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第十六話 仕事を得て、相談をして

 バラデュール王国の王都の東側には、対岸がぼやけて見えるほどの大きな河川が陣取っていた。河岸にもたくさんの家が並んでいるが、それ以上に川には船や水上建築が無秩序に、しかし風情ある形で集まっていた。多くは、南洋から来た人々が王都好みの建物をたくさん作って、それを王都の貴族が別荘として使っているらしい。


 私は、水色の屋根を持つ三階建の木造建築の前にいた。葦を編んだすだれをくぐり、私はちょっと薄暗い廊下へ声をかける。


「すみません。エレミアさんの紹介で来ました、ロゼッタと申します」


 すると、奥から声が返ってきた。


「聞いてる! 入ってきてくれ、今手が離せない!」


 そう言われれば、入るしかない。私はそろりと、廊下を進む。角を曲がると明るくなり、窓のない広々とした空間が現れた。


 籐のソファに座り、紫檀のテーブルに並べられた書類を手に取っていたのは、胸元を開いた黒のスーツ姿に、両目の周りには入れ墨のような蔦模様がある男性だ。真っ黒なサングラスをかけている、初めて私は実物のサングラスを見た。太陽に弱い目をした人なのだろうか、と興味が逸れそうだ。


 男性はサングラスをずらし、私を見た。金色の両目が私を見据える。


 私は目を合わせ、じっと待っていた。私を品定めしているのだろうか。緊張して待っていると、男性は素っ頓狂な声を出した。


「ん? 君、俺の魅了が効いてない?」

「はい?」

「体が熱くなったり、俺の顔を見てどきどきしない?」

「しませんけど」


 私の素っ気ない返答に、男性は予想外の反応をした。明らかに、喜んでいる。


 男性は立ち上がって、私の前にやってきて、私の左手を取った。


「採用。今日からよろしく。俺はバラティオン・サタナキア。ここサタナキア真正奥義書出版会の会長をやってる」


 そう言って、サタナキアは私の手をぶんぶんと上下に振った。


「いやあ、俺は女性なら誰でも大概魅了してしまうんでね。生まれつきそういう力がある、っていうのも厄介なもんだ。君は? 隠している右腕かい?」

「はい。ちょっと、力が強くて」

「なるほど。気にしなくていい、変だからといってここでは誰も他人を笑ったりしない。それに、俺の魅了が効かない女性は希少だ。うん、俺のせいでここは男世帯だったから肩身が狭かった、諸手を挙げて君を歓迎するよ」


 サタナキアは心底嬉しそうだ。確かに、悪魔に対しては悪魔の魅了も効かないのかもしれない、と思った。


 とりあえず、とサタナキアはソファに座るよう勧めてくれて、この場所の説明もしてくれた。


「サタナキア真正奥義書出版会の名のとおり、悪魔に関する書籍の出版を行う会社なんだが、他にもうちは悪魔関係の能力を持っている連中の相談を受け付け、解決することも仕事としている。他の力を持つ人間とは違って、悪魔の力や特徴を持つ人間は昔から差別の対象になりやすかったせいもあって、代々サタナキア公爵家が後ろ盾となって改善に努めている」


 つまりは俺も公爵なんだが、そう見られないんだ、とサタナキアは不思議そうに言っていた。そこはかとなく市井の遊び人の雰囲気を持つせいではないだろうか、と私は思ったが、口には出さない。貴族らしからぬ貴族というのも、私にとっては新鮮だった。


「ええと、ここは悪魔関係の互助組織、という側面もあるわけですね」

「そうそう。一応、国の認可を受けたきちんとした組織だよ。天使関係は最高神殿だし、幻獣関係は郊外の森林公園管理組合。エルフやドワーフといった妖精関係、精霊や地霊といった霊魂関係などなど、この国には色々いるってわけさ」


 サタナキアが口にしたそれらは、まるでおとぎ話の登場キャラクターがそのまま現実に現れたかのような存在ばかりだった。それもまた、バラデュール王国では当たり前のことなのだろう。隣国だというのに、サリデール王国とは違いすぎて、私はすっかり希望を胸に灯していた。


「聖女様からの話では、君は自立して働きたい、ということだったが、うちで事務仕事をやってくれるかい?」

「はい、ぜひ」

「そうか、ならよろしく頼む。気楽にしてくれ、今は閑散期だから仕事をゆっくり覚えるにはちょうどいい」


 サタナキアはにっこり、邪気のない笑顔を私へと向けてきていた。なるほど、魅了がなくても女性に好かれそうな顔だ。それはそれで、苦労があったのだろうか。


 何はともあれ、私はこうして仕事を手に入れた。とはいえ、今まで一度も仕事などしたことのない私は、慣れるには時間がかかりそうだった。 






「いったああああ! ちょっ、ロゼッタちゃんもう無理! まいりました、離して離して!」


 紫檀のテーブルの上では、私の右腕がサタナキアの右手の甲をテーブルへと押し付けていた。どのくらい力が強いか試そう、などとサタナキアが興味津々で言ってきたから、手と手の間にハンカチを挟んで腕相撲をしていたのだ。そうして私は成人男性のサタナキアの腕力に対し、圧倒して勝った。手を離すと、サタナキアが手の甲をテーブルにぶつけて痛かったのか唸っている。


「会長、腕相撲弱いですね」

「いや君が強すぎるの! あのね、俺は魅了以外は普通なの! 全然ダメ!」

「よく今まで魅了した女性たちに刺されませんでしたね……」

「ロゼッタちゃん、ロマンス小説の読みすぎ。それともタブロイド雑誌が愛読書かな?」

「違います」

「いやしかし、あの蝿騎士団のベルゼビュート閣下にスカウトされるほどだし、ロゼッタちゃんのその力はシンプルゆえに扱いやすいよね。女の子だから体力仕事はやりたくないだろうけど」

「そう、なんですよね……だから、事務がやりたいんですけど」


 贅沢かもしれないが、私はできれば普通の女性として、お淑やかに暮らしていきたい。それに、今まで外で動くこともろくになかったせいもあって、野外で働くことには自信がないのだ。


 私は、黒くてざらざらした右手を、じっと見る。昨日、サタナキアから特殊な爪切りを借りて、硬くて分厚い手の爪を切ってみたのだが、今朝にはもうすっかり尖った爪が生え揃っていた。少しでも恐ろしい外見を何とかしようという試みは無駄だったようだ。


 思わず、ため息が出る。


「せめて、手袋をはめられればいいんですけど、そうすれば他の人を触っても傷つけませんし」

「そうだねぇ。それは必須だな、女の子は愛する恋人に触れたいものだからね」

「それはともかく、他人に迷惑なのはいけないと思います」

「いいんじゃない? 別に」

「え?」

「人間、というか生き物っていうのは生まれて死ぬまで他の生命を脅かし、傷つけ、ときには存在を否定してでも生き延びるものさ。人により大小こそあれ、そういうものだ。それを醜いと思うなら、君の中ではそうなのかもしれないが、それはそれとして世の摂理とはそういう仕組みになっているということは認めなければならないよ」


 私は驚く。サタナキアは真剣に、私へ説いてくれていた。その目に悪魔の魅了の力を持つサタナキアは、下手をすれば私よりもずっと周囲に迷惑のかかる能力をどうにかしなければならなかったはずだ。だからこそ、その言葉には重みがある。誰かを傷つける人生を悔いる必要はないと、そう思うまでにどれほど彼は時間がかかったことだろう。


 そんな後ろ暗さを感じさせないようにか、サタナキアはいつも魅惑的な笑みを浮かべていた。


「こういうことは聖女様に説法してもらったほうが説得力があるかな。まあいい、悪魔らしく生きるのも、秩序に則って生きていくのも、君の勝手さ。手袋に関してはちょっと心当たりがあるから、よければ作っておくよ」

「あ、ありがとうございます」

「気にしなくていい、それも俺の仕事だからね。それはそうと、午後から聖女様とお茶会をするんだろう? 今日はもう上がっていいから、また明日ね」


 鉛筆を折ってばかりでろくに仕事もしていないが、私はサタナキアに背中を押されて、エレミアとのお茶会のため宮殿へ向かった。

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