第六話 バレなければ嘘ではない
王都へと急ぐ、ディリニー侯爵家の紋章が入った格式ある大型馬車の中で、私は縮こまっていた。目の前にディリニー侯爵夫人がいるからだ。しばし黙ったままだったが、私はようやく、ここでなら外聞もなく、いくつか質問ができるのではないかと思い立ち、思い切って問いかけた。
「あの、マダム。私は誰と結婚するのでしょう?」
すると、ディリニー侯爵夫人はウォーガンド伯爵家にいたときよりも若干、ほんの少しばかり柔らかい表情を作り、私へこう言った。
「あなたの結婚相手の名はセラフィエル・エイデン。現エイデン公爵です」
相変わらずの鋭い言葉と声だ。だが、公爵と聞いては私も戸惑う。まさか公爵閣下の結婚相手になるとは、想像もしていなかったからだ。しかも、見せ物ではなく、一応は人間扱いされるようだが——。
「ただし、あなたはあくまで彼の書類上の妻です」
「え?」
「セラフィエル様にはエルヴィという内縁の妻がいます。そのことは公然の秘密、ですので彼には公式の妻、エイデン公爵夫人の名を背負う女性を探していたのです」
は? と私は声が出た。ディリニー侯爵夫人にすぐに見咎められて、私は目を逸らす。
しかしおかしい話はおかしい。私はどもりながらも、聞くべきは聞く。
「ど、どういうことですか? 私にはさっぱり、どうしてその方は内縁の妻とやらと結婚なさらないのです?」
「隠していても仕方ありませんからすべて伝えますが、エルヴィはメイドです。たかが平民のメイドでは、エイデン公爵夫人とはなれません。それに比べて、貴賤結婚であろうともあなたは伯爵令嬢。もうお気づきでしょうが、セラフィエル様は現サリデール国王の非嫡出子であり、そのためにエイデン公爵家へ養子に出されました。セラフィエル様の母君もまた王宮のメイドに過ぎず、決してセラフィエル様は王位に就くことはできません」
それはつまり、王家の醜聞を覆い隠すための措置の一環にすぎなかった。
私の存在は、国王の不始末の結果であるセラフィエルという結婚相手を、さらにエルヴィという醜聞の種になりそうな女性との関係から、周囲の目を何とか逸らすため、世間的な体裁を保つための材料にすぎない。ディリニー侯爵夫人はその間を取り持つ役目を負わされた、というわけだ。
平たく言えば、偽装結婚。そんなもの、愛のある結婚とは天国と地獄ほども遠い。
ああ、どうして私はそんな輩と書類上でも結婚しなければならないのか。そう嘆く気持ちは、今のところ逃げ出す気持ちよりも強かった。
「では、私は……公爵夫人のふりをしていればいいのですね」
「そうなりますね。無論、表向きは仲睦まじい夫婦を演じてください。それからセラフィエル様から話を聞くかとは思いますが、節度さえ守ればどこかの殿方と関わることも許してくださるでしょう。他に質問は?」
そんなことをすればまるで私が節操のない売女のよう、ということは言わなかった。口を突いて出そうだったが、私は我慢した。右腕を握りしめ、我慢我慢と心の中でつぶやく。
そもそもが、セラフィエルという人間が節操のない、立場を考えない人間だ。話を聞くかぎりではそう思わざるをえないし、貴族の義務である結婚さえもまともにやる気がない。私が嫁げば少しは変わるだろうか? そんな希望は持たないほうがいいな、と私はすぐに思い直した。
仕方がない。ただ、言うべきは言わなくては。
私は覚悟を決めて、ディリニー侯爵夫人へ、言い出しにくい話をする。
「ありません。ただ、私は一文なしですので、少しばかり下賜金を融通してもらえれば助かります。服も、化粧品も持っていないものですから」
お金の話は、しづらい。ましてや貴族同士で、という恥ずかしさはあった。私はそれほどお金と親しんできた人間ではないが、だからこそ貴い血の人間が金銭に直接携わることは忌避する気持ちがあったのだ。
後から考えれば、そんなこときわめてどうでもいいことだ、と割り切れるのだが。
ただ、ディリニー侯爵夫人は納得したらしく、別段私を蔑むこともなかった。
「分かりました、セラフィエル様には知られぬよう都合をつけておきましょう。身を整えることも公爵夫人の役目ですからね」
あれ、この人、意外と優しい。もちろん公爵夫人を仕立て上げるのだから、そのための必要経費くらいは出してくれる、という話だろうが、私はとても助かる。
これでこの先当面の不安は解消された。離縁を言い出されても、生き延びられる資金が必要だったのだ。それに、逃げ出したあとのことも考えて、お金はあるに越したことはない。
上手くいったことを心の中で喜ぶ私へ、ディリニー侯爵夫人はこほん、と咳払いをして、今度は逆に質問をしてきた。
「ところで、その右腕は……どのようなものなのです?」
どうやら、ディリニー侯爵夫人も人並みに興味があったようだ。特段嫌がるような素振りもない、もっとも初めて目にする奇妙なもの、ということもあって、珍しいもの好きな貴族には好まれそうだ。
私はうーん、と悩んで、どう説明すればいいかを考える。
まず、私の右腕は力が強い。常人よりも、いやそれは控えめな表現すぎる。具体的にはそう、触れただけで壁を破壊するくらい。幼いころは制御できなくてそれを何度かやったから、壊してもいい片隅の部屋に閉じ込められる羽目になった。
そして触り心地。ざらざらは布を簡単に引っ張り、ちょっと力を入れようものならビリッと派手に引き裂く。そのくらいざらざらとしていて、他人に触れたなら皮膚を傷つけること間違いない。肘の角も同じだ。そんなに派手にあるわけではないが、以前うっかり壁に肘打ちしたときはくっきり角が刺さって石壁に穴が空いていた。
だんだん嫌になってきた。あと、怪奇現象の件もある。ポルターガイストを引き起こすくらいで済めばまだいい、ひどいときは——偶然かもしれないが、地震が起きた。偶然だと信じたい。
これらの話を総合して、私は当たり障りのない表現になんとか言い換えた。
「普通よりも、力があります。ざらざらとしていて、角のようなものもあります。たまに、怪奇現象を起こします」
自分でも分かる。これは過小に言い過ぎた、と。
でもほら、どうせもう会わない人にあまりひどい話をしてもしょうがないし、と私は心の中で言い訳をした。
その甲斐あってか、ディリニー侯爵夫人はふぅん、とばかりの態度だった。
「そうですか。その程度なら問題ないでしょう」
やってしまった気もするが、私は気にしないことにした。
王都では黙っていよう、そうしよう。