中山裕介シリーズ第9弾
一五八二年六月二一日早朝。京・本能寺(京都市中京区)は喧噪に包まれていた。
目を覚まされた織田信長や小姓達は、初め下々の者による喧嘩だと思っていたが、暫くすると「うおーーっ!!」と鬨の声(勝利した時に上げるざわめき)が聞こえ始め、寺の御殿に鉄砲が撃ち込まれて来た。
これに信長は、
「これは謀反じゃな。如何なる者の企てぞ!」
小姓の一人、森蘭丸に尋ねて物見に行かせた所、
「明智の軍勢と見受けます」
蘭丸は静かに告げる。
信長の家臣、明智光秀が反旗を翻したのだ。
信長は光秀の性格、城攻めを得意とする能力は主君として当然理知している。脱出は不可能だろうと悟った信長は、
「止むを得ぬ」
と言って弓矢を準備させた。弓を引いた相手には弓で勝負、といった所か……。
事変から溯る事十九日前。信長は安土城(滋賀県近江八幡市)を訪問する徳川家康の為、光秀に接待役を務めるよう指示。
光秀は翌日から三日間、家康の接待役としてもてなした。
所が十六日前、中国地方の毛利氏と攻防中だった羽柴(豊臣)秀吉から、応援を要請する旨の手紙が届く。そこで信長は光秀を接待役から外し、援軍の先陣を務めるよう命じた。光秀は同日中に急遽、居城の坂本城(滋賀県大津市)へ戻り出陣の準備を始める。
四日前、信長は安土城を留守役達に託すと、
「戦陣の用意をして待機しておくのじゃ。命令があり次第出陣せよ」
と命じ、小姓達や女性使用人のみを率いて上洛するという「Rough」な大勢で同日中に京の定宿であった本能寺へ入った。
安土城より三八点の名器も運ばせた信長は、一日前、公卿や僧侶ら四十人を招き本能寺で茶会を開く。茶会が終わると酒宴になり、信長は囲碁棋士の対局を見物。子の刻(二四時)頃に就寝した。
一方の光秀は事変の一日前、一万三千人の手勢を率いて出陣。事変当日の未明、明智軍は桂川(京都府)に到達。そこで手勢を止めさせ、光秀は深く鼻から息を吸い、口からゆっくりと吐く。「落ち着くのだ」と自分に言い聞かせながら。そして……。
「敵は本能寺にあり……」
馬上で呟いた後、
「敵は本能寺にあり!!」
手勢に向け宣言した。すると手勢達は「おーーっ!」と喚声を上げる。
当日の明け方、午前四時頃、明智軍は本能寺を完全に包囲する。
当時の本能寺は幅約二メートルから四メートル、深さ約一メートルの堀。○・八メートルの石垣とその上に土塁が巡らされ、防御面にも配慮された城塞の造りであった。だが……。
小姓達や女性使用人しか伴っていない信長軍は、明智軍に対して不利なのは明白。
やがて明智軍は四方より攻め込んで来る。それでも小姓達や宿直警備に当たる者達は一団となって応戦。だが、万全の大勢の明智軍には敵わず、結果二四人が討ち死にした。
当の信長も弓を引いて応戦するも、どの弓も暫くすると弦が切れてしまう。信長は弓から槍に切り替えて敵を突き伏せて戦ったが、『ブスッ!』「うっ!」右肘に敵の槍が刺さり負傷してしまう。白い寝間着が見る見る内に赤く染まって行く。
「最早……これまでじゃ……」
悟った信長は、付き従い槍で応戦していた女性使用人に対し、
「女はこれまでじゃ! 至急脱出せよ!」
と右肘を押さえ、逃げるよう指示した。
既に御殿には火がかけられており、近くまで火の手が及んでいたが、信長は殿中の奥深くに籠ると内側から納戸を閉める。煙に包まれて行く納戸に徐に座った信長は刀を持ち、
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり……一度生を享け、滅せぬものの あるべきか……ハハハハハハハッ」
敦盛を呟くように口にした後、笑った。
「自分の人生に悔いなし」という意味なのか、信長は笑ったのだ。そして……。
『グサッ!』腹に刀を突き刺し、自害してこの世から果てた。享年四八。
明智軍の討ち入りが終了したのは辰の刻(午前八時前)だったという。
「Rough」な大勢で上洛し、最期は「Raugh」で締める。これも信長の運命……か。
後に積極的謀反説、黒幕存在説など色々な仮説が唱えられ、「日本史最大の謎」「永遠のミステリー」と呼ばれる事になる『本能寺の変』は、こうして終結を迎えた。
時は流れ、二一世紀。平成も終わりに差し掛かった放送作家事務所<マウンテンビュー>の喫煙エリア。
「今度の新番(組)は絶対にコケます」
「始まる前からそんな事言ってどうするの」
<マウンテンビュー>の社長、陣内美貴は紫煙を吐き、口振りは落ち着いているがオレにガン飛ばした。
「あの枠は二年以上も数字(視聴率)が低迷してます。それに尚且つ、メインの出演者は変わらない。これまでの変遷から見ても、数字が下がった出演者で起死回生に成功した例は殆どないじゃないですか」
オレも真っ暗な空に向かって紫煙を吐く。
「でも今回はプロデューサーや演出も変わるんだよ」
「心得てますよ。今日大物タレントのご子息であるプロデューサーに挨拶しましたから」
「それでも「コケる」って思念したんだ。スタート前からそんなスタッフがいたんじゃ、当たるものも当たらないよね」
「企画を見ての勘考ですよ。確かに肉付けすれば面白そうな企画もありましたけど、作家が肉付けしてもこれはどうかという企画もあった。玉石混淆ですね」
陣内社長は何も言わず、車が行き来する音しか聞こえない喫煙エリアで、溜息交じりのような「ハフー」という声を出しながら紫煙を吐いた。
陣内社長とオレが何を口論寸前まで話しているのかというと、四月下旬からスタートされる、お笑いコンビ、東京V2チャンネルがメインMCのバラエティ番組『ラフな東チャン』についてである。
番組プロデューサーは先も言った通り大物タレント、みかみつよしの長男でTHS(東京放送システム)の社員、三神翔。
しかも番組が放送される時間帯は、毎週土曜の二一時から二二時までの、ステーションブレイクレス(番組と番組の間にCMを挟まない)放送なのだが、裏番組は父みかみつよしMCのバラエティ番組が放送されており、四月以降も継続される事が決定している。
これは少々話題を呼び、一部スポーツ紙やネットニュースにて『みかみVS息子 因縁の親子対決!』などと報じられていた。記事によると、『二人は「まさか同じ枠で競うことになるとは」と驚いている。息子の翔氏は「真裏に父の番組がある新番組の担当だと分かった時は、ビックリの一言でした」。みかみに報告したところ「なるほど、分かった。自分なりに頑張りなさい」との言葉を受けたという。
翔氏はみかみについて「力のある司会者だと思っています」とリスペクトしながらも、「こちらは少しでも良い番組を制作していくだけ。観る人を少しでも幸せに笑わせる番組にしたいので」とテレビマンの視点で語る。
受けて立つみかみは「まさか親子で表裏になるなんて驚いた。親としては厳しい業界だから頑張ってほしいが、こちらも良い番組を作るのみ」と話している』。との事。
これは番組宣伝にもなり良い事ではあったのだが……。
話は二月上旬まで溯る――
港区南青山の自宅マンションのリビングで自分が構成に携わる深夜番組をチェックしていた時、携帯が着信音を鳴らす。画面を見ると友人のディレクター、下平希からの電話。
「またあいつ……」
無視してやろうかとも思ったが、そうもいくまい。
『もしもしユースケ、今大丈夫?』
「自分の番組観てたけど、別に構いません」
『実はまた仕事の話なんだけどさ』
「だろうと思ったよ。あんたが電話して来るのは飲みの誘いか仕事の件か、どっちかだもんな」
『分かってるんなら良いけど、実は四月から東チャンの番組がリニューアルされるの』
「四月って、もう二月だぞ」
新番のオファーは遅くとも三、四ヶ月前に事務所を通してされて来るのが通例。しかしこの女はいつも……。
『ごめん。一応謝っとく。だってユースケは急に仕事をオファーした方が躍起になるじゃん』
何だ、『一応謝っとく』って。
「別に急にオファーしなくたって遮二無二とやってるよ」
『そう。それは失礼』
電話の向こうでにやついていやがる。
『で、本題に戻るけど、東チャンの新番、受けてくれるよね?』
「何でいつも君は事務所を通さないんだ」
『だから急にオファーした方が躍起になるあんたの性格を知ってるからだよ』
「どうせうちの社長のこった、有無も言わせずGOサイン出して威令を下すに決まってるぜ」
『陣内さんはね』
これには下平も苦笑。
『じゃあ決まりだね。初会議は今月中旬の月曜からで良いから』
「はいはい」
適当に返して電話を切った。
下平希ディレクター殿。制作プロダクション<プラン9>の社員であり、元ヤンキーにして元読者モデルという経歴の持ち主。読モ時代にスナックやキャバクラでアルバイトをしていたそうで、客がいない時は仲の良い同僚と喋りながらただで酒を飲んでいたという。そのせいかハスキーボイスで酒やけの感が否めない。
でも元モデルはモデル。スタイルもスレンダーだしファッションやアクセサリーにも拘りが未だに強い。そういう意味ではディレクターらしくない風采の人物だ。
業界歴は下平の方が一年先輩で年も一つ上なのだが、何故か初対面の時から「下平」と呼び捨てにしている。特に理由は……なし。
下平から電話を貰った翌日。某キー局での会議前に事務所に立ち寄ると、
「おはよう中山君。また新しい仕事が決まったんだってね」
陣内美貴社長の悪戯っぽいというのか子細ありげな笑み。案の定、社長の中では承諾するものと決まっている。
「社長、「オファーが来てるよ」だったら分かりますけど、「決まったんだってね」って、オレはフリーじゃないんですけど」
細やかな抗い。
「勿論THSからはオファーは来たよ。でも下平さんから直接話が来てOKしちゃったんでしょ?」
陣内社長の澄ました笑み。抗いも虚しく……。
放送作家が仕事のオファーを受ける時は、今回のように放送局から、又は制作プロダクションから、そして懇意にしている人物から直接、と、決まった通例はない。THSからはオファーが来たというが、これは「下平ディレクターからオファーが来た」と形容した方が早い。
「中山君はうちの稼ぎ頭なんだから頼んだからね」
表情は澄ましているが眼光は鋭い。陣内美貴という人に出会って長い事経つし、オレが新人の頃は教育係を担当してくれていた。大変お世話になったし今もお世話になっている……が、正直この表情と目には未だ慣れない。
「ユースケ君また仕事入ったんですか。この売れっ子!」
右肘でオレを突いて来た彼女の名は浜家珠希。誰に対しもフレンドリーで明るい子。作家成り立ての頃はオレが教育係を担当していた。が……。
「珠希、あんただって実質五本レギュラー持ってんじゃねえかよ」
「一本は見習いみたいなもんだもん。大喜利の問題何問も考えては却下されるの繰り返しだし」
「珠希ちゃん、それは作家なら誰もが通る道なんだよ」
陣内社長は腕組をし、微笑を浮かべて諭す。
「オレもそう教えましたけどね。見習いっていったって十年以上続くキー局の番組だぜ、自信持っても良いと思うけど」
「ふーん、確かに長いよね」
他人事みたいな口振り。ピンと来てるんだかどうなんだか。
「でも私には、ユースケ君みたいに直接仕事を振ってくれる、ディレクターの友人なんかいないから」
「今の言葉、羨望なんだか嫌みなんだか分からんけど」
「羨望に決まってんじゃん!」
珠希はまたオレの肩を突く。
「はいはい二人共、私語は終わり。ここはオフィスエリアなんだから仕事に戻る!」
最後は社長が締めた。
二月中旬の月曜日がやって来てしまった……。『ラフな東チャン』の構成会議は十五時からと下平から聞いている。オレにとっては初会議だが、会議自体は去年の十二月から始められているのとの事。
他のキー局での打ち合わせを終え、会議まで時間がある為、友達の男性作家に誘われ同局のS4スタジオで生放送されている昼の情報バラエティ番組のスタジオに観覧客、カメラの後ろで放送を見守っていた。二人共番組の構成には携わっていないのに。
「オレらここにいて良いのか?」
「別に良んじゃね。入館証は持ってんだし」
「呑気な奴」
放送が始まって約一時間、携帯がバイブし始めた。が、観客の笑い声や出演者の突っ込みなどで初めどっちの携帯がバイブしているのか分からない。
「お前じゃね?」
友達に指摘されてやっと気付く。
「やっべ!」
幾ら離れているとはいえ、マイクが電波を拾ってしまうかもしれない。慌てて外に出る。
S4スタジオの緑の扉の前で画面を確認すると、下平からの電話だった。仕方ないので掛け直す。
『ユースケ、ちょっと早く来れない?』
「何かあったか、問題でも」
『いや、問題という訳でもないんだけどさっ』
「じゃあ勿体振らずに早く要件を言えよ」
『分かった分かった。三神さんが早くユースケに逢いたいんだって』
「ああ、そう……」
あまりにも軽薄な内容に弥が上にも訥弁になってしまう。とはいえ、三神翔プロデューサー殿からのご要望。スタジオに戻り、友達に「ごめん、急用が入ったから先に出るわ」と告げ、急ぎ車でTHSに向かった。
THS内のC6会議室に入ると、三神さんと下平はオレの顔を見ると待ち侘びていた様子で笑みを見せる。「三神さん」とはいうものの、それは男性だからそう判断しただけで、「三神さん」もオレもお互いの顔を知らない。けど三神プロデューサーが裏では「坊ちゃん」と呼ばれているのは耳に入っている。別に悪意がある訳ではないと思うが……。
「三神さん、この男が今回紹介した作家の中山裕介です。皆からはユースケって呼ばれてます」
「初めまして、中山です」
慇懃に頭を下げた。
三神プロデューサー殿は大学卒業後にTHSに入社した局P(テレビ局社員のプロデューサー)。初めは営業局に配属され、四年前に編成制作局に配転されAD、ディレクターを経て、去年プロデューサーに昇格されたお方。
だがTHS入社は「親の七光り」と噂する業界人がいるのも事実。その証拠にみかみつよしの次男も他のキー局に勤務しているのだから。
しかし、現在のTHS全体の番組が視聴率低迷に陥っている状況もあってか、プロデュースする番組は半年、一年と短命に終わっている。だから今回の新番には本人も気概がある筈だ。何せメディアに取り上げられ鳴り物入りでスタートするのだから。
「君がユースケ君か。プロデューサーの三神です。「みかみつよしの息子」って言えば分かって貰えるかな。ハハハハハッ!」
事実ではあるが自分の言葉で爆笑。下平も笑みを浮かべてはいるが、この女は只合わせているだけだと確言しても良い。下平希という人は愛想笑いやご機嫌取りといった言動は基本しない。そんな人物が笑みを浮かべているという事は、三神翔っていう人、一癖も二癖もあるな……。その証拠に、三神さんは冬なのに扇子を持ち、
「ブラウンのキャスケット帽、ジージャンに迷彩柄のパンツ、トータルで似合ってるな」
一々扇子で指しながら頼んでもないのにファッションチェック。
「ありがとうございます」
苦笑いで返したが何もありがたくは、ない。
「ユースケ君は急に仕事をオファーした方が躍起になるらしいな」
「いつも躍起になって取り組んでるつもりなんですけどね」
下平の奴。一瞥するとにやつきやがった。これがこの女の本性。
「最近の作家は考えるという事をサボりたがるから、君みたいな作家が良いんだよ。だから下平の進言を信じてギリギリまでオファーを出さなかったんだ。ハハハハハッ!」
「そうだったんですか」
苦笑で返しながら下平の頭を一発はたいてやりたい衝動をグッと堪える。
やがて会議開始まで十五分前となり、続々と「役者」が揃い始めた。
まずは根本仁美チーフプロデューサー(CP)。こちらもお初。だが業界内では有名人。何故ならば、根本さんの父親は全国で二百店舗以上を展開するビジネスホテルチェーン店の創業者であり、現在は会長。言わずもがなお嬢様であらされる。
しかし、もっと兵な人も。「おはようございます」と笑顔で挨拶しながら入室して来たのは作家仲間の膳所貴子さん。あだ名は「お貴さん」。この人の父親もあるIT企業の社長で実家は富裕。父親の企業はどんどん拡大しているようで、今は北海道、愛知、福岡にも支社を置くという。世界に進出するのも時間の問題かもしれない。
しかも放送作家を「ふあー」とした気持ちでやっていると公言したり、「今まで殆ど努力しないでここまで来ちゃったんです」「腕時計とか時計は止まると捨てる物だと思ってました」「彼氏と親に内緒で旅行に行こうとしたら、四時間くらいで父の秘書が捉まえに来て、彼氏は秘書にボコボコにされてた」などと、「ナメとんのか!」「どういうこっちゃい!」と突っ込みを入れたくもなるエピソードは多数。だがお貴さんには全く悪気はない。だから聞いているこっちも笑うしか、ない。
それに顔立ちもスタイルもモデル並み。何故放送作家の道を選んだのか疑問を持つが、それも何とはなしに「ふあー」と決めたのだろうて。飽く迄推測だけど。彼女にとって放送作家の仕事は学校のクラブ活動のようなものなのだろう。
お嬢様が二人現れたかと思ったら、沢矢加奈さんが入室した。この人も曲者で……。目標は秋元康さんという野心家なのだが、彼氏が出来たら即同棲。うちにいる時はいつでもSEX出来るようにお互いほぼ全裸で過ごしているのだそう。
「別れたらどうするの」と訊くと「自分で処理してる」と平然と明言。エロさ全開なのだが、彼女のように余に自然とした口振りで明言されると、下ネタもエロさを感じなくなるのはこっちが麻痺しているのだろうか?
次に現れたのはディレクターの大場花。下平と同じく<プラン9>の社員だ。
名前を音読みすると「おおばか」となる面白い名前。「親は考えなかったの」と何度も訊かれたらしいが、本人は「気付かなかったんじゃないですか」と返すだけで全く気にしていない。
女性なのだが服装、口振りは男性。だからといってトランスジェンダーではなく、バイ&セクシャル。胸は普段、晒しで潰しているという。
それとオレと同じ日本史と城好き。共通の趣味で仲良くなったのだが、
「城巡り行けてないだろう」
オレも同じだけど。
「まあ忙しくて中々。でもこの前ロケの空き時間に駿府城(静岡市)には行ったよ」
大場もそれを聞いたオレも嬉々とした表情になる。
「マジで? 確か二○一四年に新しく二の丸に坤櫓が復元されたよな」
「ああ。運良く中にも入れたよ」
「良いなあ」
ディレクターも作家も中々休みがない生業なので、趣味に没頭する時間はない。オレも三年前ロケハン(ロケーションハンティング。何処でロケをするか、出演者にどの店で食事させようか、ディレクターと共に打ち合わせをする)で山梨に行った時に甲府城(甲府市)、やはり空き時間だったが運良く復元された稲荷櫓に入る事が出来た。携帯で石垣とか櫓を『パシャパシャ』写真に撮りまくったっけか。
そしてどん尻は作家の村田尊さん。この人、オレより二年先輩だけどやんちゃな人で……。
例えば友達と海水浴に行ったまでは良かったが、友達の一人が居眠りをしてしまった。十五時過ぎになりそろそろ帰ろうかと他の友達と話していたが友達は起きない。そこで村田さんが取った行動は、眠った友達を海パン一丁で置いて帰る事。置き去りにされた友達は当然大慌て。何とか他の海水浴客の車に頼み込んで乗せて貰い、東京都内に入った所でタクシーにこれまた頼み込んで乗車させて貰って帰宅したのだとか。
村田さんの釈明が凄い。
「起きてオレ達の車を追い掛けて来ると思ったけど、来なかったからそのまま帰った」
これで誰が納得する?
また彼女がいるのに五股を掛けていたというエピソードもあるのだが、その時は彼女の方が上手で、彼女は七股を掛けていたらしい。しかもその彼女は沢矢加奈さん。だから二入は会議、打ち合わせ中に一切目を合わせる事はない。他のスタッフにも周知されているとは思うが、な~んかやり辛い事此の上ない。
「彼氏が出来たら即同棲」の沢矢さん。村田さんや他の六人とも同棲していたのだろうか? だったとしたら、この元カップルある意味凄過ぎる。
「役者」の解説はこれで十分だとして、会議は始まる。
「ユースケ君、もう企画は煮詰まって来てるんだ。東チャンの二入からもどんどん企画案は出されて来てるしね」
三神Pの熱のこもった顔。
「そうですか」
というか「でしょうね」。もう二月だし、春の新番だったら当然。
「一回目は<Goods wood Yamasaki>の社長さんに、多田さんがロケに行って山崎社長に番組を宣伝して貰おうって事になってるの」
根本CPは微笑んで解説。
「あの会社、社長がメディアに出る事ってありましたっけ」
素朴な疑問。
「だから今掛け合ってる最中。もし社長が出演してくれたら、メディア初顔出しになるし、話題になると思うんだあ」
「数字も取れちゃったりしてね」
下平と枦山ディレクターの嬉々とした姿。
この枦山夕貴ディレクター殿。制作プロダクション<ワークベース>の社員。ある共通のディレクターを介して知人となりその後意気投合。年も業界歴も下平と同様一年先輩だが、この人には普段タメ語だが呼ぶ時には「枦山さん」。何故だか自分でも分からないが。
ヤンかディレクターではないが高校時代、芸能事務所に所属しファッションモデルとして活動していた経歴を持つ。呼び捨てと「さん」付けは読モと芸能事務所のモデルから来ているのかもしれぬ。
「何で(モデルを)辞めちゃったの」と一度訊いてみた事があるが、本人曰く「芸能人には向いていない。裏方の仕事ならどうかな? って思って」らしい。また「役者」の解説をしてしまったが、これで本当にお仕舞。
「ユースケさんは<マウンテンビュー>の稼ぎ頭なんでしょ。だったら企画案に肉付け、頼むよ」
「ちょっと枦山さん、何でオレがうちの事務所の稼ぎ頭って言われてるの知ってんの?」
「まあ風の便りでね」
枦山さんはニヤニヤ。枦山さんとうちの社長、陣内美貴とは面識はない筈。また珠希か? あの女もお喋りだからな。
「ほらほら貴方達、私語は慎んで会議に集中しなさい」
根本CPの落ち着いた諭し。
「済みません」
枦山Dとユニゾンで謝った。
「一回目の大村君の企画は何でしたっけ」
村田さんが訊く。手元に資料はあるし、初回の会議から出席してるんじゃないのかい?
「イメチェンです。草食系男子からのイメチェン」
作家を「ふあー」とした気持ちでやっているお貴さんから教えられる。
「貴方初回の企画くらい覚えておきなさいよ」
また根本CPの落ち着いた諭し。だが村田さんは、
「ああ、そうでしたね」
と謝らない。呑気な顔しちゃって……。
「他の企画はどうなってるんですか」
資料に目を通しながら訊く。
「後はテンションの高いタレントと多田さんが旅行する企画」
「Mr.ジンカワと行く、肉料理を味わう食企画もあるよ」
根本、三神プロデューサーから説明された。
Mr.ジンカワとは、特に肉料理に精通しているピン芸人。肉料理にまつわる著書も上梓しているくらいだ。
「それと、アイドルとか女芸人が、目とか唇とかでどっちが美しいか競う」
「生きる為に全く必要のない無駄な事をリサーチする企画」
下平、枦山ディレクターが笑みを浮かべて告げる。さも「面白そうでしょ」と言わんばかり。
「今上がってる最後の企画が、高卒の大村さんがTOEICの試験を受けるっていうのもあるんですよ」
沢矢さんも微笑み。
「なるほどですね。ここから肉付けして行く訳ですか」
「そうよ。だから貴方達作家さんには頑張って貰わないと」
最後は根本CPが締めた。
だがオレの心中は「うーん……」である。「無駄な事をリサーチする」「TOEICを受ける」、肉付けすれば面白そうな企画もあるのは事実。だがである。他の番組の企画をデフォルメしたようなもの、特に「テンションの高いタレントと旅行する」や、「草食系男子からのイメチェン」は、率直として否めないのが感想。
まあ、二一世紀に入ってからのバラエティ番組の企画は、「面白い企画」が出尽くした感は作家をやりながら感じてはいるんだけど。
以前、(ビート)たけしさんが自身の冠(番組)の最終回で、「今放送されているバラエティ番組の企画は、全部この番組でやった」といった趣旨のコメントをしていたそうだが、その番組が終了したのは一九九六年。何十年も昔の番組だ。そう考えれば、今の放送作家は大変なこった。
なのに、作家に「ふあー」とした気持ちで就いている人、初回の放送企画も覚えていない人、人の事をとやかく言える殊勝な放送作家ではないが、果たしてこれで良いのやら……。
そして<マウンテンビュー>の喫煙スペースのシーンに戻る。陣内社長もオレもタバコを吸い終え寒い外から中へと入った。
「中山君、これだけは忠告しとく」
社長が真顔でオレの目を見る。
「放送作家はタレント活動とほぼ一緒。いつまでも仕事がある訳じゃないよ」
「そんな事は作家に成った時に叩き込まれましたし、仕事してる内にまざまざと感じてますよ」
オレは自分のデスクに着く。陣内社長がオレを追う。
「引っ込み思案で小心者で遅疑としてるあんたの背中を、私は何度押してあげただろうね」
「嫌みですか。確かに背中は押し続けて貰いましたけど、今回の話とは関係なくないですか」
『バンッ!』社長が勢い良くデスクに左手を打ち付けた。オフィスエリアにいる全員の目がこっちに注視されるのを感じる。だが二人共気にしない。
「私だって本音じゃつまらない、バカバカしいって思念しながら仕事して来たし今もしてるんだよ! 会議に一回出たくらいで「コケる」なんて決め付けてんじゃねえよ!!」
『ブチッ!』オレの中で何かがバーストした。
「じゃあ言わせて貰うけど、仕事を数多くこなして粗製濫造な番組を放送して行くのが、放送業界にとってプラスになんのかよ!」
オレが陣内社長に対してタメ語で盾突くなんて初めての事。それに、いつもクールな社長が乱暴な言葉で声を荒らげる事も珍しい。
「粗製な番組を良質なものにして行くのが作家の仕事じゃない!」
社長がオレのジージャンを左手で掴んだ。平手打ちでもする気か? その時……。
「二人共落ち着いて! 社長、ユースケ君はこう見えても頑固者なんです!」
珠希が陣内社長とオレを引き離す。
「そんなの何で珠希に分かるんだよ!?」
「だってそうじゃん……」
珠希の寂しそうな目を見るのも初。
「中山君、後は自分の一存で専決しなさい」
陣内社長はそう言ってオフィスエリアから出て行った。
「どうするの?」
「別にどうもしねえよ。乗り掛かった船だからな」
別にオレは「番組を辞める」と言った訳ではない。「コケる」と予測しただけだ。
THSの土曜二一時枠は、十年以上の長寿番組が放送されて来たが、マンネリなどもあって数字は徐々に下落。その為半年前に番組を終了させ、東京V2チャンネルの二人がメインの番組を開始させたが、捗々しい結果は出ていない。であるから、今年の改編期に番組をリニューアルさせた『ラフは東チャン』が開始される事になった。
タイトルの『ラフ』には形式を張らず、気取らないという意味の「Rough」と、声を出して笑うの「Laugh」の意味が込められている。
メインの東チャンの二人は在京事務所の<マツキ芸能社>に所属しており、二人はマツキ芸能が主催した『少年芸人プロジェクト』に於いて、大村さんは九州から、多田さんは関西から上京してコンビを組んでいる。二人が珍しいのは、揃ってネタを書ける事。大村さんは漫才の中にコントの要素、身体の動きなどを取り入れたネタを。多田さんは正統派な漫才を書く事で定評がある。
お互い十六歳でデビューしたので今年でコンビ結成二十周年だ。二人とも東京出身ではないのに何故コンビ名に「東京」と入っているのかというと、一九九四年から九八年まで活動していた音楽グループ、東京Qチャンネルの事を大村さんがたまたま知り、それを拝借したのだとか。
本題に戻るが、スタッフの誰もが……作家を「ふあー」とやっているお貴さんは別としても、気になるのは『ラフな東チャン』の初回視聴率だろう。前番組の平均視聴率が七・八%。現状から見ればいきなり二桁スタートとはいかないだろうが、何とか九%台には乗せたいと根本、三神両プロデューサーは思っている筈。
第一回目の収録ギリギリまで会議、打ち合わせを繰り返し、ロケ企画もあった為編集時間も考慮した結果、四月の上旬に二人のロケと翌日にスタジオ収録をし、下旬に放送となった。
四月に入ると番組ホームページも立ち上げられ、そこには……。
『様々な笑いを世代を超えて世に送り出し、既にベテランの域に達している東京V2チャンネルだが、常に「新しい笑い」に挑戦し続ける大村政高と多田勇樹の二人が今1番「面白い!」「興味がある!」と思うものを番組がピックアップ。東チャンを知り尽くしたスタッフが、今まで培ってきたチームワークを武器に他局には絶対真似のできない、純度100%の東チャンバラエティ。「旅」「ドキュメント」などのロケ企画や、「トーク」「ゲーム」などのスタジオ企画も続々登場! 幅広い層を意識して、これぞ「東京V2チャンネル」といえるハイセンスな番組をお届けする。』と、当然放送日時と東チャンの宣材写真と共に掲載されていた。
何処の番組ホームページにもある通俗な謳い文句。東チャンの二人は企画案を出すのは事実だが、具現化するのはディレクーター陣や我々作家陣。しかも二人は構成会議には顔を出していない。思念をスタッフに伝えるのは楽屋での打ち合わせ中だ。
それに、オレはそんなに東チャンの二人の事を「知り尽くしては」、ないし……。
迎えた土曜日の放送日。二一時一分前には自然とチャンネルをTHSに合わせていた。
「さあ、今日から始まりました『ラフな東チャン』という事で」
「はい」
番組は二人の掛け合いから始まる。その後はアバンタイトルで今日の見所を紹介。タイトルが表示された所で画面はスタジオへと切り替わった。
ゲストは男女の芸人(コンビも含む)と男女の役者、女性アイドルなど。東チャンを入れると出演者は八名。
主な進行は大村さんが担当。
「初回という事で少し人数が多いです」
大村さんがやや苦笑しながら言う。男女の役者は当然か無論、四月から開始されたドラマの番宣でキャスティングされた。芸人だけだとがやがやし過ぎるという意図もあるけど。
「一回目はロケ企画という事なんですが、まずは多田さんから」
「はい。一回目という事で番組を宣伝して貰いたいと思って、宣伝の大道であり、テレビ初出演のある方に依頼して来ました」
多田さんのコメントでV(VTR)へ。その名も『Goods Wood Yamasakiの山崎社長に『ラフ東』を宣伝してもらいたい!』。三神Pが一押ししていた企画だ。
この日の為に多田さんと男性芸人、女性アイドルの三名は神奈川県横浜市中区にある< Goods Wood Yamasaki >の本社まで出向いた。
「♪ Goods Wood Goods Wood Goods Wood Yamasaki ♪」
適当なリズムに合わせ、進行役の男性芸人が、鯨のマスコットキャラクターの着包みを着てステップを踏むアップからVはスタート。
「さあ多田さん、今日は新番を山崎恵社長に宣伝して頂く為に< Goods Wood Yamasaki >の本社までやって来ました!」
「(番宣)してくれるかなあ」
「今から弱気でどうするんですか! 早速中へお邪魔しますよ」
「許可取ってるんですか?」
女性アイドルの天然っぷりなボケに、
「当たり前だよ! 取ってなかったら只の不法侵入だろ!」
突っ込みが決まった所で三人は本社の中へ。
「後くれぐれも注意しておきますけど、「やまざき」じゃなくて「やまさき」ですからね。社長のお名前も「恵」と書いて「けい」と読みますから」
芸人が釘を刺す。
「分かってるよ。心得てるから」
< Goods Wood Yamasaki >は一九九八年に創設された、通信販売会社。年商は千八百七八億円に上る大企業。最近は大阪市や福岡市にも支社を置いている。
山崎社長の元へ行き、早速本題の番宣を依頼するのだが、社長は「私はテレビショッピングに出演しないんで」とやや難色を示す。
会社には企画主旨は伝えた上で承諾を得ているので、最終的には番宣をして貰えるのだが、企画を打診した際、<Goods Wood Yamasaki >側から条件を出された。それは番宣をする代わりに、多田さんと女性アイドルにラジオショッピングに出演して貰い、商品の解説をして貰うというもの。
確かに只番宣をして貰うだけでは撮れ高は少ないし、フェアじゃない。根本CPは「これは面白くなるわ」と、向こうの売上など考慮もせずに快諾。無事に企画が通ったまでは良かったのだが……。
ラジオショッピングに出演する多田さんとアイドル。進行役は見守り。
二人が解説するのは炊飯器。進行するのはアイドルで多田さんは炊いた米を試食し、商品の良さと肝心の味を伝える事になった。
二人共初めての大役にド緊張。その状態のまま本番となる。
「大丈夫かなあ。あの二人」
進行役も不安視。
「今日皆さんにお伝えするのが、<KAITEKI>の「じゅい」はんき」
アイドルは初っ端からかんでしまう。
「炊飯器ね」
多田さんはフォローするが、この人も……。
炊けた米を試食し、
「うん、美味しい! お米が甘くてこれをおかずにご飯が食べられそう」
と、伝わるんだか、何とも滑稽な表現。
「多田さん、もっと表現の仕方があるでしょう」
進行役はブースの外で突っ込む。
仕舞には、
「お問い合わせはフリーダイヤル「ジェロイチ二イジェロ」……」
「ゼロイチ二イゼロね」
「Goods Wood 「やまやき」まで」
「やまさきね」
かみまくりのアイドルを多田さんはフォローしまくり。グダグダの状態で生放送は終了した。
「あ~あ。駄目だなこれ」
進行役の不安的中。
放送終了後……。男性社員は苦笑しながら、
「問い合わせがですねえ、いつもの半分以下なんです」
と告げる。
スタジオは大爆笑。観客も手を叩いて笑っているが、<Goods Wood Yamasaki>側からすれば大損失。
それでも山崎社長は「頑張って貰ってありがとうございました」と労い、番宣をしてくれる事に。
「東京V2チャンネルが司会のハイセンスエンターテインメント! 放送は毎週土曜日の夜九時です! これを見逃がしたら損ですよ皆さん!」
と、やった事がない依頼を遂行してくれた所でVは終わった。何だかオレが申し訳なく思ってしまう。
「全然役に立ってないのによく番宣して貰えたね」
大村さんが呆れ笑いで言えば、
「そうですよ、ご飯をおかずにご飯が食べれるってどういう意味ですか」
女性芸人も笑いを堪えながら訊く。
「いや、本番前に試食させて貰ったの。そしたら本当にご飯がふっくらしてて甘かったんだよ」
「だからってご飯をおかずにって」
別の男性コンビの突っ込み担当も失笑しながら詰め寄る。
「ほんとにご飯をおかずにご飯が食べれるって思ったんだよ!」
多田さんは逆ギレ。
「ならふっくらしてて甘いってダイレクトに伝えれば良いじゃん」
大村さんは尚も失笑。
「あの子かみかみだったからフォローするのに必死になっちゃたんだよ!」
だから、自分の大役は滑稽な表現……只のこじつけ。
でもゲストの男女の役者も観客も大笑い、というか嗤っていて、三神Pの狙いは当たったのかもしれない。今の所は……。
スタジオでのトークが一段落着いた所で、
「さあ、今度は僕の企画ですね。ちょっとイメチェンしようとこんな事をやってみました。どうぞ」
大村さんのV振りにより、画面はVに入った。
そこに「相方」が仕事から帰って来る。
「何チャン観てるの?」
「THS。今日から新番が始まったんだよ」
「へえ、そうなんだ。着替えて来よう」
スエットに着替えた相方もソファに座り、一緒に番組をチェックした。
「やっぱ何か足んないんだよなあ……フンー……」
鼻から息を吐く。
「足んないって?」
「端的に言えば、今一オリジナリティーがない」
「パクりって事だね」
「はっきり言うなよ……」
さっきから「相方」といっている人物、正式に表現すれば彼女。去年から交際している奥村真子だ。東大の理系を卒業し、ミス東大にも選ばれたお方。
東大卒業後は在京キー局に入社し、現在はアナウンサー兼報道記者として勤めている。
出会いは数年前、オレが報道系情報番組の構成に「初挑戦」した時だ。スポーツ担当のアナウンサーが中々決まらず、オレは彼女が新人だった頃のバラエティ番組での発言を思い出した。「年収二千万は稼いでくれる男性じゃないと結婚は出来ません。私は結婚したら子供を産んで、これまでのキャリアを失うんだから当然ですよ」と発言。SNS上では「キャラ作りじゃなくて素で言ってるっぽいからマジムカつく」「目つきがちょっとヒステリックぽいからこっちからお断り」との批判があったが、オレは面白い人だなあと思い彼女を推薦。
プロデューサーらは「表情が硬い」「滑舌が悪い」と難色を示したが、「仕事はそつなくこなすアナウンサーだと思います」と自分の思念を貫穿した。
その後別の番組では「年収二千万」から考えが軟化したのか、「自分と同じくらいの年収の人と交際したい。同棲したら食事は私が作ってるのに、たまに外食したら割り勘っていうのは身の丈に合わないと思うんです」と発言。勝気な性格が滲み出る言葉の数々だが、極度の上り症でもある。
関東ローカルの番組にアシスタントとして出演した際、「このコーナーが終わったら……次何するんだっけ?」「あっ! コメントのタイミング間違えた」「電話、受話器取っちゃたけど……これどうすれば良いの!?」など一杯一杯な状態。奥村の表情の硬さと滑舌の悪さは勝気、でも上り症の性質から来ていると推測する。
奥村は交際=同棲という思考らしく、彼女が行きつけの西麻布(港区)の居酒屋に誘われ、「私と付き合って! っていうか同棲して」と逆プロポーズされた。突然の事で狼狽したが、彼女は既に同棲生活のマンションまで専決していて、これには呆気に取られてしもうた。
勝気で上り症だが積極的で真っ直ぐ。オレとは真逆の判断力、行動力の早い性格……としか形容のしようがあるものか。お互いを「相方」と呼び合おうと提案したのも彼女から。理由は訊いていないので知らんが。
THS正面玄関に集められた、大村さん含め出演者達。
「ああ情けない!」
男性の声でVは始まる。進行役は又も芸人。
「肉食系に変わろう!」と集められたのはお笑いコンビ、コンビだがピンの芸人、それと普段やバラエティ番組では殆ど喋らない役者の計五名。なのだが、四月上旬にロケが行われたにもかかわらず、五人は身体をブルブル震わせている。実は今年、気温の起伏が激しく、二十度まで上がったと思う日もあれば、翌日になると一、二月並みの寒さとなってしまう。この日の気温は七度。しかも雨が降っている為余計に寒かろうて。
「人前に立つのが苦手な人」
芸人が進行する。この質問には全員が手を挙げた。
「はい次! 自分より年下の女性と会話すると緊張してしまう」
これにも全員が手を挙げる。
「だから駄目なんだ! 貴方達は!」
進行役が声を荒げた。
大村さんの企画は『脱! 草食系男子』。
進行役の芸人は、仕事がオフの日には必ずジムに通うという、肉体派。
「最近の女性は皆こう思ってます。「今の男性は大人しくて頼りない!」ってね」
「あの寒いんでチョロチョロ(カンペ)見ないで早くして貰えない」
「草食系」の芸人が突っ込む。
「ハハハハハハハッ!」
これには大村さんも大笑い。進行役は痛い所を指摘されて苦笑。
「じゃあ時間もないんで行きましょう」
「さっきまでの迫力はどうした?」
今度は大村さんが突っ込む。
ここで画面上には、
『草食系男子とは恋愛や女性関係に縁がないわけではないが、積極的ではなく淡々とした男性。
優しい男性の事で、傷ついたり傷つけられたりすることが苦手な男性』
と、女性のナレーションと共に字幕で大きく表示された。こんな事今更解説されなくても分かるが、沢矢さんがナレ原を書いた。
一行は六本木(港区)にある、鰹のたたきが評判の飲食店に入る。
「さあ、皆さんにはここで肉食系男子に変貌して貰います。店長! 例の物をお願いします」
「例の物って、オレプライベートでこの店来た事あるけど鰹のたたきだろ」
大村さんは分かり切った口振りで訊く。
「今日は特別です!」
と言っている内に店長が「お待ちどう様でした」と持って来たのが、丸々一本の鰹のたたき。
「鰹って一本たたきにすると岩みたいになっちゃうんだね」
コンビの一人が物珍しそうに言う。恐らく誰も見た事がない物だからな。
「皆さんにはこのたたきを丸かじりして貰います。まずは大村さんから」
「オレなの?」
「そうですよ。草食系男子代表として」
「はい、♪ 丸かじり 丸かじり……」
ロケ出演者は手拍子で音頭を取りながら大村さんを急かす。
「分かったよもう」
大村さんは「これで肉食系に成れんのか?」とでも言いたげな訝しげな表情を見せながらも、鰹を手に取り「うりゃあ!」と叫びながら腹の部分にかじり付く。
すると得意げな顔付になり、
「どんなもんじゃい!」
と一言。
その後も「草食系」メンバー達は一人ずつ「♪ 丸かじり 丸かじり」と手拍子しながらたたきにかじり付いて行く。
役者の番が来た。放送では「純草食系男子」と、女性のナレーションと共に字幕が出る。手拍子に応えながら徐に鰹を手に取り、若干眼光が鋭くなりつつかじり付いた。そして、
「どんなもんぜよ! なんちゃって」
とお道化て見せる。
「フフンッ」
役者の姿を観て相方が笑った。彼女は全くではないが、あまり声に出して笑う事は少ないタイプ。タイトルに「Laugh」の意味を込めたのが良かったのか?
「何か獲物を狙ったライオンみたいな目をしてましたよ」
進行役に感嘆されると、
「今日は変わりますよ」
か細い声ながらも応えた。
一行は六本木の店を後にして、次は青山(港区)にある料理教室へ。
「さあ今度は皆さんには料理をして頂いて、それを丸かじりして貰います」
「やっぱり丸かじりなんだ」
大村さんは苦笑。
「料理が出来る男も頼もしいとは聞くけどね」
さっき「チョロチョロ(カンペ)見ないで……」と突っ込んだ芸人が何となしに言う。
「そうです! だから今日料理して貰う食材はこちらです」
進行役がシルバーの蓋を開ける。すると中には七面鳥が。
「こんなのやり方分からないよねえ」
大村さんが皆に問い掛ける。
皆一様に戸惑っていると、
「大丈夫です。だから先生をお呼びしてます。先生どうぞ!」
「宜しくお願いします」
と微笑んで現れたのは、美人な料理研究家。雑誌やメディアにも特集される有名人だ。
「皆さん目の色が変わったんじゃないですか?」
進行役が茶化す。すると……。
「何でそんなに奇麗なんですか」
コンビの突っ込み担当が目をぎらつかせて訊く。
「それは……」
料理研究家は微苦笑を浮かべて困惑顔。
それはさて置き、七面鳥を使って調理するのは料理研究家が考案した、ジューシーローストチキンinハンバーグ。美人料理研究家が指導し、まずはハンバーグに入れる玉葱をみじん切りにして行くのだが、さっきの突っ込み担当芸人は……。
「玉葱が宙に浮いてるんで、確り猫の手で押さえてください」
「こうですか? ニャー」
こう言いながら料理研究家の手を触ろうとする始末。
それでも何とか全員の調理が終わった所で、
「皆さんにはこれから自分が作った料理を丸かじりして貰うんですが、それだけじゃありません! 先生が誰が一番男らしくてカッコ良かったか、自ら判定して頂きます」
この発表には全員が「おおっー」とどよめく。
「優勝したら映画でも観に行きませんか」
突っ込み担当はまた目をぎらつかせる。しかし……。
「ええ。カッコ良かったらぜひ行きましょう」
まさかの答え。
「よおし!」
彼の心に火が点いた。
しかしここは決まってトップバッターは大村さんから。
料理研究家は椅子に座り、正面から誰が男らしいか判定する。
「♪ 丸かじり 丸かじり」
ここでも手拍子で音頭を取り、大村さんは「うりゃあ!」と言って七面鳥にかじり付く。
三番目に目をぎらつかせた彼。確りと眼前の「美人」の目を見据え、眉間にしわを寄せて「これでもか!」という表情でかじり付いた。この姿には「美人」ものけ反ってしまう。
全員がかじり付いた所で優勝者発表。
「さあ先生、一番男らしかったのは誰でしょう」
「うーん。三番目の方」
「ええっ!? オレ!?」
心に火を点けといて「まさか!?」と驚愕。
「良いんですかオレで? ほんとに映画観に行くんですよ」
何を白々しい発言。
「目力が凄かったですね。鬼気迫るものを感じました」
「やったあ!」
彼は万歳をし、満面の笑みがアップになった所でVは終わった。
「今回のロケで一組のカップルが成立しました」
大村さんが苦笑すれば、
「あいつガチで一目惚れしたな」
多田さんも然り。本当に連絡先を交換して映画を観に行くのか、出演者、スタッフも知った事ではないけど。
「丸かじりして気持ちって変わるものなんですか」
男性役者が訊く。
「まあ爽快感っていうか、何かから解放された感はあったね」
「やっぱりたまには豪快に行くっていうのは大事なんですね」
男性芸人が感想を漏らす。
大村さんのVでも出演者、観客からは大爆笑とまでは行かないが、手を叩いた笑いはあった。それに相方も笑ったし。
画面にはエンドロールと共に次週の予告映像が流れ、二二時に番組は終了。
「構成」の欄に「中山裕介」とあるのは放送作家にとって醍醐味ではあるのだが、
「番組を観た感想は」
率直に訊いてみたい。
「面白い所もあったのも事実だけど、ゆったりし過ぎっていうか。そこが東チャンの売りではあるんだろうけど、今一パンチが足りないんじゃないかな?」
「そうか……」
訊いといてなんだけど、「ゆったりし過ぎ」「パンチが足りない」の感想は、『グサッ、グサッ』と突き刺さる。参考にはなるけど。
後は明日、各局の視聴率表がどうなっているかだ。
翌日の正午近く、今日は打ち合わせが三件入っているだけなので、事務所で昨日の数字のチェックとホン(台本)を書いて過ごそうと思い自分のデスクに着く。
「中山君、昨日の数字が出たよ」
陣内社長が視聴率表を渡して来る。
「ありがとうございます」
「あの日」以来、社長とは何処となく溝が出来ていたのだが……。
「中山君の予想、外れるかもしれないよ」
陣内社長の久しぶりの笑み。数字を見て直ぐに分かった。
「初回、八・五%っか」
関東地区の数字。山崎社長のメディア初出演も虚しく。
「微妙な数字だけど、これから二桁をコンスタントに出すようになれば、THSも打ち切る事はないんじゃない」
「まあ確かに。上がって行けばの話ですけどね」
「相変わらず慎重というか消極的というか、掴み所のない人だよね、中山君って」
社長は呆れた笑み。オレも自然と笑顔になっていた。
それは良いが、同じ時間帯のみかみつよしMCの番組は一三・六%と父親に軍配が上がる。ある程度は予想していたけどね。
「後はタイムシフト(視聴率)がどうなるかですね」
「東チャンファンは絶対に観てる筈だからね」
陣内社長は期待の笑み。
タイムシフト視聴率とは、二○一五年一月から提供されている視聴率統計。ハードディスクやDVD、ブルーレイの普及により、録画して視聴する世帯が増えて来た為、視聴実態をより正確に把握する目的で導入された。
調査方法は放送日から数えて七日以内に再生された番組を、統計としてまとめる。
だが、これは絶対……。
翌週月曜の会議。
「やっぱりお父さんの方が一枚上手だったわね」
根本CPが苦笑して言えば、
「でもあの番組も最近数字が下がりぎみですから大丈夫ですよ」
村田さんが他人事のように励ます。
予想通り、三神さんはイジられるっか。
「村田、お前本音じゃバカにしてるだろ」
「してませんよ、別に」
「ああどうせオレは親父に負けたよ」
不快そうな三神P。
「負けたって、まだ始まったばっかですから」
透かさず下平がフォロー。
「ハアーアッ!」
三神さんは天井を見上げ、扇子で机を叩く。やっぱりこの人、自分の言葉で高笑いしたり落胆したり、起伏が激しく一癖あったな。
皆は無言になる。『トン、トン、トン……』聞こえるのは扇子で机を叩く音ばかりなり……。
「お父さんに勝つような企画を考えましょう。貴方独りで勝負してるんじゃないから」
根本さんはお嬢様育ちらしく気品ある口振り。
「そうですよ。タイムシフトでまた変わって来ると思いますし」
オレも取り敢えずフォローしとく。
根本CPとオレの励ましは会議開始の号令でもあった。これ以上は埒が明かねえし。『トン、トン、トン』はうるせえだけだし。
「タイムシフトといっても、まずリアルタイムを上げなきゃな」
三神Pが扇子でディレクター、作家を指して行く。まるで「誰にしようかな」みたいな風に。それで止まったのが村田さん。「えっ!? オレ!?」といった表情に変わる。
「こんな時こそお貴さんの「セレブ提案」を頼むよ」
「またですかあ」
お貴さんは微苦笑を浮かべて困惑。村田さん、人に押し付けるのは一度や二度じゃないな。
「セレブ提案」とは、文字通りお貴さんがセレブな為に作家陣で名付けられたもの。でも……。
お貴さんは肘を机に突き、勘考する。そして出て来たのが、
「商店街を借り切って何かゲームをするっていうのはどうでしょう」
プロデューサー陣を見据えてこの発言。一見澄まし顔に見えるが、自信があるのかないのか分からないのが彼女の特徴。
根本CPは顔を曇らせ、
「商店街を借り切るって、貴方番組の制作費把握した上での案なの」
アンテナにも引っ掛からない。
プライムタイム(一九時~二三時)の制作費は番組にもよるが、大体約一千万円が相場なご時勢。『ラフな――』も例外ではない。
「じゃあ、後はユースケさんの「大改造提案」を宜しくお願いします」
「何だよ、その案」
ぶっきらぼうと返したが、お貴さんが人にバトンタッチするなんて珍しい事。しかもいつからオレの提案に「大改造」なんてネーミングが付いたのか?
「行けユースケ!」
村田さん、自分で考える気は全くなし。お気楽なものだ。
「商店街を借り切って……尚且つ低予算で済む企画っか」
バトンタッチされたのだから仕方あるまい。オレもお貴さんみたいに机に肘を突き暫し勘考。
「良いぞ! 作家はそうでなくっちゃな」
三神P、それはエールと捉えて宜しいのでしょうか。
「そうそう。誰かさんみたいにいつも人に押し付けてばかりの作家とは違うわよ。下平さん、ありがとう。良い作家を紹介してくれて」
と、根本CP。村田さん、そら見た事か。
「オレだって考える時は考えますよ!」
「どうかしらねえ」
「……」
村田さんは根本CPの意味深な笑みに根負け。
「仕事出来る男なんですよ、ユースケは」
下平は得意げ。直ぐに席を立ち頭を一発はたいてやりたいが、今は構っている暇はない。
「根負け、構う……」。やがて出て来た案が……。
「それなら、商店街を借り切ってタレントが空手チョップをかわすってゲームはどうでしょうか」
「空手チョップ?」
根本CPは意図が分かっていない。
「はい。商店街のあちこちに男女のレスラーの卵を配置させて、ゲームはいつ来るか分からないチョップをかわして行く。MCは勿論THSのアナウンサーで、出演するタレントも東チャンより若手。そのゲームを「大村チーム」「多田チーム」に別れてやって行くんです」
「でも商店街は借り切る訳よね」
根本CPは難色を示す。
「予算的には大丈夫だと思うけど」
予算を管理するアシスタントプロデューサーが助け舟を出してくれるも、
「膳所さんが出した案に肉付けしてくれたのはありがたいけどねえ」
根本CPは尚も渋い顔。そんなに低予算で仕上げたいのであれば……。
「じゃあ後は村田さんにお願いします」
逆にオレから振り返す。
「いや、それはちょっと。ユースケの案、超面白いですよ根本さん! やってみる価値ありますよ」
露骨な困惑顔。見ているだけで吹き出してしまいそうだ。
「私も面白いと思います。ユースケさんが私が出した案に肉付けしてくれたんですし」
「村田さんの言葉は衷心かどうか分からないけど、膳所さんも面白いって言うんなら、一度スタッフでシミュレーションしてみようかしらね。でも、何かパンチが足りないような」
根本CPは不承不承ながらもやっと微笑みを見せる。だが……。
『グサッ』。「パンチが足りない」は相方、奥村の言葉。チーフプロデューサーもAD、ディレクターと経験し、数多の企画案を見聞きしている。が、放送作家の端くれにしてもやはり「パンチが足りない」は口惜しい。
「根負け、構う」というワードがヒントになったかは自分でも分からないが、折衷案にはなった。後はディレクターと演出次第。
「面白いとは思うけど、借り切りを許諾してくれる商店街があるかどうかですけどね」
三神Pはまだ渋い顔。この人は「許諾」の事だけではないだろう。父親に大きく水を空けられたのが相当悔しいのだろうて。
会議終了後、お貴さんがオレに近付いて来た。
「さっきはありがとうございます。お陰で助かりました」
彼女は笑みを浮かべてペコリと頭を下げる。
「オレ達が「セレブ提案」なんて勝手にネーミングしちゃって迷惑してるだろうけど、こっちこそヒントを貰って助かったよ。「大改造提案」ってネーミングは驚いたけどさ」
「あれは何となく思い付いただけですから」
お貴さんは笑う。
「でも、放送作家は企画案を出してなんぼの生業だから」
オレも笑顔で言うと、
「へえ、放送作家って大変なんですね」
他人事みたいな返事。あんたも放送作家、だったよねえ……。
「お貴さん、何年放送作家をやってるの」と訊きたくもなるが、序論の心得がなくても就けてしまう放送作家。これが、現実……。
所属事務所の社長は彼女の何を見て採用したのか。「殆ど努力しないでここまで来ちゃったんです」。曾て聞いた言葉が頭を過る。もしかして事務所に入所出来たのは父親の力か?
会議室を出てTHS内の喫煙ルームで一服していると、如何にも不服そうな表情で村田さんが向かって来る。
「オレに何か言いたい事があるな」。あの人は今はタバコを止めスモーカーではない筈。喫煙ルームに入るや否や、
「ここにいると思ったぞユースケ! さっきオレに振ったよな!?」
やはりその事。
「先輩を焦らせるような事言うな!」
「自分だってお貴さんに押し付けたじゃないですか。それに村田さんは先輩。今まで色んな企画案を出して来たでしょう」
「そりゃまあな……」
訥弁になる。
「でもな、お前はオレをおだててりゃ良いんだよ!」
何だその屁理屈は。
「オレは誉められて伸びるタイプなんだよ! 今度オレを焦らせる話吹っ掛けて来たら、マジでぶん殴るからな!」
流石のオレもイラっとした。
「はいはい分かりましたよ!」
理不尽な言葉を吐き捨て、村田さんは出て行った。
あの人こそ、何で現在も作家でいられるのか? 村田尊、あんたは只のギャラ泥棒だ! どうせこの後、キャバクラにでも行くんだろう。村田さんのキャバクラや合コンといった女遊びは、作家連中には有名な話。
第一回放送から八日後、リアルタイムとタイムシフトの統計が出た。八・五と合わせて十二・九%。月曜の会議、
「やっぱり東チャンファンはまだまだ健在だな」
三神さんの気持ちが上がると思いきや、
「……でも、親父の番組は十六・八。喜んで良いのかなあ」
また微妙な顔付。
「まだ初回ですし、二桁行ったんですから大丈夫ですって」
村田さんは笑みを湛えフォロー。気持ち入ってんのか? だが……。
「そうだな。裏とは四%差なだけだ。まだまだ親父に勝つ光はある! ハハハハハッ!」
三神さんの高笑いが戻った。
「三神さん、タイムシフトは所詮タイムシフトよ。リアルタイムの数字が上がってから笑ってちょうだい」
根本さんはCPとしてご尤もな指摘。それなのに、
「分かってますって。ハハハハハッ!」
全然分かってないな。まだ暑くもない季節なのに扇子で扇ぎ始める。
その起伏の激しさ、逆にリスペクト致します。
空手チョップの企画は無事に通り、五月上旬に『空手チョップ商店街』として、葛飾区のお花茶屋駅北口にあるお花茶屋商店街にてロケが行われた。
ゲーマーに空手チョップを食らわせるのはオレが提案した通り、プロレスラーの卵の男女。その人達が八百屋の店員、子連れの母親に扮して声を掛けたり何の前触れもなく、空手チョップを食らわせて行く。
MCもTHSの女子アナ。出演するのも東チャンの二人に若手芸人、コンビだけ。
その出演者が大村チーム、多田チームと別れ、各五名でゲームに挑戦する。
しかし、演出として商店街の理事長に「ゲスト出演」して貰い、理事長が待つ百メートル先までカレーうどんを届けるというルールが追加された。まあ、作家の企画案に手直しするのは普通なんだけど。
カレーうどんは茶色の絵の具を水で溶かし、麵は白い縄で代用している(オンエアを確認すると字幕スーパーが出ていた)。
「取り敢えず、まずは女子アナから見本見せてよ。どんなゲームなのか」
大村さんがニヤリとして振る。
「えっ? 私がですか?」
戸惑いながらもMCの女子アナはうどん屋に入り、盆に乗せたカレーうどん(勿論器はプラスチック製)を持って店から出て来た。
だがいきなり犬を散歩させていた男性に空手チョップを食らい、ものの数秒で「キャア!」と叫びながら転倒。カレーうどんは全て地面に零れた。
「なるほど。こんな感じね」
大村さんは満足そうな顔。
まずは多田チームから。若手コンビのボケ担当がゲーマーとなる。
「じゃあ行きまーす!」
とうどん屋を出た所からゲームはスタート。
「お兄ちゃん、今日も新鮮な魚が揃ってるよ!」
鮮魚店の男性から声を掛けられるが、「後でね。後で」ボケるのも忘れて前進しようとするも、その男性がレスラーで空手チョップ。何とかかわしたが汁の大半は零れた。
ボケ担当は何とか前進して行くが、途中でもろに空手チョップを食らってしまい、無残にもカレーうどんは器ごと零れて終了。
「良い所まで行ったんだけどな」
多田さんはモニターを見詰め悔しそう。当の多田さんの番が来た。
「よおし! 行って来ます!」
多田さんが店から出て来る。男女のレスラーから空手チョップをかわし、又は危うくもろに食らいそうになりながらも何とか前進。
多田チームの芸人達はモニターを観ながら「頑張れえ!」「後少し!」と声援を贈る。
大村さんは様子を見ながら、
「あいつ(最後まで)行くんじゃね?」
と冒頭の満足する程の余裕は感じられず不安視。
やがて多田さんは理事長の下へカレーうどんを届け終え、ゲームクリアに成功した。理事長は「ありがとうございます」と笑顔。大村さんの不安が的中した瞬間だった。大村さんは「オーマイガッ!」と机を叩き、カメラも忘れ頭を抱える。
多田チームは「やったあ!」「すっげえ多田さん!」と歓声を上げる。
一方大村チームは、「やられたあ……」「何だよ!」と残念がる。大村さんは、
「悔しいよ! オレは!」
これから挑戦するのにもう敗戦モード。
そして大村さんの番。初めは多田さん同様、危うい場面もあり汁を零すが、順調に十メートル、五十メートルと進んで行く。
大村チームの芸人も「よし! 行け大村さん!」「最後まで行けるぞ!」と声援を贈っていたが、理事長の姿が見えた所で緊張が緩んだのだろう、幼稚園児と手をつないだ母親からチョップ食らい「イテッ!」と言ってうどんを全部零してしまう。
「ああー!!」「惜しかったのに!」。大村チームが悔しがる中、「やったあー!」「勝ったぞ!」。多田チームは狂喜乱舞。別に商品が出る訳でもないのに。
結果、十人中理事長の下へゴールで来たのは多田さん一人だけだった。
放送では大村チームと多田チームが三人ずつ挑戦した所で、女性ナレーターの「果たして勝負の結果は!?」と字幕も入り一旦ゲームは中断。間にモデルと女性芸人が身体のパーツだけで勝敗を競う、『東京ビューティーコレクション』略して『T・B・C』の企画が実現し、放送される。
タイトルの「東京」は、東京V2チャンネルから来ている。根本CPも下平も「これは白熱して面白いかも」と自信を覗かせていたっけか。
対決するのは各三名。
「幼い頃から「かわいいかわいい」っておだてられて来た小娘に負けてらんないっすよ!」
芸人が息巻くと、モデル三人は「そんな事ないない」と手を左右に振る。
「それがムカつくんだよ!」
別の芸人が突っ込んだ。
「モデルの子達は細い! スレンダー過ぎる。でもね、世の中の男はぽっちゃりの方が好きなんですよ!」
多田さんが言えば、
「そうかねえ、人にもよると思うんだけど」
MCの大村さんはやんわりと否定。
「いや絶対統計を取ればそうだって。だからオレもそっち(MC席)に行きたいんだよ!」
「じゃあ来れば良い」
大村さんは苦笑。多田さんは無言で両手を挙げ、「それはちょっと」というポーズ。観客は笑った。
競うのは唇、腹、足首。
唇は大差なかったが、腹と足は流石モデルとあってくびれもあり足首も細い。逆に芸人は腹の肉もぶよぶよし、足首も一人細い人もいたが二人は太かった。
審査結果は、多田さんも含め審査員六名中四対二でモデルが圧勝。
モデル達は「やったあ!」とハイタッチして喜ぶ。逆に芸人達は「ちょっとお!」と審査員を突っ込む。やはり腹と足首ではモデルの方が勝った結果だ。
「何で芸人って油断した身体付きになるんだろうな」
大村さんが苦笑しながら感想を述べ、コーナーは終了。ここで『空手チョップ商店街』後半戦へと放送は進む。
そして、あの結果……。
「レスラーの卵といってもやっぱり痛いなあ」
多田さんらのトークを流しながらエンドロールも流れ、番組は終了。果たして今回の数字は? ……。
翌日発表された数字は八・七%。七日後のタイムシフトと合わせると十一%だった。
二桁には行く事は行ったけど、やはり三神Pの「裏」は十五%台。でも……。
「この数字をコンスタントに記録出来るようになれば、いつかは親父を抜けるぞ! ハハハハハッ!」
扇子を扇いでいるが、この人はポジティブというのか楽観的過ぎるというのか……。三神さんの姿を見ていると案じてしまうのがオレの心情。
オレが何かと案じている間にも、相方こと奥村真子は報道記者として、アナウンサーとしても春からBSで政治家をゲストに迎える、報道討論番組のキャスターの一人を務めるなど、地道に活動の場を広げていた。
そういえばオレ、自分の事ばかりで彼女の方を全く見ていなかった。討論番組のキャスターに決定した時も話は聞いたと思うが、上の空。「良かったね」とか「頑張って」という激励の言葉一つ掛けていない。
収録二日前くらいになると、ゲストの政治家の人物像や政策などが書かれた資料を持ち帰り、又はブログに目を通したりして勉強している相方がいる。
勿論オレも日々、多少なりとも勉強しているつもりだが、「パンチが足りない」のは番組だけではなく、オレもかもしれない。
「討論番組のキャスターは大変」
今更遅いが、夜、二人の時間が空いている時に訊いてみる。
「まあ大変といえば大変かなあ」
相方はテレビを観たまま呟くように言う。
「どうかしたの相方。急にそんな事訊いて」
「特に理由はないけど、最近自分の仕事で頭が一杯だったからさ。例えばどんなとこが大変なの」
「そうだなあ。政治家って大方年輩じゃない。だからって訳でもないんだろうけど、セクハラみたいな言動はたまにある」
「ふーん。予想が付かない事もないけど、具体例を出すとすれば?」
「本番前、「君、良い香りするねえ。十年ぶりくらいに嗅ぐ香りだ」とかニヤニヤしながら言って来るの」
相方は思い出すのも嫌な表情。
「本人とすれば誉めてるつもりなんだろうけどね」
相手の捉え方次第。ギリギリのラインだ。
「それで何て返したの」
只の興味且つミーハー。
「「ああ、そうですか」って苦笑いで返すしかないよ」
「まっ、そうだよな。本番前に気分害されても困るし。セクハラ的以外では?」
「本番後に「あんな苛めるような質問するなよ! もう出てやんねえぞ!」って言われた事もある。別に苛めてねえっつーの!」
「そりゃパワハラだな」
芸能人でも理不尽な事を言って来る輩もいる。アナウンサーも大変だ。
今までの話とは関係ないが、オレ達には奥村の提案による、あるコミュニケーションの時間がある。
それは一緒に入浴する事。互いの仕事柄、特に放送作家のような不規則な職業は擦れ違いの時間が多い同棲生活で、今日みたいに時間が合う日はあまりない。だからかは知らないが、
「お風呂くらしかコミュニケーションの時間がないでしょ」
というのが彼女の主張。それを押し通された格好だ。
互いの身体を全身洗い合い、隠れ所は前は奥村は自分で洗っているが、肛門は洗ってくれと言う。仕方ないので洗って差し上げてはいるが、「擽ったい」と言うものの、人に触られても抵抗はない様子。
オレに至っては前も後ろも洗ってくれる。こっちが恥ずかしいくらいだ。
頭は「男の人は女の頭洗うの慣れてないでしょ」と言って自分で洗っているが、オレは「私頭洗うの得意だから」と洗って貰っている。多分今までの彼氏にもして来た事だな……直感で分かるが、それは口には出すまい。
全身を洗うといってももう慣れてしまい、エロい雰囲気になる事はない。洗いながらさっきみたいな仕事の話や愚痴を言い合うので確かに「コミュニケーションの時間」だ。
六月に入り、番組が開始されて間もなく三ヶ月が経とうとしているのだが、数字は六%台にまで下落。週によっては四%台を記録する回まで出始めた。
タイムシフトを合わせても二桁行かない。裏が強過ぎるのか、将又東チャンの人気が失敬だが下火になって来ているのか。スタッフは個性的な面々なんだけど……。しかしオレの推測は的中してしまった事になる。
「さてどうしたものか」勘考しながらのTHS内の喫煙ルーム。独りで一服していると、枦山さんがオレを見付け破顔しながら入って来る。
「お疲れー!」
「お疲れ様。何か嬉しい事でもあったの」
訊かざるを得ないではないか。「只の笑顔じゃないな」瞬時にそう思ったから。
彼女はタバコに火を点けながら、
「この前聞いたんだけど、貴子ちゃんのお父さん、資産が一兆円あるんだって!」
ほらね。でも何故枦山さんがウキウキする?
「お貴さんの父親の会社はまだ国内だけだろ? 鵜呑みにしない方が良いと思うけど」
呆れながら紫煙を吐く。
確かにお貴さんは、「カップラーメンは食べた事ないですね」、「友達を乗せてロールスロイスで成人式に行ったんです」、「私は年収三千万の人とでも結婚出来ますけど」など、セレブ発言には際限がない人だが。
「でも本当だったら凄いじゃん! 桁外れの資産がある父親がいるのに、何で放送作家に成ったんだろうね」
興奮したり疑問を抱いたりと感情の起伏を見せながら、枦山さんも紫煙を吐く。
「さあね」
「私なんかディレクターに成って、今は五百万行くか行かないかで生活してるのに」
「モデルの時の方が良かった」
訊くつもりもなかったが、ここは付き合うしかない。
「モデルも大して稼げないけどね」
彼女は微苦笑を浮かべる。
「でも良いマンションに住んでるって聞いた事あるよ。ホストクラブで五百幾ら売掛があったとかさ」
オレもにやついてしまう。枦山夕貴も膳所貴子には負けてないと思うのだが。
「私の場合は「パパ」。「パパ活」してる人にちょっとね」
ニヤリとして言う。
「あんたまだ「パパ活」してる人に頼ってんの!?」
そっちの方が凄いと思うのですが……。枦山さんは美人だしスタイルも良い。だからモデルに成れたんだろうけれど。
「新宿に行けば結構いると思うよ。「パパ活」してる人」
「なるほどねえ」
嬉々とした枦山さん。だからディレクターというハードスケジュールな生業でも、美貌とスレンダーなボディーは保ってる訳ね。
「でも貴子ちゃんには敵わない」
「お貴さんの話に帰着すんのかい」
笑うしかない。
「だって一兆円だもん。だから昨日二入で写真撮ってインスタにアップしちゃった」
「気が早いと思うけどなあ」
疑念を抱きながら火を消す。
「貴子ちゃんにとって、作家は趣味みたいなものなのかなあ……貴子ちゃん、たまに面白いっていうか、ぶっ飛んだ提案出すじゃん。もしかしたらお父さんを上回りたい野心があったりして?」
「瞳を輝かせちゃって……考え過ぎだって。趣味レベルでしか考えてないんじゃねえの。だって作家を「ふあー」っとした気持ちでやってる人だもん」
「それが嘘だったりして」
もう分かった分かった。
「本人にまた確かめてみれば良いじゃん」
「そうだね。そうする」
彼女は破顔し声も弾む。何か自分の事のようなんだよなあ。オレは一足早く喫煙ルームから出た。
しかし、あんな純真無垢な人が、はっきり言って「汚い世界」の業界でよくディレクターにまで上り詰めたものだ。でも「パパ活」を利用しているくらいの人だから、帳尻があっているのかもしれないけど。
そんな由々しき事態の状況での会議中。誰も口を開かず、室内はしーんとしていた。
「唐突なんだけど、お貴さんって成人式には行ったの」
全く脈絡のない話を振ってみる。
「行きましたけど、ユースケさんは行ったんですか?」
「行ったよ。お貴さんは当然振袖だよね」
「父が千五百万の振袖を買ってくれたんです。二十歳の誕生日の時にはシャネルの腕時計も買ってくれました」
彼女は浮世離れした話を聞かせてくれる。破顔して。
「でも針が止まって」
沢矢さんも入って来た。
「壊れたんだと思って捨てちゃいました」
左団扇の生活……である。
「貴方達会議中に関係のない私語を話してる場合じゃないでしょ」
根本さんが予測通り不快な顔付で指摘する。この人が前々からお貴さんのセレブな発言に快く思っていない事は既知していた。
「貴方以前から時計は止まると捨てるとか公言してるみたいだけど本当なの」
根本さんは怪訝な表情で訊く。
「はい。使い捨てだと思ってて、シャネルとかアルマーニの腕時計をどんどん捨ててました」
お貴さんは澄ました顔で答える。
「寿命が来ちゃったみたいな」
オレなんか高校生の時に海外赴任している叔父から贈って貰った腕時計を、未だに百均で電池を買ったり、ディスカウントストアでベルトを替えながら使っているんですけど……。
「浮世離れした話だよね」
沢矢さんも呆れて笑みを浮かべるしかない……だろう。
「でも膳所さんが言ってる事はおかしいわ。シャネルとかアルマーニとか止まる時計ないわよ。イミテーションの物買って貰ったんじゃないの?」
根本さんは更に不快。「お嬢様バトル」の開始だ。これは面白くなって来た。
「いや、シャネルって印字されてました。だから貰った時、これも捨てちゃうのかなあって思って」
「貴方今の言葉をシャネルとかアルマーニの人が聞いたら怒るわよ。「そんな物作ってません!」って」
「オレも自分で言うけど、裕福っちゃ裕福の家で育ったけど、両親は厳しかったぞ。「物は大事にしろ」って教育されて来たし、子供の頃は玩具の時計だって壊れても大事にしてた。時計が止まったら簡単に捨てるって、やっぱり両親の躾だよな、その点は」
三神さんも流石に真顔で言う。
「親の躾だけの問題じゃないわよ三神さん。本人の資質の問題よ、これは」
根本さんの表情が不快から怒りへと変化して行く。でも何故根本さんはお貴さんのセレブ発言を、そんなに不快に思っているのであろうか? 「お嬢様」としての心根なのかいな?
「蝶よ花よみたいに育てられて「自分はセレブ」って思ってるみたいだし、ユースケさん達から「お貴さん」ってニックネームで呼ばれて、何か勘違いしてるんじゃないの?」
「いえ、私は自分の事をセレブだなんて思っていません。父親は何でも私の願いを叶えてくれたスーパーマンみたいな人だとリスペクトしてますけど、会社は小さいですし、総資産も一兆円ありません」
お貴さんは苦笑。
「ええっ!? あれ嘘だったの!?」
枦山さんは背信された表情。
「だから言ったろ。気が早いって」
「ごめんなさい、夕貴さん。あれ冗談のつもりだったの」
お貴さんは笑みを浮かべて枦山さんと目を合わせるが、彼女は不服な表情。
「三つ子の魂百まで。貴方そんな嘘まで付いてセレブって名乗りたいの?」
とは言われたものの、お貴さんは左団扇なエピソードを言うだけで、気立ては悪くないと思うけど。
「私はセレブって言われるのは本当は恥ずかしいんです。海外の友達を見てても自分は全然違うと思います。イルカもライオンも飼ってませんし」
この発言には根本さん、枦山さんを除いて室内の全員が失笑。
「でも何かの剥製はあるんじゃないの」
村田さんがにやついて訊く。
「まあ実家に鹿の剥製はありますけどね」
「やっぱりね」
にやついたまま納得。
「うちにも雉の剥製あるけどさ、そんなに金に余裕があるんだったら、何処か福祉に寄付するとか、そんな発想はないの?」
三神さん、あんたは寄付しているのかい?
「確かに災害も沢山あったし今の日本は苦しいな。人に感謝される金の使い方は駄目」
大場が問い掛ける。
「いや、駄目じゃないです」
「でも一銭も寄付する気はないと思うわ、私」
根本さん、貴方も寄付しているのかい? でも室内は根拠のない推測に爆笑。お貴さんも、
「何でそんな決め付けな……逆に厳しいですよ」
「苦」が付くが笑顔は見せる。
「ロールスロイスで成人式に行ったっていうのは本当なの?」
枦山さんが再び口を開く。
「あれは本当。友達五、六人乗せて。でもレンタルだけどね」
「何だレンタカーか。でも本当な事は本当なんだよね?」
枦山さんは念を押す。別にロールスロイスのレンタカーでも凄いと思うけど。
「うん。あの話は信じて」
「またそんな嘘言って。千五百万の振袖とか大見得を切ってるだけでしょ?」
「いや、ほんとです。友達からも「良い思い出になった」って感謝されました」
笑顔のお貴さんに憎々しげな根本さん。何もかも「嘘」と決め付け。そんなに憎らしいのなら、一度自分の目で彼女の実家を訪ねるなどして確かめたら良い。
「でも貴方、この前の会議でボロボロの服着て出席したじゃない」
「あれはダメージファッションですよ」
流石にお貴さんも呆れ笑い。ジュネレーションギャップ。
「確定申告を知らなくて税務署から通知が来たって話は?」
枦山さんは一つ一つ確かめる。疑心暗鬼。
「あれも本当」
「貴方社会人としてそんな序論の事も知らないの。日本人でしょ、貴方」
「はい。それは反省してます。通知が来て初めて知りました」
神妙な表情に変わった。社会人としてはあり得ない程の無知。放送作家だけではなく人生も「ふあー」って生きているのだろう。
「もう似非は消えて欲しいわ、全く」
根本さんも憎々しげから心底呆れて溜息を吐く。
「でも良いんじゃないですか、貴子ちゃんが似非であろうが何であろうが。人に迷惑は掛けてない訳ですし」
今まで笑って聞いていた沢矢さんの指摘。確かにその通りだ。
「沢矢さんも膳所さんの味方する訳?」
「味方も何も、貴子ちゃんの規格外れな金銭感覚の話で、根本さんは被害を被ったんですか」
毅然とした態度。根本さんは言い返せないのか無言。
「あたしも富裕なのは良いなあってやっかみもあるけど、彼女は自然体で嫌みはあんまり感じないんだよね」
下平も同調。
「資産一兆円が嘘だったのは少しショックだったけど、自然体は私もそう思う」
枦山さんも然り。
「もう良いわ。貴方達そうやって膳所さんを祭り上げてなさい」
「いや、祭り上げるというのか……」
困惑してしまうが、とはいえ根本さんがそっぽを向いて、「お嬢様バトル」終了。
バトルを促したのはオレだけど、根本さんがこれ程膳所貴子の事を不快に思っていたとは。全体を取り仕切るチーフプロデューサーがこんな心根では、数字が上がる以前の問題だ……。
「まあもう良いでしょう。根本さんも腹の中にあるものは吐き出したでしょうし、会議を再開させましょうよ」
大場が切り出した。微苦笑を浮かべてはいるが目は優しい。チーフプロデューサーの代わりにディレクターが号令を出す……っか。
「そうだな。根本さんの内憤も収まっただろうし、良し! 会議再開だ」
三神さんは妙に張り切った口振り。今大場が号令を出したのに、抜け駆けの功名ってやつか。
だがこの時点で、東チャンの二人は殆ど企画案を出していない。数字が悪いからやる気が失せたのか、「任せるからスタッフでやってよ」という、丸投げ状態だ。
何か、少しでも番組が盛り上がるような企画……そういえばさっき、お貴さんが「海外の友達を見てても」と反論した言葉は何か引っ掛かる。
「ねえお貴さん、大学は何処の出身?」
「え? 明治大学ですけど何か?」
「お前はまたお貴さんに振るのかよ。「セレブ提案」に頼るのか」
村田さんはにやつく。あんたとは違うよ。
「海外にも友達がいるんだったら、英語は話せるよね?」
「まあ、日常会話くらいなら」
じゃあ決定だ。
「東チャンと、若手コンビにTOEICに挑戦させるって企画はどうだろう。元々初日の会議でも案は出てたし、大村さんだけじゃなく、コンビでっていうのは」
根本さんや三神さんではなく大場に振った。
「TOEICかあ」
「現在じゃ就活とか企業に提出する資料として多く使用されてる。前半百問はリスニング、後半はリーディングの試験があるって前に調べた事があるんだけど、どうだろう」
「いきなりTOEICじゃなくても、英検でも良くね?」
村田さんはにやついたまま。あんたは黙ってろ! 「どうせ採用されない、今日の合コンはどんな子達だろう」としか考えてないな。その証拠に携帯弄ってるし。
「確かに案は出てたけど、村田さんが言うように、まずは英検からでも良いんじゃない」
根本さんはまだ内憤が残っているような表情と口振り。あれだけ弾劾してまだ気が済まんのかい……。
「TOEICには英検のような級分けはありません。初級者でも上級者も同じ試験を受けます。今は上場であろうが中小企業であろうがTOEICのスコアを求めています」
「それは知ってるけど、どうかしらね?」
根本さんが三神さんに振る。
「オレは面白いんじゃないかと思いますよ。多田は大学出ですけど大村は高卒ですからね。あの二人がTOEICで何点を取れるのかは、ファンにとっても見物だと思いますよ」
扇子で右のこめかみ部分を叩きながら、何やら思念している表情で返す。
「三神さんもあまり乗り気ではなさそうね」
「いや、面白い提案だとは思ってます。まずはスタッフでシミュレーションしてみない事には」
不機嫌そうなCPと釈然としないようなP。駄目なら駄目と早く結論を出せ! こっちの気が急いて来る。しかも、企画案は出てたじゃないか。何故今更渋る?
「でもシミュレーションとはいえ、講師を呼ばなきゃいけないじゃない?」
渋っているのはそこか……。根本さんの言葉に、
「それ、私なら出来ます!」
お貴さんが手を挙げた。
「貴方本気で言ってるの?」
「さっきも言いましたけど、日常会話くらいなら」
「だからお貴さんに海外の友達がいるんならって確認したんですよ」
「また嘘なんじゃない?」
根本さんは飽く迄もお貴さんの話をたらればと決め付け。ならば……。
「How old areyou?(貴方の歳は幾つですか)」
「How about you?(貴方の歳は)」
お貴さんは返す。
「これで分かったでしょう」
「そんな序論な言葉じゃねえ」
「私、こう見えてもTOEICで七五〇点取ってるんですよ」
根本さんに対しお貴さんは挑戦的な笑みを浮かべて言う。
「ホホホホホッ。言うわね。良いわ。膳所さんがそんなに自信がおありのようなら。じゃあ生徒役は誰にする気なの? ユースケさん」
根本さんも受けて立つといった子細ある笑み。
二人の様子に若干呆れつつ、
「それは下平で良いと思います。後コンビなんで枦山さんも」
「えっ!? あたし、私達なの?」
ユニゾンの突っ込みが飛んで来た。
「だって下平は高卒だし英語得意じゃないだろ? 枦山さんは知らないけど」
「私は単語くらいなら分かるよ!」
「三流の私立出のあんたに言われたくないよ!」
枦山さんは微苦笑。下平は不服。
「良いわ。貴方達の好きなようにやってみなさい」
「ちょっと根本さん!」
下平の不服はさて置き、何とか根本CPからGOサインは得た。
後日の会議、何故かオレがMCとなって、下平、枦山さんコンビが解答者(主に下平)。お貴さんが講師役となりシミュレーションが行われた。
室内の中央に下平と枦山さんが着く机と椅子が用意され、お貴さんは二入の前に立つ。
企画案を出したのはオレだが、「どうして僕がMCに」根本さんに訊くと、「貴方には落ち着きがあって、司会に向いてるわ」との事。
通常は作家はアイデアを出したり、ホン(台本)を書いたりとするが、シミュレーションのMCなどはディレクターがやる。まあ、チーフプロデューサーの威令となれば仕方がない。
オレは問題が書かれたA4サイズの仮の台本を持って、三人から少し離れた位置に立つ。お貴さんとは事前に問題内容を打ち合わせし、シミュレーション開始。
まずは小手調べ。
「What is job?(貴方の仕事は何ですか)」
「えっ? ヨーシャブ?」
案の定下平は意味を分かっていない。隣の枦山さんは少し理解しているようで苦笑。
「今何だと思ったの?」
「シャブ」
「シャブ。覚醒剤ね」
「そうシャブ。ワルイコトシテル? だったらNO」
室内に失笑が流れる。
「じゃあ次行こう」
下平の英語力は十分分かった。っていうか皆無だ。
「英単語ね。一月は英語で?」
「ニューイヤー?」
「ハハハハハッ!」
村田さんが携帯を弄りながら嗤う。他の人達も失笑。
「一月ひっくるめて」
「ハッピーニューイヤー?」
「だからそれは元日だって」
「ハハハンッ」
「フフフンッ」
村田さんと沢矢さんが嗤った。が、やっぱり目を合わせない。
「ちょっと皆、あたしは真剣なんだからね!」
下平が全体にガン飛ばす。
「January」
「正解」
枦山さんがにやついて答えると、下平は「っチ」と舌打ち。
「じゃあ二月は?」
「ガリガリー」
「ホホホホホッ!」
根本さんも笑いを堪えきれなかったようだ。
「違う」
「ガニアリー」
「ホホホッ」
下平は流石に「上司」にはガンを飛ばせる訳がない。
「確か、Febrauary?」
「正解。枦山さん凄い!」
「ッチ」。枦山さんに対しては不機嫌。
「それじゃあ三月は?」
構わず続ける。
「ディクショナリー」
「それは辞書」
「バーチャル」
「それは仮想、疑似的って意味だよ」
意味は分からずとも、そんな言葉は知っているのか。
「March」
「正解」
枦山さんは友人を気遣ってか声には出さないが苦笑満面。
「えっ? 今何て言ったの?」
「March」
「ええ、三月でそんなに発音が変わるんだ」
感心している顔。まるで小学生みたいだ。
続いてはリスニング。入国審査のシミュレーション。ここからがお貴さんの出番だ。
「May i see your assport?(パスポートを見せてください)」
「いや、ノーノーノー」
下平はやっぱり意味が分からず、首を左右に振る。
お貴さんはアドリブで、
「Do you understond English?(貴方は英語を理解していますか)」
と訊く。が……。
「ちょっびっと」
「それは分かったんだな。でもちっともじゃん。ハハハハハッ!」
オレも嗤ってしまう。
「ちょっとユースケ、あんたMCなんだから嗤わないでよね!」
「何でオレだけなんだよ」
素朴な疑問。
「もっと草野仁さんみたく沈着に進行しろ」
「草野さんだって笑う時は笑ってるだろ」
素朴な突っ込み。
「ユースケさん、続けましょうか?」
お貴さんだって嗤っているというのに。
「下平、分かったから続けるよ」
「What's the purpose of your visit?(何の目的で来ましたか)」
「ああ、分かんない! ノーノー」
今度は右手を左右に振る。
「Purpose(目的)」
「プペス?」
お貴さんは何とか理解してもらおうと懸命にアドリブを続けるが……。
「フェイス? 顔パスOK?」
「フフフフフッ」
室内は大苦笑。枦山さんは「Purpose」で分かったらしく、苦笑して右手を「違う違う」と左右に振っている。
「入国審査で顔パスなんてある訳ないだろ」
「またユースケ嗤ってる。今度嗤ったらビンタするからな」
「だから何でオレだけ」
不快なディレクターと不満な放送作家の構図……。
「ユースケ、もう埒が明かないよ。次行こう」
大場も呆れた苦笑を浮かべている。
「そうだな。それじゃあ次は連想ゲーム。まずはお貴さんから」
スケッチブックに書かれたお題を見せた。答えは風呂。
「Every night you goin. There is water(全ての人が中に入る。湯にそこで)」
「ワタ?」
「Nightだから夜だよ」
枦山さんが見ていられないといった表情でサポート。
「ああ夜か。夜に……」
「Every night(全ての夜)」
「毎晩……」
「そこまで分かれば後少し」
笑わず応援。
「オナニー?」
「ハハハハハッ!」
室内はまた大苦笑。根本さんだけは「なんて下品な」といった表情で眉をひそめる。お貴さんも頭を抱えて苦笑……するしかないだろう。
「下平」
やんわりと突っ込んでやった。
「だってそれくらいしか思い付かないんだもん」
開き直りも良いとこ。
「もっと毎晩やる事はあるだろう。正解は風呂」
「何だそっちか」
「そっちの意味も良く分かんねえよ!」
枦山さんも呆れている。
「じゃあ次は下平の番。お題はこれ」
サングラスと見せる。
「何だ楽勝じゃん」
自信を覗かせるが、「どうせ駄目よ」根本さんは眉をひそめたまま。
「サンバリア。サンバリアマシーン」
「サンバリアマシーン?」
お貴さんは首を傾げて勘考する。
「Hat?」
「ああ、惜しい!」
「サンガード、オノ・ヨーコ……タモリ」
「ハハハハハハハッ!」
室内はドカーン。手を叩いている者もいる。
「ちょっと皆、あたしは真剣なんだからね!」
「……サングラス?」
「よっしゃー! 当たり!」
下平は喜色満面。
「正解はしたけど、ハハハッ」
「ユースケ、バカにしやがって!」
「サンガード、オノ・ヨーコ……タモリ。合ってはいるけどもっとあるだろ。Biaackとか」
「良いじゃん。貴子ちゃん当てたんだから。また嗤ったらマジでビンタするから」
「何で笑っただけで手を挙げられなきゃいけないんだよ」
「MCなんだから理路整然としろよ! あたしガチだから」
ガンを飛ばされた。こいつマジでビンタする気か?
「ああ面白い。ユースケさん次の問題は?」
根本さんは口に手を当てて笑みを浮かべている。流石はお上品?
「はい、次行きます。これ」
最後は唐辛子。
「これはサングラスより難しくない?」
枦山さんは苦笑して諦めの表情。
「いや、あたしガチだから」
意気込んでいる下平だが……。
「マイクロレッド」
「OK. Red」
「YES!」
これは行けるか?
「ええっと、マウス イン ピリピリ。マウス ホット ホット!」
「……」
お貴さんは何とか理解してあげようと勘考。
「Spicy?」
「YES!!」
「これ行けんじゃね?」
歓喜する下平と期待する枦山さん。
「ネクスト アナル ピリピリ」
「ハハハハハッ!」
沢矢さんが逸早く反応。それに続き他も手を叩いてドカーン。
「下平さん、そんな表現しか出来ない訳?」
「あたしは何とか伝えたいんです!」
また眉をひそめるCPとガンを飛ばす事も忘れて必死なディレクター。
「アナル ホット ホット!」
室内は拍手と笑い声の嵐。枦山さんも「駄目だこれは」と呆れて嗤い始める。お貴さんも何となく伝わっているのだろうが、苦笑。
「ネクスト アナル ピリピリ……ハハハッ」
「ちょっとユースケ! あたしの方がパイセンなんだからね。これは後で往復ビンタだ」
「パイセンと英語力は関係なくね?」
「あるよ! あんただって陸に出来ないじゃん」
「出来ないのは認めるけど、アナルなんて言葉は使わない。Pungenf(辛い)とかもっとあるだろうよ」
あんたにはPungenfの意味は分からないだろうけど。「ッチ」不快な表情のディレクターと悦に入る放送作家。
「今は制作プロダクションでも大卒の人を雇おうとしているのに、貴方達その程度の語学力で大丈夫なの?」
根本さんは訝しい表情で眉をひそめる。
「大丈夫ですよ。現地にはガイドがいますし、何度も海外ロケはやって来ましたから」
「私は単語を聞いて少しは意味が分かりましたし、英語が出来るタレントもいますからね」
下平も枦山さんも何と楽観的な事か……。
「そうだよね。二人共コネで会社に入りましたから」
「コネなんかなかったよ!」
「今のはビンタだよね」
不快な表情の下平と苦笑を浮かべて右手でビンタのポーズを取る枦山さん。
「おいおい、オレ冗談を言う度にビンタされるのか? 身が持たんわ」
「だったら言うなよ」
下平は言うが、冗談でも言ってられなきゃやってられない程の出来だったじゃねえか……。
「これでシミュレーションは終わったけど、お貴さんもご苦労様」
「いえ。お役に立てたのなら」
彼女はにっこり。
「アドリブも入れて機転を利かせてくれたね」
「ええ、大好きです」
意気揚々とした口振り。だが……。
「今誰かに告白したの?」
オレの突っ込みに失笑が流れる。だってそんなニュアンスだったから。
「違います。英語がって事です」
まっ、そうだろうけどね。
「あれくらいの英語力で大好きですって貴方」
眉をひそめたままのCPに得意そうな放送作家。何処までも彼女を認めたくないらしい。これではもう意地だ。
結果、シミュレーションまで企画案は行ったものの、
「このシチュエーションを見ると、下平さんを番組に出演させた方がタレントより面白いわ」
との根本さんの鶴の一声により、オンエアには乗らない事になった。つまりボツ。
勘考に勘考を重ねた企画でも、プロデューサーや演出、要のタレントが「NO」と言えば、涙を呑むのも放送作家の宿命だ。
七月上旬の会議、この日根本さんは何やら子細ありげな、それでいて嬉しそうな表情をしていた。
「何かあったんですか」
訊かずにはいられまい。
「実は岡本編成局長から、今月下旬に二時間スペシャルをやってみたらどうだって言われたのよ。数字は誉められたものじゃないけど、もしかしたらスペシャルで少しは上がるかもしれないじゃない? またとないチャンスよ」
なるほど。それが子細か。だが数字は依然として四~六パーのままだ。だが……。
「皆、局長からの粋な計らいだ。リアルタイムは勿論、タイムシフトと統合しても良いから、何とか二桁に乗せよう! ハハハハハッ!」
三神さんの高笑い。「粋な」とは言うが、この状態で二桁……時宜が遅いと思うし浮かれている場合ではないのでは? それとも両プロデューサーは懸命にやっていれば、数字が上がるかもしれないという気概かも。だったらオレ達作家も今持ち得ている面白いセンス、持ち味を存分に発揮せねば。
いつもネガティブな自分が珍しくポジティブ思考に転化した。が……。
「面白い企画、二桁……何かないのか皆。Let's thinki!」
村田尊……この男だけは違う。いつかはぶっ飛ばされろ!
「僕が最初に出た会議で、「生きる為に全く必要のない無駄な事をリサーチする」って企画案ありましたよね? あれを肉付けしたらどうでしょう」
兎角オレも受け売り。人の事は言えぬ……っか。
「ああ。あの企画ね。そういえば誰も手を付けてないわね。誰が出した企画案だったかしら?」
「あたし達です」
「はい」
企画すら失念しているCPと、返事はライトな口振りだが、少々不満げな下平、枦山両ディレクター。
「でも何をリサーチするかだよな」
三神さんは腕組してオレと目を合わせる。
「うーん……」
オレが勘考していると、
「何か臭いとかどうですかね、ユースケさん」
沢矢さんが助け舟を出してくれた。
「臭いかあ」
「スポーツ系の部活のカートリッジなんかどうだ?」
村田さんが珍しく発案する。でも携帯を弄りながらだけど。
「スポーツ系の部活っていっても、ロケを許諾してくれる学校があるかしらね」
「日々精進して汗を流してますからね。企画は面白いと思いますけど、下らない企画にOKするかどうか。そこがネックだな」
根本、三神両プロデューサーは呻吟する。
「ユースケさん、何処の大学出身でしたっけ」
お貴さんに訊かれた。
「私立の東明館大」
「三流だよね。学部は?」
下平のにやつき。オメーだって三流の高卒だろうが! ガン飛ばしたい気持ちをグッと堪えて、
「文学部史学科」
冷静に答える。
「何か部活には入ってたの?」
根本さんは「三流大学」に少し希望を見出した様子。これも忌々しいが、
「いいや、別に。でもあそこなら許諾が下りるかもしれません。大学の宣伝にもなりますし」
「大学の宣伝ねえ。確かに私立にはメリットはあるわね。良いわ。まずは東明館に打診してみましょう」
根本さんが動いた。
「もし東明館がOKしてくれたら、ユースケ君と加奈ちゃん、二人でロケハン(ロケーションハンティング。ロケ地を探す事)に行ってくれ」
「ああ、それが良いわね」
三神、根本プロデューサーの順でGOサイン。が……。
「えっ! 何でオレ、私達が?」
オレと沢矢さんでユニゾンの疑問。ロケハンはディレクターとAD、放送作家も打ち合わせを兼ねて同行するのは通例だが。
「だって貴方達は仲も良いし、面白いプレビューⅤ(試写)が撮れると思うのよ。ホホホホホッ」
気品良く言われたが、見縊られてるだけ、にしか思えない。それに、作家の仕事をしてプレビューⅤにまで出演しても、ギャラが上乗せされる訳でもなし。
「まっ、今回はプロデューサーからの威令。例外って事だな」
最後は大場が締めた。
THS内の廊下を沢矢さんと歩く。
「ロケハンまで付き合わされるとは思ってもみませんでしたよ」
ぼやきと共に溜息。
「オレも同じ気持ち」
「でも、私達は作家なんで面白くしようなんて考えなくて、肩肘張る必要はありませんよね」
「オレに訊かれてもねえ。でもさ、面白いプレビューⅤが撮れそうって言われたからね」
「まあ、そうですよね」
二人して諦めモード。
だが、まずは東明館大学があんな愚にも付かない企画を許諾してくれるかだ。
しかしオレの案じに反し……。
『東明館から許諾を得たぞ。土曜なら良いんだってさ。沢矢は昼間なら大丈夫だそうだけど、ユースケ、今週の土曜の昼間は空いてるか?』
大場Dからの電話。
「ああ。午前中は打ち合わせが入ってて、午後からは会議だけど、昼間なら何とか」
もうやるしかない。企画案を掘り下げたのはオレなんだから。
新宿から京王線に乗り換え、代田橋駅を目指す。乗車しているのはハンディーカメラを携えた大場Dと、一応ガンマイクを用意した男性ADの計四名。
電車は六分で代田橋駅に到着。後は杉並区和泉に本部を置く東明館大学へ徒歩で向かうだけ。約五分で大学に着いた。
「ここがユースケさんの母校なんですね。こじんまりとしてて、何か「大学」っていうより「専門学校」みたい」
『グサッ!』今の率直な感想、オレの胸には突き刺さった。「懐かしいなあ。校舎も全然変わってない」などといった感慨は全て吹っ飛ぶ。
「私立の三流だからね。オレみたいな定時制高卒で入れる」
「定時制でも頑張れば大学に進学出来るんじゃないですか。現にユースケさんがそうなんですし」
沢矢さんは邪心ない笑顔。
「まっ、そういう事だよ。オレだって偏差値が高い訳でもない文学部の歴史科出だからな」
「でも大場さんは国立でしょう?」
「まあ一応。立ち話はこのくらいにして、そろそろ始めようぜ。大学もあんた達も時間に制約があるんだから」
大場の一言でオレ達は体育館へと向かう。
まずはバドミントン部。臭いと睨んだのはラケットのグリップだ。
「お邪魔しまあす」
「練習中ごめんなさいね」
と挨拶しながら入り、大場は顧問の教師に、
「今日は態々時間を割いて貰ってありがとうございます」
恭しく頭を下げた。
「いや、構いませんよ。「時間が」掛からないのであれば。面白おかしい企画にしてください。大学の宣伝にもなりますし」
オレと沢矢さんも顧問に一礼。にこやかだけど、今の言葉は若干皮肉を感じる。その証拠に口振りは穏やかだが目は笑っていない。「よく愚にも付かない事を考えるもんだ」とでも心中で思っているのだろう。
でも、そんな愚にも付かない企画を真面目に考案するのが放送作家であり、カメラの前で実行するのがタレントだから。
「誰が臭いを嗅がせてくれるのかな」
「はい、僕ので良かったら」
沢矢さんの問い掛けに、一番近くにいた部員が手を挙げる。
「君なんだ。それじゃあ失礼して」
根本さんに指名された時は不承不承だったくせに、始まると意外に楽しそうだ。
沢矢さんがラケットのグリップを嗅ぐ。そして……。
「ああっ! 何か一度ヤッてもう一回ヤリたくなった時にゴムがなくて、仕方なくゴムを洗って再利用した後のような臭いがする」
真顔での感想。だが部員達は……。
「おい、すっげえ引いてる」
大場も部員達も空笑い。もっと形容のしようがないかい……。
「じゃあ貸して」
沢矢さんからラケットを受け取り嗅いでみると、
「うん。汗が染み込んでて確かに下っぽくはあるけど、スルメイカに似てるかな?」
「ね? 言わんとしてる事は分かるでしょう」
彼女は同意を求めようとする。
「ユースケの方が上品で分かり易い」
大場から同意を得た。
「何でよお。ユースケさんまた、気品良く例えちゃって」
呆れ笑いを浮かべて左肩を『ポン』と叩かれた。
「沢矢さんが言う事も分からなくはないけどさ、もっと放送出来るような言葉選んでよ」
「これプレビューⅤですもん」
意に介さない表情だが、
「根本さんのしかめっ面が目に浮かぶよ」
と大場。呆れられるのは沢矢さん、貴方です。
次に向かうのは弓道部。男子部員の足袋。
ここでも大場は顧問に恭しく頭を下げている。
今度も沢矢さんから嗅ぐ。
「じゃあちょっと失礼して……あっ!」
彼女の顔が渋くなる。
「どんな感じ?」
「汗というより溝。溝川のような臭いですよ」
「どれ」
嗅いでみると、
「うん、なるほどね。溝川みたいだね」
「そうでしょう。何か嫌い。私こういうの」
言われた部員は苦笑。当然のリアクションだ。
「でもオレは以外と平気かなあ。小、中学と通学路に溝川がある道歩いてたから」
「我慢強いんですね」
「いや、我慢というより皆同じ道歩いて登下校してたからね」
しかしこの企画、人の物を「再利用したゴム」だの「溝川」と形容したりして、日々精進している部員達には失礼なコンテンツ。今更だけど……。
最後に向かった先は、バスケットボール部。オレ達は体育館に戻る。
「身に付けてる物で一番臭いと思うものは何かな」
大場が訊く。
「オレが膝に付けてるサポーターは臭いと思います」
部員が苦笑して答えてくれた。
「そうだな。お前のは一番年期入ってるもんな」
別の部員がニヤリ。
確かに初めは真っ白だっただろうサポーターは、汗や汚れで黄ばみ、くすんでいる。
「では早速」
沢矢さんは部員からサポーターを受け取り、にやつきながら嗅ぐ。
「あっ! クサッ!!」
直ぐにしかめっ面になった。が……。好奇心なのかもう一度。
「ああっ! やっぱり駄目。うえっ!」
「吐き気を催すような「魔物」なの?」
沢矢さんは涙目でサポーターを渡して来た。
「どれどれ」
失笑しながら嗅いでみる。
「うわっ! これは「魔物」だ。苛めで何か塗られてんじゃない? これ」
「いや、大丈夫です」
部員は空笑い。
「なら良いけど、何か発酵系だね」
沢矢さんは口を手で押さえたまま無言で頷く。
「オレ達の中では、このサポーターがダントツ」
「ハハハハハッ! やっぱし根本さんが睨んだ通り、お前達にプレビューⅤ頼んで良かったよ」
大場は満足げ。
「オレ達も良い経験させて貰ったよ。ね?」
「そうですね……」
沢矢さんはまだ口を手で押さえている。よっぽど発酵系が効いたのだろう。
最後に大場が三ヶ所の顧問に、
「今日はありがとうございました。また後日、宜しくお願いします」
と挨拶し、オレ達は東明館大を後にした。
後日、小会議室でVを見た根本さんらは、沢矢さんの「ゴムの再利用」の場で、
「沢矢さんも下種な人ねえ……」
と根本さんは眉をひそめていたそうだ。
だが巨視的には「ホホホホホッ!」「ハハハハハッ!」と、根本、三神両プロデューサーは笑っていたという。只「嗤っていた」だけかもしれないが……。
そして最終的に……。
「確かに下らなくて無駄ね。良いわ。スペシャルにはこの企画を入れましょう」
根本さんのGOサインが出たそうだ。
今回は企画が通って良かった。ロケには大村さんら芸人、おネエ系タレント、女性アイドルなど三人が選ばれ、ロケ地は無論、東明館大学。
出身校に下種な企画を許諾して貰えた事は、オレとしてはありがたいような、「もっと大学としてプライドを持て!」と叱咤したいような猥雑な気持ち。
以上が大場から聞いた話を意訳したもの。
スペシャルは今月下旬に放送が決定。直ぐ様オレ達作家はホンを書き上げ、ロケが行われた。
後半は下巻に続く――