第三話 悲劇とせめてもの誠意
ある日、先代ティリャード男爵、つまりアーリンの父がウォーガンド伯爵家の屋敷にやってきた。
一体全体何だろう、と私は相手として指名されて、客間へ赴く。そこに当主である父の姿はなく、先代ティリャード男爵だけがソファに腰掛けていた。つまり大した話ではないのかもしれない、私はそう思ったが、それはある種の現実逃避だったのかもしれない。
「いかがなさいましたか、閣下」
私は不安な心を隠して、できるだけ穏やかに、尋ねる。何となく、先代ティリャード男爵には近寄り難い雰囲気があって、目の前のソファには座る気にはなれない。
先代ティリャード男爵は重々しく、こう言った。
「ロゼッタ嬢、アーリンとの婚約を解消してほしい」
私は目を見開く。右腕に力を入れないよう、すぐに頭を横に振って、感情を抑えた。
「どういうことでしょう? ではなぜ、アーリンがここに来ないのですか? アーリンが嫌だというのなら」
「違う。もうアーリンはいない」
いない?
私の問い詰めんばかりの態度を、先代ティリャード男爵はなだめるように、そして残酷な出来事について告げる。
「アーリンの乗った商船が海賊に襲われた。乗組員は果敢に戦ったが、全員殺され、海に放り出された」
肺から一切の空気が抜け出たように、衝撃のあまり私は倒れそうになった。
どうして? ほんの数日前に手紙を受け取ったばかりなのに、どうしてそんなことになっている?
私は、かすかな希望をどうにか掴み取ろうとする。
「それだけなら、まだアーリンは生きているかもしれませんわ」
「いや。近くの島に、遺体がいくつか上がった。使いの者に確かめさせたが、そのうち一つはアーリンに違いない、ということだった」
残念だが、と先代ティリャード男爵は失意の色を声にこめる。
跡取り息子を失った父の失意を前に、私はもはや誰をも責めることができない。誰がこんな惨状を生み出し、誰が私と先代ティリャード男爵をここまで絶望させたのか。
怒りが頭を支配し、悲しみが涙となり、私は唇から溢れる嗚咽を思わず右手で抑える。
「どうして」
先代ティリャード男爵の視線が私の右手に移り、すぐに離れた。たったそれだけしか反応しない先代ティリャード男爵は、分別のある紳士だろう。
それでも、私の感情がおさまるわけではない。
「すまない、ロゼッタ嬢。アーリンのことは忘れて、他の男を探して」
「他に私の腕を受け入れてくれる殿方などおりませんわ!」
金切り声とともに、盛大な音を立てて、客間の窓ガラスすべてに蜘蛛の巣状の大きなひびが入る。
かたかたと紅茶のカップは震え、ポルターガイストのようにあちこちの木材が軋む。それが私の仕業だと知られても、もはやかまうものか。私は何も考えられないほど、黒い右手と普通の左手の両手で、顔を覆い、しゃがみ込む。
先代ティリャード男爵はことのほか冷静だった。私の醜態を見てもさして驚かず、むしろ私に手を差し伸べてきた。
「何とか、探してはみよう。それがせめてもの手向けと思ってほしい」
その申し出を断れるほど、私は自由に動けるわけでも、つてがあるわけでもない。
ましてや、老紳士は自分の息子の妻となるはずだった娘に、せめてもの誠意を表そうとしている。
私はただ、その申し出に無言で頷き、打ちひしがれたまま、部屋に戻ることしかできなかった。