2-3 高校での一日(前半)
朝のホームルームが終わり、その五分後に授業が開始される。早馬と聖菜の一時限目は、クラス担任の谷口正也が担当する数学だ。
谷口は教科書を基に授業を進め、板書をして解説していく。授業の内容は正負の数。生徒たちは静かに、そして真面目に授業を受けている。
同級生たちと同様に、早馬と聖菜もノートをとりながら谷口の話を聞いていた。
(授業のスピードは中学に比べれば速いけど、想像してたよりは遅いな。これなら普通にやっていけそうだぜ)
(これくらいがちょうどいい感じだけど、油断したら置いていかれそうだね。ってか、谷口の教え方、結構わかりやすいね)
二人は余裕そうに口元を上げる。
その瞬間を、教壇上の谷口は見逃していなかった。
授業が一区切りついたところで、谷口は黒板に二つの数式を書いた。そのどちらも教科書には載っていない、やや複雑な正負の計算問題だった。
「では、ここで確認問題として、この式を解いてもらいましょう……山坂早馬君!」
「は……? は、はい!」
いきなり名前を呼ばれ、早馬は慌てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って、待ってください……」
早馬は立ったまま、困惑しつつもノートに式を写して計算していく。
そんな彼の様子を、聖菜はニヤニヤしながら横目で見る。ただ、ずっと見続けているわけではなく、彼女はちゃっかり手を動かして計算していた。
それほど時間はかからずに、早馬は答えに行き着いた。
「マイナス36、です」
早馬は顔を上げ、落ち着いて解答を口にする。
谷口は目元を緩めた。
「はい、正解です。では、二問目は……月宮聖菜さん!」
「はぁ? は、はっ、はい!」
聖菜は椅子を鳴らしながら立ち上がる。まさか自分が当てられるとは思ってもいなかった。
「い、今解いてる途中でしたんで!」
聖菜は立ったままノートに数字や記号を書き連ねていく。
計算途中だったため、早馬とは違ってすぐに答えに辿り着くことができた。
「に、24です」
聖菜はぎこちない笑みを浮かべて答える。
谷口は満足そうに頷いた。
「はい、こちらも正解です。二人とも、余裕そうな顔をしていただけのことはありますね。ああ、あと、別に立たなくていいですからね。座っていて大丈夫です」
谷口はそう言って、爽やかな笑顔で両手を下げる。
早馬と聖菜は安堵のため息をつきながら、同時に腰を下ろした。クラスメイトたちが微かに笑っているようだったが、二人はそれを気にしないように努めた。
谷口は咳払いをする。
「えー、今やっているのは、言ってしまえばただの計算です。しかし、中学に比べると複雑になっています。慌てるとミスしがちなので、落ち着いて計算していきましょう。それでは次は……」
谷口は授業を再び進めていく。
彼が板書をしている最中、早馬は右手を頭に当てて聖菜を一瞥し、彼女にテレパシーを送った。
『俺ら、絶対マークされてるぞ』
『だね。生徒手帳の件で完全に覚えられちゃったもんね』
早馬と聖菜は二人揃って苦虫を噛み潰したような顔になる。
その時、運悪く、谷口が板書中にもかかわらず生徒たちのほうに振り向いた。そしてその視線は早馬と聖菜のほうに行ってしまう。
「山坂君、月宮さん。そんなに警戒しなくてもいいですからね。今日はもう当てませんから」
谷口は少し呆れたような笑みを浮かべる。
その言葉によってクラス中の視線が早馬と聖菜に集まり、小さな笑いが起こった。
「そ、そうですか……」
「な、なんかすいません……」
二人は背中を丸めて頭を下げる。
笑いはすぐに収まり、授業は再開された。
早馬と聖菜は真面目に学習しながらも、心の中で悪態をつく。
(あの先公、まだ26歳だよな? それにしては慣れ過ぎてないか? 若手ってのは普通、授業するのにいっぱいいっぱいで生徒のこと見る余裕なんてないもんだろ?)
(頭の後ろに目でも付いてるのかな、谷口センセー。アタリなのかハズレなのかわかんなくなってきたなぁ……)
二人はその気持ちを表に出さないように真面目な表情を作る。
そうして、一時限目の数学は終わった。
続いて英語、社会、国語の順番で授業はおこなわれていった。
四時限目が終わるのと同時に、聖菜は両手を上に高く伸ばした。
「ん~っ、昼休みだぁ」
聖菜は開放感いっぱいに息を吐く。
そんな彼女のもとに、三人の女子生徒がやって来た。
「ねぇ月宮さん、お昼一緒に食べない?」
そう言って、綺麗系の女子が前のめりになりながら聖菜を誘う。
聖菜は体を伸ばすのを止め、顔の前で両手を合わせた。パンッと乾いた音がして、彼女は頭を下げる。
「ごめん! 今日は先約があるんだ! 誘ってくれてありがとう! また今度ね!」
「う、うん。わかった!」
その女子は残念そうにしながら明るく振る舞う。
聖菜は彼女の返事を聞くや否や机の上を素早く片付け、席を立って教室から小走りで出ていった。
その一方で、早馬は授業ノートを見返していた。
復習中の彼のもとに、四人の男子が寄ってくる。
「よう、山坂。今日は俺らとメシ食わね?」
スポーツ系の男子が弁当をぶら下げながら口元を上げる。
早馬は顔を上げ、ノートを閉じながら申し訳なさそうに目を細めた。
「わりぃ。今日は同じ中学の奴らと食うことにしてんだ。また今度な」
「おう、なら仕方ねぇな」
その男子は爽やかに白い歯を見せ、他の三人とともに早馬の机から遠ざかっていった。
早馬は大きめに息を吐き、机の上を片付ける。それから席を立ち、早歩きで廊下へと向かった。
聖菜と早馬は中央階段へと歩いていく。二人の間には少し距離があったが、早馬は聖菜に追いつこうとはせず、そのままの速さで歩みを進める。
そんな二人の向かい側からは、良也と鈴が近づいてくるのが見えた。
良也と鈴は横に並んで廊下の真ん中を歩いている。この二人とすれ違う生徒たちは全員、その姿を二度見して惚けていた。時折、「かっこいい」や「きれい」と呟く者もいる。
他方、早馬と聖菜に対しては、生徒たちからの特別な反応は無かった。
そうして、四人は中央階段の前で合流する。
その出会い頭に、早馬が良也を、聖菜が鈴を肘でつついた。
「おうおう、入学早々、注目の的じゃねぇか色男さんよ?」
「リン、あんたモデルか? 廊下はランウェイか? え? え?」
二人は悪戯な笑みを浮かべる。
良也と鈴は苦笑いをした。
「ただ単に、すーちゃんと歩いてきただけだよ~」
「そんなつもりないのよ~。そんなことより早く学食行きましょうよ~」
二人はおどけたように言って、階段を下り始める。
早馬と聖菜は顔を見合わせて一瞬笑った後、良也と鈴についていった。
一階に着いた後、四人は縦一列に並んで廊下を歩いていく。前から順に聖菜、鈴、良也、早馬。聖菜は鈴と、良也は早馬と話しながら学食へと向かう。
廊下にはそれなりの数の生徒が居る。学食や購買に向かう者、購入した弁当やパンを持って中庭や教室へ向かう者。また、職員室前では教師に質問をする生徒の姿もあった。
四人は東階段の前で北に曲がり、そこから本校舎と新校舎を抜け、体育館に隣接する食堂へと入っていった。




