表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/23

第十話 この力が役に立つとき

 大通りは、夜でも人々が賑やかに行き交う。


 王都、と言われても、私はこれほど大きな都市に来たことがない。馬車で教会まで乗りつけて、知らない屋敷に連れていかれたものだから、まったく道が分からない。せいぜい標識で王都の外に繋がる道、王宮へ繋がる道、東西南北くらいは分かるが、分かったところで今晩の安全な宿を探している私に資することはない。


 時折、ちらっとすれ違った通行人に振り返られる。私の右肩のケープが珍しいのだろうし、胸ぐらを掴まれたからちょっと衣服が乱れている。一応直しはしたが、窮屈なドレスだから一度脱がないと完璧に整えることはできない。


 何だかな、と私は落ち込む。だんだんと怒りは鎮まり、他のことを考える余裕ができてきた。悪い考えに陥ってしまわないよう、頭を切り替えようとするが、そう上手くはいかない。実家を出てから先ほどまでの騒動は、箱入り娘同然だった私にはちょっと衝撃的すぎた。


 そもそも私は屋敷からろくに出たこともなければ、買い物をしたこともない。小説や体験記を読んで、都市は大きいのだ、外の世界ではお金を使ってものをやり取りするのだ、サービスを受けるにはお金が必要だ、くらいは知っている。手紙だって出し方は分かる。だが、知っていると体験したことがあるでは雲泥の差だ。店員とまともに直接やり取りできるかも怪しい。


 本当に、私は途方に暮れていた。とにかく、明日の朝一番、まずは王都から出なくてはならない。セラフィエルは追ってこないだろうが、ディリニー侯爵夫人あたりは私を連れ戻そうとするかもしれない。いや、セラフィエルも賠償金だとか何だとか理由をつけて、私を捕まえようとするだろう。そんなことに付き合うのはごめんだ。身を隠し、さっさと王都を離れ——姉のキャロラインが教えてくれたように、このサリデール王国から出ていくのだ。悪魔の右腕を持つ私であっても受け入れてくれる場所を探して、ひたすら歩いていくしかない。


 大通りを、夜だというのに馬車が連なって走っていく。この先は王宮へ上る道だから、晩餐会か舞踏会でもあるのだろう。伯爵令嬢なのに、私はそういうことにまったく縁がなかった。姉のティターニアやキャロラインは出たことがあるのだろうか。羨ましい気持ちもあるが、同時に右腕を視界に入れてしまい、これではどうやっても無理だと諦める。殿方とダンスをする際に、手を繋ぐことさえできないのだから。


 ホテルの文字を探して、私はあちこち視線を動かす。看板を探して、それでも見つからなければ人に尋ねるしかない。それはちょっとまだ私にはハードルが高くて、できれば自力で見つけたかった。


 私が道の端で立ち止まって目と首を動かし、どちらに行けばいいか悩んでいたときのことだ。


 馬のいななきが複数、大通りにこだました。何事か、と人々はいななきのしたほうへ振り向き、そして逃げ出した。


 その様子は、私にもすぐに理解できた。馬車に繋がれた馬が、何頭か暴走している。馬車と接続する金具が飛び散り、御者が鞭とともに道へと投げ出された。一目で分かる、貴族が使うであろう大きな紋章入りの馬車がぶつかり合い、連続して横転する。そのうちの一台が、私のいるほうへと強く押し出され、向かってきていた。


 私は咄嗟に、持っていたショルダーバッグとボストンバッグを道の端へ投げ、右腕を前方へ突き出した。避けることはできない、なら受けるしかない。


 馬車の屋根が目の前に迫る。私はこの黒い右腕を信じて、馬車の屋根の角を爪が食い込むほどがっしりと掴み、左へと受け流す。面白いほどスムーズに、馬車は私を避けて飛んでいき、建物の壁に当たって止まる。近くで私を見て悲鳴を上げていた女性たちが、何が起きた、と言わんばかりの唖然とした顔で呆けていた。ちょっとだけ、私はしてやったりの気分だった。この黒い右腕が役に立つことなんて、そうそうない。今、目の前の騒動をどうにかするために使うことができそうだ、と私は確信した。


 ほうぼうへ散った馬はさておき、私は横転した馬車へ近づく。中には人が乗っている、馬車を元どおり立てなければ、出られないだろう。


 私は右手を馬車の屋根に当て、底面の角を支点に、ぐっと力を込めて動かす。すると、馬車は軽々と起き上がり、車輪は折れて砕けているものの、何とか元の方向へ立ち上がった。閉じ込められた人たちを助けようと、私はドアノブが壊れた扉を思いっきりこじ開ける。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 馬車の椅子にしがみついている金髪の男性が、気を失ったらしき青い髪の女性を抱きかかえていた。男性は金刺繍の詰襟や両肩に金の房が付いた豪奢なジャケットとパンツ、女性は白が基調の舞台衣装のようなゆったりとしたドレスだ。どちらもこれから盛大なパーティに出ます、とばかりの華美な衣装を着ている。金髪の男性は私を見るなり、一瞬だけ驚いたようだが、すぐに現実に立ち返った。今はそれどころではない、と緊張を孕んだ表情で返答する。


「ああ、何とか。すまない、彼女を外に出してやってくれないか」

「分かりました。お支えします、こちらへ」


 私は差し出された青髪の女性を、右手で受け取る。服を裂かないよう気を付けた。しかし、ざらざらとした肌はこういうときに役立ち、滑り止めの役割を果たした。私は女性を抱えて外へ出る。少し離れたところで地面に座らせ、様子を窺う。


 気を失ったとはいっても、すぐに青髪の女性は意識を取り戻した。一時的にショックで意識が朦朧としていただけだろう。


「うぅ……あ、あなたは?」

「もう大丈夫ですよ。一緒に乗っていた男性も外に出られたようです」


 私が声をかけると、青髪の女性は安堵して、一息ついた。


「ありがとう、助けてくれて。死んでしまうかと思いました」


 女性の感謝に、私は何だか嬉しさだけでなく、じんわりと感動さえ覚えていた。


 私の右腕が役に立ち、人を助け、感謝された。


 それは生まれて初めての経験で、疎みはしないがこの黒い右腕のせいで、と思いつづけてきた私にとっては、画期的な出来事だったのだ。社交辞令的な感謝ではない、本当に誰かを助けて得た感謝。私は、少しだけ、その余韻に浸っていた。


 ただ、青髪の女性は、やっと私の右腕を目にして——どうしても両手で支えなければならなかったから、隠せなかった——きょとん、としていた。


「その……腕は?」


 私は慌てて右腕をケープの中へ押し込む。


「これは、その、何でもありません。では、私はこれで」

「あっ、待って!」


 青髪の女性は、私の左腕を掴んだ。掴んだといっても、添えたようなものだ。華奢な女性の手で、それもまだ力が入らないであろう指で、私の手首近くに手を置く。


 私は、それを振り払えなかった。彼女に悪意がないと分かったからだ。


「私、バラデュール王国からまいりました、エレミアと申します。あちらはミカエル様、私の婚約者です」


 そう言って、青髪の女性エレミアは、駆けつけてきた金髪の男性、ミカエルを紹介する。


 はあ、と私は生返事をした。できれば黒い右腕が多くの人の目につく前にここから離れたいのだが、どうもそうはいかないようだ。


 エレミアの手を引いて立ち上がらせたミカエルは、すっかり緊張もほぐれて、爽やかな笑顔を見せた。


「ミカエルだ。君の名前は?」


 名乗られては、名乗り返さないわけにはいかない。


「私は、ロゼッタです。もういいですか? 私、宿を探さないといけませんから、これで」

「それなら、私たちが泊まっているホテルに来るといい。今日のお礼には足りないが、部屋を用意させよう」


 どうやら、私を手放す気はないらしく、エレミアは私の左腕から手を離さない。ミカエルは私とエレミアを先導して、やってきていた警察の人々に一言二言伝えてから、泊まっているというホテルへと連れていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ