第十四話 悪魔が報いて
時は少し下って、ロゼッタがバラデュール王国へ出立してから二ヶ月後のこと。
エイデン公爵家の屋敷には、毎日のようにエルヴィの宝飾品が届き、呼びつけた仕立職人が次から次へと新たなドレスを作っていた。
「セラ様ぁ、このあいだ舞踏会のお誘いがあったクレール子爵夫人がね、私は赤いドレスが似合うから流行のデザインならもっと映える、って言ってくださったの! だーかーら、新しく作りたいなって」
「ああ、いいぞ。エルヴィが綺麗になるならいくらでも作っていい、すぐに最高の仕立職人を呼び出そう」
「やったー! あのねあのね、今度お暇なら避暑地に遊びに行かない? そこでサロンがあって、最先端の流行を掴むならそこよ! ってウジェーヌが言ってたの! あ、ウジェーヌはイルナリオ伯爵家の子なんだけど、すっごくオシャレなの!」
「分かった分かった、あそこの別荘は古くなっていたから建て替えないとな。見窄らしいとエルヴィが恥をかく」
仲睦まじく社交的、と言えば聞こえはいいが、実際には女に溺れた名ばかり公爵と身の程を知らない愛人の滑稽な散財癖を貴族たちはおもちゃにしているだけだ。セラフィエルもエルヴィも、それに気付けるほど貴族との付き合いが深くない。生まれながらにして貴族であればともかく、甘やかされて育った子供と成り上がりの小娘では何もかもが足りなかった。
そこへ、エイデン公爵家に仕えて長い執事の一人が、セラフィエルへ進言しようとやってくる。
「あの、旦那様」
「おい、すぐに手配をしておけ」
「しかし、当家の財務状況はそれほど芳しくはなく」
「領地から徴税でもしろ。必要なら銀行に借入してもいい」
「それは領地経営に関することでだけ行えるもので」
「いいからやれ! うるさいことを言うな!」
癇癪を起こしたセラフィエルが、執事を殴りつけようとする。使用人に暴力を振るう貴族もままいるが、セラフィエルはその悪癖を直そうとはしない。誰一人、それを指摘する者はいないからだ。
だが、今日ばかりは違った。別の執事が慌ててやってきて、セラフィエルと殴りかかられた執事の間に割って入る。
「旦那様、お客さまでございます!」
「客? 誰だ?」
癇癪から意識を逸らしたセラフィエルは、すでに玄関から入ってきていた一人の男性にようやく気付いた。
憤怒の形相をして、腰の剣に手をかけたままのグレーヘアの男性だ。セラフィエルよりはずっと年上で、引き締まった顔も体躯も、威厳に満ちた雰囲気も、身につけたスーツも装飾品も、すべてが名誉ある高貴な者としてふさわしい。
彼の名はフローディアン侯爵サディアス。先代エイデン公爵の実弟であり、セラフィエルが王命により実子のいなかった先代エイデン公爵の養子に据えられたことで、エイデン公爵家を追われた人間だった。
「相変わらず、好き放題やっているようだな」
開口一番、重厚な声で、サディアスはセラフィエルを咎める。しかし、セラフィエルは厚かましくも意に介さない。
「これはサディアス義叔父上、何の用ですか? この屋敷には入らないよう言っていたはずですが」
「ここは私の生まれ育った屋敷だ。貴様に指図される筋合いはない」
サディアスはセラフィエルの嫌味をにべもなく一蹴する。そればかりではなく、セラフィエルとエルヴィへ蔑んだ目を向けた。
「セラフィエル。外でも随分と貴様と売女の噂は聞いたぞ。お前はろくに公爵としての責務を果たさず放蕩のかぎりを尽くし、そこの売女にいたっては他家の年少者を誘惑して舞踏会の控え室に連れ込んだ、とも言われているほどだ」
「ば、売女!? もしかして私のこと? そんなわけないじゃない!」
甲高く、エルヴィは反射的に反発して抗議する。だが、本来は決して許されない行為だ。それが分からないからこそ見下されるのだ、ということすら教養のないエルヴィでは理解できない。
当然、サディアスが鋭く睨みつけ、エルヴィを叱責する。
「黙っていろ、貴様は身分をわきまえるべきだ。所詮は平民の愛人、エイデン公爵家の系譜図に名を残すことすら許されていない」
かあっとエルヴィの顔が真っ赤になる。エルヴィには言い返す言葉もなく、歯を食いしばって俯くばかりだ。
そこへ、セラフィエルが口を挟む。まるで、颯爽と姫を助ける騎士がごとく、と本人は思っていることだろうが、まったく下手な口上は逆に恥となることを知らないのだ。
「だ、黙って聞いていれば、いくら先代エイデン公爵の弟とはいえ、今のエイデン公爵は俺なのだから、それこそ口を挟まれる筋合いは」
「無能が。貴様のような王位継承権すらない妾腹の子が、王の情けで今の身分を得たと分からないのか?」
「何だと!?」
言葉で追い詰められた者は、次は行動を、多くは暴力に移る。
それを、サディアスは待っていた。サディアスに掴みかかろうと突進してきたセラフィエルへ、腰の剣が一閃される。
したたかに、そしてどうしようもなく、サディアスの剣はセラフィエルの体を逆袈裟に斬り、状況が飲み込めていないままセラフィエルはどうと床に倒れた。溢れ出る血を踏みつけ、サディアスは宣言する。
「これ以上、エイデン公爵家の恥を受け入れるわけにはいかない。これよりは私がエイデン公爵を継ぎ、先頭に立つ」
口から血の泡を吹きながら、わずかに残った意識でセラフィエルは、それでも強がる。
「ば、馬鹿な……父上が、黙っているものか」
「無論、戦となるだろうな。だが、それがどうした。エイデン公爵家の名誉を傷つけた貴様と甘やかした王には、報いを受けさせてやる」
サディアスの言葉を、セラフィエルは最後まで聞くことなく、命は尽きた。血溜まりは大きく広がり、それはセラフィエルの絶命を表した。
腰を抜かした女が一人、サディアスへ言い訳を紡ごうとしていた。
「あ、ああ、私は、ただセラ様が、いいって言ったから」
「弁明の機会を与えた憶えはない」
もう一度、サディアスの剣が振るわれる。剣はエルヴィの胸を貫き、深々と突き立てられた。
サディアスはぞんざいに死体から剣を引き抜き、血を払う。その表情に感情はなく、これは義務なのだと言わんばかりだ。
サディアスは執事へ、使用人を全員集めるよう指示を出した。すぐに執事は屋敷中の執事とメイドたちを玄関前に並ばせる。
落ち着いた様子で、サディアスは使用人たちへこう言った。
「全員、これよりエイデン公爵家はサリデール王家へ反旗を翻すことになる! これまでエイデン公爵家によく仕えてくれた、だがここから先はついて来ずともよい。わずかばかりだが褒賞を与えよう、当面の生活の足しにするといい」
執事とメイドたちは顔を見合わせる。しかし、全員の意思は同じだった。すぐに執事の一人が歩み出て、その決意を示す。
「いえ、私どもはサディアス様についてまいります。よくぞご帰還なさいました、我が主人、エイデン公爵閣下!」
サディアスは、その言葉に応えるように強く頷く。
この日、セラフィエルとその愛人を排除しエイデン公爵の名を継いだサディアスが、エイデン公爵領全域から兵を招集し、サリデール王国に対する反乱軍を結成した。セラフィエルの悪評にうんざりしていた領民たちは、同時にその父であるサリデール国王への恨みも募らせていた。すぐに反乱軍の規模は膨れ上がり——もはや、サリデール王国軍に肉薄する勢いを得ていた。
その一方で、まことしやかにこんな噂も流れはじめた。
「セラフィエルは金で買った正式な妻をたった一日で追い払い、しかもその妻は悪魔だったという。悪魔くらいしか嫁ごうと思わず、その悪魔も逃げ出すほど放蕩のかぎりを尽くしたクソ野郎だった、というわけだ」
その悪魔とは誰か。どこの令嬢か。ああ、ウォーガンド伯爵家の三女だったらしい。すぐに噂は広まり、それは真実で、最終的にはセラフィエルは悪魔と契約して身を滅ぼしたのだ、ということになった。
当然、その悪魔を出した家、ウォーガンド伯爵家は、肩身の狭い思いをすることになる。すでに別の国へ嫁ぐため家を出たキャロラインはともかく、現当主、そしていまだリベイラ伯爵と婚約状態だったティターニアや次期当主のエリオットあたりは、とても社交界に顔を出すことはできなくなった。もっとも、それ以降王国軍と反乱軍による戦火は激しくなり、晩餐会や舞踏会など開催されなくなったのだが。