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欲しがりな妹はすべてを奪った挙句に、呪われた魔法具を持ち去りました

「君との婚約を破棄させてもらう」


 ショッキングな台詞だが、オリビアの心には響かなかった。

 ため息と一緒に、諦めの返事が口をつく。


「はぁ。わかりました」


「わかりましたって……お姉様。それだけ?」


 オリビアの婚約者であるクリスの隣では、妹のミーナが腕を絡ませている。

 途中まで、ミーナはまるで舞台の主役のように爛々と瞳を輝かせていたが、オリビアの反応があまりに素っ気ないので、拍子抜けしていた。

 クリスも修羅場を覚悟していた分、肩透かしに唖然としているようだ。


 そんな2人をそのままにして、姉のオリビアは出かける用意を忙しく続けた。


「きっとお父様も快く認めてくださるでしょうから、手続きはお任せしますわ。それでは、私は仕事の時間ですので、失礼します」


 大きな鞄と本を抱えてコートを羽織って玄関を出るオリビアを、クリスは立ち竦んだまま見送り、ミーナは苛立ちを込めて前に出た。


「ちょっと! 言いたい事があるなら、言ったら!?」

「いいえ。とくに無いわ」


 オリビアは感情のない視線を残して去り、温度の無い略奪劇は、呆気なく幕を閉じた。



 オリビアは重い鞄を手に、町はずれに向かった。

 賑やかな通りを抜けると、寂れて人通りの少ない路地に、小さな倉庫のような小屋がある。家でもなく、店でもないその建物の扉を開けると、中にはギッシリと、魔法具が詰まっている。


 ここは魔術師であるオリビアの仕事場で、請負った魔法具が所狭しと置かれていた。

 母譲りの魔力を持って生まれたオリビアは、魔法具に込められた魔力を分析したり、修復したり、時には呪詛を祓ったりもする。


「えっと、今日は公爵家のご婦人から依頼されたジュエリーね」


 鞄の中から宝石箱を取り出して、雑多な机の上に置く。


 頭はもう仕事モードで、依頼への責任と好奇心で夢中になっている。

 我ながら、ついさっきの婚約破棄のダメージがまったく頭に無いことに、呆れてしまう。


 そもそもオリビアがこんな冷めた性格になってしまったのは、あの妹に原因があるのだ。

 魔術師の母が幼い頃に病死した後、父は愛人だった女を継母として伯爵家に迎え、そこに2歳下のミーナがくっついて来た。

 異母姉妹であるミーナは金色の癖っ毛に大きな瞳が可愛らしく、澄まし顔と言われる自分とは、まったく似ていなかった。

 父は甘え上手なミーナを溺愛し、継母と一緒に存分に甘やかした結果、我儘なお姫様のように育ってしまった。


 やれ、姉が持ってるお菓子が欲しい、人形が欲しい、ドレスが欲しい、髪飾りが欲しい。

 散々欲しがり続けた結果、対するオリビアはだんだんと諦める癖がついて、物にも人にも執着する気持ちが失せてしまったのだ。

 こんな性格だから、婚約者がミーナに心が向いてしまうのも仕方がない。私は可愛げがなくて、甘え方を知らず、変な能力を持ち、女の癖に魔術師なんて不気味な仕事をしていると……家族の中でもそんな異質の扱いなのだから。


「お、いたいた」


 まるで呑み屋を覗くみたいに、少し開けた扉から、怪しい男が現れた。


「アル。来たのね」


 オリビアはいつもながら、アルの怪しい登場に笑いがこぼれる。

 アルは野暮ったいぶかぶかのマントをすっぽりと被った、瓶底眼鏡の少年だ。魔法具に興味がある、というより魔法具オタクで、魔術師の血筋ではないらしいが、興味から深めたその知識の量は、本職のオリビアを凌駕するほどだ。

 この仕事場で魔法具の鑑定をしているのを聞きつけて、見学したがるアルを招き入れてからは、魔法具のオタク友達として親しくなった。


 アルは眼鏡にかかる黒髪の間からキョロキョロと魔法具を眺めながら、猫背でオリビアの机までやって来た。年は多分、妹と同じくらいで2つほど下だろう。


「わぉ、お宝じゃん。宝石箱まるごと依頼されたの?」


 アルは机の上を見て、ご馳走を眺めるように前のめりになった。


「ええ。公爵家のご夫人がプレゼントで頂いたジュエリーらしいけど、変な魔術がかかっていないか、鑑定してほしいそうよ」

「ふーん。警戒心の高いご夫人だね。オリビアは貴族間で魔術師として信用が高まって、依頼がどんどん増えてるな。売れっ子だ!」

「たまたまお客様に恵まれてるだけよ」


 軽口を交わし合ううちに、アルはふと真顔になって、オリビアの顔を覗き込んだ。


「ねぇ。何かあった?」

「え?」


 何か付いてるのかと、慌てて頬を拭うが、アルは首を振る。


「元気ないっていうか、悲しい顔してる」


 オリビアはギクッと背中が軋んだ。怒りも悲しみも無いはずなのに、無意識に顔に出ていたのだろうか。指摘されて初めて、頭には無かったダメージが、心の底にあるのに気づいてしまった。


「うん……ちょっとね」

「俺、相談に乗るよ?恋の悩み?」

「ふふふ、年下の男の子に相談なんて」

「あ、バカにしたな? 俺にだって、恋心くらいわかるよ!」


 アルの瓶底眼鏡が熱意で曇って、オリビアは笑った。

 と、その時、小屋の外から、何やら揉める声が聞こえてきた。


「私はオリビアお姉様の妹だってば!」


 オリビアはその声に驚き、肩を竦めた。

 姉の仕事に興味を持たない妹が、わざわざここを訪ねて来るなんて、予想外だった。そしていったい誰と揉めてるのかと立ち上がると、扉がバーンと開かれ、ミーナが仁王立ちしていた。その横には、アルと同じように野暮ったいマント姿の男性が立っている。


「えっと、ミーナ? どうしたの?」


 状況を掴めないオリビアの横で、アルが立ち上がった。


「ああ、あのマントの奴は俺の連れ。外で待っててもらったんだ」


 ミーナはマントの男を睨みあげる。


「ほら、妹だって言ったでしょ?」


 男はミーナから離れると、扉を閉めた。

 プリプリと怒ったミーナは、こちらに歩いてきた。


「何なの? あの不気味なマント男は! 私がここに入ろうとしたら、止められたんだけど」


 アルが頭を下げている。


「ごめん。疑り深い奴でさ」


 ミーナはジロジロとアルを見定めると、ふん、と顔を顰めた。そして狭い仕事場をけったいな顔で見回して、「ふーん」と納得の声を上げた。


「なるほどねぇ。お姉様ったら、仕事が忙しいふりして、こんな狭い所に平民の男を連れ込んでいたのね?」


 自分が略奪した婚約者にオリビアが執着しない理由を見つけて、満足しているようだった。


「違うわよ、アルはそんなんじゃ……」


 オリビアの言い分も聞かずに、ミーナはアルを振り返った。


「お姉様の元婚約者は、私と婚約することになったの。可哀想なオリビアお姉様を、あなたが慰めてあげてね?」


 アルはビックリして、頭をかいて照れている。


「え!? 俺が? いやぁ、ははは」


 アルにまで失礼な振る舞いをするミーナに、オリビアは流石に声を荒げた。


「ミーナ! いい加減にして! 仕事の邪魔をするなら帰って頂戴」

「言われなくても帰るわ。こんな不気味な所。オタク同士、仲良くどうぞ」


 フン、と踵を返して、ミーナは出て行った。

 アルは空気を読まずに、ヘラヘラと手を振っている。


 はぁ、とため息を吐いて頭を抱えるオリビアの横で、アルは座り直した。


「妹さん、つえぇ~。オリビアとあんま似てないね」

「ごめんなさいね。アルにまであんな失礼な態度を。あの子、人の話を全然聞かなくて」

「いやぁ、別に。頼られて悪い気しないし」


 ヘラヘラしているアルを、オリビアは横目で見上げた。


「アルが平民だなんて。あの子の目は節穴ね」

「えっ?」


 キョトンとするアルの胸元を、オリビアは指す。


「サイズの合わない古いマントの下には、上等な服を着ているわ。それに肌と髪も手入れが行き届いている。その眼鏡は伊達だし、外で貴方を待っているのは、護衛の従者でしょ?」


 アルは仰け反って動揺している。


「えっ、ええ! いつからわかってたの!?」

「最初からよ。貴族の身分を隠してここに来るってことは、魔法具への興味がバレると、親御さんに怒られるからね?」


 それは理解のない自分の家族と同じく、ありふれた状況だった。魔術師を重宝して仕事を依頼しつつも、同時に不気味な職業だと偏見を持つ貴族は少なくないからだ。


 アルはしょぼん、と肩を落として、瓶底の眼鏡を外した。


「ちぇ……完璧な変装だと思ってたのに。流石に目利きだね」


 オリビアはハッとした。眼鏡の下からこちらを覗く瞳は、猫のように大きく煌めく夜色で、サラサラと流れる黒髪と白い肌に映えて、とても魅惑的だった。やはり年下のようだが、男の子なのに妙な色気を感じる。


 アルはフードを下ろして首を傾げた。少し長めの髪が頬に掛かって、艶っぽい。


「それよりさ。婚約者のこと、なんで俺に相談してくれなかったの?」

「それは……だって年下なのに」

「年下とか関係ない! 俺はもう16だぞ! 大人だし、男だし、友達だ!」


 オリビアはアルが3つも年下だったと知って面食らいつつ、大人の男ぶるのが微笑ましく、そして友達という言葉に、思わず涙が込み上げていた。複雑な感情が一気に押し寄せて、泣き笑いになるオリビアの手を、アルはそっと両手で触れた。


「悲しい時は、泣いた方がいいよ。悲しみに慣れる必要なんてないんだからさ」


 幼さを残す顔にはどこか悟ったような大人びた表情があって、アルには不思議な包容力があった。その温かさにオリビアは涙が止まらなくなって、ついには号泣した。今まで慣れたり、諦めたりするふりをして、傷ついた自分を無視し続けたツケのように、感情が溢れていた。


 アルは一言も発さずに、ただオリビアを優しく抱きとめたまま、背中をずっと摩っていた。まるで子猫を慰めるような、柔らかい優しさだ。


「アル……ありがとう」


 恥ずかしさと照れでオリビアが笑って離れると、アルも笑顔になった。


「オリビアが笑ってくれると嬉しい。俺、オリビアにはずっと笑っててほしいんだ」


 夜色の真っ直ぐな瞳は澄んでいて、オリビアは引き込まれるように見つめ合った。今までずっと、魔法具のオタク友達として、並んで一緒に本を読んだり、間近で笑い合ったりしたのに、まるでアルが別人のように思える。


 優しく温かな空間は、ノックの音で現実に戻った。扉の外にいる従者が、帰る時間を知らせていた。


「あ、やば。帰らないと、父上に怒られちゃう」


 アルは急に少年らしく慌てて立ち上がり、オリビアはほっとした。あのまま見つめ合っていたら、おかしな気持ちになりそうだった。


「じゃあね、オリビア。また明日も遊びに来るから、宝石箱の鑑定結果を教えてね!」


 オリビアは笑顔でアルを送り出した後、机に戻った。


 そして置かれた宝石箱の中を見て、立ちすくんだ。


「あれ?」


 いち、に、さん……

 何度数えても、宝石箱の中身が足らない。


「ブローチ、チャーム、イヤリング……指輪は?」


 オリビアは蒼白になって、机の上や下を探した。


「指輪が……無い!」




「ミーナ! ミーナ!?」


 珍しく大声を出して、家に駆け込むように帰ってきたオリビアを父は驚いて迎えた。


「オリビア、何事だ? そんなに慌てて」

「ミーナは、どこ!?」


 いつも綺麗に整っているオリビアの茜色の髪は、仕事場から走り続けて乱れている。


「ミーナなら随分めかしこんで、さっき食事に出かけたよ」


 はあぁ、と脱力して肩を落とすオリビアに、父はどう声を掛けるべきか、戸惑っていた。オリビアの元婚約者と出かけたミーナから婚約破棄の件を聞いたが、末娘の可愛さあまり、ミーナを(たしな)めることができず、オリビアを慰めることもできないようだ。


 オリビアは指輪を持ち出したのはミーナだと確信して探しており、今は婚約どうこうの話をしている場合ではない。口を開こうとする父を遮って、再び家を飛び出した。

 しかし徒歩で街中のレストランを探すには無理があり、夜が深まっても、ミーナと指輪を見つけることはできなかった。



 ヘトヘトに疲れて家に戻り、オリビアはベッドに倒れた。公爵家のご婦人に依頼されたジュエリーを鑑定する予定が、指輪の紛失によって丸一日、走り回って終わってしまった。


「まさか預かり物の指輪を持ち出すなんて……ミーナは何を考えているの?」


 何って、本当はわかっている。綺麗で、欲しいから、頂戴したのだ。「ちょっと借りただけよ」と先の返答まで予想ができて、オリビアは目を瞑ったまま眉を顰めた。


 その時。ヒステリックな悲鳴が、一階の玄関から響き渡った。


 オリビアが驚いて階下に降りると、玄関で子供のように泣き喚く妹がいた。

 狼狽える父と継母が、訳もわからず両側から妹を支えている。

 オリビアはギョッとした。着飾ったミーナのドレスがソースなのか、クリームなのか、どちらもなのか、あり得ないほどドロドロに汚れていたのだ。


 両親はミーナと同じくらい、パニックになっていた。


「どうしたの? ミーナ! 何があったの!?」

「ミーナ! レストランで転んだのかい? 可哀想に」


 唖然とするオリビアの横を泣きながら通りすぎるミーナの左手が、キラリと光った。紛失した指輪だ。


「ちょっとミーナ、その指輪を返して……」


 オリビアの声に、継母が毅然と振り返った。


「ミーナがこんな時に、指輪が何ですって!? 思いやりの無い子ね!!」


 いつもの剣幕に、オリビアはため息を吐いて2階へ退散した。どのみちミーナがあんな状態では、興奮が治るまで会話はできないだろう。何か悪い事が起きた時、ミーナはいつも大騒ぎをするので、オリビアは慣れっこだった。



 翌朝。


 オリビアは朝食の席の前で、立ち尽くした。

 それは父も、継母も並んで一緒に。


 朝日の中、爽やかな天気のダイニングでは堆く皿が積まれ、パン屑が飛び散り、ガチャガチャと、けたたましく食器が鳴っていた。

 ミーナが、まるで猛獣のように朝食を掻き込んでいるのだ。

 用意された分では足りず、家族の分を平げても足らず、使用人にキッチンから運ばせた食材を、さらに平らげていた。


「ミ、ミーナ。朝から元気いっぱいだな」


 異常な光景に、父の言葉が滑っている。

 継母は絶句していた。昨晩のディナーで、ミーナにとって何か悪い事が起きたのだと察していた。しかしヤケ食いにしても、あまりにワイルドな食欲だった。


「ミーナ」


 オリビアだけが、ミーナに近づいた。まるで映像が早回しになっているみたいに、フォークが、スプーンが回転していた。左手にはやはり、あの指輪が光っている。


「ミーナ。指輪を返して頂戴。あれは公爵家のご夫人から預かったものよ」


 ミーナはこちらに顔も向けず、大声で答えた。


「ちょっと借りたらけよ! モグモグ、後れ、返しにいくわよ!」


 離れた場所から継母が睨みを利かせていて、オリビアはため息を吐いて後退した。


「わかったわ。後で必ず、返しに来てね」


 オリビアは急いで支度をすると、家を飛び出して、仕事場に向かった。


「あの指輪はいったい……ただ事ではない」


 仕事場に着くと鞄を放り投げ、すぐに宝石箱の中の鑑定に入った。


 物に込められる魔力には、様々な意図や効力がある。

 人を守り、導くお守りのような慈愛の魔法具もあるが、時には人を陥れ、破滅を呼ぶ、呪われた魔法具もある。魔術師は物に込められた魔力を読み取り、分析するのが仕事だ。


 オリビアは宝石箱の中のブローチ、チャーム、イヤリングのひとつずつに集中して、翳した手から術を掛けた者の意図を読み解いていく。

 悪意のある魔力は、剥き出しとは限らない。表層を善意や愛のようなオブラートで包み、深層に呪詛を隠す方式もある。

 他者がそうして仕込んだ複雑な魔力を自分の中に読み取り、その奥深くにダイブするには、研ぎ澄まされた集中力と精神力が必要になる。対象者に向いた悪意は、読み取る者の精神を傷つけることもあるからだ。


 オリビアはこれまでにないほど、冷たい汗と、震えと、恐怖を感じていた。背中にじりじりと、顔の見えない術者の怨念が這い寄る。

 ジュエリーには、直接的な殺意よりも恐ろしい、呪詛が隠されていた。



「よ~、オリビア」


 間の抜けた挨拶が聞こえて、オリビアは机上から、伏せていた顔を扉の方へ向けた。

 いつものように、アルが野暮ったいマントと瓶底眼鏡の姿で立っている。

 オリビアはホッと心が緩んだ。


「オリビア? どうしたんだ! 真っ青だぞ!?」


 アルはオリビアのもとに駆け寄ると、すぐに蒼白な手を取った。


「手が冷たい。冷え切ってるじゃないか」


 オリビアの横にある、宝石箱とジュエリーが目に入る。


「鑑定したのか?これを」

「うん……」

「ど、どんな魔力が籠ってた?」


 オリビアは青い顔のまま、喉を引きつらせた。


「すべてのジュエリーに、悪意の呪詛が込められていたわ。とてつもなく、強い意思と執念の目的を持っている」


 恐怖が伝染して固まるアルの前に、オリビアはジュエリーをひとつずつ並べた。


「これを身につけると、皮膚が萎れる。髪が抜ける。声が枯れる……。それぞれがひとつずつ、女性の美しさを奪うの」

「ひえっ……」


 アルはおぞましい魔法具を凝視して、仰け反った。

 オリビアは再び、机に伏せた。


「ミーナが……妹が持ち出した指輪はきっと、際限なく食べ続ける呪いがかかっているんだわ」

「え!? 持ち出したって、この魔法具を!?」


 アルが驚きの声を上げたその時、扉の向こうで、大きな声が聞こえた。


「だから、私はオリビアお姉様の妹だって、言ってるでしょ!?」


 オリビアとアルがハッとして入り口に目を向けると、扉がバーン! と開かれて、そこには逆光を浴びたミーナが、いや、ミーナと思わしき人物が仁王立ちしていた。


「ったく、あのマント男! モグモグ、昨日会ったばっかなのに、もう忘れたの!?」


 もとのミーナの3倍は横に大きくなっただろうか。

 顔はまん丸に、体はボヨンボヨンと逞しくなって、両手にドーナツやチキンを山ほど抱えている。

 外にいる護衛の従者が他人と間違えるのも無理はない。昨日のミーナとは、まるで別人だ。


「ミ、ミーナ……」

「はぁ~、どっこいしょ」


 ミーナは巨体を揺らして小屋の中を進むと、ドシンと椅子に座って、振動を起こした。アルが衝撃で飛び上がったように見える。


「お姉様に返しにきたわ。あのバカ男」

「へ?」

「クリスよ! 昨日、婚約のお祝いで行ったレストランで、私が料理をいっぱい注文したら怖気付いちゃって、逃げたのよ! ちっさい男ね」


 きっと料理の数も、その食べっぷりも、逃げ出すほどに凄まじかったのだろう。オリビアとアルは顔を見合わせた。


「返すって、クリスなんて今さら私だっていらないわよ」

「それからこれも返す。ドレスに似合う指輪だから借りたけど、ドレスはもうソースまみれになっちゃったし」


 ミーナが差し出した指には、あのおぞましい呪いの指輪が光っていた。

 不思議な事に、太くなった指にもサイズを合わせて大きくなっているようで、綺麗に嵌っている。

 だが……。


「んんん、抜けない!」


 オリビアが引っ張っても、アルが手伝っても、石鹸水を付けても、指輪は抜けなかった。


「ちょ、痛い、痛い!」


 ミーナが大きな手を払い除けて、アルの顔面に直撃した。


「ぶっ! いったぁ」

「アル、大丈夫!?」


 アルの瓶底眼鏡とフードがぶっ飛んで、夜色の瞳を見たミーナは、ガタと立ち上がった。


「え!? 可愛い~! アル君ったら、可愛い顔してるのね!?」

「あ、あはは……どうも」


 ミーナに両肩を掴まれたアルは、人形のように浮いてしまいそうだ。

 オリビアはミーナが婚約者のクリスに飽きて、今度はアルまで奪おうとしているのだと悟って、咄嗟にミーナの手をパチンと叩いていた。


「きゃ、何よ!?」

「失礼でしょ? アルから離れなさい!」


 オリビアは常識的な叱責をしているように見えて、その顔は真っ赤になっている。明らかな嫉妬心が現れていた。


「ふーんだ。お姉様が私を叩いて叱るなんて、初めてね?」


 ミーナは楽しそうに笑うと、満足顔で立ち上がった。


「私、とにかく美味しい物がいっぱい食べたいの。男もドレスもジュエリーも、今は何もいらないわ。あ! そろそろ、焼きたてパンの販売が始まる!」


 呪われているのに、まるで憑物が落ちたような顔をしてミーナは走り出した。


「ちょっと待って、ミーナ! 指輪を……」


 オリビアの言葉も聞かずに、出て行ってしまった。

 小屋から巨体が消えて、室内はシンとする。

 アルは我慢していたようだが、声を殺して笑い出した。


「ククク……オリビア。あの指輪は時間を掛けないと抜けないよ」

「そのようね。あの子はほんとに、人の話を聞いてくれないわ。私の仕事も何度も説明したのに、未だに魔法具を理解してないみたいだし」


 オリビアは諦めたように、ジュエリーを宝石箱に仕舞った。


「公爵夫人に説明して、指輪の返却は待ってもらうしかないわね」

「多分、そんなおっかない魔法具は処分してくれと言われると思うけど……そのご婦人て、レオンボルト公爵家のエカテリーナ夫人?」


 オリビアは驚いてアルを振り返った。


「そうよ。お知り合いなの?」

「ああ、やっぱり。あの夫人は魔性と言われるほどモテて、結婚の前に相当数の男女と揉めたらしいから、恨まれたんだな」

「贈り主は男性だと思うわ。呪詛には愛情も一緒に込められていたから」

「愛憎ってやつ? おっかねぇ~」


 軽いノリのアルに、気を尖らせっぱなしだったオリビアは力が抜けるように、苦笑いした。


 アルはオリビアの正面に立って、オリビアを真っ直ぐに見つめた。


「あのさ。実は今日、オリビアにお願いがあって来たんだ」

「あら。魔法具の鑑定かしら?」

「うん。仕事を依頼したい。俺の家族の呪いを、解いてほしいんだ」


 いつになく真剣な顔のアルに、オリビアも背筋を伸ばした。


「家族の……呪い?」

「俺の兄貴は魔法具の剣で斬られたのが原因で、昏睡の呪いに掛かってしまった。俺はずっと、兄貴を助けるために、腕のいい魔術師を探し歩いていたんだ」


 アルが魔法具の知識に異常に詳しく、変装してまで魔術師のもとへ見学に来ていた理由を知り、オリビアは衝撃を受けていた。


「どうして最初に言ってくれなかったの!? そんな大変な事……」

「父上は頭が固くてさ。家の中に、宮廷魔術師以外を入れるなんて考えられないんだ。だけど、俺が探した限り、オリビア以上に感度と腕のいい術師なんかいないんだよ」


 オリビアは目を丸くした。


「宮廷魔術師?」

「うん。俺はこの国の第二王子のアルフレッド。兄は王太子のレイモンド。兄貴の呪いは王室外極秘の事項なんだ」


 オリビアは頭が真っ白になって、血の気が引いていた。

 アルが、いや、アルフレッドが第二王子……。

 これまで数々の親しくも無礼な会話や触れ合いが浮かんで、身体が震える。


「と、とんだご無礼を! どうかお許しください!」


 跪く勢いで屈んだオリビアを、アルは慌てて支えた。


「ちょっと待ったぁ! やめてよ、そういうの! 俺達は魔法具友達でしょ!?」

「で、アルフレッド王子殿下とお友達だなんて、めっそうも御座いません」

「だから嫌だったんだ。身分を明かすと、みんな友達じゃなくなっちゃう。俺は兄貴のためとはいえ、魔法具に興味があるのは本当だし、毎日オリビアに会えるのが楽しみで、ここに来てたんだよ?」


 オリビアがそっとアルを見上げると、夜色の瞳は悪戯っぽく微笑んでいた。


「それにさ、オリビアはさっき、俺にやきもち焼いてなかった?」

「え!?」

「妹さんの手を叩いた時、赤いほっぺで可愛い顔してた」


 オリビアはカーッと耳まで赤くなって、目を見開いた。その様子に、アルは嬉しそうだ。


「魔術師の顔のオリビアも格好いいけど、可愛いオリビアも好きだな」


 王子としてはあまりに人懐こく素直なアルに、オリビアは胸がキュンとしていた。この胸の高鳴りが恋なのか、友情なのか、母性なのかもわからないうちに、扉の方から咳払いが聞こえた。


 2人が振り返ると、護衛をしていた従者が時を知らせていた。どうやら互いにノックに気づかなかったらしい。


「そろそろ宮廷に戻らなきゃだな」


 アルはオリビアの手を取って、立ち上がらせた。


「オリビア。王宮に来て、俺と兄貴を助けてくれる?」


 オリビアは真剣な顔で頷いた。


「全力を尽くして、お仕事をさせて頂きます」


 アルはオリビアと手を繋いだまま、表に停めてある馬車に案内した。

 隣同士で着席すると、アルは続けた。


「そんで……兄貴が治ったら王政は兄貴に任せて、俺はオリビアと一緒に魔法具の研究を続けたいんだ。ずっと……仲良くしてくれる?」


 夜色の瞳を輝かせる可愛い希望に、オリビアは握っている手を優しく握り直した。


「はい。アルフレッド王子殿下。喜んで、お供しますわ」




 この日は後に、王太子をはじめ多くの人を魔法具の呪いから救う、王国初の女性宮廷魔術師の誕生の日となった。


 そしてゆくゆくは、魔術学の賢者となるアルフレッド王子の仲睦まじい伴侶として、オリビアは宮廷で幸せに暮らしたという。



 ー追記ー


 妹のミーナはその後、指輪の呪いから解放されたが、美食に目覚めて食を求める旅に出たらしい。本人曰く、飢餓のように果てしない欲望を満腹が埋めてくれたのだとか。

 美食探究家ミーナのお話は、またいつか……。

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