第十三話 悪魔もいれば天使もいる
数日後、私はサリデール王国とバラデュール王国の国境にいた。
私はミカエルとエレミアとともに同じ馬車に乗り、周囲を護衛の騎士たちに囲まれて王都から半日ほどの森の関所で降りた。関所と言っても古い砦のようなもので、山と山の間にある深い森を突っ切るような道に跨る石造りの橋で構成されている。
私は、その橋を見上げながら、道の先を見た。森はしばらく続くのかと思いきや、拓けた場所が見えていた。
「ロゼッタ。ほら、ここから先がバラデュール王国だ」
ミカエルの言葉に、私は頷く。ここから先が、私の運命を変えるかもしれない場所だ。私を嫌っていたサリデール王国から離れ、新天地へと行けるのだ。
ところが、バラデュール王国側の道から、道幅いっぱいの角のある白馬が引く馬車、そして先導する大柄な黒い鎧の騎士たちがやってきていた。その様子は、周囲に畏怖を撒くかのようで、正直言って不気味な集団なのだが、ミカエルもエレミアもまったく警戒することはなく、むしろミカエルなど気さくに先頭の騎士に話しかけていた。
「やあ、ベル」
先頭の騎士が馬から降りて、進み出てきた。兜を外し、中身はいかにも武人然とした黒髪短髪の壮年の男性が現れ、恭しくミカエルとエレミアの二人へと頭を下げた。
「おかえりなさいませ、若君、エレミア様。事故に遭難されたと聞き、いてもたってもいられずここまでお迎えに上がりました」
「ベルは過保護だな。ユニコーンの馬車まで用意するなんて。ロゼッタ、彼はベルゼビュート、国王の信任厚い軍人だ。君と同じく、悪魔の能力を持つ人間だよ」
さらっとミカエルはそう言ったが、ベルゼビュートは外見上特異なところは見受けられず——いや、近づくと分かった。後ろの騎士たちより大柄だし、私の身長の倍ほどはある。私なんか指先で吹き飛ばされそうだ。右腕なら受け止められるだろうか、などと考えていたところに、ふと後ろの馬車の馬、角のある白馬が目に入った。よく見ると、馬たちが引いている馬車には、御者がいない。
というよりも、まず馬に角がある時点でおかしい。だが、先ほどミカエルが言っていたユニコーンなのだろう、そう思うと私はちょっと興奮してきた。小説や寓話の中でしか出てこないはずの美しい生き物が、そこにいるのだ。
「あれは、ユニコーンですか? 伝説の幻獣、ですよね?」
「ああ、バラデュール王国にだけ生息するんだ。北の大公が保護していてね、力は強いし潔癖で頭がいい。御者がいなくても目的地に辿り着くから便利なんだ」
へえ、と私は感嘆のため息を漏らす。どうやら、バラデュール王国は天使と悪魔だけでなく、幻獣までいるようだ。ひょっとすると他にもいるのかもしれない。そう考えると、ミカエルとエレミアが私にさして悪感情を持たない理由も分かってきた気がする。
ベルゼビュートが私の前にやってきて、話しかけてきた。
「ロゼッタ嬢、貴殿も同じ、ということだが」
ベルゼビュートは声がとても低く、圧がすごい。私は、同じだというのなら、とケープから右腕を出し、前へと差し出した。
「これです」
すると、ベルゼビュートは目を輝かせた。
「おお、その右腕は」
「ああ、僕たちは彼女の右腕に助けられた。だからお礼も兼ねて、我が国に招いたんだよ」
ミカエルが説明してくれたおかげで、手間が省けた。それに、ベルゼビュートはすっかり理解したらしく、嬉しそうな表情をしていた。
「そうでしたか! 仲間が増えるとあっては、実に喜ばしい。よろしく頼む、ロゼッタ嬢」
私の差し出した右手を、ベルゼビュートの右手が握る。できるだけ力を入れないよう、私は握り返したつもりだったが、ベルゼビュートの顔色が少しばかり変わった。
「ふむ、なかなか力がありそうだ。よければ私の騎士団に来るといい、歓迎しよう」
いきなりの勧誘に、私は面食らった。騎士団。つまり、私が騎士になる? 今まで想像もしたことがなかった就職先だ。
「私が騎士団なんて無理です、そんなことできません」
「謙遜しなくていい。その力があれば、少し訓練をするだけで即戦力になる」
「で、でも、私は女ですよ?」
「ははは、騎士団には他にも女性がいる。気にしなくていい」
ベルゼビュートは朗らかに笑う。どうやら、本当のことらしい。後ろにいる騎士の一人が兜を外していた。現れた黒髪を引っ詰めた女性が、私へにこりと笑いかけ、手を振っていた。顔の半分に黒いあざがあって、しかし誰も気にした様子はない。
何もかもが今までと違うようだった。私は今までの常識をすべて捨て、バラデュール王国の常識に慣れよう、と心に決める。
ベルゼビュートが私を含めた三人をユニコーンの馬車へと連れて行く。そのとき、ミカエルとはこんな会話をしていた。
「何か変わったことはあったかい」
「いえ、何も。平和そのものですよ」
「君がそう言うのなら本当にそうなんだろうね。いや、いいことだよ。もちろん」
「ははは、若君はそうやって、騒動があればどこにでも首を突っ込みたがる癖は相変わらずですな」
「まあ、そう簡単に治りはしないかな」
「そういえば、街中で恋愛の天使の祝福を受けたと嘯く詐欺師集団が出て、女性を誑かそうとしたそうです」
「へえ。どうせ運命の相手だとか何だとか言って騙して財産を巻き上げる、っていうやつだろう?」
「そのとおり。ああいう手合いは絶えませんな、天使を名乗っておきながら悪魔よりも嘘吐きとはこれいかに」
ミカエルとベルゼビュートは、はっはっはと笑い合う。よくあることなのだろうか。バラデュール王国風のジョークの一環なのかもしれない。
それを聞いていたエレミアがしょうがない、という顔でつぶやく。
「そういうことをしたらウルスラに燃やされるのに……」
「燃やされる?」
私はつい聞き返してしまった。聞き間違いかと思ったのに、エレミアに頷かれてしまった。
「そう。あ、ウルスラっていうのは私と同じ聖女で、悪いことをした天使をボッコボコに」
はた、とエレミアは口を閉じた。うっかり俗なスラングを口にした彼女は、わざとらしく咳払いをして続ける。
「こほん、ウルスラには天使と関わりのある者へ罰を与えるため燃やす力があるのです。彼女、激情家ですし、それは激しく叱責します」
「は、はあ」
つまり、そのウルスラという聖女は天使たちの見張り役のようなものだろうか。そんな役割の人間もいるらしい。色々な人がいるものだ、と私は感心する。
エレミアがふふっと微笑んだ。
「どうかしら? 天使も俗世的だし、悪魔も真面目だし、型には嵌まらないものですよ」
なるほど、そのようだ。
すっかり疑心暗鬼に駆られていた心を解かされた私は、二人とともにユニコーンの馬車へと乗り込んだ。
この国には、私と同じような人間がいる。それだけで、意外と気が楽になるものだった。