為に特別な意味は無く、彼はすぐに前を向いた。
少し歩くと、幅百五十メートルほどの川に差しかかった。そこから河川敷に進むと、右手に川、左手に石垣と建物、そして前方にアーチ状の赤い大橋が見えた。
早馬はその目立つ大橋を眺めながら、ため息をつく。
「入学式なんか、どうでもいいんだけどな。俺らにとっては、本命はその後の悪霊の浄化任務なわけだし」
「あたしら二人だけで悪霊と戦うの、今日が初めてだもんね。華麗にパーッと決めて、村の大人たちをびっくりさせてやろうよ」
聖菜は両拳を合わせ、白い歯を見せる。
彼女につられるかのように、早馬も不敵に笑った。
「華麗にいくかどうかは置いといて、失敗するわけにはいかねぇよな。誰かが悪霊に襲われる前に浄化しないと」
「だね。悪霊からみんなを守るのが、あたしたち浄化の退魔師の使命だもんね」
二人はそう言って、誇らしげな表情を浮かべた。
歩いているうちに、二人は赤い大橋の前まで来ていた。川に沿う小さな坂を上ると、大橋の出入口に到着する。
橋には片側一車線の道路が通っていて、その両端には車道と同じ幅の歩道が整備されている。朱色の欄干と等間隔に並び立つ街灯が、歴史と現代の融合を表していた。
早馬は大橋の道路を見ながら、聖菜に問いかける。
「良也と鈴は、もう先に行ってんだっけ?」
「うん、たぶんね。文系クラスは入場の関係でちょっと早いみたいだし」
「じゃあ、俺らは俺らでのんびり行ってりゃいいわけだ」
「って言っても、遅刻したらダメだけど」
二人は視線を大橋から前方に戻し、再び歩き始めた。
道路を横断し、小さな坂を下り、また川に沿って道を歩いていく。
「それにしても、山奥の退魔村……じゃなかった、陽善村から県内公立トップの高校に四人も入学してくるとか、先公たちもビビってんじゃねえの?」
「というより、陽善村ってどこだっけ? とか思ってそうだけど。あと、県内公立トップって言ったって、全国的にはたいしたことないじゃん」
早馬は得意げに口元を上げ、聖菜は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
そんな調子で二人は会話をしながら歩いていく。河川敷から小さな道へと曲がり、住宅地を抜け、路面電車が走る大通りを渡り、アーケード商店街を通り、街中を歩く。この地域が、この地方都市の中心地のようだ。
そうして、二人は時計台のある学校へと辿り着いた。
その「県立鷹原高等学校」と書かれた校門の前に、スーツ姿の壮年男女が四人立っていた。
「げっ、父さん母さん!?」
「なに、わざわざ村から来たの?」
早馬と聖菜は顔をしかめながらも、少し笑った。
二人の両親たちは浮足立った様子でフィルムカメラを掲げる。
「そんな顔することないだろう? 一人息子の人生で一度きりの高校の入学式なんだぞ?」
「ほら、早馬。写真撮りましょ」
早馬の両親は息子の両隣を固め、彼を校門前に連れていく。
その横で、聖菜の父親は腕で目を覆いながら泣いていた。
「我が一人娘が鷹原高校に入るなんて……立派になったもんだ、ほんとに……」
「お父さんったらもう……聖菜、私たちも写真撮るわよ」
聖菜もまた、両親に校門前へと連行されていく。
早馬と聖菜は半ば強引に自分の両親と写真を撮らされた。二人の両親は満面の笑みでいたが、早馬と聖菜はぎこちなく笑うことしかできなかった。
写真を撮り終るや否や、早馬と聖菜は校内に入ろうとする。
しかし、すぐにその足を親たちに止められてしまった。
「せっかくだから、早馬と聖菜ちゃんの二人だけの写真も撮っておきましょうよ」
「そうそう。パートナーなんだし。ほら聖菜、早馬君と並んで並んで~」
母親二人は早馬と聖菜の肩を掴み、校門前で横に並ばせる。
「なっ!? ちょっと、時間ねぇんだけど!?」
「あたしらのは別にいいってば!」
二人は反抗するものの、母親の力には逆らえなかった。心的な圧力もあるが、それ以上に肩を掴む力が強すぎて物理的に不可能だった。
父親二人がカメラを構える。
早馬と聖菜は観念して力を抜いた。
「はい、チーズ」
母二人が子どもたちから離れ、父二人がカメラのボタンを押す。
シャッターが切られるその寸前、早馬と聖菜は口を尖らせて互いから顔を逸らした。
不満げな二人にフラッシュ光が浴びせられる。これでは、記念写真としてはあんまりな出来になってしまったことだろう。
それでも父二人は文句を言わずにカメラを下ろした。親四人は早馬と聖菜に晴れやかな笑顔を向ける。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
「はいはい」
早馬と聖菜は鬱陶しそうに返事をして親に背中を向ける。
二人が歩き出した直後、早馬の父が右手を上げた。その手には白い布手袋がはめられている。彼はその右手を振りながら、息子たちに声をかける。
「それから、今夜の浄化任務、頑張れよ」
その言葉に、二人は足を止めた。親四人に顔を向け、不敵に笑う。
「おう!」
「もちろん!」
早馬と聖菜は威勢よく声を上げ、校舎へと歩いていった。